J.S.バッハ(1685-1750)のクラヴィーア曲に、「平均律クラヴィーア曲集」という有名な曲があり、「第1巻」と「第2巻」がある。クラヴィーアというのはチェンバロやクラヴィコードの鍵盤楽器の総称なのだが、当然ながらこの時代には今のようなピアノはまだなかった。
ちょっと、うんちくめいてしまうが、西洋音楽では1オクターヴ上がると音のピッチ(周波数)が倍になるという性質がある。このオクターヴの中には、鍵盤では白鍵7個、黒鍵5個の12個があり、13個目でピッチが倍になる。ところで、音合わせの基準になるA(ラ)の音は、440Hzだが、これもずっと昔から440Hzだったわけではない。 また、「平均律」の意味だが、バッハの時代に初めて1オクターヴにある鍵盤12個にそれぞれ「調」を割り当てることができるようになった。すなわち、それまでは「純正律」といい「調」ごとに調律しなおしていたのだが、オクターヴを12等分することで、「純正律」ほど完全ではないが、激しく転調をしても違和感のない程度の濁った音に定義することで、あらゆる「調」を扱えるようになった。
こうして「平均律クラヴィーア曲集」は前奏曲とフーガからなるのだが、調が12あり、短調と長調があるために48曲からなる。
今回はこの曲集から、小説家の百田尚樹さんおすすめの第1巻最終曲ロ短調の4声のフーガを、3人の巨匠の演奏で聴き比べてみたい。出だしは次の楽譜のとおりなのだが、この主題で12の音すべてが出てくるという現代曲を想起させる曲だ。
グレン・グールド(カナダ1932-1982) 3分46秒 まず、ラルゴの指定を守らず、モデラートで演奏している。グルダ、リヒテルと比べると軽快だ。ただ、他の二人と比べると明らかに他の対位旋律の弾き分けはレベルが違う。グールドは、まるで二人で連弾しているような明晰さがある。また、4声が絡み合うところで、特定の声部と他の声部が掛け合うように強調して弾かれる時に、ぞくっとする緊張感が生まれる。彼はよく、ある声部をスタッカートで、ある声部をレガートで弾いたり変化をつけるのだが、この曲では普通に弾いている。グールドは、各声部を対等に扱うところが他のピアニストと決定的に違うところだ。
フリードリヒ・グルダ(オーストリア1930-2000) 8分16秒 速度は、指示通りラルゴである。最初は、小さな音で弾き始め、徐々に音量が大きくなる。二つの旋律がメロディーとして聞えてくるが、それ以上の声部は和音としか聞こえない。複雑なメロディーが聞こえないせいか聴きやすい。(2声プラス和音に聞こえる)
スヴャトスラフ・リヒテル(ソ連1915-1997) 7分33秒 録音が素晴らしいという口コミに負けてSACDの平均律全集を買ったのだが、風呂場で弾いたような音響だ。 速度は、指示通りラルゴである。声部の弾き分けは、グルダより明確で4声がしっかり区別されて聞こえてくる。レガートで非常に美しい演奏だが、グールドのような声部の掛け合いという要素は少なく、常に浮き立たせたい声部にフォーカスした弾き方で、聴きやすいが平板という感じ方もあろう。
まとめ 最終的には好みということになるのだろう。グルダは右手と左手の旋律の二つで、それ以上は和音だ。リヒテル、グールドは各声部をはっきりと弾き分けているが、声部の性格や場面により、スタッカートにしたり、レガートにしたり、音色、音量を対比させたりしているのはグールドが違うレベルにあると思う。また、グールドの演奏は全般にイン・テンポ(”正確な速度で”)で、「バッハほどスイングする音楽はない」というほどジャズ的であり、その辺が正統的なクラシック好きの人には好まれない理由かもしれない。