政府の債務は返さなくてもよい (三菱UFJビジネススクエアSQUET 情報スクエア「五十嵐敬喜の『経済をみる眼』」2015年1月15日より転載)

(三菱UFJビジネススクエアSQUET 情報スクエア「五十嵐敬喜の『経済をみる眼』」2015年1月15日より転載)

◆国債は返済できるのか?
政府の債務残高が1000兆円を超えてしまっており、もはやこの膨大な借金を返済することは不可能ではないかと言われたりすることが多い。その疑問には、自信(?)を持って答えることができる。返済が不可能であるどころか、借金の残高を削減することすらできない。つまり、債務残高が今後も増え続けるのは確実である。

考えてみれば、それは驚くことでも何でもない。一般に借金残高を減らそうとすればフローの収支を黒字にする必要があるから、政府の債務残高を削減するためには、毎年の財政収支を黒字化させなければならない。しかし、それを実現するのはおよそ不可能である。

例えば2015年度の予算は、歳出総額が96.3兆円であるのに対し、税収と税外収入の合計は59.5兆円だ。差額の36.9兆円の赤字を国債の発行で埋める。この国債発行のうち10兆円余りは事実上の借換債なので(満期を迎えた国債を償還する財源。発行して償還に充てるから残高は不変)、国債残高(債務残高)は25兆円程度増えることになる。

したがって債務残高を減らそうとすれば、15年度の予算については25兆円以上収支を改善することが必要である。これを歳入の増加で賄うなら、54.5兆円(14年度比45兆円増)と見込まれる税収を80兆円程度に5割近く増加させる必要がある。歳出の削減だけで実現させようとすれば、72.9兆円の一般歳出(国債費以外の歳出総額)を48兆円程度にまで3分の1強も削減する必要がある。現実には、例えば税収を2割以上増やすとともに、歳出を10兆円以上カットするといったことになろうが、そんなことが実現するとは到底考えられない。

◆国債累増することの問題点
そもそも過去を振り返ってみても、日本の国債は返済されたことがない。満期を迎えた国債は確かに償還されるのだが、その償還原資は借換債の発行だ。満期債が借換債で置き換えられるだけで、国債の発行残高は減らない。借り換えるのに資金は不要だが、借換債では資金調達ができないので、新規債が発行される。結局その分だけ発行残高が増えることになる。これまで国債の発行残高は、一度も減少することなく増加し続けてきた。つまり実質的には返済されたことがないのだ。

しかし、だから問題だとまでは言えない。将来にわたって、ひたすら借り換えし続ければ、今後も返済しなくて済むから、誰の負担にもならない。国債の発行が必ずしも次の世代への負担つけ回しにはならないということだ。

もっとも、・・・・(省略)

◆プライマリーバランスを黒字化する意味
(省略)

◆欠かせない社会保障の改革
(省略)

《三菱UFJビジネススクエアSQUET 情報スクエア「五十嵐敬喜の『経済をみる眼』」2015年1月15日より転載》

おしまい

価値観の転換 コロナ恐慌でグローバリズムは完全に終焉 世界はふたつに分断

トランプ大統領、WHOの拠出金削減を検討「非常に中国寄り」 SANKEIBIZから

新型コロナが引き起こした世界恐慌で、グローバリズムが完全に終焉する。各国は基本的な食料である小麦などを自国を優先し、輸出制限を始めている。その輸出制限は、食糧だけにとどまらない。

新型コロナ拡大で食料生産国 自国優先し輸出制限

コロナが起こる前、次世代の最先端通信技術である5Gの導入で中国が先んじたところ、アメリカのトランプ大統領が、中国を安全保障上の危険と理由づけて排除しようとし、米中対立は、他の諸国も二分する踏み絵のような対立を引き起こしていた。さらにいまでは、より踏み込んで、トランプ大統領は中国抜きでも良いとまで言うようになった。

新型コロナ禍は、世界恐慌をひき起こした。もう元と同じグローバリズムの世界へは戻れないだろう。

日本政府は、ずっと国際協調を謳い、グローバリズムが富をもたらしたと考えて、自由貿易体制を守ろうとしてきた。しかし、その認識は間違いだったと認め、我が国に残ったのは、さまざまな面での荒廃と、格差の拡大だけだったと総括しなければならない。

本文とは関係ありません

グローバリズムは、1980年代に「小さな政府」をもてはやしたイギリスのサッチャー首相、アメリカのレーガン大統領が起源である。それを支えた経済理論は、政府が介入しなくとも、マーケットが「見えざる手」の働きで、自動的に合理的に資源を最適配分してくれるというものである。

「地球主義」という美名は、途上国で生産された安い製品を先進国へ輸出することが、途上国の労働者、先進国の消費者の幸福度を増し、資源利用の観点からも、途上国のキャッチアップにも望ましいと考えられてきた。 

しかし、グローバリズムは現実には途方もない「格差」を生んだ。たしかに中国は何億という国民が貧困を脱し、中産階級に移行したが、先進国の労働者は、GAFAや一部の金持ち、特権階級を別にすると、落ちぶれた。アフリカやイスラム国の多くは、繁栄から取り残され不安定で、多くの移民がヨーロッパへ押し寄せ、世界全体を不安定にした。

この「地球主義」で得をしたのは明らかに中国だ。地球主義の経済理論は、例えば日本やアメリカのマーケットが中国に奪われ、労働者が失業するとしても、生産性の高い違う職種へと移ることで、もっとも望ましい結果をもたらすと主張していた。しかし実際の労働者の流動性は、簡単に工場労働者が、他の業種に移れるほど甘くはなく、賃金が低下したり、失業、貧困を生みだした。

