上の写真の「グレン・グールドシークレットライフ」(マイケル・クラークスン 道出版 岩田佳代子訳 税抜3200円)は、2011年9月に出版されたのだが、段落単位!!でかなりの部分の原文が翻訳されていないのだ。
それなのに、大っぴらに販売しているのだから呆れてしまう。翻訳していない段落は、どの章にも複数存在する。この本は、基本的にグールドの女性関係を中心にする私生活に焦点を当て、インタビューによる綿密な取材をもとにして書かれている。そうした取材には、当時の恋人本人だけではなく、男性の友人やアシスタント、音楽家、プロデューサーなども含まれるのだが、こうした部分はバッサリ翻訳していない。
この本は、「道出版」というところから出版されているのだが、大きなところではなさそうだ。なぜ、出版するにあたって、かなりな割合(15%ほど)を活字にせずに販売したのだろうか。理由は分からないが、原書の全体を翻訳しないで発売することは、音楽ファンに対する背信行為だと思わなかったのだろうか。グールド(1932-1982)は没後36年になるが、人気は今なお健在で、2015年にはコロンビアレコードの正規録音81枚(うち3枚はインタビュー)をテープからリマスターしたCD全集が発売された。昨年はグールドのデビュー録音(1955年)である、バッハのゴールドベルグ変奏曲の製作セッションのテイクすべてを、8枚のCDとLPレコードにして発売された。ここでは、伝説的なアルバムが生み出されていく過程を追体験できる。作品を世に出す過程で作られたテイク集が、売り出される演奏家はグールドしかいないだろう。今なお新発売されるCDも多く、これまでの録音の組み合わせを変え、姿を変えて発売されるだけではなく、テレビ、ラジオやコンサートのライブ録音などが発掘され、手を変え品を変え新発売されている。
グールドに関する書籍は、グールド自身の著作集、書簡集、発言集、研究者や伝記作家がグールドを分析したもの、写真集、グールドをモチーフにしたオマージュ作品など、これまでに100点近くが刊行されており、ほとんどが、日本語訳が発売されている。死後年数が経っているが絶版とならずに、再販される書籍もあり、2017年はみすず書房の「グレン・グールド発言集」が新装版となり再発売された。
この「グレン・グールドシークレットライフ」は、これまでのゲイではないかとも言われてきた中性的、無性的なグールド像を、根底から覆すインパクトのあるものだ。この本をクラークスンが書いたのが2010年(グールド没後28年)である。グールドは、1982年に50歳でなくなっているので、女性たちがグールドと同年齢であれば、今では86歳という計算にる。このため、実際のインタビューをもとにしたこうした本を出版することは、もう不可能だろう。
グールドは自分のことを「最後の清教徒」と言い、周囲にそのように思わせてきたし、現実にそれは成功をおさめてきた。しかし、実際の彼は、彼が世間に与えようとした「清教徒」のイメージのようなものではなく、非常にドロドロしていたことが、この本を読むと分かる。彼自身には親友が多くいなかったし、まして女性関係はずっと秘密にしてきたため、ほとんど私生活は知られてこなかった。グールドは自分が好まない発言をされると、直ちに関係を断ってきた。このため、関係を断絶されることを望まない友人や関係者は、率直に何でも語るということをしなかった。特に女性関係は、彼がもっとも秘密にしたい最有力で、誰もが見て見ぬふりをした。クラークスンは、没後30年近く経ったということを説得材料にしたのだろう。そして、女性たちの固い口を開かせることに成功した。映画の「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」の元にもなっており、これまでのグールドのイメージを完全に一新した。強調したいことは、この本のように、グールドのないと思われてきた女性関係に焦点をあてた類書は他にないことだ。グールドファン、クラシックファンは外せない。
これほど今なお人気を誇るグールド、この彼の貴重な「シークレット・ライフ」を全部翻訳せずに知らん顔を決め込んで、発売しているのだ!出版社は責任を取ってもらいたい。すぐに版権を放棄して、違う出版社が改めて出版できるようにすべきだ。
おしまい