第2章 バハマ休暇旅行

グールドは、1月のデビューアルバムである「ゴルトベルク変奏曲」の発売開始後の3月24日から4月5日までの2週間、マイアミとキューバの間にある英領の島国、バハマのナッソーへ休暇旅行へ出かけた。

グールドのこの旅行休暇は表向き、アメリカでのデビュー・リサイタルの成功とリサイタル翌日のコロンビアとの専属契約、ゴルトベルク変奏曲の録音の爆発的セールス記録後の息抜きに企画したことになっていた。

しかし実際のところは、グールドが、少年期から始まって、世界的一流ピアニストとして認められたこの時期に付き合っていた恋人、フラニー・バッチェンとの付き合いが、ほぼほぼ壊れてしまい、彼は自棄になっていた。そのショックからくるバハマ旅行だった。つまり、グールドは、バッチェンに結婚を申し込んだのだが、良い返事をもらえなかった。それは、彼にとって、一人っ子として常に両親の愛情を独占し、大人の中に混じった少年が、常に大人たちを打ち負かしてきたこれまでの人生においての、初めての大きな挫折だった。

この旅行に、カナダの雑誌『ウイークエンド・マガジン』のカメラマン記者のジョック・キャロルが同行した。キャロルは、世界を股にかける新進の大スターが、休暇でどのような息抜きをするのか、その複雑でエキセントリックな性格を解き明かす切れ味のよい物語を書き、写真も撮って来るように言われていた。

キャロルは、グールドと同じく、トロントのプロテスタント系の白人を意味するワスプ(WASP)[1]が多く暮らすビーチという地区で1919年に生まれた。この時、グールドは23歳、キャロルは37歳だった。

しかし、グールドは、プライベート、とくに女性関係は常に誰にも知られないように振舞ってきた。もし女性関係があった場合でも、グールドとの交際を二人だけの関係にするよう、相手の女性に口止めするのが常だった。女性たちもグールドの気持ちに、忠実にこたえた。このため、たとえ、複数の女性が同じ時期に関わっていても、お互い他の女性のことは知らなかった。

グールドは、恋人バッチェンと別れたことを、この旅行中にも、その前後にも、誰にも、もちろん旅行に同行したカメラマン兼記者のキャロルにも、まったくおくびにも出さなかった。知っていたのは、グールドとバッチェンの二人だけだった。

 グールドとキャロルは、バハマの首都ナッソーの飛行場に降り立った。ナッソーがあるニュー・プロビデンス島は、マイアミからは目と鼻の先、南へわずか200KMほどしか離れていない。東西が30キロ、南北が10キロほどの小島である。さらにバハマのすぐ南には、カリブ海のキューバがある。

グールドたちは、海に面したフォート・モンタグ・ビーチホテルに投宿した。人口が10万人程度のこの島で、このホテルは、一番大きなホテルだった。

 グールドは、この南国のリゾートに来ても、相変わらずの服装だった。丈の長い黒のオーバーコート、目深に被ったいつものベレー帽、ぐるぐると首に巻き付けたウールのマフラー、黒い手袋、オーバーコートからわずかに先を覗かせた茶色のデザートブーツという恰好だった。

グールドは、到着してこのホテルに入ってから 数日間、部屋のドアに「Do not Disturb.(入らないで)」という札をぶら下げ、ずっと部屋に籠りっぱなしだった。

キャロルが、旅行の前、グールドの家に打ち合わせに行ったとき、母親のフローラが、グールドの姿が見えなくなる瞬間を捉え、こういったのを思い出した。母親のフローラは、グールドを41歳の直前に出産していたから、この時すでに63歳だった。彼女は、もう女性としての魅力に乏しく、草臥れた、世間の常識に囚われたおばさんにすぎないように見えた。

「この旅行にご同行願えるのであれば、洗濯物をしっかり出すようにグレンに言ってくださいませんか。あの子は何度も言わないと、いつも同じ服ばかりを平気で着ているのです。それから、できれば、あの子にきちんとした服を買うように言ってくださいませんか。それと、太陽の光を浴びるように言ってくださいませんか。体が心配なんです。」

