RAID0 ULTRA FASTで起動成功!

主のPCがULTRA FASTでBOOTできるようになった。

Windows8 (64bit)をWindows8.1にアップグレードしたのち、BIOS(UEFI)をバージョンアップしたら、RAID0が起動しなくなった。Windows8.1で作ったシステムイメージがあったので、これを使って最終的に回復したのだが、この奮闘記を書いてみる。何かの参考になれば幸いだ。なお、マザーボードは、Asrock Z77 Extreme7-M、CPUは i7-3770Tだ。(今後のためにUSBメモリにUEFI起動Windows8.1回復システムを作成した。)

BIOS(UEFI)をアップデートするとデフォルトにリセットされるので、RAID0に障害が起こり、Windowsが起動しなくなることは前回述べた。これを再インストールする際、DVDメディアからインストールすると必ずBIOSでしかインストール出来ない。UEFIでインストールするためには、USBメモリーに入れたWindowsシステムを準備し、インストールする際にUEFIモードのUSBメモリを指定する必要がある。このためまずは、Winodws8のUSBシステムを作成、RAID0を再構築したドライブにUEFIモードでインストールした。次にWindows Updateを何度か繰り返し、Winodows8.1にアップグレードする。この段階で、ようやくWindows8.1で作ったシステムイメージが認識されて、もとに戻すことが出来た。このシステムイメージは、BIOSで作られたシステム、UEFIのWindows8のいずれからも認識されないのだ。悪戦苦闘することになった原因を上げると、次のようになる。

① DVD-ROMインストールは、UEFIでインストール出来ない

Windows8(Windows8.1でも)をUEFIでインストールするには、DVD-ROMからインストールすることはできないので、インストール用USBメモリを作り、UEFIを選んでブートしなければならない。間違えてAHCIを選ぶと、UEFIにはならない。

② Windows8のシステム回復は、Windows8.1で作ったシステムイメージを認識しない

Windows7では、サービスパックがSP3まであったが、OSとしては同じだったので、システム回復が同じように使えた。だが、Windows8とWindows8.1は違うOSのようだ。

③ ライセンスがWindows8アップグレードの場合は、クリーンインストールできない。 

主は、Windows7から8へ移行する際に、安価なアップグレード版をダウンロードして使っていた。これを使って新規(カスタム)インストールすると、ライセンス違反というエラーメッセージが出て、ライセンス認証が出来ない。だがこの現象は、必ずしもWindows7をインストール後にWindows8へアップデートしなくとも、Windows8を2回インストールすれば可能だ。

④ ビデオカードはGOPに対応している必要がある

対応していない場合は、CPU内蔵のVGAを使えば可能だ。

 

 

 

 

RAID0 BIOSのアップデートで再インストールするはめに

半年ぶりに日本に帰ってきたら、マザーボードのBIOSの新バージョンがリリースされているのに気が付いた。

主の使うPCは、レスポンスを良くするためにSSD2枚を使ってRAID0を組んでいる。RAIDは、BIOS(UEFI)のハードディスクの起動オプションででIDEやAHCIではなく、RAIDを選択したうえで、さらに別の設定画面でRAIDドライブを指定しなければならない。しかし、何も考えずにBIOSをバージョンアップすると、BIOSのバージョンアップはデフォルトの状態へと戻る。すなわちAHCIになり、再起動後、RAIDドライブはエラーを起こして、Windowsは永遠に立ち上がらなくなってしまう。

この失敗を元旦にしてしまった。(^^);;

BIOS(UEFI)のアップデート自体は簡単に終了するのだが、Windows8.1は立ち上がらない。仕方ないので、DVDトレイに入れたWindows8のシステムから起動し、システム修復を試みる。システムイメージがあるので簡単に修復できるとたかをくくっていたが、やってみると何故か「システムイメージを復元できませんでした。ファームウエアが異なるコンピュータにシステムイメージを復元できません。このシステムイメージはBIOSを使用するコンピュータで作成されましたが、このコンピュータはEFIを使用しています。というエラーメッセージが出て、システムイメージは使えない。(涙)

