東大大学院卒AV嬢 鈴木涼美「おじさんメモリアル」 

日経新聞に鈴木涼美と高橋源一郎氏との対談記事がネットに出ており、面白そうだと思い、鈴木涼美の「おじさんメモリアル」という本を読んでみた。

アマゾンから

例によってアマゾンの要約を紹介しよう。

【著者が出会った哀しき男たちの欲望とニッポンの20年】
元AV女優にして、慶應大学卒業後、東京大学修士課程で社会学を専攻し、その後日経新聞の記者として5年半勤めたという異色の経歴を持つ文筆家・鈴木涼美。
時にはパンツを売る女子高生とそれを買う客として、時には恋人同士として、時には社内不倫の相手として、時には高級愛人クラブの客として……作者がこの20年の間にさまざまなかたちで出会ったおじさんとの思い出を通して「おカネを払うことでしか女を抱けないおじさん」の哀しみを浮き彫りにし、さらには性と消費という視点からこの20年の日本を振り返る。冷徹な批評眼が冴えわたる刺激的エッセイ! 

【アマゾンの読者の書評の一部から】
・・・・会社でいくらデカイ顔をしていても、博士号取得しようが、肩書きが増えようが年収が増えようが、パンツ一枚下ろしたら、男は女にとって、やっかいな赤ちゃんでしかない。本当に面白い。

アマゾンの書評の「パンツ一枚下ろしたら、男は女にとって、やっかいな赤ちゃんでしかない」という表現がストンと落ち、これが購入の一番の動機なのだが、このような表現はこの本には出てこなかった(と思う)。

それはともかく、主のような年配者が今更感心してもどうなるものではないと思うのだが、女性の論理はこうなのかと初めて知ることが、盛りだくさんに書かれており、なかなか面白かった。

AV嬢 佐藤るり

あれこれ言うより、実際の面白かった部分を引用しよう。

「オジサマ方に言いたいのは、水商売や風俗の世界で、客とつきあったり結婚する子がいないわけではないが、それは『そういうときもある』という類のものではなく、『そういうことがある子』と『客は客としてしか見られない子』の二種類がいるのであって、後者にいくら貢ごうが、イケメン客が迫ろうがそのオカネは泡となって消える。ちなみにホスト通いする娘は後者が多いので比喩的な意味ではなく具体的な意味でシャンパンの泡となっている可能性も大いにある。普段は客を客としてしか見られないような娘がごくごく稀に客と友人や恋人になる場合があるとしても、その相手の客というのは同業かヤカラ系の客のどちらかなので、フツウのおじさんにはチャンスは皆無である。」

ふーん。水商売や風俗の世界の女性に対しても多くのフツウの男は、「うまく振舞えば女性の気を惹けるのではないか」と錯覚をしており、それはまったくの無駄ということだ。逆に、客を客としか見られないような娘の方が、ホスト通いでオカネをシャンパンの泡にしているとも読める。鈴木涼美はホスト通いもしており、客から巻き上げたオカネをホストにつぎ込むのはもっともだと考えているように思えて面白い。

次は、キャバ嬢時代の恋人・光ちゃんのことをいろいろ書いている下り。付き合いが長くなってきた光ちゃんが、「俺は俺のことをちゃんと好きになるオンナと付き合いたいわけ。カネを持った途端に寄ってきたオンナとか糞だと思ってるから。お前はそうじゃないと思っていたけど、結局あいつらと同じなのかな」と言い始める。

これに対して鈴木涼美はこう書いている。「正直、けっこう私はカチンカチンときていた。まず、そういった邪心一切なしのオンナと付き合いたいのであればキャバクラを狩場とするなと言いたい。さらに言えば、人間というのはポイント制なのであって、財力、美しさ、学力、性格、筋力、コミュ力など、どれかのポイントが上がればモテ度が上昇するのも、気に留める女が増えるのも当然である。財力は運動神経もコミュ力もない不細工が後から急上昇させやすいポイントであるのだが、私の中では別に、運動神経や顔面偏差値と同等なものであってそれだけを取り出してああだこうだ言う光ちゃんはひたすらうざかった。」

キャバクラで知り合って付き合い始めた光ちゃんが、人間そのものを見てくれみたいなこと言い始める。それに対して、それならキャバクラではないところで彼女を見つけろという。これはおそらく、財力を目当てに近寄ってきたオンナには財力がなくなると見限られるという恐怖が、男にあるのだろう。オンナは男をポイント制で評価しているが、男は、バカなので好きか嫌いかの二元論になってしまうのではないか。

加えてこう書いている。「結局、小学生・中学生をきちんと段階を踏んでモテておく、というのは大切なのであるそんなにイケメンでも運動神経抜群でもなかった光ちゃんは、要するにモテること慣れていなかった。モテることに慣れていないままにオカネを持って急にチヤホヤされだし、それで彼女なんてできても、オカネがなかったころの自分だったら見向きもしなかったクセに・・・という思考回路から抜け出せない。」

同じ含意なのだが、風俗通いする男は、不遇な子供の時の仕返しを風俗嬢(奥さん?)にしているという趣旨のことを読んだことがある。

次は、交際クラブなどに所属する女性(嬢)の話。引用していると長くなるので適当に要約すると、おじさんとつきあう際のお小遣い額がオショックス(2時間の食事デートと2時間のホテル)で6万円なのだが、なかにはちゃちゃっとセックスして1時間で別れる効率的なおじさんがいて、その場合は5万でも可だ。ところが、多くのおじさんが誤解する。セックスなしのデートに何時間も拘束し、おじさんは恋人気分になって、1万円で済まそうとする。セックスせずとも、4時間拘束したら6万円払えというのだ。「だって彼女にとってはおじさんとのデートはおじさんとのセックスと同じくらい不快だから。べつにアレがアソコに入ろうと入るまいと、恋人気分の代償はしっかり払って欲しいのだ。だって彼女にとっておじさんは、友達でも恋人でもなくお客さんであるのだ。」誤解する恋人気分のおじさんの気持ちはわかる。