キャロルは、やれやれと思った。23歳の天才ピアニストだか何だか知らないが、その年齢の息子の服装や、日に当たれなどと心配する母親も母親だ。

しかし、いつまでもそうも言っていられなかった。グールドは、あいかわらず部屋から一歩も出てこなかった。キャロルは、意を決してグールドの部屋をノックした。意外にも、グールドは返事をして、しぶしぶながら彼を部屋に招き入れた。戸外は太陽がギラギラ照りつけていたが、部屋は厚いカーテンがしっかり引かれ、ほぼ真っ暗だった。

「死んでいるんじゃないかと思ったよ。」

「まさか。仕事をしていたんですよ。オペラを3小節書きました。このオペラを完成させるには、3年かかるでしょう。テーマは、トーマス・マン[2]から取ったものです。『創造的な芸術家は、作品を生み出すには、いかに反社会的にならなくてはならないか』というのがテーマです。」

グールドは、2台のベッドをくっつけ、交差するように寝そべっていた。化粧台には、薬瓶がいくつも置かれ、血圧の薬、抗ヒスタミン剤、ビタミン剤、睡眠薬があった。

グールドは、トーマス・マンやオルダス・ハックスリー[3]といった作家が、音楽の知識を小説にどのように生かしたかを話し始めたのだが、やがて、フーガの技法における全音音階や不協和音の進行に話が及び、音楽についての深い知識のないキャロルは、話についていけなくなった。

グールドは、発表したゴルトベルク変奏曲の演奏だけでなく、ジャケットの裏面で、この曲の解説をしたライナーノーツも書いていた。こうした解説を演奏者自身が書くことは、これまでになかったことで、こちらも話題を呼んでいた。キャロルは、このライナーノーツを旅行前に読んでいた。しかし、それは何度読んでも理解できない代物だった。長文で、難解な修辞にあふれた言い回しに満ち、しかも、楽譜を掲げながら音楽理論を展開していた。

キャロルは、3度この文章を読み返した。しかし、彼が理解できたことは、その曲を作曲者J.S.バッハの不眠症のパトロンであるカイザーリンク伯爵が入眠儀式に用いること、それと、その曲が「終わりも始まりもない音楽であり、真のクライマックスも、真の解決もない音楽であり、ボードレールの恋人たち[4]のように、『とどまることのない風の翼に軽々ととまっている』音楽である」というところだけだった。この比喩は、随分、よく考えると意味深だと、キャロルは思った。

グールドは、つなげた2台のベットに横切るように寝るのをやめ、机の椅子に座りなおした。そこには、ホテルのマッチが箱から取り出されて山のようになっていた。彼は、その一本を手に取り、火をつけると、目から15センチほどのところへ持って行き、燃え尽きるまで炎をじっと見ながら言い始めた。

「逃げなくちゃ、って思うんです。」

「この前のコンサートの時、本番の数分前まで、今日もできるのだろうかと不安でした。」

「いいたい、何が問題なんです?」

病気なんですよ。」病気という言葉をグールドは、強調して言った。

「痙攣性の腹痛、下痢、喉を締め付けられるような感覚。今、3人の医者にそれぞれ診てもらっています。もちろん、どの医者も残りの2つの症状については知りません。他の医者にかかっていることは、知らせていないのです。でもこの病気のせいで、他人と一緒に食事ができない。家族とだってダメです。ああ吐くぞ、吐くぞ、といつも考えている。今度は精神科ですね。」

キャロルは、非常に驚いた。

「もちろん記事では、一言も触れちゃダメですよ。何か書かれでもしたら、私の演奏家生命は一巻の終わりになりかねませんから。」

「演奏家活動はどんな具合ですか?」

「去年は6000ドル(2020年一人当たりGDP比で、149,689ドル=1650万円)ほど稼ぎました。それでもいつもお金に困っています。これまでの出演料は、一晩750ドル(230万円)から1,000ドル(300万円)でした。来年は、1,250ドル(同380万円)になります。でも、お金のことは書かない方がいいですね。マネージャーが嫌がりますから。」

