幻冬舎新書、島田裕巳の「もう親を捨てるしかない」を読んだ。サブタイトルは「介護・葬式、遺産は要らない」である。
帯に「親を断捨離!」というきわめて衝撃的なコピーが書かれている。例によって裏表紙を引用する。
『年々、平均寿命が延び続ける日本。超長寿とは言っても認知症、寝たきり老人が膨大に存在する現代、親の介護は地獄だ。過去17年間で少なくとも672件の介護殺人事件が起き、もはや珍しくもなくなった。事件の背後には、時間、金、手間のみならず、重くのしかかる精神的負担に苦しみ、疲れ果てた無数の人々が存在する。現代において、そもそも子は、この地獄を受け入れるほどの恩を親から受けたと言えるのか? 家も家族も完全に弱体化・崩壊し、かつ親がなかなか死なない時代の、本音でラクになる生き方「親捨て」とは?』
実際にこの本を読んでみたところ、上に書かれたことで内容はほぼ網羅されていると思った。興味がそそられるのであれば、買って読めばよいが、概ねこれ以上の目新しいことは書かれていない。とはいうものの、「よく口にした!」「目から鱗」ともいえる側面が確かにあり、ここに書かれている内容はことさらしっかり意識しておくべきだ。
確かにバブルがはじけて20年、長く続いたデフレにより日本人のライフスタイルは完全に変わってしまった。この本では、お金が許せば、親を介護し、葬式を挙げるという従来のスタイルのままやればよいが、そうでなければそうしたものから逃げろと言っている。
さもなければ、子供の側も沈没してしまう。実際に、子供に縁を切られて孤独死する老人もいるが、経済的に無理な状況で親の介護に乗り出して、尊属殺人を犯す子供を親は望んでいない。テレビなどで、親のために介護離職し、わずかばかりの親の年金で生活する人がよく登場するが、これは非常に危険だ。共倒れになる可能性が高い。経済的にゆとりがないなら、それなりの対処をしなければならない。親の介護は義務だという固定観念に囚われ共倒れになるより、親を見捨てることだ。
世間は孤独死を「悪」のように言うが、実際に死にゆく老人にとって孤独死は悲劇でも何でもない。穏やかに死ぬだけだ。
寿命が伸びすぎたのだ。昔は生きている人は、みな健康だった。今は、健康でないのに生かされている現実がある。
60歳を過ぎた老人で生殖機能がなくなれば、基本的に人生に未練はない。元気でも、諦観のようなものが横たわっている。
一方で、親にとって子供の存在は、子が大きくなるプロセスで親に十分に楽しい思いをさせており、それにより親に対する恩義はすでに果たしている。
親の方も、子供に老後の面倒を見てもらいたいという期待は、本気で抱いていないはずだ。金持ちの親ならそういうこともあるかも知れない。だが、貧しい親が、経済的に余裕のない子に面倒を見てもらいたいとは思っていないはずだ。