2017年10月8日、主が愛してやまないカナダ人ピアニスト、グレン・グールドの宮澤淳一さんによるトークと試聴イベントが渋谷のタワーレコードであり、主も行ってきた。
グレン・グールド(1932-1982)は、今年生誕85年、没後35年になる。人気は今なお健在で、彼にまつわるいろいろな録音が発掘され発売されたり、催しが開かれたりしている。
彼は、1955年、23歳の時にJ.S.バッハのアリアと30の変奏曲からなる「ゴールドベルグ変奏曲」でセンセーショナルなレコードデビューを果たす。この録音で何度もテイクをとり、テープを切り貼りしながら、一番いいものを選んで仕上げたことが知られている。このテープの切り貼りは、今では当たり前になっているが、当時、大きな批判や議論が起こった。演奏は1回の通し演奏をすべきで、録音を切り貼りするとは音楽の冒涜だといった批判があがった。
今年はカナダ建国150周年だそうで、カナダ人の誇りであるグールドの記念物を出そうということになったのだろう。デビュー作の1955年の「ゴールドベルグ変奏曲」レコーディング際に使われなかったテイク(アウトテイクというそうだ)全てを含むCD集7枚プラスLPレコード1枚からなる「グレン・グールド ゴールドベルク変奏曲コンプリート・レコーディング・セッションズ1955」が発売された。下の写真がそれである。詳しくは次のリンクを参照してもらえば良く分かる。タワーレコードの商品紹介ページ 重さは5Kgあるそうで、ポスターや分厚い解説も入っており、値段は1万円ほど、マニアには有難い値段だ。
この発売を記念して、宮澤淳一さんのトークと試聴イベントが行われた。宮澤淳一さんは音楽評論家で青山学院大学教授なのだが、日本のグールド研究の唯一無二といって良い方で、ご自身の「グレン・グールド論」を出版されているほかに、英語で書かれたグールドの出版物の大半を、宮澤さんが翻訳されているほどの第一人者だ。また、グールドを描いた映画「ヒアアフター(時の向こう側へ)」では、数少ない日本人の一人として登場されている。
この日、会場に用意されていた椅子は20脚ほどで、最初「こんなものか、淋しいなあ」と思っていたのだが、時刻になると50人以上の人が立ち見も含めて集まり、けっこう盛況だった。集合時間と比べてかなり早く来られた愛好者は、主と同じような年配者が多かったが、開始時刻間際には若い人たちがぞくぞくと集まってきた。グールド人気が、年寄りだけではなく、若者にも受け継がれているように、主には思われた。


この日面白いなと思ったことを何点か、以下に書いてみよう。
一つ目、グールドは何通りにも録音した演奏を聴き比べて、一番気に入ったものを最終作品としていたとよく言われているが、この日の話によると、グールドは何度も録音を繰り返すのはその通りなのだが、ほぼ最後に録音したテイクを最終作品にしているということだった。つまり、ランダムにいろんな演奏をして、その中から気に入ったものを選ぶというより、気に入った演奏が出来るまで録音を繰り返し、うまくいったらそこでそれでストップしたということだ。ある程度か、明確なのか主にはわからないが、最終形のイメージはあったということだろう。
具体的にいうと、ゴールドベルグ変奏曲は、最初と最後のアリアで2曲、変奏が30曲あるので合計32曲からなるのだが、グールドはそのうち20曲は最後に演奏したテイクを採用しているとのことだ。(当日の宮澤氏のレジュメをPDFにし、次のリンクにさせていただいた)
二つ目、レジュメにもあるこの日の宮澤氏のお話の中で、グールドの性格をあらわすエピソードだ。グールドはジェフリー・ペイザントの「グレン・グールド、音楽、精神」(宮澤淳一訳)の中で、冒頭のアリアは20回取り直したと回想しているが、「コンプリート・レコーディング・セッションズ1955」から実際は11回目であることが分かるとのことだ。
この差について、宮澤氏は「グールドは20回という数字が恰好いいと思ったんでしょうね」といった旨のことをおっしゃっていた。
グールドの性格は、彼は嘘をついていたということではないが、周囲に写る自分の像をコントロールしていたのは間違いない。実像を隠し、実際と違う像を世間に見せていたし、それは完全に成功していたということだ。
楽しいお話はもっとあったのだが、またの機会に紹介しよう。
特記すべきは、12月にGlenn Gould Gathering(GGG)という催しが、坂本龍一さんがキュレーターとなり草月会館、カナダ大使館で開かれる。チケットの発売はすでに始まっており、早くも残り少ないようだ。関心のある方はググって下さい。主は購入しました。
おしまい