救いがたい日本 日本人に生まれて情けない その1 警察と検察の話

その1 警察と検察の話。

和田秀樹という精神科の医師が「外国は、裁判をやって犯罪の白黒をつけているが、日本の検察は、有罪にできる3割の事件だけを起訴して、99%の確率で有罪にしている。」とYOUTUBEで言っていた。(真ん中あたりででてきます。)

おまけに、日本の検察(と警察)は、満足に捜査をしないで、自白偏重している。つまり、自白すれば、保釈も認められるし、刑を軽くすると言って実際に軽くする。

推定無罪の原則というのが建前の司法の世界で、日本にはこれがなく、捕まったら推定有罪で捜査される。

2018年暮れ、カルロス・ゴーンは、東京地検特捜部による衝撃的な逮捕からまる1年のち、プライベートジェット機で映画のようにレバノンへ逃亡した。

このとき、当時の森法務大臣が「逃亡するのではなく、法廷で無罪を証明してほしかった。」と言った。有罪を立証するのは検察の役目で、ゴーンには自分で無罪を立証する必要などない。この法務大臣は、弁護士の資格があるのにトンデモ発言を言ってしまう。このニュースは、半日程度世界中に流れ、その後大臣は訂正の記者会見を行ったが、うっかり本音が出たとしか思えない。

森法務大臣(当時)

自白偏重の日本では、刑務所や警察で弁護士もいない状況で、厳しい取り締まりを行うために、しっかりしていないと、取調官の甘い言葉に騙されて、事実と違う自白をしてしうことがある。これが冤罪が発生する原因なのだが、取り調べで冷静を保つのは難しいだろう。素っ裸で衣服を着替えさせられ、精神的に圧迫を加えられ、ずっと拘束される、そりゃあ、嘘でも言って楽になりたいと思うだろう。 日本の取り調べは、江戸時代のままだ。

20歳前後の若者の刑事事件で有罪が確定している事件には、自白を共用されて、冤罪と疑われるような事件がたびたびおこる。

そんなで、外人は、日本の検察は、犯罪事実を立証することなく裁判で自白のみで有罪にしていると言う。こうした制度のしたでは、民主主義ではないと言っている。

「世界で勝てない日本企業 カルロス・ゴーン フィリップエリス」(幻冬舎)のなかに、ゴーンを弁護していた高野弁護士の次のような発言がある。 

「被告人が無罪であっても、おそらく、まずは有罪とみなされます。また、黙秘権を放棄するのと引き替えでなければ保釈されないでしょう。」「被疑者が取り調べ調書にサインすることを拒否すれば、証拠を隠滅しようとしているとみなされます。」「自供を拒否する被疑者の保釈率は、30年前から低下し続け、1984年から2014年までの間に、20% から7%に大きく低下しています。」「自供を強いるのは、検察官および裁判官の仕事を楽にするためなのです。」「自供が得られれば、被疑事実を列挙したり証人尋問をしたりしなくてすみますから。時間を節約できます。」「検察官は自分たちの主張を証明する義務が免除されているのです。」要するに、日本の司法制度は、基本的人権の原則と正反対の原則に基づいているという。

日本のマスコミは、警察や検察のリークした情報を流しているだけなので、日本人は一般に、このゴーン事件を、「ゴーンは私腹を肥やした悪いやつ」と思っているが、世界から日本企業で経営者になろうという優秀な外人は、この事件を契機にずっと減るだろう。いや、世界中のビジネスマンなら誰しも同じだろう。

検察の、こうした有罪に持ち込める3割の事件だけを起訴しているという態度は、逆にいえば、疑わしい7割の事件を事件化していないということだ。

その7割の事件の中には、政治家が犯す重大な嫌疑や事件もあるだろう。そうしたものがスルーされているということだ。要は、警察、検察に捜査能力が足りていないのだろう。

このような取り調べの段階で弁護士が同席しないとか、自白偏重の日本の司法を「人質司法」というのだが、民主国家と言えないし、後進国である。

結論として、日本の裁判所は、上から目線で犯人に説教を垂れる場所だ。反省していないなら罪が重くなり、反省していれば軽くなる。裁判官は法の番人ではなく、教会の聖職者みたいなものだ。

みなさん、警察等に捕まらないようにしましょう。人生が終わってしまいます。

次回は、警察や検察の情報を垂れ流しているマスコミについてです。

おしまい

投稿者: brasileiro365

 ジジイ(時事)ネタも取り上げています。ここ数年、YOUTUBEをよく見るようになって、世の中の見方がすっかり変わってしまいました。   好きな音楽:完全にカナダ人クラシック・ピアニスト、グレン・グールドのおたくです。他はあまり聴かないのですが、クラシック全般とジャズ、ブラジル音楽を聴きます。  2002年から4年間ブラジルに住み、2013年から2年間パプア・ニューギニアに住んでいました。これがブログ名の由来です。  アイコンの写真は、パプア・ニューギニアにいた時、ゴロカという県都で行われた部族の踊りを意味する≪シンシン(Sing Sing)≫のショーで、マッドマン(Mad Man)のお面を被っているところです。  

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