「白蓮れんれん」『性交こそは男と女の何より堅い約束』林真理子

 

2014年に放送されたNHKの朝ドラ「花子とアン」は、翻訳家の村岡花子が主人公だが、蓮子(歌人として「白蓮」を名乗る)の存在を抜きにすることはできない。

「花子とアン」の「白蓮」の存在が面白いので、林真理子「白蓮れんれん」を読むことにした。 文庫本の裏に書かれた紹介文を引用すると「「筑紫の女王」と呼ばれた美しき歌人・柳原白蓮が、年下の恋人、宮崎龍介と駆け落ちをした、世に名高い「白蓮事件」。華族と平民という階級を超え、愛を貫いたふたりの、いのちを懸けた恋ーー。門外不出とされてきた七百余通の恋文を史料に得て、愛に翻弄され、時代に抗いながら、真実に生きようとする、大正の女たちを描き出す伝記小説の傑作。第八回柴田錬三郎賞受賞作。」 また、文庫本の帯に「花子とアン」の脚本家・中園ミホが「朝ドラでは描けない白蓮の真実がここに書いてあります」とコピーを書いている。

「花子とアン」は「白蓮」が重要な位置を占めているが、逆に「白蓮れんれん」に「村岡花子」はたった一言でてくるだけだ。

東京帝大出身の龍介が婚姻届をを持参し、二人が印を押す下り、こんな風に書かれている。「しかし二人の前には多くの障害が待ち受けていた。龍介の健康のこともあったし、燁子(あきこ=白蓮)との結婚が宮内省に受理されるのにどのくらいの時間がかかるのかもわからぬ。それよりも燁子と龍介を決して一緒にさせまいとする世論があった。雑誌や新聞で平塚らいてう、村岡花子など好意的な意見もあったが、たいていの女性文化人も燁子に厳しい。未だに多くの特集が組まれ、燁子を弾劾しようとするのだ。・・」わずかここだけ。

林真理子が書く小説は、男女の愛憎が常に話の推進力になっている。あけすけな性を語りながら、男女の打算、見栄、渇望、さまざまな思いが説得力を持って語られる。燁子は最初の結婚生活に敗れた20台、40ちかく年の離れた伝右衛門と再婚する。伝右衛門は、妾を囲い、女中に子供を産ませる好色で身勝手な男である。伝右衛門は若い華族の燁子を珍しい生き物でも見るような好色な目で見ながら、妻に娶る。当然ながら、伝右衛門との愛情のない夫婦生活に燁子は絶望し、目の前に現れた年下で帝大出身の龍介との恋に真実を知る。

この本の中に印象に残るフレーズがあった。結婚を目前にした龍介が燁子が交わるとき、林は「性交こそは男と女の何より堅い約束」と書く

もちろん、燁子は伝右衛門との間に性交渉がない訳ではない。だが、まるで娼婦のようなわが身を思ったあまり、妻の立場にありながら伝右衛門に別な若い妾を与え、娼婦の役目をさせる。こうした欺瞞に満ちた生活に、ようやく龍介という真実の光明が訪れる。だが、伝右衛門の乱脈な性行為にも、それなりの真実があり、相手の女性との間に「男と女の何より堅い約束」をかわしていると気づく。

結局のところこの本は、悲劇のヒロインだった燁子が苦闘の末に、自分の幸せを見つけることが出来た恵まれた人生のストーリーなのだ。

 

 

 

投稿者: brasileiro365

 ジジイ(時事)ネタも取り上げています。ここ数年、YOUTUBEをよく見るようになって、世の中の見方がすっかり変わってしまいました。   好きな音楽:完全にカナダ人クラシック・ピアニスト、グレン・グールドのおたくです。他はあまり聴かないのですが、クラシック全般とジャズ、ブラジル音楽を聴きます。  2002年から4年間ブラジルに住み、2013年から2年間パプア・ニューギニアに住んでいました。これがブログ名の由来です。  アイコンの写真は、パプア・ニューギニアにいた時、ゴロカという県都で行われた部族の踊りを意味する≪シンシン(Sing Sing)≫のショーで、マッドマン(Mad Man)のお面を被っているところです。  

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