「グレン・グールド 未来のピアニスト」 青柳いづみこ

「グレン・グールド 未来のピアニスト」(青柳いづみこ 筑摩書房)

この本は、筑摩書房というメジャーな出版社から2,200円で売られ、グールドを扱った書籍の多くは専門書扱いで5,000円以上するのに比べると、手に取りやすい価格だ。主は、2年以上前に買っていたのだが、途中で馬鹿らしくなって読むのをやめていた。

ウィキペディアによると、青柳いづみこはドビュッシー研究家で東京芸術大学卒のピアニストでエッセイストと書かれている。1950年生まれというから、現在は65歳である。グールドは、1932年生まれだから、音楽評論家の吉田秀和がグールドを高い評価で日本に紹介したのが1963年なので、彼女がピアニストを目指していた時期に、レコードでグールドのことを知る機会はあっただろう。

青柳いづみこは本書で次のように言っている。「私が芸大のピアノ科の学生だったころは、グールドを認めるか認めないか、もっと端的に言ってしまえば、グールドにハラを立てるかどうかで、まともなオーソドックス路線か、が判定されたものだ。グールドの名はちょうどキリシタンを識別した踏み絵のように、同士を識別する暗号がわりに、ちらっと横目でぬすみ見る視線とともに便利な道具として使われていた。」「私が芸大生だった1970年代、ピアノ科の学生たちの間ではグールド自身が『話題にしないほうがよい存在』だったのだが・・・・」

また、次のようにも言っている。「文筆活動を始めるまでは、グールドの熱心な聴き手でもなかったことを、断っておこう。彼のレパートリーは私のそれとほとんど重なりあっていない。私はごくわずかの例外を除いてバッハを弾かないし、グールドもまたわずかの例外を除いてドビュッシーを弾かない。彼の演奏のあるものは私に非常に親密に聞こえるが、あるものはまたひどく遠く聞こえる。遠く聞こえるものの中には、一般的にはグールドの代表作と見なされている録音も含まれている。」

青柳いづみこは、この本の価値が、「実演家」から見たという一点にしかないのではないかと危惧している。しかし、その危惧どおり、この本の価値は、プロのピアニストの経験から見たグールドとの対比に限られる。名ピアノ教師として有名なパデレフスキが、ピアノの練習について「一日休むと自分にわかり、二日休むと先生にわかり、三日休むと聴衆にわかる」とたとえているが、長じたグールドはそのような練習とは無縁だった。グールド以外の普通のピアニストから見たグールドがどう見えるかという部分が、この本の取り柄だろう。

確かに、著者はグールドの演奏を公平に絶賛している。だが、本心のところはグールド嫌いだ。グールドのトピックは、評論家として求められる変わらぬ需要があり、青柳いづみこはそれに応じているだけだ。

こういうグールド嫌いの人は多いと思うのだが、グールドのどこが気に食わないのだろうか。コンサートドロップアウトしたことが気に食わないのだろうか。テープをスプライスし、完全な曲を作るのが気に食わないのだろうか。挑発的な解釈が気に食わないのだろうか。あるいは、ロマン派の曲が嫌いで、爆発的なフォルテッシモが出せないところが評価できないのだろうか。グールド以外の多くは、右手が旋律、左手は伴奏というスタイルであり、これをはずれて対位法的に声部を分けて弾くことが気に入らないのだろうか。そのあたりのところが、主は相変わらずよくわからない。

おそらく、『オーソドックス』なピアニストは、対位法(ポリフォニー)のような意識を覚醒させるような演奏よりも、流麗なメロディーとハーモニーを紡ぎだす(右手でメロディー、左手で伴奏。ホモフォニー。)ことで観客を陶酔させるような演奏を理想と考えているのだろう。グールドの場合は、明らかにベクトルの向きが違う。グールドは、古典派以前の音楽と、そのあとはロマン派(印象派)がすっぽり抜け、シェーンベルグなどの現代曲に指向性がある。

ここで思いつくのは、パルスのことだ。グールドは、パルスを一定に保ちながら演奏するのが非常にうまい。このことは、バッハなどに非常に重要だ。ベートーヴェン、モーツアルトあたりまでは、もちろん緩急はつけるのだが、基本的なリズム(パルス)がかっちりしている。どんな早い、難しい旋律であっても、このパルスを守れるので、聴き手は心地よい。しかし、その後のロマン派のショパンや、ドビュッシーなどの曲になると、それこそ緩急の変化が、音量(ダイナミズム)の変化とともに基本にあり、一定のパルスが持続しない。逆に、カナダテレビ放送協会CBC)で1974年に放送されたドビュッシーの「クラリネットとピアノのための第1狂詩曲」は、グールドが珍しくロマン派の作品を取り上げているのだが、一定のテンポで演奏され、これはこれで悪くないものの、普通に演奏されるドビュッシーと比べるとかなり違和感がある。こうしてみると、グールドはパルスが乱される曲の演奏には向いていないと感じる。

だが、この異才のピアニストの本質は、ロマンティシズムにある。バッハは、気持ちを込めて弾きバッハでなくなる。現代曲でもそうだ。これほど心をこめて弾けるピアニストは他にいない。

投稿者: brasileiro365

 ジジイ(時事)ネタも取り上げています。ここ数年、YOUTUBEをよく見るようになって、世の中の見方がすっかり変わってしまいました。   好きな音楽:完全にカナダ人クラシック・ピアニスト、グレン・グールドのおたくです。他はあまり聴かないのですが、クラシック全般とジャズ、ブラジル音楽を聴きます。  2002年から4年間ブラジルに住み、2013年から2年間パプア・ニューギニアに住んでいました。これがブログ名の由来です。  アイコンの写真は、パプア・ニューギニアにいた時、ゴロカという県都で行われた部族の踊りを意味する≪シンシン(Sing Sing)≫のショーで、マッドマン(Mad Man)のお面を被っているところです。  

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