キャロルは言った。

「だんだん考えがまとまってきたんですけどね。今回の記事は、普通、記録に残らないような内容に絞ろうかと思うんです。」

グールドは声を出して笑い、言った。

「いいんじゃないですか。どんな神経症患者を相手にしているかわかるでしょう。」

グールドは、相変わらずマッチに火をつけ、燃え尽きるまで炎をじっと見ていた。キャロルは、催眠術をかけられているような気持になり、言った。

「一山に一度に火をつけたらどうですか?」

「それはとっておきの方法なんですよ、一人でいるときのね! でも母には内緒ですよ。この癖を直させようと必死ですから。」

翌日、キャロルは、「お母さまが、日光に当らくてはいけないとおっしゃっていたよ」と言い、グールドを外へ出すことに成功した。キャロルが、ビーチに椅子を用意してやると、さすがのグールドもオーバーコートを脱ぎ、手袋を外した。

キャロルがグールドの写真を撮っていると、ホテルの副支配人の婚約者である女性がやってきた。婚約者は、聡明ですらりとしてスタイルがよく、髪の毛を後ろで束ね、ショートパンツを穿いた若く魅力的な女性だった。キャロルは、フィアンセであれば、グールドの会話が弾むだろうと踏んで、合流するようにあらかじめ依頼していた。

グールドは、彼女とのたわいのないおしゃべりにすぐに夢中になり、上機嫌で言い始める。

「ぼくはいつまでも演奏会活動をやるつもりはないんです。作曲と、それから出来れば指揮者に転身したいんですよ。」

「70歳になるまでには、オペラが2,3曲、交響曲が数曲あるといいですね。ああ、もちろんレコードだってどっさりありますよ。」

米国に大衆向けの『真実の告白(トゥルー・コンフェッションズ)』というゴシップ誌がある。この雑誌は、恋愛・結婚など人間関係にまつわる人々の悩みを,好奇心をそそるような話に仕立てて掲載しているのだが、この雑誌をパラパラと読んでいる婚約者の傍らで、グールドがバッハの楽譜を真剣に読んでいる対比を撮ろうと、キャロルは提案した。

グールドは、その提案にすぐ乗り、真面目くさった様子で楽譜をにらみ、懸命に婚約者の存在を無視しているさまを演じた。

この撮影の試みの後、この婚約者は、マリーナでモーターボート借りられると言い、マリーナまで車で送ってくれた。この車を運転しながら、婚約者が、海水浴をしないのかと訊いた。グールドは、答えた。

「海水浴はしたいけれど、海水が腕に悪影響を及ぼさないかが心配なんだ。海水浴するなら、肘より上まで包み込むようなゴム手袋を嵌めなくちゃだめでしょうね。」

グールドとキャロルは、マリーナで全長4メートル半のオープンボートに乗り込んだ。グールドは、再びレインコートと手袋に加え、サングラスで武装しながら、岸で手を振る婚約者をしり目に、ボートのハンドルを握り、沖へと恐ろしいスピードで発進した。

キャロルは、グールドが、別荘があるシムコー湖で、「アーノルド・S号」(Sは、現代作曲家のアーノルド・シェーンベルクのSの略)に乗り込み、自然保護派を標榜する彼が、湖面を左右にカーブを切り、波を起こしながら爆走して釣り人の邪魔をするのが好きだと聞かされていた。それで、似たような運転をするのではないかと、乗り気ではなかった。やがて、グールドは沖に大型船が停泊しているのに気づき、そこを目標に定めた。沿岸部が穏やかであっても、沖へ外洋へ出ると、小舟は大きく揺れる。キャロルは、船外に放り出される恐怖にかられ、叫んだ。

「このままでは海に放り出されてしまう。スピードを緩めてくれ!」

しかし、グールドは聞こえないふりを続けた。

やがて、大型船の下まで到着し、乗客が見下ろす中、何やら熱狂的な衝動にかられた様子のグールドは立ち上がり、指揮者のポーズをとり、オーケストラの真似をして歌いだした。

ボートは浜辺に無事戻ったが、キャロルは、グールドの自動車の運転で、助手席に座る恐怖をまだ知らなかった。

グールドは、ピアノの練習のため夜中の2時から4時まで、ナイトクラブのグランドピアノを自由に使えるようキャロルに頼んでいた。ホテルの許可を得たグールドとキャロルは、その時間に、ピアノのあるナイトクラブへ向かった。ピアノは舞台の隅に置かれていたので、キャロルが、そのピアノを照明がよくあたる舞台の中央へ移動させようと半分ほど動かしたところで、突然、舞台の床の一部がバリっと音を立てて破れ、ピアノの脚の一つが舞台へめり込み、ピアノが斜めに傾いてしまった。

