消費される音楽 グレングールド考 その5

音楽は、本来消費されるものではないはずだ。良い音楽は、いつまでも良いし、時代とともに進化し続けるというものでもない。 ところが、音楽雑誌、新聞の音楽欄、各種音楽紹介本などでは、音楽評論家の諸先生がもっともらしく次々と新しく素晴らしい演奏、演奏者を紹介して下さる。何処で、誰々が至高の演奏、今世紀最大の精神性を発現した演奏をしているので買いなさい!といった具合だ。新しい演奏に特別の価値があろうとなかろうと、音楽ファンは評論家の皆さんのご意見に従って、これを有難がって手に入れようと思う。音楽評論家は値打ちのないものを、いかに値打ちがあるように音楽ファンに思わせる。音楽ファンの方は、評論家の言葉に踊らされ一種の洗脳状態、自己暗示にかかり、蒐集欲を満たさないとならないという強迫観念に陥る。もちろん、音楽も一つの産業だし、音楽評論家も立派な職業であり、この分野もほかの分野と同様、次々と新しく生産し、古いものは廃棄しなければ、経済が回っていかない。消費のためには、人々に幻想を植え付けることが必要なのだ。

だが、音楽の価値は、この経済サイクルとはもちろん違うところにあり、こうした評論家の意見に踊らされるのは、愚かだ。

ブログの主は、カナダ人ピアニスト、グレン・グールド(1932-1982)の熱心なファンだ。彼の奇抜ともいえる演奏スタイルや彼の生き様がよく知られているが、他のピアニストと本質的に違っているところは、対位法的に弾く点だろう。普通のピアニストは右手の旋律に左手で伴奏を付ける。ところが彼は、右手、左手だけではなく、3つ、4つの旋律を同時に明晰に弾き分ける。多くのピアニストは、和声(和音)を楽譜通りに弾いて、そのうちの主旋律のみにフォーカスする。ところが、グールドの関心は、対位法的な表現をすることにあり、和音は複数の旋律の重なり合いだ。普通のピアニストは、このように複数の声部を同時並行しながら明晰に弾けない。このために『一人で、まるで連弾しているようだ』、『曲の構造が明晰にわかる』、『再作曲している』などと評される。 グールドは結婚をしなかったが、友人の指揮者ルーカス・フォスの妻で画家のコーネリアと不倫関係になり、彼女の子供たちと一緒に数年間、家族生活を過ごしている。このコーネリアが映画「天才ピアニストの愛と孤独」の中で「(グールドは作曲家が作った曲を)時計の様にいったん分解して、もう一度組み立てるのだけど、元の時計とは違ったものになっている。」と言っている。

こういう手法は、対位法の大家ともいえるバッハに特に向いている。このため、バッハ演奏に関するグールドの評価は非常に高い。主は、時々、グールドの演奏と他のピアニストのバッハ演奏を比較するのだが、他のピアニストの演奏は、つまらないと思ってしまう。(ただ、モーツァルトなど対位法的要素が少ない作曲家の作品は、一つのメロディーをさまざまに装飾したり変形させたりするもののため、グールドのアプローチは、他の演奏者がやっていない独創的な演奏方法を目指すことになり、これが成功しているかどうか、好悪が分かれるところだ。)

グールドの録音の姿勢は、スタジオに何日間もこもりながら、何通りもの演奏方法のアプローチの中から最終的に選択した演奏のうちから、なおかつ、もっとも上手く弾けた演奏をつなぎ合わし、彼の考える曲の構成に合致する納得のいく演奏に仕上げるというものだ。グールドは、バッハの「ゴールドベルグ変奏曲」でデビュー(1956年)し、2回目の録音が遺作(1981年)となったが、デビュー盤のアリアはテイク21、遺作の変奏曲は、テイク26になったものがあるそうだ。(ピアニストに神がかり的な演奏ができる瞬間があると信じる人々にとって、こうした作為的な行為が一番反感を買う点だろう。) 他のピアニストが、スタジオでこれほどの集中力を見せているのか正確なところを知らないが、ここまでの集中力は発揮出来ていないだろう。また、グールドの「ゴールドベルグ変奏曲」デビュー以前は、バッハの鍵盤曲は、チェンバロで演奏するのが正しいとする音楽界の通念があった。だが、彼の演奏が、難解で楽しくないとされていたこの曲の評価を全く一変させ、バッハの鍵盤音楽を表現力豊かなピアノで演奏することがふさわしいことを証明した。彼の録音の後にこの曲を弾いた演奏者は、全員グールドの演奏から影響を受けていると言っても過言でない。(出だしのテーマから多くのピアニストがグールドの弾き方に倣っている。)

