(2022.8.24追記しました)
進化生物学者のジャレド・ダイヤモンドは、パプアニューギニアでフィールドワークを行い、現代の西洋中心の世界観の成り立ちを明解に分析した。彼の著作「銃、病原菌、鉄」や「文明崩壊」は、これまで霧がかかっていた主の人類史観、文化史観から霧を晴らすような影響を与えた。同時に彼は「セックスはなぜ楽しいか」というちょっと興味をそそるタイトルの本も書いている。
動物と比べて全く奇妙な人間の性が考察されているのだが、セックスそのものの興味半分で、この本を読むと失望する。つまり、なぜ人間だけが、のべつまくなく無用なセックスする方向へと進化したのかを考察するのが、この本のテーマである。
人間以外の生物は、ごく簡単に要約してしまうと、種の保存のために交尾し、交尾が終わるとオスもメスも死んでしまう。また、その交尾の時期は、排卵期(=子孫を残すことが可能な時期・発情期)に限られており、人間のように妊娠中のメスとオスがセックスすることや、オスと閉経を迎えたメスがセックスするという無駄なエネルギーの消費はしない。
こうした人間と他の動物と差は、人間が成長に長い時間を要するという点にあるとジャレド・ダイアモンドは考える。すなわち人間も他の動物と同様、自分の遺伝子を将来に残すことが最終目的である点は同じだが、人間の子供は大人になるまでに10年以上かかる。子供は10年以上の間、大人の庇護が必要だ。また、メスが生涯に産める子どもの数が最大に見積もっても10人、オスは生殖能力は逆に、一夫多妻の形態をとった社会で1,000人の子供持った王がいるほど多い。同時に人間のオスは、生殖能力が長く続くが、メスは50才前後に閉経を迎え子供を産むことが不可能になる。つまり、生殖に関係のない生存期間が人間にはある。
進化の過程で、人間がゴリラやオランウータンなどから枝分かれをしたのが700万年前、その後人間は一夫一婦制で暮らしてきたわけではなく、一夫多妻の時代や、乱婚の時代の方が長い。そうした場合に新しく夫の座に就いたオスは、メスがすでに生んだ昔の夫の子供を殺すことがしばしばおこった。これは生める子どもの数に限りのあるメスの取って避けたい結果だ。つまり、オスとメスの生殖能力が非常に異なっている中で、子供を一人前の大人になるまでに育てるためには多くの投資が必要で、メスにとって食料を運び脅威から守ってくれるオスの存在が不可欠だ。(このオスは必ずしも子供の生物学的な父親でなくても構わない。)このため、人間の進化の戦略は、メスが排卵を隠し、常にセックスに応じることでオスを自分の元にとどめるという戦略を選択した。
つまり、遺伝子を確実に残す方法として、オス、メス双方に、生まれた子供がそのオスの子どもだと思わせることは、有効な手段だ。オスは自分の子どもを殺そうとする確率は低い。そうすると、一夫一妻性や、それに近い形態が有力なな選択肢となる。すなわち、メスは常にオスを受け入れるようにし、子供が自分の子どもだと思わせつつ、身近なオスに子供の養育の大きな部分を担わせる。また、生まれた子供が自分の子供かどうか確信を持てないオスにとり、常にメスの近くにいることで自分の子供である可能性の高まりを信じることができる。
他方、ジャレドダイアモンドは人間の老化について、進化の過程で、人間の体の機能の一部を修繕するか断念するかということを考察している。すなわち、人間の寿命はながく、メスの閉経という現象がなぜ起こるのか考えると、閉経を起こさず出産しつづける能力を維持する進化の選択もあり得たにもかかわらず、実際の進化の過程ではメスは閉経する道を選択した。これは老化により健康でない子供が生まれる確率の増加に対し、閉経という進化の方向を選び、閉経後のメスが孫の養育に協力することが、自分の遺伝子を確実に残すための有利な戦略だったと分析する。
人間の性の進化が動物と比べて極めて違っている象徴的な事象として、オスのペニスのサイズを指摘している。人間より体の大きなゴリラやオランウータンでさえ、ペニスは3センチしかない。人間は進化により13センチもの、生殖に不必要な大きさのペニスを持っている。人間はゴリラやオランウータンから枝分かれして700万年、農耕生活(文明)を始めてわずか1万3000年しか経っていない。
こうしてみると、「セックスがなぜ楽しいのか?」という問いに対する答えは、人間が種を維持するために、男にも女にも「快楽」という動機をセックスに与え、しかも排卵を隠すことで、男に「俺の子どもだろうね。」と思わせることが、子殺しをしなくなる方策だとジャレドダイヤモンドは考えている。
一方で、(かなり強引だが)主は最近林真理子の小説にハマっている。結構、あけすけに性を語る部分があり、人間の見栄や欲望について語られる。しかし、小説の根幹には、遺伝子をばらまきたい浮気性の男と、優秀な遺伝子を得て優秀な子を残したい女の葛藤がある。この葛藤は、有史以来試行錯誤を繰り返してきたのヒトの性そのものだ。
テレビでも芸能人の不倫が良く取り上げられる。この手の不倫騒動はかなりの率で男性が起こすもので、女性が不倫をしたというのは目立たない。女性もの不倫は多いようだが、女性は夫に不倫を上手に隠すので、なかなかバレない。不倫が世間にバレるのは、男の芸能人が多く、厳しく責任追及され、芸能人生命を失うこともある。
基本的に、男は一夫一婦制にガマンできない播種本能があって、機会が許せば浮気を繰り返す。女の方は、男を何人も求めるより、基本的に生まれた子供(自分の遺伝子)と家庭が最も大事だ。何かの拍子で、女が不倫するなら上手に男に隠すはずだ。
林真理子の小説に「不機嫌な果実」という楽しい小説がある。いろんな男や、刺激が好きな大好き麻也子という主人公が、やがて男との浮気にも飽き、自分に欠けているものは何か考え、「子供だ」と結論を出す。前の不倫相手が今の夫と同じ血液型であることを知っていた麻也子は、排卵誘発剤を飲みながらこの男と避妊せず不倫するという話だ。
これ小説は、男と女の性に対する違いが端的に書かれている。男の方は、世界中に自分の遺伝子をバラマキたいのに対し、女の方は出来るだけ優秀な自分の遺伝子の成長をちゃんと見届けたい。そこで、男も女も演技やら嘘やらさまざまに努力して、折り合いをつけつつ、騙し合いながら自己を実現しようと葛藤する。