これを見たグールドは、意地の悪い笑いを浮かべたまま、このありさまとキャロルの狼狽ぶりをじっと見ていた。彼は、吹き出しそうになるのを懸命にこらえながら、真面目くさった顔でこう言った。

「あのね、ぼくはわずかに角度をつけて弾くのは好きだけど、これじゃちょっと角度のつきすぎだね。」

と言って、自分の冗談にけらけら笑うと、楽譜を持ってさっさと部屋に戻って行った。キャロルは、翌朝すぐにホテル側と交渉して、舞台を修理してもらった。

次の晩、二人は改めて同じ時刻にナイトクラブのグランドピアノに向かった。

ピアノを弾き始めるグールド。グールドの写真を撮るキャロル。

キャロルは、グールドの様子に驚く。キャロルは、巷間言われている、グールドが歌を歌いながらピアノを弾くとか、空いている手で指揮をするということに半信半疑だった。しかし、グールドは誰もいないこの空間で、言われている伝説のまま、大きな声でハミングしながら、歌いながらピアノを弾き、片方の手が空いているときには、想像上のオーケストラを指揮しながら弾いた。

脚を切った低い椅子に座ったグールドが、猫背になって前に屈みこむと、指の方が手首より上にあり、長い髪が鍵盤に触れた。彼はピアノで、頭の中に響く音楽をそのまま再現させようとしていた。アコースティックな生のピアノの音は圧倒的で、キャロルは、グールドをどこか神の世界とつなぐシャーマンのように感じた。

キャロルは、クラシック音楽のことはよく知らなかった。しかし、グールドの演奏の強烈さに圧倒され、ときおり写真を撮るのを忘れ、見惚れてしまった。グールドは、普段ピアノを弾いていないときでもフォトジェニックだったが、ピアノを弾き始めると、現実の世界を出て、違う別の世界へ行ってしまい、恍惚としながら現世を超えてしまい、別の世界のメッセージを伝えようとしているかのようだった。

ナイトクラブを閉めて出るとき、キャロルは、昼間、他の宿泊客から聞かれたことを、うっかりグールドに何気なしに質問した。このホテルに女性の宿泊客がいて、娘がジュリアード音楽院のピアノ科の学生で、娘がグールドさんの演奏を見学できないかとキャロルは訊かれていた。

「グレン、そのジュリアード音楽院の娘に練習を見せても構わないか?」

グールドはそれを聞いた瞬間、真っ青な顔をして、いきなり人が変わったようにすごい剣幕でキャロルを怒鳴り始めた。

「いったい練習の話をその人に伝える権利が、きみのどこにあるんだ!?」

「ごめんよ。わかったよ。悪気はなかったんだ。明日その人に会ってだめだって言っておくよ。」

「どうして、口をつぐんでいられなかったの?」とグールドは、キャロルをなじり、最後にぴしゃりと捨て台詞を吐いた。

「気を付けて行動するんだね。ぼくの写真が撮りたいのなら。」

—————————

翌日、グールドの運転で、二人は赤いオープンカーで島を巡った。

グールドが運転するそのオープンカーは、ギアを入れるなり、がくんと揺れ、キャロルは前につんのめった。次の一瞬、エンジンをふかしたその車はタイヤの金切り音をあげ、猛ダッシュをはじめた。スピードの出しすぎではすまないスピードをだして、グールドはわき道を抜けてナッソーの市外へ向かった。キャロルがスピードを落とせといくら喚いても、グールドは聞く耳を持たなかった。

いなか道には、現地の人の住む粗末な小屋がいくつかずつまとまって見えた。オープンカーは、小さな丘を勢いよく登った。そして、鶏や犬や子供たちを追い散らしながら、この丘を猛烈な速さで駆け下りた。グールドはゲラゲラ笑っていた。彼には、こんな運転をしていたら、事故を起こしかねないと理解できていないようだった。キャロルは、「前に子供がいるぞ、速度をおとすんだ!」「カーブだ、左側を走って曲がるんだ!」と何度も叫んだ。

