つづき
その彼が、高校のラグビー部の合宿でやはり海に行った。厳しい練習を終えて部員たちが銭湯へ行く。行った銭湯は、どうやら工事中らしく、男湯と女湯の境が薄い板1枚になっていた。その時、壁のところにいた部員の一人が「おっ! 穴から女湯がみえるで」と声を上げた。すぐに彼を含む周りのラグビー部員が反応し、「何や、何や!俺にも見せろ!」とその第1発見者の後ろに覆いかぶさっていった。「おーすごい!」「早よ代われ」「俺にも見せろ」と喚きながらその穴に向かって部員たちが重なり合った。するとやがて、その壁は、ラグビー部員たちの重量に耐えきれず女湯の方にばったりと完全に倒れてしまう。男湯と女湯の境がなくなり、女性たちの悲鳴。ラグビー部員たちはやはり、裸のまま服だけ持って、だーっと旅館へと一目散に走った。
彼の母親は、百貨店でマネキンさんと呼ばれる店頭販売員を派遣する会社を経営していた。いわゆる派遣会社の草分け的存在である。当時は日本の高度成長期だった。百貨店でマネキンさんが食品を販売すると飛ぶように売れた。また、百貨店の売り場は、今のように中高年社員やパートの主婦がまばらに売り場に居るという感じではなく、若い女性がてんこ盛りで、花園のような職場だった。その彼の母親がマネキンさんの派遣を仕切っているのだが、やりくりがつかず、息子の彼が、マネキンさんの代わりに売り場に立つこともあった。じじいも何度か狩り出されたことがある。そして、彼が百貨店で販売員のバイトをすると、100%!売り場の何人もの!!の女性社員から「今晩、晩御飯一緒に行ってえ」と誘われるのだ。もちろん、食事の後はホテル。彼より女性社員の方が社会人で給料も貰っている立場なので、すべて女性持ち。 じじいもそのバイトに行き、近くの売り場に居たアルバイトの美人女子高校生に思い切って声をかけたこともある。だが、やっぱり話に乗った子はいない。(とほほ)女性も人数がいると、美人がいるものだと思ったのだが、もてる男、もてない男、何事にも偏りがあるのだ。
彼の人となりの一端を紹介すると、女性と話をする時は、かならずファーストネームで呼ぶ。「xxちゃん」か「xx」と呼び捨て。苗字で呼んでいるのは聞いたことがない。若いころ、主を含めた男の多くは、それぞれに何か過激なこと、毒のあることを口にしていたが、彼はあまりそのようなことを言わなかった。主は、「微温的」とか、「ちょっとじれったい」と感じていた。もちろん仲間内の友人をけなしたり非難したりはするのだが、聞き手に同意を求めるようなところがあり、強く断定することがなかった。一方、常に気配りができる。そつがない。ユーモアがある。運動センス抜群である。女性にとって、頭が凝り固まっていと男は敬遠される。
だが、今還暦を迎える年になってようやく分かる。その「じれったい」こともある「微温的」な、人を否定しないところがもてる秘訣なのだ。人間だれしも否定されたくない。女性は男よりずっと、否定されることが許せない。鈍感な男はそのことに気が付かない。何か言われて、もちろん彼が断ることもある。だが、相手を傷つけるような言い方はしない。それがきっと女性にもてる絶対条件だ。
じじいは社会人になり郷里を離れ、彼の方は浪人生活5年でとうとう大学進学を諦め、母親の人材派遣会社の経営を手伝っていた。たまに主が郷里に帰った時に、他の友人と何度かゴルフに出かけた。ちょうどバブルの最中で、「自腹でゴルフするのは、こんな具合に友達同士でするときだけや。」と言う。懐かしい時代だ。じじいも彼も30を過ぎて結婚していた。派手な女性関係が相変わらず続いているのか聞きたいところだったが、普通の結婚生活をしているようだった。ゴルフ場の芝生に腰かけて男同士で昔話に盛り上がったが、女房とのセックスについて「ずっとセックスしてたら、何遍でもイキよる。」という。『さすがや』『俺はあかん』と納得した。