リライト2021/10/8 YOUTUBEのリンクがうまくつながっていなかったので、加筆・修正しました。
YOUTUBEにアメリカでのテレビ番組「いかにしてモーツァルトはダメな作曲家になったか」があるのを見つけた。2種類のモーツァルトのピアノソナタK333もあった。
これらを聴いてもらえると、グールドの弾くモーツァルトが、いかに過激か!よくわかっていただけると思います。
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2017年12月に建国150周年を記念したカナダ大使館で、グレン・グールド・ギャザリングという催しがあったことを前回書いたが、そこで映画「いかにしてモーツァルトはダメな作曲家になったか」を見てきた。写真の席の左側に座ってパンフレットを広げておられるのが、グールド財団の方で、今回の上映を許可してくださったそうだ。また、右側と下の写真は、ずっとこのシリーズの解説と、字幕翻訳の監修をして下さった宮澤淳一氏である。氏は、青山学院大学教授で世界的なグールド研究の第一人者だ。
今回紹介する、超過激なタイトル!の映画、「いかにしてモーツァルトはダメな作曲家になったか」は、アメリカで1968年4月28日に放送されたテレビ番組の一部だった。グールドは当時36歳だったが、彼は32歳の時からコンサートを開かなくなっていた。そのため、もっぱらスタジオでのレコード作りをしていたので、テレビとはいえ、4年ぶりに生の姿を現したと話題になったらしい。この放送があった1968年頃といえば、第二次世界大戦後の文化、経済、政治あらゆる面で、大きく民主化や大衆化が世界的に進んだ時期と言っていいのではないか。ベトナム戦争の最中だったが、反戦運動も激化し、ヒッピー文化、サイケデリックなサブカルチャーやドラッグ、性の解放などが進んだ時代だった。そうしたアメリカでの2時間番組の40分ほどが、このグールドの放送だった。なお、再放送されることはなかったようだが、ググると仏語のDVDがヒットするので、販売されていた時期があったのかもしれない。(下の写真は大使館に展示されていたもので、コロンビアレコードのハンスタインさんが撮られたものである。晩年のグールドでこのように笑っている写真は少ないと思う)
ビデオを見て驚くのだが、グールドのモーツァルトへのこき下ろし方は半端ではない。モーツアルトは35歳で早逝しているのだが、グールドは前から「死ぬのが早すぎたのではなく、死ぬのが遅すぎた」と言っていた。
この番組では、モーツァルトの作曲態度を、安易で紋切り型の繰り返しに過ぎないとピアノで演奏しながら説明する。この説明には、ピアノ協奏曲の24番を使って説明するのだが、オーケストラが演奏するパートをすべてピアノ1台で弾きながら説明する。このピアノが、鮮やかで、オーケストラに引けを取らないくらい魅力的なのだ。ピアノの演奏の上手さと、語り口の激しさが、見ている方にとっては、メチャメチャ刺激的だ。
大体、天下の大作曲家、モーツァルトを、ここまで正面切って誰が否定するか?モーツアルトの美しいメロディーが変化していくさまを、ピアノを弾きつつグールドが解説し、その変化のさせ方が簡単に予想がつき、手抜きだというのだ。だが、グールドの語り口はともかく、演奏の方は見事で申し分ない。こんなに美しく移ろうのに、どこが悪いの?
この説明には、「クリシェ」というフランス語がキーワードで使われており、WIKIPEDIAではクリシェを「乱用の結果、意図された力・目新しさが失われた句(常套句、決まり文句)・表現・概念を指し、さらにはシチュエーション、 筋書きの技法、テーマ、性格描写、修辞技法といった、ありふれたものになってしまった対象にも適用される。否定的な文脈で使われることが多い」と書かれている。
この発言だが、どこまで本気なのか真偽のほどはわからないが、グールドの言っていることは一理あり、完全に本気なのかもしれない。だが、彼はモーツアルトのピアノソナタは、反面教師的に否定的なことを言いながらも全曲録音しているし、「モーツァルトが書く展開部は、展開していない」とこき下ろしたピアノ協奏曲のうち、番組で取り上げた第24番だけは見事な録音を残している。
この番組の最後の部分では、高く評価できるというピアノソナタ第13番変ロ長調K.333を13分程度で全曲演奏する。これがまた素晴らしい演奏で、主は大使館のホールですっかり感動してしまった。この曲は3楽章あり、驚異的なスピードの第1楽章、比較的ゆったりした第2楽章は、強弱のつけ方や、レガートに弾いたり、スタッカートで弾いたり、響きを区切ったり、残響を残したり変化をつけて飽きさせないで見事なのだが、第3楽章の中盤あたりにいわゆるサビがあり、とても盛り上がっていき、ひねりも加わって曲全体のハイライトがここにある。
このK.333の第3楽章を、ジェフリー・ペイザントが「グレン・グールド、音楽、精神」で次のように評している。「・・・グールド本人はいくつかのモーツァルト演奏において、まさにこの芝居ががった演技性を探求している。例えば、彼の演奏する変ロ長調ソナタ(K.333)の第3楽章は明らかにオペラ的であり、≪魔笛≫でタミーノが歌う <彼はパミーノを見つけたのかもしれない> に実によく似ている。グールドの弾くモーツァルトの終楽章には、モーツァルトのオペラの第一幕末尾を思わせるおどけた性格が頻繁に現れる。・・・」 要は早い話が、普通のピアニストが弾くモーツァルトの原曲とは、違う曲になっているんですね!!