途中、グールドは何度か車を降りて、キャロルはグールドの写真を撮ったが、この時ばかりが、心休まるときだった。

キャロルの我慢も限界に近づいていた。やがて、ホテルへ帰るという道で、キャロルが横を見ると、グールドは、両手を宙に浮かせ、指揮をしていた。

「バカ、ハンドルを握れ!」とキャロルが大声をだすと、グールドはハンドルを握ったが、顔はニヤニヤと笑っていた。

「この運転のことを母には言わないで。いつも、止めろとうるさいんだ。内緒だよ。」

この1年後、案の定グールドは、トラックに追突する事故を起こし、それまでの事故と合わせ4回の事故により、裁判所から自動車学校へ通うべしという判決が下りる。

グールドは、それでも危険運転を止めず、キャデラックのような一番大きなサイズの自動車を運転するようになる。このような大型車は、事故にあっても自分が負傷する可能性が低く、無謀な運転をしても、対向車が道を譲ってくれることが多いからだ。

休暇もいよいよ終わりに近づいた。グールドは、キャロルが映画の機材とフィルムを持って来たと知って、それで映画を撮ろうと言い出し、シナリオは、いかに自分が性的誘惑に無縁かを描くことにしようと説明した。グールドが、浜辺で読書をしていると、褐色でエキゾチックな現地女性ダンサーがグールドのオーバーコートを羽織って現れる。彼女がグールドの正面にやってきて、レインコートを脱ぎ、ビキニ姿になって、腹と腰を交互に突き出すバンプというディスコの踊りを激しく踊って彼を挑発する。ビキニのお尻にピンクの貝殻が多数ついていて、楽し気に揺れている。それでも、グールドは読書をやめず、ダンサーは悲しげに再びレインコートを羽織って、椰子の木立に帰っていく。そこで、グールドが読んでいた本が、《決断をためらうことの美徳》を語るツルゲーネフ[5]の随筆だとわかる。これが、シナリオだった。キャロルは内心、ずいぶん奇妙なシナリオだなと思っていた。

ところが、準備が整い、さあ撮影というばかりになって、半ば予想されたことであるが、グールドが出演したくないと言い出した。その理由は、熱があるとか、頭が痛いとか、つまらないないものだった。

キャロルは、憤懣やるかたなかったが、主役が嫌だというのでは、どうしようもない。しかたなく、キャロルがグールドの役になって、映画を撮り始めることにした。キャロルにとって、演技は簡単だった。激しく腹と腰をゆするバンプを踊るダンサーの挑発に乗らず、浜辺で読書に集中するふりをすることは、さほど難しいことではなかった。

映画のフィルムが残り半分という段階になって、グールドが「ぼくも出たい。」と言い出した。

グールドは、海辺のディレクターズチェアに向かって歩く。長いオーバーコートを着て、マフラーを首に巻き、デッキシューズを穿き、ベレー帽を横向きに被り、サングラスをずらして鼻にかけ、葉巻を手にしている。手袋を脱ぎながら、椅子に座ったグールドは、振り返る格好で話し始める。

もう一つの撮影で、グールドは、浜辺に落ちていたビールの小瓶を振り回しなはら、ビキニのダンサーに対抗するように熱狂的に踊り始める。ついには、海の中へ入って奇妙な手ぶりで自分の頭の中にあるオーケストラを指揮した。

