私がここ数年来ハマっているカナダ人クラシック・ピアノ奏者グレン・グールドGlenn Gould(1932-1982)を紹介しましょう。「えっ、グレン・グールドって誰?」と言う人に読んでもらい、もし聴いてみたいと思ってもらえれば、これほど嬉しいことはありません。
グレン・グールド(以下GGと略記します。)は、今から遡ること何と32年、1982年に亡くなっており、過去の人なのですが、日本のクラシック音楽においては、おそらく今でも一番売れているでしょう。これだけ時間が経っているのに、どこのショップの売場でも、GGの録音、録画がずらりと並んでいます。新録音は増えませんが、組み合わせを変えた企画ものが次々と発売されています。また、彼に関する書籍もたくさんあり、どれも絶版になりませんし、新刊も刊行されています。映画も結構な数が作られており、一番新しいものは、2011年に日本で封切られました。
ご存知ないでしょうか?映画「羊たちの沈黙」(1991)。牢に捕まえられた猟奇殺人者レクター博士が愛聴曲バッハの「ゴールドベルグ変奏曲」(GG演奏)を聴きながら警官を襲撃、脱獄するシーンがあります。狂気の博士とあまりに美しいピアノの対比。博士の異常さを際立てていました。また、知る人が少ないかもしれませんが「スローターハウス5」(1972)という映画では、全編にグールドのピアノが使われていました。
地球人の文化紹介のため1977年に打ち上げられた宇宙探査機ボイジャーにはゴールドディスク(旧式のアナログレコード)が乗せられており、知的生命に地球を紹介するための地球上のさまざまな写真や言語、音声などが記録されています。この中にはGGのバッハ曲演奏が乗っています。(このボイジャーはすでに太陽系を脱出しているそうです。)
GGは、演奏に関して完全に「天才」ですが、演奏の場を離れたGGは、若い時分ハンサムで、ジェームズ・ディーン(1931年生まれ。GGより1年早い。25歳で夭折した美青年の代名詞です。)と並ぶアイドルでした 。
ウィキペディアで利用を許諾されたGG
奇行が有名で、夏でもコートにマフラー、手袋、帽子姿で現れました。極度の潔癖症で、指の怪我を心配し、握手を求められても握手をしませんでした。アスペルガー症候群、心気症だったとも言われます。薬物依存があり、精神安定剤など多種の飲み薬を常に持ち運び、不安になると精神安定剤を口に放り込んでいました。あまりに大量の薬を持ち運んでいるので、怪しんだ係官に国境で没収されたことがあります。レコード会社やマスコミは、こうした彼の一面を格好の材料にして取り上げました。
デビュー後、演奏会で演奏すること自体に批判的で、曲を演奏したあと観客から大喝采を浴びている最中でさえ、「今の演奏にはよくないところがあった。もう一度弾き直したい。」と思っていたといいます。「集団としての聴衆は悪だ」と感じ、ずっと引退したいと公言していたのですが、人気絶頂の31歳の時に演奏会から実際に引退します。この後、もっぱらスタジオ録音を行います。1曲を録音するためにテイクを何十もとり、その録音テープを切り貼りしながら部分的に良いところを集め、曲を仕上げたのです。
彼の演奏時の姿勢は、脚の先端を切った椅子(床から座面まで30センチしかない!)に座り、時に顔を鍵盤に触れそうになるほど近づけ、上半身をぐるぐる旋回させます。椅子が異様に低いので、身長180センチのグールドのお尻より、膝が高い位置に来ます。手首より指が上に来ます。椅子をこれ以上低くすると無理な姿勢になってしなうため、スタジオ録音ではピアノを数センチ持ち上げていました。この椅子はGGのシンボルと言えるほど有名で、GGはこの椅子を亡くなるまで何十年もずっと持ち歩いていました。晩年の演奏時には座面の部分がなくなり、お尻が載るところには木の枠だけが残っていました。録音にはこの椅子の軋む音がかすかに入っています。三本足(ピアノのこと)、マイクを愛した男と書かかれたこともあります。
