老親の医療について (その2 父の場合)

主の出身は大阪だ。当然、父母は大阪に住んでいたのだが、母は5年前に83歳で亡くなった。このとき父は85歳で、主と父が一緒に地元の脳神経外科医から聞いた診断では、父はアルツハイマー型の認知症を患っており、普通の人の状態を100点満点とするなら、父の認知能力は35点しかないという説明だった。だが、当時の父の反応は、もちろん頼りない面があちこちにあるものの、当時は一応それなりの反応ができていた。

この脳神経外科医の診察の際、配偶者が直前に亡くなり、息子が東京から父に付き添っていることを説明した。すると医師は父に向って、銀行の預貯金などの管理がどうなっているのか今のうちに息子へ伝えなさいと諭すように言ってくれ非常に助かった。

また、父は内科へも通い、高血圧の薬、睡眠導入剤を貰っており、加えて前立腺癌を患っていた。内科医の説明では、高齢者の前立腺癌は、寿命で死ぬか癌で死ぬかどちらが早いかというくらい進行が遅いとの説明があり、治療の意味がどのようにあるのかと主は疑問を感じたのだが、内科医は「癌なのですよ!!」と主に驚けとばかりに促した。

母の葬儀が済むと、父は大阪のマンションで独り取り残されることになった。だが、認知症に加え、料理・洗濯・掃除などそれまでほとんどやってこなかった男である。主は仕事があり、千葉へ戻らなくてはならない。しかし、父をほったらかしにするのは無理がある。

このため、訪問介護事業者の力を借りることにした。自宅に近い事業者に相談、まず市の介護認定を受けた。認定結果は、要介護1だったように思う。並行して、ヘルパーさんに自宅の訪問をお願いした。この事業者は派遣会社系の事業者だったが、大変お世話になった。非常に親身に対応していただいた。

介護保険の経費面の説明をすれば、受益と負担は、当然、介護度と収入により当然変わってくるが、ざっくり言うなら、その当時は、1か月あたり15万円程度のサービスを1割の負担で受けられた。この制度により、父の場合、週に3~4回程度ヘルパーさんに来てもらい、食事の用意、買い物の同伴、洗濯、掃除などの家事をやってもらい、別に週1回通所のデイケアサービスを受けることができた。

父は大阪でヘルパーさんの力を借りながら、3か月ほど独り暮らしをした。だが、父はすでに85歳で認知症がかなり進んでおり、大阪で独り暮らしをしたまま、千葉の息子が大阪のケアマネージャーと電話で相談しながら進めるのは無理だと感じていた。

このため、まず父を主が住む千葉へ移し、同居をしながら介護付き有料老人ホームを探すのが良いだろうと考えた。ヘルパーさんを通じて千葉への引っ越しをしても構わないかという意向を父に聞いてもらったが、あまり肯定的な返事をしないということだった。このため、父にはヘルパーさん二人から「千葉へ旅行に行って下さい」と騙してもらうようにお願いし、新大阪駅まで見送ってもらい、主が東京駅まで迎えに行くという方法を取った。

父が千葉へ来ても、本人は旅行のつもりなので夕方になると「それでは大阪へ帰ります」と言い出したりする。一方で、父を宥めながら老人ホームの下見に出かけたりした。認知症がある程度進行すると、直前に考えていたことが思い出せなくなる。哀れだが、優しく話をされると何でも肯定的に受け止めてしまう。

父はこのような調子だったが、一方で必要な手続きはいろいろあった。 母の死亡により預貯金が銀行で凍結されてしまった。これを解除するため、相続権のある者の書類を取り寄せ、「遺産分割協議書」を作成して銀行へ提出しなければならなかった。また、父は賃貸マンションに住んでいたのだが、引っ越しをすると家財の処分、原状回復もしなければならない。当然ながら役所の手続きもある。銀行の支払いでどの印鑑が使われているのかわからず、銀行員の好意にすがって印鑑を教えてもらうということも必要だった。母の入院後、父が千葉へやってくるまでの間、主は毎週のように千葉と大阪を往復しなければならなかった。

Bestlife

老人ホームに対して、父はバラ色の幻想を抱いていたようだ。よく「ホームへ入れてくれるか?」と言っており、入居を希望しているように見えた。このため介護付き老人ホーム探しは順調に進み、上の写真のところに入居した。

