グレン・グールド考 お勧め作品(その2)

グレン・グールドを描いた映画に「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」(2009年。日本公開は2011年。)がある。このなかで、グールドが初めて弾く曲を練習する時の様子を、数年間不倫関係にあった画家のコーネリアが語っている。グールドは36歳ころから40歳ころまでコーネリアと二人の子供と一緒に過ごしている。グールドが演奏家として一番充実していた時期と言って良いだろう。(グールドの女性関係は、別に書きたいと思っている。)

グールドが初めて曲を弾く様子は、他のピアニストと全く違っている。練習を始める前に女中に部屋で掃除機をかけさせ、同時にテレビとラジオの音量を最大にする。つまり、自分が弾くピアノの音が聴こえないようにするのだ。初めて弾く曲にとりかかる時は、すでに楽譜は頭の中に入っており、曲のイメージもすでにあった。そのようなときに不慣れな指使いから出る音が、自分の抱いているイメージに影響することを嫌ったのだ。 グールドは、「ピアノは指で弾くんじゃない。頭で弾くんだ。」と言っている。『当然だろう!』と言われるかもしれないが、彼の言っていることは、身体的な制約を受けずに頭の中にある音を直接出すことを言っている。実際、彼の演奏は指(手)の存在を感じさせない。彼の演奏は、直接音楽に触れているようだ。

プロは、テクニックを保つために毎日4時間も5時間も練習練習するというが、様相が全く違う。同じような意味だが、「演奏に技術的な困難を感じることがありますか?」とインタビュアーから質問されると「僕は戦場を見ないようにしているんだ。」と答えている。この場合の『戦場』とは、鍵盤のことだ。つまり、彼は意識を技術的な指使いなどのテクニックのことから逸らし、もっと重要なこと、たとえば曲の構成や、旋律ごとの強弱、どのような表現方法をとるべきかかなどを、陶酔の中にありながら常に計算している。彼は「もし、演奏家が意識を演奏技術に向けたら、困難さはさらに増すだろう。」と言っている。 また、子供時代を別にすると練習をしないピアニストで有名だ。1週間以上ピアノを弾かないことは普通にあったようだ。さすがに1か月弾けないと心理的にピアノを弾くことを渇望し、ピアノが弾けると嬉しくなるという事を言っている。

例により、前置きが長くなっってしまったが、おすすめ作品を続けよう。No.2はやはりこれ、J.S.バッハの「フーガの技法」だ。これだ。グールドの演奏は35分である。

「フーガの技法」は、バッハ(1685-1750)の最晩年である1740年代後半に書かれており、最後のフーガが未完のままで終わっている。シュバイツァーは、この曲を“静粛で厳粛な世界、色も光も動きもない”と言っている。確かに、静謐で宇宙的な深遠さがある。また、心的に穏やかな充足感が感じられ、宗教的な統一感を感じることができる。

この曲は楽器の指定がないこともあり、ピアノ、チェンバロ、オルガン、弦楽四重奏、オーケストラなど様々な形式の演奏が行われている。チェンバロやオルガン単体では音色の変化や強弱などの表現力が乏しい。一方、合奏形式のものは、各楽器が個性を主張しまとまりが感じられなかったり、逆にまとまっている場合も、伝えたいものが何なのか分からなかったりすることがある。合奏に比べるとピアノ独奏の場合は、一人で演奏するため、演奏者の伝えたいものが等身大で伝わってくる。やはりピアノ独奏の場合に、曲の統一感が一番よく出る。

名前が「フーガの技法」と言うだけあり、最初の主題が次々と対位法的に展開する。対位法は、複数の独立した声部(パート)からなる音楽をポリフォニーといい、ポリフォニーである対等な関係の最大4声の旋律が奏でられる。異なる旋律が同時に奏でられるので、必然的に和声(ハーモニー)も形成されるが、各声部の旋律(メロディー)が中心となる。グールドは単純な和音にならないように和音を崩しアルペジオにして旋律の違いが分かるように演奏するところが特長だ。そういう意味では逆に、オーケストラのお互いの楽器が主張しあう旋律の重なり自体を楽しむという聴き方もできる。DVDのベルリン古楽アカデミーの演奏は、最初主はまとまりがないと思っていたが、数十人の演奏者による様々な弦楽器、管楽器による旋律がそれぞれ行きつ戻りつする様子に着目すると楽しい。また、ピアノなのだが、コンスタンチン・リフシッツというピアニストはピアノ1台だが多重録音している。明らかに4手で弾いている。

だが、グールドのこの曲の演奏は、他の演奏家のどれとも全くレベルが違う。最初のテーマのテンポの遅さ。強い緊張感を保ちながら、この遅さで演奏できる奏者を知らない。テーマの終わりで2度休符するのだが、グールドの演奏は、完全な何秒かの無音を奏でる。初めて聞いた主は、ステレオ装置が具合悪くなったと思ったほどだ。最初のテーマの後、テーマを様々に変形させたフーガやカノンが続く。これらをグールドは旋律を弾き分け、あたかも全体を一つの構築物を見せるかのように演奏する。その演奏は、誰より明晰で、押しつけがましさがない全く自然なものだ。ついに終曲。シュバイツァーが“静粛で厳粛な世界、色も光も動きもない”と言ったのはこの曲だろう。この曲を聴いていると、普遍性、宇宙、抑えた愉悦、幸福、善といった表現が浮かぶ。ところが、そうした落ち着いた幸福感が虚空に突然ストップする。絶筆なのだ、この曲は。それでもこの曲の価値は失われることがない。

つづく

 

 

 

brasileiro365 について

 ジジイ(時事)ネタも取り上げています。ここ1年、YOUTUBEをよく見るようになって、世の中の見方がすっかり変わってしまいました。   好きな音楽:完全にカナダ人クラシック・ピアニスト、グレン・グールドのおたくです。他はあまり聴かないのですが、クラシック全般とジャズ、ブラジル音楽を聴きます。  2002年から4年間ブラジルに住み、2013年から2年間パプア・ニューギニアに住んでいました。これがブログ名の由来です。  アイコンの写真は、パプア・ニューギニアにいた時、ゴロカという県都で行われた部族の踊りを意味する≪シンシン(Sing Sing)≫のショーで、マッドマン(Mad Man)のお面を被っているところです。  
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