グレン・グールド伝(ピーター・F・オスとウォルド)を読んでいる。まだ、途中なのだが、面白い逸話がたくさん出て来るので、天才がどのようにして生まれるのかを考えてみたい。
グレンの母フローラ、父バートともに敬虔なキリスト教徒だったが、ともに音楽が大きな比重を占めていた。フローラは声楽と器楽を学んでおり、教会のオルガニストでピアノ教師でもあった。バートはフローラより9歳年下だったが、音楽を通して二人は知り合った。二人とも合唱にも加わるほど、歌がうまかった。バートはヴァイオリンも弾いた。フローラは、何度か流産を繰り返したのちに40歳でグールドを出産する。
妊娠中から、フローラは胎児に良い影響を与えるためピアノを弾き、歌い、ラジオやレコードの音楽を聴かせていた。彼の意識に音楽が浸透していくと信じていたし、もちろんグレンが生まれると音楽に関するものなら、知るものすべてを教えようと思っていた。彼女は人への接し方が冷淡だといわれるが、音楽は非常に大きなウエイトを占めていた。ー『フローラはグレンが「特別な子供」となり、将来、音楽を通して世界に多大な貢献をすることを常に願っていた。』(前掲書より)
やがて、実際に特別な子が生まれる。息子は言葉を話せる前に、楽譜を読めるようになる。絶対音感を持っていることもわかった。フローラはピアノを厳しく教えた。父親バートの存在は薄い。
グレンの音楽に対する才能は、目覚ましく伸びていく。
一方で、グレンは生まれながらに普通の子供ではなかったし、その程度は年齢を経るにつれて顕著になっていく。父親が、1986年(グレンの没後4年)にフランスで行われたグールド展のパンフレットに次のように書いている。『祖母の膝に乗ってピアノに向かえるようになるや、大抵の子供は手全体でいくつものキーを一度に無造作に叩いてしまうものだが、グレンは必ずひとつのキーだけを押さえ、出てきた音が完全に聞こえなくなるまで指を離さなかった。』(前掲書より)グレンが8歳になり、パブリックスクールに通うようになった時期、学校で一番苦手だったのは授業よりも休み時間、昼食の時間で、周囲の粗暴な同級生たちとはうまく付き合えなかった。一番苦手だった科目は、音楽だ!音楽教師(ミス・ウインチェスター)の指導にしたがって生徒たちが簡単なカノンを揃って歌うとき、わざと『半音階的興趣』を加えて歌う。これに怒った女教師は、彼の頭の上にチョークの粉を降りかけた。
子供の頃から処方薬を手放さず、アスペルガー症候群といわれる。長じては、不安症、心気症、パラノイアといわれ、栄養剤、抗不安薬、睡眠剤に頼った昼夜が逆転した生活を当然のように送る。食事や服装には全く興味がない、
グレンは10代に入って20歳までプロのピアニスト(チリ人ピアニストのアルベルト・ゲレーロ)の指導を受けるようになり、バッハなどとともにシェーンベルクなどの現代曲も身に付けていく。母フローラの価値観には、現代曲がない。だが、自我が目覚め始めたこの時期、母を否定する形で二人は衝突する。父親たちと行ったボート釣りで、グレンが魚を逃がそうとし、みんなにグレンは揶揄される。それを機にグレンは動物愛護を主張し、父親が好きだった趣味の釣りを止めさせてしまう。周囲からは、両親がグレンを尊敬しているように見えたといわれるまでになる。
一方で、音楽は、すべての曲を暗譜で弾き、一度聞いた曲は正確に再現できる。彼の演奏に魅入られないものはいない。即興演奏の名手。ピアノを弾くことが、心休まる唯一の彼の居場所だった。
つづく