グレン・グールドとフリードリヒ・グルダのモーツアルトピアノソナタの比較をしてみた。
フリードリヒ・グルダのモーツアルトピアノソナタ14番は、「Mozart no End」というライブアルバムがあり、グルダ晩年の最高の演奏で何とも言えず美しい。
フリードリヒ・グルダを簡単に紹介すると、オーストリアで1930年生まれ(グールドは1932年生まれ)、グールドよりちょうど20年長生きで、2000年に亡くなっている。(グールドは1982年に亡くなっている)二人は同世代だ。グルダは、根っからのウィーン正統派なのだが、ステージに真っ裸で登場したり、ジャズに走り、変装してジャズボーカルを歌うなどの奇行もあり、正当な評価を受けなかった。いくら道を外れても、ウィーンという町に育ったせいで、クラシック音楽の神髄が体の中に自然と身についている。
グールドもそうだが、演奏はやはり晩年のものが聴きごたえがある。死後になって、生前には発売されていなかった(本人が許可しなかった)録音が発売されているが、やはり、全般に良い演奏とは思えない。
グレン・グールドは、普通に弾けばそれでも十分にうまいのにといわれる。本人も言っているが、グールドのモーツアルトは奇をてらっている。これは何故なのか考察してみたい。
まずは、グールドの演奏スタイルが他のピアニストとどのように違っているかを考えてみよう。
第一に昔からの演奏と同じ解釈をするのは、意味がないと考えていた。彼の関心は、先入観にとらわれることなく、独創性を持つことだ。楽譜を完全に暗譜し、自分のものにし、作曲家すら考えなかったような奏法の可能性を検討する。録音前2週間ほどはまったくピアノを弾かず、頭の中で音楽を鳴らす。スタジオには10種類以上の奏法のアイデアを持って入る。このため、作曲家が指定する速度や強弱の指定は守らない。スタジオに入ってから、これらのアイデアをいくつものテイクをとって試してみる。こうして何十、何百と取り直しながら、また、良いパーツを切り張りしながら、やっと気に入った演奏に仕上げる。
第二にグールドは対位法を用いた曲を好んだ。ところが、モーツアルトの曲は対位法的要素が少ない。美しい単一のメロディーを楽しむのが普通なのだが、グールドはこれを意図的に複線にする。楽譜に音符を加えることで、対旋律(ポリフォニー)を作り出す。このことで「再作曲家」といわれる。
第三にタッチの問題がある。グールドの弾き方は、師ゲレーロから教育されたもので、フィンガータッピングといわれ、驚くほど低い椅子に座り、手首と指を平行にして指を滑らすように弾く。このフィンガータッピングは、鍵盤を押したときに自然に指が戻る動きを高度に訓練したものだ。このため、決して指先を鍵盤上から叩きつけるような弾き方をしない。高い姿勢から腕を振り下りすような弾き方をすれば、爆発するようなフォルティシモを出すことができる。グールドの奏法は鍵盤を叩きつけないので、段丘状にフォルテを表現している。
こうしたことから、グールドの演奏は普通から非常に遠く離れたものになっている。極端な速さで弾く。耳の方がついて行けないくらいに早いこともある。遅いものは極端に遅かったりする。グルダは、オーソドックスに常に一つのメロディーを浮き上がらせ、聴く方もそのメロディーを追っていく。グールドは、伴奏の低音部の方を強調したり、メロディーの裏で違うメロディーを歌わせる。モーツアルトのように美しい一つのメロディーの流れを楽しむとき、他の旋律が被さってくるのは、煩わしく感じることもある。また、先ほどのフィンガータッピングでは、爆発するようなフォルティシモを出せない。このために曲の強弱は、グルダの方が大きい。グルダは、高温のメロディをフォルティシモで弾く時に鍵盤を明らかに叩いており、「キン」という鋭い音を出してるが、グールドの弾き方ではこのようなダイナミックな音は出せない。現代の高性能のピアノでは大きい音はより大きく、小さい音はより小さく弾くことによってダイナミズムを出しており、当時のフォルテピアノとは性能が比べ物にならない。そういう意味で、グルダの演奏は、モーツアルトの美しいメロディーと緊迫感に浸ることができるが、グールドの演奏では浸ることは出来ずに、覚醒させられる。
ここで疑問がわいてくる。グールドは、奏法の制約から爆発的なフォルティシモを出せなかった。それ故に、普通の演奏をせずに、人とは違うアプローチを取らざるを得なかったのではないか?
モーツアルトは古典に分類されるが、それ以降のロマン派の作曲者たちは、対位法を離れ、メロディーと伴奏による曲作りをしている。グールドは、このロマン派の曲を全然弾いていない。対位法の要素がないから興味を持てなかったというのもあるだろう。だが、爆発的なフォルティシモを出せなかったので弾かなかったのではないか。
かくして、グレン・グルールドのモーツアルトのピアノソナタは従来の演奏のアンチテーゼとなる。
グールドのモーツァルトはマトモ。多分、彼が残したバッハの演奏より長生きするよ。
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コメントをありがとうございました。おっしゃる通りです。音楽大学でピアノを学んだ人でも、グールドのモーツアルトが大好きという人が多いです。やはり、他のピアニストとは一線を画しているものの、普遍性を獲得しているレベルに達しているからこそ、死後30年以上たっても廃れない、逆によく売れるピアニストだと思います。おっしゃるように、グールドの演奏はずっと長生きすると思います。
映画「天才ピアニストの愛と孤独」の最後の部分で、カナダの雄大な自然と散策するグールドが写され、バックにワーグナーの「夜明けとジークフリートのラインへの旅」(ピアノ版)が流れます。この場面で、亡くなったグールドを回想しながら友人(名前が出てこないのが残念です)のナレーションで「400年後に地球が存在するにしてもグールドの名前は残るだろう。彼の演奏は永遠だ。価値は失われない。」、と語る部分があるのですが、私も本当にそう思います。 今、この曲を全曲をとおしてCDで聴いてみましたが – もちろん他の曲もそうなのですが – 非常に静かな控えめな部分と、徐々にクレッシェンドしていき激しく高揚する部分が自在に入れ替わり、何とも言えず感動的です。(陳腐な表現しかできずすいません。でも、素晴らしいですよね)
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