結局「地球主義」で得をしたのは、中国だけで、欧米や日本などは格差が広がって、99%の国民は貧しくなった。

そうしたことを、トランプ大統領はつよく認識し、ヨーロッパの首脳たちもアメリカに追随しようとしているのが、現状である。しかし、日本は相変わらず、自由貿易が日本の富をもたらしたなどと、ピント外れな認識を持っているが、これでは始まらない。Japan as No.1と言われた時代もあった日本だが、グローバリズムの競争の中で、日本は30年間ずっと負けつづけてきた。

それなのに、政府は「日本は世界最大の財政赤字」を均衡させることばかり考え、公共事業を減らし、科学技術費を減らし、教育費まで減らし、先行きが見えないひどい状況にある。その困難は、MMTを経済政策の中心に置けば、すべて解決できる。いつまでも、目をつぶるな。

日本政府はきっぱりと、グローバリズムは失敗だっと認める。そうして、「国際分業」による値段の安さより、国内の雇用確保や、安全保障が優先することが大事だと、自ずと理解しなければならない。

アメリカはバカではない。トランプがバイデンに変わっても同じだ。アメリは、中国との技術競争に負けてしまったと結論づけ、中国の覇権主義の象徴である「一帯一路」に今後やられるだろうと結論づけた。じゃあ、輸出に依存する中国にやられないためには、何があるのか? 中国製品を締め出すのが一番だ、と考えたのだろう。

おしまい

 

黒川検事長麻雀辞職 《#検察庁法改正案に反対します》VS文春記事 どっちが早いか? また、国民は大本営発表記事ばかり聞かされている

黒川東京高検検事長が、週刊文春に麻雀賭博をすっぱ抜かれて辞職した。内閣は、訓告と言う甘い処分で幕引きを図かり、黒川氏の辞任を早々に承認した。

週刊文春のTWITTERから

この問題の簡単な経緯とプロセスをおさらいしてみたい。確信はないものの、郷原弁護士が次のように指摘されたのが発端だと思っている。

すなわち、《検察庁法に、検察官の定年が53歳と書かれているのに、黒川氏の誕生日間際に閣議決定で、『余人をもって代えがたい』という理由で、定年を延長した。当然、法律に書かれていることを、閣議決定で変更できるなら何でもありなわけで、手続きそのものが法律違反だ。その不備を国会であれこれ追及され、無理な言い逃れに終始していたのだが、国家公務員法の定年延長の中に、検察庁法の改正を一括りに同時にするように滑り込ませて、結果的に辻褄を合わせようとした。》ということである。

一方、この法案が見送られ、黒川氏の辞任が承認されるまでのプロセスは次のとおりだ。

  • 5月上旬 ツイッターで《#検察庁法改正案に反対します》が拡散、その数数百万ともいわれた。主も1票を投じた。
  • 5月15日(金)  森法務大臣が国会答弁で、検察幹部の定年延長の基準を問われ、「今示すことはできない」と答弁、基準もないのかよと思った人も多いと思う。
  • 5月18日(月)  政府が今国会での改正案の成立を見送りを表明し、世論が政治を動かした勝利と言われる。
  • 5月20日(水)週刊文春デジタル版に黒川検事長の麻雀賭博がすっぱ抜かれる。
  • 5月21日(木)黒川氏が辞表を首相に提出
  • 5月22日(金)訓告処分としたうえで辞職が承認された。

ここで、主が思ったのは、本当にツイッターの声に押され、素直に政府が改正法案を見送ったのか、それとも、文春の記事の掲載を前もって知り、見送ったのか疑問に感じたからだ。 おそらく、後者だろう。水曜日に文春デジタルに掲載されたのだが、週末の日曜あたりにその情報を掴んで、今国会での成立を見送ると表明したのだろう。その方が、正面突破へと進んで週刊誌の記事で玉砕するより、政府の傷は軽いからだ。 そう考えると、素直に世論の声が政府を動かしたと言えず、若干物足りない。

また、文春の記事には、リーク元が産経新聞だと書かれており、ニュースソースを秘匿することが生命線の新聞社は、すぐにこの行為を「ただし、取材源秘匿の原則は守る。取材源、情報源の秘匿は・・・・鉄則である。報道の側からこれを破ることはあってはならない。・・・・鉄則が守られなくては、将来にわたって情報提供者の信用を失うことになる。」と表明している。https://www.sankei.com/column/news/200522/clm2005220003-n1.html

つまり、マスコミは取材先の「懐に飛び込む」と言えば恰好が良いのかもしれないが、要は、ご機嫌を取ってニュースをもらい、気に入られないニュースを書けば、次回以降はないのだ。 産経新聞の誰かが、おそらく、義憤に駆り立てられて文春にリークしたのだろう。しかし、それは禁じ手であり、記者の手元に特ダネがあっても、取材先の弱みを記事にするわけにいかないという意味で、仕事はストレスフル、アンビバレント(矛盾)したもので、なかなか気の毒だなと外野から思う。

と同時に、我々日本人がマスコミから得る情報は、つねにニュースソースの宣伝や意図が入っており、大本営発表の性格を帯びていると心しなければならない。(今回の件で、当然マスコミは「襟を正す」的なことを言うが、自分が書く記事にバイアスがかかっているとは言わない。ズブズブという表現がよく出てくるが、これがそうかもですね。)

ところで、検察、裁判所も法の番人でありながら、政府の検察庁法の超法規的解釈と、似たり寄ったりの解釈をやっている。つまり、モリカケ問題で起訴された籠池氏は、補助金適正化法(この法律には罰則規定がある)違反で起訴されるべきところ、この法律では量刑が軽すぎるとして、詐欺罪が適用され求刑されている。こうなってくると、日本は法治国家なのか怪しく、検察官は大岡越前守だと思っているのでは、と考えてしまう。同調する裁判所も、もちろん同じだ。

おしまい

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