2018年7月14日(土)モルゴーア・クァルテットのコンサートへ行ってきた。このモルゴーア・クァルテットは、日本のベテラン演奏者が集まるクラシックの弦楽四重奏団なのだが、主が高校生、大学生の頃に熱中していたロックのうち、イギリス系のプログレッシブ・ロックを編曲演奏してCDをリリースしている。今日のコンサートも前半は、ショスタコーヴィッチなどのクラシック曲で、後半がプログレッシブ・ロックだった。
50年近く前に遡るのだが、このプログレッシブ・ロックのバンドには、ピンクフロイド、キングクリムゾン、エマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)などがいて、当時はメッチャ新しい音楽で、キラキラ輝いていた。というのは、シンセサイザーが発明され、オーケストラのような音を出したし、どの曲も、ポップスと違って曲が長く、構成もドラマチックだった。また、コンサートではステージで歌を歌うだけでなく、さまざまな照明や煙(スモーク)などの演出も斬新だった。
当時のロックには他にもジャンルがあり、レッドツェッペリンやディープパープルなどのハード・ロック、オールマン・ブラザーズ・バンド、ボブディランが居たザ・バンドなどのアメリカ系のブルースっぽいロックもあった。主がロックにハマっていたのは、高校生の頃だが、各自それぞれに好みの方向性があった。

そういえば、主は思いだした。中学生の時に、フォーク・クルセダースの「帰ってきたヨッパライ」という曲が、日本中を席巻するくらい大ヒットした。当時の音楽はテープに録音され、その再生スピードを上げると、歌った声が高くなり早口になった。それを利用して、フォーク・クルセダースはコミカルな歌を作っていた。13歳の主にとって、この曲を、これまで聞いてきた歌謡曲の革命のように感じて、夢中になって聞いていた。
そのような時代、友人の中学生3人で「幼な妻」という映画を見に行った。その映画は、関根恵子と新克利という俳優が主演していたのだが、女子高生の関根恵子が結婚し「幼な妻」になるという、タイトルも怪しいし、ヌードシーンが出てくるという友人の説得に期待をふくらませて行った。そのヌードシーンは、今考えると子供だましのようなたわいのないものなのだったが、けっこう感動したような気がする。
その映画の中(だったと思う)のだが、関根恵子の兄だか、弟だか若い男が出て来て、LPレコードをかけるシーンがあった。そのLPレコードから出てくる音楽が、主の知らないもので、衝撃を受けた。それまでに聞いたことのないサイケデリックな種類の音楽で、スクリーンには、見たことのないサイケデリックな映像も流れたと思う。まったく、キラキラ眩いばかりで、まったく理解できなかった。それがロックとの出会いだったと思う。
当然、こうした音楽は最初がビートルズなのだが、日本のビートルズ世代は、団塊の世代にあたる。そのために、主の年代より上の世代が熱狂していた。日本の沢田研二がいたザ・タイガース、萩原健一のいたザ・テンプターズなどのグループサウンズもそうだ。主の時代に流行ったのは、吉田拓郎、井上陽水の時代になっていたが、主の仲間内では、拓郎、陽水を商業主義と軽蔑し、高田渡や加川良などアングラ路線に心酔していた。
こうしてみると、刻一刻と、新しいカルチャーとカウンターカルチャーの両方がドンドン出てきた幸せな時代だったと思う。
ところで、この日のモルゴーアカルテットの演奏だが、300人程度が入れるホールで行われ、バイオリン2台、ビオラ、チェロの4人で行われた。生の音ながら、十分な迫力があり、なかなか良かった。グールドは、コンサートは廃れるだろうと予言したが、自宅で聞くオーディオ装置での再生音が、生演奏の音の魅力には敵わない以上、生演奏(コンサート)は残るだろう。主は、最近音の良いヘッドホンで、マーラーなどの交響曲を聴くのにハマっているのだが、マーラーの良さは、弱音と強音の両方にあり、自宅のステレオで再生する時に強音に合わせてボリュームを合わせると、弱音が聞こえなくなる。こうしたことがあるので、自宅で交響曲をステレオ装置で聞くのは難しい。やはり、生演奏には敵わない。今のオーケストラ団員には、難聴になる人が居たり、耳栓をしながら演奏する人がいると聞く。それくらい、強音と弱音の差が激しいからだ。
おしまい