生ピーナッツ

生ピーナツを買ってみた。ポートモレスビーでは道端で1~2キナ(40円~80円)でピーナツを売っている。ちょっと気になっていたので買ってみた。殻をむいたら、下のように白い豆が出てきた。生のピーナツってこんな色してるんだ!?

そのままで食べると結構クリーミーな感じ。でも、ネットで見ると炒めるのが一般的とある。マーガリン炒めで塩を振って食べると納得の味。工場製品とは違う天然の味がする。

生ピーナッツ(クラフトマーケット)ピーナッツ剥きました(クラフトマーケット)ポートモレスビーでは、他に蟹を縛って売るに来る者もよく見る。海に近いガソリンスタンドで給油をしていると大きい蟹を200円ほどで買ってくれとうるさい。スーパーマーケットの出口ではバナナを少年が売っている。たぶん店内で買うより安い気がするが、ついアクセルを踏んでしまうので値段を知らない。赤信号で止まる路上では新聞。会社のあるオフィス街ではちゃっちいおもちゃを売っている。ブラジルでは、貧乏な人の商売の代表は靴磨きだったが、こちらは大半がサンダルか裸足なので商売が成立しない。

 

クラフトマーケット

ポートモレスビーで毎月最終土曜日に行われるクラフトマーケットに行ってきました。1キナ(約50円)入場料を払って入るのですが、結構な人出で植物、民芸品、絵画など日本にお土産に持って帰りたい品をたくさん売っていました。絵画は、他のどこの国でも売っていないような原住民を描いたものが魅力的なのですが、3~400キナ(1万5千円~2万円ほど)と結構な値段です。写真は何故か日の丸姿のTシャツで絵画を売るおじさん。足元の絵は、ラバウル島のシンシン(マスクフェスティバル)が描かれています。

日の丸おじさん(クラフトマーケット)

装飾品(クラフトマーケット)木彫りの像(クラフトマーケット)

今日は、Tシャツと首飾りと腕輪を買いました。Tシャツに描かれているのは、原住民の顔のペインティングです。 Tシャツ・首飾り(クラフトマーケット)

グレングールド (カナダ人ピアニスト1932-1982)考

ほとんどクラシック音楽ではグレン・グールド以外は聴かなくなってしまった。

エクスタシー、これ以上ないというくらいの明晰さ。常にこの二面性を保ちつつ、彼の音楽は進んでいく。カナダ人というヨーロッパ音楽から少し距離を置いた位置に生まれたことが幸いしたのだろう。彼は10代最後の数年間を楽譜を読むことに没頭する。これまで演奏されていた常識と全く別の、彼独自の解釈を目の前に彫刻のように浮かび上がらせる。

バッハの鍵盤曲を弾く時、現れる複線のメロディーを対比しながら浮かび上がらせ、その演奏はスタッカート、レガート、テンポのアップダウン、音量の強弱、すべてが意識的にコントロールされ、コーダするときも途中で引き方を、ちょっと意外な弾き方を交え、聴いていて飽きるという事がない。残されたビデオ映像では、演奏するときの彼の様子から表現したい内容がより理解しやすく、さらに演奏に引き込まれる。

演奏のスタイルはあまりに独創的だ。10代の頃から50歳で没するまで使い続けた、何度も修理を繰り返したした異常に低い椅子。ヘッドホンで静かに聞いていると一定のリズムでこの椅子がきしむ音が録音されている。また、ピアノの演奏に合わせて歌う彼の唸り声。エンジニアは、録音を発売する際に如何にその唸り声を消去するかマイクロホンと格闘する。グールドの右手が最初のテーマを奏でるとき、左手は指揮者の腕のように指揮をしている。体を旋回させながら、どんな長い曲でも集中を切らすことなく、恍惚となる。グールドのように「フーガの技法」のテーマをこれほど遅く弾いて聴衆に共感を与えられるピアニストは他にいない。異常な遅さなのに緊張感を失わない。普通のピアニストには出来ない技だ。また、異常な速さで引く場合もある。ベートーベンの3番のピアノソナタは、聴いているこちらの耳が区別できないほどのスピードで疾走する。それでいて、主旋律をしっかり歌わせる。バロック時代のバッハ、古典時代と言われるベートーベンの曲をロマン派の曲のように歌うように聴かせる。バッハが映画音楽のようにロマンティックだ。

コンサートからドロップアウト(彼は32歳でコンサートホールの演奏を公開することはなくなった。)し、発表はスタジオ録音のみ。

一般的な常識では、クラシックの音楽家は、コンサートホールで如何に神がかった演奏をするか、その一回性が評価される。このため、一般的なクラシック演奏家はスタジオで録音するとき、その演奏家は彼の頭の中で考え抜いたただ1種類の演奏方法で録音しようとする。

グールドは、スタジオに10通り以上の演奏のアイデアを持ってくる。晩年の「ゴールドベルク変奏曲」のある変奏は26テイクにもなったとプロデューサーのモン・サンジョンが語っている。場合によっては、曲の途中のテープをつなぎ合わせることもする。全く録音時期の違うテープを配置することもある。こうした作業は、グールドの探求心が満たされるまで続けられる。何十テイクもある中で、素人には善し悪しが判別できないところで、グールドは試行錯誤しながら、様々なアイデアを試してみる。エンジニアがしびれを切らそうとも、グールドは納得がいくまでテイクをやめない。こうして発表された演奏は、ほぼ完ぺきな音楽だ。

モンサンジョンの言葉。「(GGは)分節ごとに作業ができ、なおかつその分節すべてをひとつにまとめ上げられる人間は、ごくわずかしかいません。GGは常に、作品全体を完璧にして理論的な目で見つめつつ、最初の一音から最後の一音に至るまで見事な整合性を持たせたうえで、同時に、分節ひとつひとつにも目を配っているのです。」(グレン・グールドシークレットライフから)

私は、ウイーンの巨匠フリードリヒグルダの演奏も好きだが、グールドの演奏はどこまでも考え抜かれており、作曲者が考えた以上の素晴らしさを聴く者に示してくれる。グールドは≪再作曲≫すると言われる所以だ。

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