誰の演奏に限らず音楽は、イージーリスニング的に聞き流していては、正しい評価はできない。(これが、結構困難なのだが。)

特にグールドの音楽に対する集中力は、異常なレベルまで高い。彼は、すべて暗譜で演奏する。シェーンベルグなどの抽象的な曲は、ピアニストにとっても暗譜すること自体が困難だと言われている。また、すべての歌曲や交響曲のスコアを頭脳にインプットしており、音楽DVDでは、バッハの平均律のフーガを例に挙げながら、4声あるなかからバスを選び、曲の途中から歌いながら弾いてしまう。

また、多くのピアニストは、リズムを揺らすのだが、意図したものではなく演奏の技術的制約から来ていることが多い。どんな曲にも、演奏が困難な個所があり、演奏者はその部分を弾きこなせるように曲全体の構成を変更し、逆算しがちだ。

グールドは、インタビュアーから「演奏に困難を感じることはないか?」という質問に「技術的な困難さに意識を向けると、ますます演奏は困難なものになっていくでしょう。表現するために、エクスタシーの中でも常に明晰な意識を保ち続けることです。」と言っている。グールドの弾く曲は、全体の構成が一種の構築物のように明確だ。その構成の中で、リズム、音量、ペダルの使用などを効果的に決定している。彼の演奏を聴いていると、テクニック上の問題は微塵も感じられない。

 

 

brasileiro365 について

 ジジイ(時事)ネタも取り上げています。ここ1年、YOUTUBEをよく見るようになって、世の中の見方がすっかり変わってしまいました。   好きな音楽:完全にカナダ人クラシック・ピアニスト、グレン・グールドのおたくです。他はあまり聴かないのですが、クラシック全般とジャズ、ブラジル音楽を聴きます。  2002年から4年間ブラジルに住み、2013年から2年間パプア・ニューギニアに住んでいました。これがブログ名の由来です。  アイコンの写真は、パプア・ニューギニアにいた時、ゴロカという県都で行われた部族の踊りを意味する≪シンシン(Sing Sing)≫のショーで、マッドマン(Mad Man)のお面を被っているところです。  
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消費される音楽 グレングールド考 その5 への4件のフィードバック

  1. しぶ より:

    専らジャズとエレクトロニックばかり。滅多にクラシックを聴かない私がYouTubeにあったグールドを聴いてみました。聞き始め、いきなり胸にこみ上げてくるものがありました。「良い」とも思わない。「上手い」と感心もしない。ただただ、演奏者という存在に繋がるという感じ。形容するとしたら「美しい」としか言いようがない。涙が出てきました。

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    • brasileiro365 より:

      グールドの演奏は、おっしゃるとおりです。別に抑制して弾いているわけではないのですが、曲の構成がよく分かり、非常に美しい音色だと思います。バッハの曲はもともと対位法で書かれていますので、特に定評があります。逆説的ですが、そのバッハ演奏ががロマンティックです。
      コメントをいただき有難うございました。m(__)m

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  2. Yasushi より:

    グールドの素晴らしいところは、意図する演奏を実現するための、天性の技術があったということです。ピアニストとして、自由なリズム(低声部を一定のリズムで演奏し、高声部を必要があればポリリズム的な伸縮をさせた)で演奏できたこと、すべての指の強弱のコントロール(意図的に和音の高音、低音のみを強調し内声を曖昧にすることなど)ができたことなどが一例としてあげられます。(対旋律をすべて平等な強さとリズムで弾いたとしても、聴く耳にはうるさいとしか感じられないでしょう)彼はカツァリスのように技術だけで終わった人ではないのです。音楽の表現方法を(冗談のような誇張があったとしても)拡張し、新な解釈を提示してくれたと思います。今でも彼の演奏を聴くことは喜びです。

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    • brasileiro365 より:

      コメントをありがとうございます。m(__)m
      おっしゃるとおりだと思います。彼には、独特(天性)の才能があったと思います。右手と左手を全く独立させて動かし、片一方でスタッカート、もう一方をレガートで弾いたり、音量も右手左手に関係なく、旋律ごとに強弱をつけたりするなどの工夫をしています。(ピアニストであればそういう訓練をするのでしょうが、グールドのように自在に出来る人は少ないのではないでしょうか。グールドなら、右手と左手で、全く違う曲3曲ぐらいを同時に弾けそうですね。(^^))また、曲の途中で奏法をいろいろ変えているので、単調にならずに常に新鮮な気持ちになり、飽きさせません。惜しいのは、没後30年以上経ち、録音状態の良くない演奏も多いこと、もう少し、長生きして欲しかったことですね。

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