「西洋の自死 移民、アイデンティティ、イスラム」 ダグラス・マレー その1

「西洋の自死 移民、アイデンティティ、イスラム」(ダグラス・マレー)という本を読んだ。東洋経済から出ていて、500ページを超える大作で読むのに時間がかかったが、強い衝撃、「ヨーロッパってこうなんだ! 政治家、マスコミってどこも同じ問題を抱えているのね!」という強い衝撃を受けた。

なお、この本の原題は、”The strange death of Europe”なので、直訳すると「ヨーロッパの奇妙な死」である。

この本は書いたようにボリュームがあり、歴史を振り返りながら慎重に詳細に書かれている。それを、さらっと要約することは難しい。そのため、感想的になってしまうかもしれないが、感じたところを書きたい。

第二次世界大戦後の西欧は、二度の残虐な戦争と、過去の植民地支配への反省から、民族の融合や多民族平和主義、多様性などを価値観の大きな柱にしてきた。そうしたことから、大戦後、難民の受け入れを行ってきたが、1980年ごろからのグローバリズム、自由貿易競争の進展により、自国民の出生率が低い西欧は、人口減少、労働力不足を補うために、難民の受け入れをより加速的に増やし始める。難民を低賃金労働者として受け入れ、グローバル競争に勝ちたいという思惑が働いていた。

他方、西欧の第二次世界大戦でのホロコーストは、実際に手を下したドイツだけがやったわけではなく、反ユダヤ主義はヨーロッパ全土にあった。また、西欧の繁栄は、コロンブスの大航海時代以降の植民地侵略政策の結果であり、西欧は、多民族を虐殺した歴史の上に立つ「原罪」を背負っているいると、総括されるようになる。こうした歴史の総括は、EU設立の経緯にも、その理念が良く表れ、キリスト教徒だけが団結するのではなく、広く多民族・多宗教の融和を目指している。

西欧に流入するグローバル競争で増えた難民の数は、「アラブの春」(2010年~)を契機に、さらに爆発的な数の難民が押し寄せ、難民だけでなく経済移民も押し寄せた。

《問題はここからである!!》

西欧の政治家は、民族の融和、多民族主義を掲げ、その考えは広く社会全般にいきわたる。要約すると「移民が来れば、エスニックな料理も食べれるし、我々の頭の中にも、新鮮な思想が生まれる。世の中は、グローバルに平和共存しなければならない。入ってきている移民の多くは、優秀で多額の納税をし、我が国に貢献している。移民はやがて西欧の生活に順応し、西欧文化に同化すだろう。」という嘘がまじった楽観的な考えが広く行きわたる。しかし、移民の数が増えるにつれ、西欧の市民たちは、「おい、おい、そんなに増えたら俺たちの住む場所がなくなっちゃうじゃないか」と感じ始める。

しかし、政治家やマスコミ、学者もそうだし、行政も、その多民族主義のスローガンを金科玉条にして、現実を見ない。

西欧の首都でも、郊外でも、もともとの住民を追いやり、アフリカやパキスタン、アフガニスタンなどの移民が、彼らだけの町を作り始める。そうした街では、もともとの住民である異教徒の白人少女へのレイプが頻発する。異教徒への強姦は、同胞への強姦より罪が軽いからだ。また、しかし、警察やマスコミ、政治家などは、そうした犯罪があったことさえ、ごく最近まで認めなかった。それを認めた瞬間、人種差別主義者のレッテルを貼られ、非難轟々となり、職を失うからである。また、イスラム教徒の若い女性が、イスラム教徒にレイプされるという事件が頻発するのだが、コミュニティー内の事件として、警察が捜査をせず、街の治安は非常に悪化するのだが、警察、政治家、マスコミは知らぬふりを続けた。

アフリカのイスラム教は、何億人もの女性の性器切除や縫合などに関連しており、そもそも西欧の民主主義、啓蒙思想や平等思想などとは相容れないものがある。しかし、西欧社会の上層部にいる人たちは、移民たちはやがて、西欧の価値観に同化するだろうと気楽に考えてきた。