また、「非・夜のオネエサン」な女子たちの考え方についても面白い。男性誌の企画で「いくらもらったら好きじゃない人とセックスしますか?」と街頭アンケート結果がそうだ。街頭インタビューをしたおミズ系ライターのオネエサンは次のように言う。「びっくりするよ。売春系の経験がない女子たちの自らの値段設定は。一番多いのが100万円。グラビアモデルがバック5万円でデリヘルで働く時代に。もっさい子でも1憶って言ってくる子もいるからね。大手デリヘルに勤めたら、せいぜい2万円クラスの子でも、平気でそういうこと言う。かわいい子で5万とか3万とか答えるのは、明らかに風俗嬢ね」ところが、こうした素人系女子はこういうことも言う。「でもね、じゃあ知らないおじさんとお寿司食べに行くのに抵抗がありますかって聞くと、高いお寿司なら奢って欲しい~とか言ってくるわけ」 要するに、「素人系女子は自らのセックスの値段には自信過剰だが、恋人気分のデートの価格に無頓着である」「玄人嬢は、自らのセックスの値段には現実的だが、恋人気分のデートの価格にシビアである。おじさんたちは、この2つの考え方を都合よく混同し、玄人嬢をデートに誘っては嫌われ、素人女性を5万くらいで抱けると思ってやはり嫌われる

次は、東大デビュー男の話。これは東大卒にも何種類かのルートがあり、麻布や筑駒卒の男に比べ、東大卒男の一類型だが、高校時代にかなり抑圧された環境にあった男の、東大卒が弊害になった忌むべき存在となるというものだ。すなわち、暗黒の高校生時代を過ごした後、めでたく東大に合格し、彼の生活は一転薔薇色に代わるのだが、「東大デビューして無敵になった彼のコンプレックスは、当然、ダサさの中心で愛を叫んでいた高校時代である。その失われた青春時代をどう取り戻すか。」この結果、女性に対して歪んだ性向を示すことになる。この失敗と挫折を知らない、自分の思いどおりに人生を生きてきた東大卒の恋人は、嫌気をさした鈴木涼美から別れ話を切り出され、翻意されない復讐に、鈴木涼美が佐藤るりの名前で出ていたアダルト動画を両親に送り付ける。

最後に男の勘違いを同じだがもう一つ。「なんか男って、他人がホステスにいいように利用されていると『お前なんか金としてしか見られてないぜバカが』とか『お前が相手にされるわけがないだろがバカが』とかとっても冷静な批評を加えられるのに、こと自分が『会いたい』とか言われると何故か店以外の場所でオカネも払わずに会おうという常軌を逸した翻訳をするのでほんとにドン引きである。『おいしいものを食べさせる』ことが会ってくれたお礼になるという素敵な勘違いをしている人もいまだにそのへんに転がっているが、『いい女とご飯を食べる』向こうの快楽と「無料でご飯を食べる』こちらの快楽では、向こうの方が当然大分上回っているので、やはり差額はきっちり払っていただきたいところである」

「おわりに」では、「オカネのために、あるいは生活の安定のため、あるいはプレゼントをもらうため、あるいは妻という座に座るために、抱かれるということがないおじさんにとっては、」ー「必要のないところで股を開き、何に使うか分からない大金を稼ぎ、見知らぬ男に裸を見せる」ー「そうした行為は耐え難く苦しそうに見えるのだろうと思う。彼らはその姿を見てあらゆる想像力を駆使してストーリーを見出し、それを消費してきた」と分析する。

逆に女性の側から見た「おカネをもらってするセックス」で、「おカネを放出し、精子まで放出していくおじさんの姿に浮き上がる文字は、可笑しさとせつなさ以外に何であろうか。彼らがお金を払って手にしているつかの間の自由と幸福は、お金を払わずして手に入ることは絶対にない。100円玉で買えるぬくもりは100円ないと買えない」と結んでいる。

全体に振り返ってみると、女性の方が男性より明らかに現実主義者だ。著者の鈴木涼美は、「人間はポイント制だ」と言い切り、自分はポイント上位にある女性という意識が強いのだろう。家庭環境もとても恵まれている。そうしたことから彼女の場合は、貨幣に換算して、1時間5万もらって当然という思考なんだと思う。一方、男はバカで、少しも実現していない潜在価値まで足し算している夢想家のように思う。

おしまい

 

 

brasileiro365 について

 ジジイ(時事)ネタも取り上げています。ここ1年、YOUTUBEをよく見るようになって、世の中の見方がすっかり変わってしまいました。   好きな音楽:完全にカナダ人クラシック・ピアニスト、グレン・グールドのおたくです。他はあまり聴かないのですが、クラシック全般とジャズ、ブラジル音楽を聴きます。  2002年から4年間ブラジルに住み、2013年から2年間パプア・ニューギニアに住んでいました。これがブログ名の由来です。  アイコンの写真は、パプア・ニューギニアにいた時、ゴロカという県都で行われた部族の踊りを意味する≪シンシン(Sing Sing)≫のショーで、マッドマン(Mad Man)のお面を被っているところです。  
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