彼の姿勢は、他のピアニスト達とはまったく反対です。正統派の奏法は、背筋を伸ばし、腕を下にした良い姿勢から、上から大きな腕力を一気に鍵盤にかけ、爆発するような大音量を出すことが可能です。GGはこのような弾き方が出来ないことを認めています。ですが、彼のピアノの音色は非常に美しい。4声あるフーガを10本の指が自在に独立して動き、すべての音がコントロールされ、頭の中にあるイメージが直接音になって表れて来る、そんな演奏です。非常にゆっくり弾いた場合でも超速弾きでもパルスを正確に保てるので、ドライヴ感があると言われます。いったん演奏を始めると、天才的な集中力を発揮し、一瞬のうちにトランス(エクスタシー)状態に入ってしまいます。トランス状態に入り込んでも、冷静さ、明晰さは常に保っています。右手だけで弾ける時は、空いた左手を振り回し指揮をします。右手が空けば、右手です。子供時代から常に歌いながらピアノを弾いていたので、大人になってもこの習性が抜けず、ピアノを弾くと、無意識にハミングしてしまいます。このため、彼の演奏には鼻歌が演奏とともに録音されています。
売り物の録音にはハミングが邪魔なプロデューサーが、スタジオに第二次世界大戦で実際に使われた毒マスクを持ってきて、ハミングが録音されないよう『これを被って演奏したら?!』と半ば本気で言っています。
かたやオーケストラとの共演では、オーケストラが全奏(トッティ)している間、週刊誌を見ている若い時代のGGの衝撃的な写真があります。
SMAPの木村拓哉が、ドラマ「ロングバケーション」でピアニスト志望の役を演じた際にグールドを知り、女性向けの雑誌クレア(96年5月号)へ向けて次のように言っています。「友達が『えーっ、クラシックぅ?ピアノぉ?』って言ってる人にもスンナリ聴けるピアニストを教えてくれたんです。それがグレン・グールドのおっちゃん。あの人って、弾き方もバカにしてるみたいでしょ。猫背で、すごい姿勢も悪くて。それが、いいなあと。」いろんな評論家が様々にGGを評していますが、キムタクの発言が一番うまくGGを表しているでしょう。正統派クラシック音楽をずっと聴いていた人より、興味のなかった層に受け入れられやすいことは間違いないと思います。私もクラシックを聴いているというより、単に音楽を聴いていると思っているだけです。
以下は、実際の曲を集めたYOUTUBEのリンクです。普段クラシックを聴かない人、GGを知らない人でも楽しめる曲を集めてみました。こうしてみるとGGの演奏がYOUTUBEにはいっぱい網羅されていて驚きます。
最初は、ベートーベンンのピアノソナタ「月光」です。非常に有名な曲ですので、どなたもよくご存じだと思います。普通のピアニストは、心の中の激情を秘めながらも、その激情が時々表に出るように、この曲の第1楽章を弾きます。ところが、彼の演奏は、曲のリズムを一定に保ち抑揚を抑えているので、その激情をさらにもっと心の奥底に隠したように、潔癖な感じがします。(YOUTUBEで“Gould moonlight”と検索しても出てきます。)
https://www.youtube.com/watch?v=HoP4lK1drrA
次は、バッハの「マルチェロの主題による協奏曲BWV974」です。協奏曲という名前がついていますが、ピアノ独奏曲です。原曲がバッハではないので、当然バッハらしくないですが、非常に美しく聴きやすい魅力あふれる曲です。第2楽章のアダージョをリンクしていますが、第1楽章、第3楽章と合わせた全曲通しても楽しめます。(YOUTUBEで“Gould 974”と検索しても出てきます。
https://www.youtube.com/watch?v=C2zix8yTY_Y
次は、バッハの「イタリア協奏曲」です。これもバッハらしくなく、軽快、華麗です。気持ちいいです。リンクは最初の1楽章だけですが、2楽章、3楽章は雰囲気が変わり、3楽章は疾走し、GGのテクニック全開でこれまたとても楽しいです。是非聴いてください。(YOUTUBEで“Gould Italia”と検索しても出てきます。
https://www.youtube.com/watch?v=sq1TPi4aJWc
最後は、私がベストだと思っている曲です。バッハの「フーガの技法」の最終曲です。バッハはこの曲を完成せずに死亡しましたので、絶筆です。曲の途中で突然終わるのですが、それでもベストです。おとなしい曲ですので、この曲だけ聴くとちょっと物足りないかもしれません。そのかわり、このリンクはGGが弾いている映像が流れますので、ハミングや体の旋回、低い椅子、エクスタシーの様子がよく分かります。(YOUTUBEで“Gould Art of fugue”と検索しても出てきます。
https://www.youtube.com/watch?v=iDSAXtsDB5k
つづく