主は、このブログを書くにあたって、英国で活躍する内田光子さんの演奏と比べてみた。内田さんは、日本を代表する世界的ピアニストなのだが、情熱ほとばしるというか、のめりこむところを表に出す正統派のピアニストだろう。
第1楽章を聴くと、何回繰り返すの?と思うくらいリピートしている。おそらく、グールドが、楽譜どおりの繰り返しをしていないのだろう。第2楽章は、大人しくて美しい。文句のつけようがないが、主はそれがどうしたと思うだけで、面白くない。いつまで弾いているの。第3楽章、やはり美しい。がそれ以上のものがない。全体をとおして、平板だ。美しい音色で美しい演奏だが、それ一本。びっくりする要素がない。ひたすら高音部のメロディーだけが、存在を主張している。
グールドは、低音部に自分で考えて勝手に音を加えて、低音部にもメロディーがあるように再作曲しているにちがいない。アーティキュレーション(フレージング)も自在だ。基本的にインテンポ(テンポを崩さず)で弾くのが彼の特徴なのだが、人に真似のできないようなスピードで弾ける(人に弾けないような遅さでも弾ける)。同じ弾き方を、何回もしない。繰り返すときはデタシェ(ノン・レガート)で弾いたり、弾き方を変え、サービス精神があって飽きさせない。なにより、低音部が伴奏ではなく、主役の一部を構成する。全ての音が、全体を考えたピースの1個であるかのようにコントロールされている。
50年経った今でも、未だにグールドは、アバンギャルドなのかもしれない。
・・・主は、グールドがモーツァルトの偉大さは認めながらも、言っていたのは本気だと思う。ちなみに、番組では「作曲家としてはダメだったが、音楽家としては偉大だった」と強調していた。
うまい具合に、YOUTUBEにどちらもあったので、はめ込んだ。グールドは、まったく違う2種類の演奏が見つかった!(どちらも、残念ながらテレビの録音は良くなく、CDやSACDはずっとよい。)
最初は、内田光子さんの演奏。3つに分かれている。ゆったり弾かれているのがわかる。
4番目からグールドの演奏。グールドの最初は、1967年3月のCBC(カナダ放送協会)のものだ。これは18分あり、モーツァルトをこき下ろした番組に比べると、わりとおとなしい(オーソドックス)な演奏をしている。
グールドの2番目が、テレビ放送「いかにしてモーツァルトはダメな作曲家になったか」の方である。きわめてエキセントリック、挑発的(だが、魅力的!)な演奏だ。
大使館での上映では、宮澤淳一氏が監修された日本語字幕付きの映像を見ることができた。ぜひ機会を見つけて販売してもらえると嬉しい。(さもなくば死蔵することなく、YOUTUBEなどの手段をとってでも見られるようにしてもらえることを願うのみだ。)
Glenn Gould performs Mozarts “Piano Sonata No. 13 in B-flat major“, at the classical music television series “Music For a Sunday Afternoon”, 140 years after the death of the legendary composer, originally broadcast on March 19, 1967.
こちらは、1967年5月19日カナダの公共放送であるCBCテレビで放送されたもの。
Excerpt from the “Return of the Wizard”, where concert pianist Glenn Gould enumerates on “How Mozart Became a Bad Composer.”
こちらが、「いいかにしてモーツァルトはダメな作曲家になったか」で放送された、モーツァルトのピアノソナタ13番K333を抜粋したもの。挑発的だ!
Glenn Gould – “How Mozart Became a Bad Composer”の全編。設定のところをいじると、大いに問題がある怪しい日本語訳を表示させることができます。
おしまい