だが、父が抱いていたイメージと違うことがこのホームに入ってすぐに分かり、他の老人ホームへ移りたいと言い出した。実際に入居してみると入居者同士の会話が全くない。何もすることがない。散歩もさせてもらえない。このあたりが本人が抱いていたイメージとのギャップだと思う。認知症とはいうものの、大阪から突然縁もゆかりもない千葉の老人ホームに入り、周囲は見ず知らずの人ばかりだ。集団生活といいながら、会話もない。(ちなみに、元気な老人の場合は外出も認められていた)

父の意向に従って、他の有料老人ホームの見学を実際にしたのだが、状況は全く同じだった。むしろ、今入居しているホームの方が、毎日の体操(チェアエクササイズ)やお誕生会など入居者同士のコミュニケーションを取ろうとしていた。

ただ、父は何が嫌だと感じたのか、それ自体を忘れてしまう。他の老人ホームの見学に行ったことも覚えていない。無意識の領域に、不快な気持ちがあるのだが意識の端までは上ってこない。そんな状態で、父はこのホームに5年間住んでいた。この間に認知症は非常に進んでしまった。

やがて、父は意識もはっきりせず、意欲も低下していることが外からもわかるようになる。昔趣味にしていたクラシック音楽のことなどは雲散霧消し、朝食が和食か洋食だったかも言えない。家族や親せきの関係も分からなくなり、かろうじて息子である主だけは分かっていたようだが。表情は穏やかだが、昔の気性やはっきりした意識はまったくなくなり、最低限のできることとして食事を取ること、短い距離の歩行ができること、排泄ができるということだけだ。もう生きることに倦んでいたのは、間違いない。

主は見舞いに行き、ホームの近くにある大規模ショッピングセンターによく出かけたのだが、当初、レストランで昼食をとっていた。だが、徐々に食べこぼしが激しくなるにつれて、喫茶店やフードコートでの喫食だけになった。最後は、おしめをするようになるのだが、小便が漏れないかと気にかかる。

入居当時に医者と治療方針を老人ホームへ毎月診察に来る若い内科医と相談する機会があった。このときには、年齢が年齢で昔の面影がすっかり失われており、積極的な治療は希望しない旨を伝えたのだが、それでも約10種類の薬を処方されていた。

また、前立腺がんの権威らしい老教授と相談する機会もあった。この老教授に診察を受けたのは父が85歳の時だったが、「あと5年くらいは生きるでしょう」「(呆けてはいるが)治療を続けて安寧な状態を保つのが、家族、老人ホーム、皆にとって都合がいいだろう」というような意味のことを言った。

どちらの医師も薬を止めたりすることは、毛頭考えないようだった。父にかかるコストは、老人ホームの入居費が月々20万円弱、介護保険の総額が20万円程度、医療費が10万円弱かかっている。介護保険と医療費は本人負担が1割なので、3万円ほどになるため、ホームの入居費と合わせると本人負担は20万円ちょっと超える。だが、コスト全体は月々50万円くらいになるということだ。

今となっては確かめようはないのだが、ホームへ来る若い医師の診察は毎月1回問診がさらっとあるだけなのに、明細を見ると医療費が診療に月3万円程度、薬剤に7万円程度かかっていた。何故そんなに費用がかかるのか疑問だった。

父は、亡くなる直前におむつをしたり徘徊をしたり手がかかる状態になったが、これは亡くなる直前だけだ。それまでは頭がぼけていたが、着替えもできたし排泄もできた。その人物に、毎月50万円の費用がかかり、ホームは介護保険と入居費用の40万を受け取り、医師は月1回の問診で3万円、薬局が7万円受け取る。関係者にとって大きな収入だが、老人の介護費、医療費が大きな問題になるはずだ。

 

 

brasileiro365 について

 ジジイ(時事)ネタも取り上げています。ここ1年、YOUTUBEをよく見るようになって、世の中の見方がすっかり変わってしまいました。   好きな音楽:完全にカナダ人クラシック・ピアニスト、グレン・グールドのおたくです。他はあまり聴かないのですが、クラシック全般とジャズ、ブラジル音楽を聴きます。  2002年から4年間ブラジルに住み、2013年から2年間パプア・ニューギニアに住んでいました。これがブログ名の由来です。  アイコンの写真は、パプア・ニューギニアにいた時、ゴロカという県都で行われた部族の踊りを意味する≪シンシン(Sing Sing)≫のショーで、マッドマン(Mad Man)のお面を被っているところです。  
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