実際に出来上がった短編映画は5分ほどの長さで、たいした意味のないバカバカしいとしか思えないものだった。

長いオーバーコート、マフラー姿で、ベレー帽を被り、手袋をはめ葉巻を手にしたグールドが、サングラスをずらして鼻にかけ、デッキシューズを穿き、海辺に置かれたディレクターズチェアに向こう向きに登場し、椅子に座った彼は、振り返る格好で社会的な貧困問題を声色を使って話し始める。次のシーンでは、上半身裸のキャロルが浜辺で、ためらうことの美徳を語るツルゲーネフの随筆を読んでいる。そこへグールドのオーバーコートを羽織った褐色の若いダンサーがやって来て、オーバーコートを脱いで、ビキニ姿になり、キャロルの周りを誘惑しながら踊り始める。バックの音楽には、カリブ海の軽快なサルサがずっと流れている。性的な魅力をふりまくダンサーが、キャロルの気を惹こうとするのだが、完全に無視するキャロル。今度は、場面が変わって、グールドが憑りつかれたように踊っている姿と、ビキニ姿のダンサーの踊りが交互に切り替わり、二人が向かい合って踊っているようにフィルムが繋がれている。ついには、グールドは海の中に入り、奇妙な手ぶりで、オーケストラを指揮をしているのかのように踊り続ける。最後のシーンでは、キャロルは、とうとうツルゲーネフの随筆を顔に乗せて、浜で寝てしまう。エンディングは、口惜し気に、ダンサーがキャロルを誘惑するのを諦め、オーバーコートを再び着て、トボトボと林の方へ帰っていく。

グールドは、キャロルに、このバハマの旅行休暇について、旅行中の写真を自由に撮ることを許していた。しかし、記事を自由に書くことは許さなかった。そのため、『ウィークエンド・マガジン』に『ジョック・キャロルのフォト・ルポルタージュ』[6]というタイトルで写真と記事を発表したのだが、書かれた記事は、キャロルの名前になっているものの、内容は音楽全般に対する自分の考えを書いたグールドのモノローグで、事実、グールドの手によるものだった。

こうして、ジョック・キャロルは、生前、ドキュメンタリー記事を書かないというグールドとの約束をずっと守った。しかし、グールドの死後の1995年になって、このバハマ旅行の思い出を写真集[7]として発表し、その冒頭で、この時のグールドの様子と、その後の関係をはじめて明らかにした。


[1] ワスプ(WASP):白人で、アングロサクソン系で、プロテスタント(White Anglo-Saxon Protestants)を意味し、一般にエリート階層である。

[2] トーマス・マン (Thomas Mann 1875 – 1955)ドイツ出身の小説家。1933年にナチスが政権を握ると亡命し、スイスやアメリカ合衆国で生活した。グールドは、トーマス・マンを愛読していた。

[3] オルダス・ハックスリー:イギリスの作家(1894年 – 1963年)。のち、アメリカへ移住。1932年の「すばらしい新世界」では、ディストピアを描写した。

[4] ボードレールの恋人たち:ボードレール(1821年 – 1867)は、フランスの詩人、評論家。韻文詩集。象徴主義詩の始まりとされ、「近代詩の父」と称される。唯一の韻文詩集「惡の華」は、反道徳的であるとして、多くが罰金を科され、削除を命じられた。ボードレールの恋人たちとは、娼婦を含む、彼自身の生涯にわたる多くの恋人たちの意味。

[5] ツルゲーネフ(1818 – 1883):ドストエフスキー、トルストイと並ぶ、19世紀ロシア文学を代表する文豪。人道主義に立って社会問題を取り上げる一方、叙情豊かにロシアの田園を描いた。

[6] 『ジョック・キャロルのフォト・ルポルタージュ』:元は「ウィークエンド・マガジン」第6巻第27号(1956年)に掲載されたものだが、「グレン・グールド対話集 ぼくはエクセントリックじゃない」(ブュリューノ・モンサンジョン編 粟津則雄訳 音楽之友社)に再掲されている。

[7] 写真集: 原題《Glenn gould : Portraits of the Artists as a Young Man, story and photograph by Jock Carroll》(Toronto: Stoddart, 1995)邦訳《グレン・グールド 光のアリア》(ジョック・キャロル 宮澤淳一訳 筑摩書房)

brasileiro365 について

 ジジイ(時事)ネタも取り上げています。ここ1年、YOUTUBEをよく見るようになって、世の中の見方がすっかり変わってしまいました。   好きな音楽:完全にカナダ人クラシック・ピアニスト、グレン・グールドのおたくです。他はあまり聴かないのですが、クラシック全般とジャズ、ブラジル音楽を聴きます。  2002年から4年間ブラジルに住み、2013年から2年間パプア・ニューギニアに住んでいました。これがブログ名の由来です。  アイコンの写真は、パプア・ニューギニアにいた時、ゴロカという県都で行われた部族の踊りを意味する≪シンシン(Sing Sing)≫のショーで、マッドマン(Mad Man)のお面を被っているところです。  
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