結局、Windows8を再インストール、Windows Updateを繰り返し、Windows8.1も再インストールする羽目になる。データは、Cドライブに入れていないので大きな被害はなかったが、元旦早々、半日がつぶれた。

システム修復の際に、修復対象を選択する「ドライブの除外」という項目があり、除外するドライブをしっかり指定しないと、Cドライブ以外のドライブも消えてしまうので注意が必要だ。

その後、Googleで検索したら、エラーメッセージの原因について、価格コムの口コミで次の書き込みを見つけた。http://bbs.kakaku.com/bbs/K0000383962/SortID=15170871/

記事を見て気が付いたが、以前、UEFIブート用のUSB Windows8を作った記憶がある。だが、パプアニューギニアへ持って行ってしまって手元にない。必要な時に手元にないとは、全くとほほだ。

GLENN GOULD 中毒 (書籍について その2)

グレン・グールドに関する書籍をさらに読んだので、感想第二弾。

【グレングールド孤独のアリア】ちくま学芸文庫 1,100円 2014/1/5追加

著者のミシェル・シュネーデルはフランスの官僚であり、精神分析の専門家である。そのためか非常に抽象的な内容である。翻訳であることも相まってストレートに理解するのは難しいが、なかなか興味深い。シュネーデルが書いているように、ここに書かれているグールドの逸話は彼自身が調べたものではなく、他の書物からの引用であり、目新しいものはない。だが、音楽をどのように意味づけ、どのように捉えるかということを掘り下げて考えてみる時、この本は面白い。

意外だと思ったのは、訳者あとがきの次に岡田敦子の解説があり、この解説が実にグールドの演奏にネガティブだ。Googleで調べると、音楽大学でピアノ教えているようだが、「グレン・グールド未来のピアニスト」の著者である青柳いづみこと同じ視点であり、懐疑的だ。青柳いづみこは、日本のピアニストだ。岡田は書く。「ふつうに演奏されるバッハやベートーヴェンやヴァーグナーやシェーンベルクやストラヴィンスキーを聴くときには、それがどういう音楽で、どう感動すべきなのか、私たちはおおよそのガイドライン(鑑賞の手引き)を教わって知っており、おおよそそのとおりに感動してしまう。(それが教養というものだ)。ところがグールドについてはそれがない。グールドがいかに能弁であり、本がこれだけ書かれていても、グールドの演奏に感激することが、はたして個人的な問題なのか、もっと歴史的、文化的に広がりのある事象なのかさえ、もうひとつ確信が持てない。・・・」

この二人は、日本の教育システムの中でクラシック音楽を学んできており、グールドの演奏は異常に映るようだ。どうも音楽の価値についての考え方が、主のようなファンと本格的に音楽教育を受けてきた彼女たちとは、根本的に違っているようだ。

主は、グールドの演奏が非主流とか伝統的でないとか考えたことは全くない。聴いていて楽しいし、示唆に富んでいるから聴いているのだ。楽譜どおりでなく、スタッカートの多い演奏。しかもピアノを弾きながら唸り声を発し、死ぬまで使った椅子が軋み、演奏はテープを切り張りしている。このようなことは、彼女たちにとって許しがたいのだろう。 だが、良いものは良いのだ。切り張りされた結果、演奏はベストなものになっている。ここを理解しないと、グールドを評価できないだろう。

主も若いころは時々クラシックのコンサートへ行った。しかし、感動できる演奏会は2割くらいの率である。残り8割はお金を使って失敗。一度、国内ではテレビのコマーシャルに出ているくらい有名なので、それほど悪くはないだろうと思って或るピアニストの演奏会に行ったことがある。10年ほど前のステージで、冬ソナの話を聞いた記憶があり、トークは面白かった。確かショパンのピアノ協奏曲だったと思うが、演奏は最悪。冒頭を聴いただけで嫌になるというか腹立たしくなり、我慢しながらその曲が終わるのを待ち、帰宅した経験がある。それでも「ブラヴォー」と叫ぶ観客がおり、これには普段どんな演奏を聴いているのかと驚いた。 ピアニストの演奏会では、シューマンを弾いたイエルク・デームスは素晴らしかったが・・。