こうしたイスラム教徒は、信奉するアラーが皮肉を言われたり、冒瀆、戯画化をされると、言論の自由などおかまいなしに、たちどころにテロの標的にする。西欧で、イスラム教に批判的な言論人は、警察が護衛しているほどだ。

今言われているのは、2050年には、西欧の多くの国で、キリスト教徒の白人を、イスラム教徒の有色人種が逆転するだろうと言われている。それも、現在のペースで進めばということであり、ペース次第で早まる可能性がある。

イスラム教徒の増加につれて、西欧諸国の国民は「イスラム教は我が国を豊かにしない。」「イスラム教徒とテロの間には関連がる。」「わが国にはイスラム教徒がもう十分にいる。」とイスラム教徒を否定的に考え始める。しかし、エリート政治家たちは共通して、それとは違う反応を示した。この問題に対処するには、表明される世論に対処しなければならないのだと考えたのである。彼らが優先したのは、国民が反感を持つ対象を抑え込むことではなく、国民の反感を抑え込むことだった。つまり、地元住民がイスラム主義者に敵対する抗議活動をすると、警察はイスラム主義者を警護し、いきり立つ住民を逮捕すると脅しをかけた。

西欧人は、ダーウィンの進化論以降、キリスト教に対する篤い信仰心を失っている。カトリック教会は、イスラム教を否定するどころか、良いところは一杯あると言う。イスラムは棄教に対し、死罪を与え、西欧諸国では時間の経過とともに、寛容に基づく宗教の自由が認められる。 「リベラルを自称する人たちは長年、道理や理性や科学に重きを置く啓蒙主義の教えは非常に魅力的なので、最終的には誰もがその価値を受け入れるだろうと決め込んできた。実際、20世紀後半から21世紀初頭にかけて、多くの欧州人はまるで宗教信条であるかのように人類の『進歩』を信じていた。・・・しかし大量移民の時代が来ると、そう信じていた人々の眼前で実際にその道を引き返す人々が1人2人と現れ始め、それがだんだん大きな動きになった。一連の人々の流れがまるごと逆方向に向かうのだ。進化の事実を認める戦いは欧州では終結したと思っていた人々が、進化を信じないどころか、進化は虚偽だと証明しようと決意を固めている人々が雪崩を打ってやって来たことに気づいた。」

《結論》

西欧が、このような過去の贖罪に苦しんでいたことは驚きで、同じ現象がアメリカ、ユダヤの建国時の経緯からコンプレックスになっているのは理解できるのだが、アジア諸国や他国でも他民族を虐殺した歴史を持つ国は多いはずだ。しかし、それらの国がマゾヒスト的に原罪意識を持っているかといえば、そうではないだろう。西欧(欧米)の善意が食い物にされる状態は、西欧にやってくる移民だけではない。他にもある。グローバリズムで良い目をした中国もそれだろう。

また、政治家や社会のリーダーたちが、原因である悪い方に対処せず、国民を諫め続けるというのもあちこちにある。日本はずっと、デフレで不景気なのだが、政治家は「国民みんなで我慢しよう。」などといっている。新型コロナもそうだ。コロナのせいで非常な不景気になっているのだが、必要に以上に危険性を煽り、「みんなでマスクしてガマンしよう。」的なことばかり言っている。エライ人はみんな、そんな風でいつまでたっても風見鶏で、真実を知っていても言わない。自分は困らない、少数派の言うことを取り上げて得になることはないと思っているので、ずっと無責任なのだ。

おしまい

投稿者: brasileiro365

 ジジイ(時事)ネタも取り上げています。ここ数年、YOUTUBEをよく見るようになって、世の中の見方がすっかり変わってしまいました。   好きな音楽:完全にカナダ人クラシック・ピアニスト、グレン・グールドのおたくです。他はあまり聴かないのですが、クラシック全般とジャズ、ブラジル音楽を聴きます。  2002年から4年間ブラジルに住み、2013年から2年間パプア・ニューギニアに住んでいました。これがブログ名の由来です。  アイコンの写真は、パプア・ニューギニアにいた時、ゴロカという県都で行われた部族の踊りを意味する≪シンシン(Sing Sing)≫のショーで、マッドマン(Mad Man)のお面を被っているところです。  

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