この本が出版された1991年、この評論で岡田敦子は、グールド存命中に盛んになる古楽器演奏と対比し、この取組についてグールドが論評していないことを指摘している。だが明らかに、グールドはピアノが自分の解釈を最大限に表現できる楽器であると考えたのであり、古典の曲であってもオルガンやチェンバロを使うことは、表現力に劣ると考えたのだ。 古楽器演奏は、現代の大ホールにおける大オーケストラによる演奏への懐疑や反省から、作曲者の時代に戻り、その時代の楽器、楽器編成を使おうというものだ。その方向性とグールドが示した演奏の方向性は、全く違う。グールドが示した曲の解釈は、主にとって恣意に富んだポピュラー音楽のようなものだ(これを神の使いという人もいる。)し、作曲家の意図を忠実に再現しようとするムーブメントとは全然違う。

【グレン・グールドは語る】ちくま学芸文庫 1,100円 2013/12/25追加

著者のジョナサン・コットは、1942年ニューヨーク生まれのノンフィクション作家。グールドの10歳年下である。グールドとの関わりを本書の中で語ってているが、デビュー作「ゴールドベルグ変奏曲」を13歳の時に聴いて以来ファンとなり、ニューヨークで行われる公演をすべて聴きに行く。ファンレターも書いて、返信を貰うこともあったと書いている。コットは、その後「ローリング・ストーン」誌の中心的なライターになり、1974年に3日間6時間にわたる電話インタビューをもとにして、同誌へ2回にわたって記事を連載する。グールドの映画を見ていると、長電話、それも明け方や深夜の普通でない時刻にもグールドは話をする相手がいたことがわかるが、コットも生涯にわたって、その一人だった。

個人的には、ジョージセルによるグールドの良く知られた逸話がでっち上げだったこと、ワーグナーの「マイスタージンガー」前奏曲、ベートーヴェン「第5番交響曲」(ピアノ版)で多重録音していることを知った。

ジョージ・セルの逸話というのは、1957年(グールド25才)にクリーヴランド管弦楽団との共演のリハーサルの際に、準備万端の楽団員の前で、グールドが生涯持運びつづけた特製の椅子(座面が床から35センチしか離れていない!)の調整に時間を費やし、苛立ったセルが「君のお尻を16分の1インチ削ったら、リハーサルを始められるのだがね。」「あいつは変人だが天才だよ。」と言ったと言うものだ。この記事は、雑誌『タイム』に載ったものだが、記者にもっとユーモアのある逸話がないかと聞かれたセル自身が創作したものだった。 他に主が感心した点は、椅子をこれ以上に低くすると無理な姿勢になってしまうため、自宅で実証済みの方法、ピアノを持ち上げるというグールドのこだわりだ。映像を見ていると、実際彼のピアノは何センチか持ち上げられている。

本書は、コットが「ローリング・ストーン」誌のインタビュー記事にジョージセル事件を付け加えたかたちで1984年に出版され、邦訳が晶文社から1990年に「グレン・グールドとの対話」として出版されていた。2010年にそれを出版社と訳者が変わり出版されたものだ。最後に訳者の宮澤淳一の分かりやすい「解説」に、「付録」としてレーパートリーなどのデータが載っている。

グールドの書籍の中では、昔から刊行されているもので、定番と言える書籍だろう。「ローリング・ストーン」誌は、その名の通りクラシック愛好者向けの雑誌ではない。ロックや、政治を取り上げる雑誌で、日本でも翻訳が売られているほどのメジャーな雑誌だ。この本で、彼のインタビュアーへの(ユーモアのある)真剣な回答、彼らしさが多面的に分かるし、読者層を意識してかビートルズに対するネガティブな評価なども語っている。クラシックを聴かない層にもインパクトを与えた。◎だ。

 

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。