1956年1月、カナダ人ピアニストのグレン・グールドは、J.S.バッハのゴルトベルク変奏曲でレコード・デビューを果たした。
このレコードはすぐさま、ジャズやポピュラーを含めた[1]北米の新盤の中でベストセラーになった。
彼は、このゴルトベルク変奏曲を死ぬ直前に再録音した。どちらも、楽譜通りに反復はせず、1回目とは対照的に2回目は非常にゆったりと、形容しがたいほど瞑想的で穏やかな演奏をした。もし仮にCDショップのバッハのコーナーへ行けば、一番目立つ場所に並べられているはずだ。
[2]ゴルトベルク変奏曲は、不眠に悩むカイザーリンク伯爵が眠るとき、ゴルトベルクに隣室で弾かせたという有名な逸話がある。アリアで始まり、30もある変奏曲の最後に、[3]クオドリベットという俗謡を二つ合体させ、その気楽で楽しい曲が演奏されたあと、再び、静かで美しいアリアに戻る。最初のアリアに戻るので、もう1回始まってもおかしくない。始まりも終わりもない曲といわれる。
グールド以前に、女性鍵盤奏者の[4]大御所がこの曲をチェンバロで演奏し、教養と謹厳さを感じさせる重々しい演奏だったが、楽しいものではなかった。グールドはこの曲をピアノで演奏し、まったく違ったアプローチをとった。それは、快活で、現代的なドライヴ感が漲った過去にまったく例のないバッハだった。
このレコードの発売である翌月の2月には、グールド自身が作曲した現代曲の弦楽四重奏曲作品1を、モントリオール弦楽四重奏団がCBCテレビ(カナダ放送協会)で初演した。この弦楽四重奏曲は、主題の[5]上昇する4音の構成するたった一つのモチーフを楽想にして、すべての旋律、和声を作り出した調性がある現代曲だった。この曲はすべての音楽家から高い評価を受けたわけではなかったが、ゴルトベルク変奏曲ヒットのセンセーションが起こった直後だったので、23歳のグールドは一夜にして、作曲もできる国際的なスターになった。
ただ、その成功の裏にはグールドのさまざまな奇癖があった。この奇癖をレコード会社をはじめとするメディアが大々的に宣伝した。
彼が出かけるときは、30℃ある真夏の暑い盛りでも、オーバーコートを着てウールのベレー帽を被り、マフラーを巻き手袋をはめて歩いていた。父が作った折り畳み式のピアノ椅子をいつも持ち歩き、その椅子の脚の下部は10センチ切りとられ、そこへ金具をはめて高さを微調節できた。彼は演奏を始める20分前から肘から先を熱いお湯の中に浸け、血行をよくする儀式が必要で、電気湯沸かし器も運んでいた。抗不安薬や鎮静剤、血液の循環を良くするための処方薬をしょっちゅう飲み、大量の薬剤を携行していた。
ピアニストにはあり得ないような悪い姿勢でピアノを弾き、ピアノを弾き始めるとすぐに恍惚としたトランス状態に入り、上体をぐるぐる旋回し、鼻歌ともハミングともつかない声を出すことを止められなかった。
グールドのレコードが驚異的なほど売れるにつれ、前年に24歳で自動車事故で亡くなった映画俳優の[6]ジェームズ・ディーンと比べられ、音楽誌だけでなく一般誌でもセンセーションを引き起こした。
ファッション誌の『[7]グラマー』は4月号で特集し、やはり女性向けの『[8]ヴォーグ』は5月にグールドを特集した。さらに、報道誌の『[9]ライフ』は4ページにわたる写真を中心にした特集を組んだ。
そうした記事や写真のどれにも、格式ある伝統的なクラシック演奏家の姿はなかった。175センチの痩身のグールドが、流行に無頓着な服装で、乱れた長い髪で写り、ピアノに向かう彼の指は長く細く痩せて、その表情は完全に心ここにあらず恍惚として、ピアノの音の向こうに心があるように見えた。
とくに女性誌はグールドがどこか雌鹿のようで男性を感じさせず、中性的で、女性ファンに強い母性本能を感じさせる、同性愛者に強烈なセックスアピールがあると書いた。
のちにグールドは、自虐的なユーモアでこの時をこう書いている。—「[10]あれがわたしの人生で最も困難な年の始まりだった」
[1] 当時、北米で、一番売れていたのは、ポピュラーで女優・歌手のドリス・デイだった。ジャズでは、ルイ・アームストロングだった。アフリカ系アメリカ人のジャズ・ミュージシャンで、 サッチモ (Satchmo) という愛称で親しまれた、20世紀を代表するジャズ・ミュージシャンの一人でトランペット、コルネット奏者である。
[2] ゴルトベルク変奏曲:J.S.バッハが1741年に出版。カイザーリンク伯爵(ザクセン宮廷駐在のロシア大使)の委嘱と考えられるが証拠がなく、バッハの弟子、ゴルトベルクは当時まだ14歳であり、演奏技術を考えると困難で、この逸話は懐疑的といわれる。
[3] 30番目のカノン変奏をクオドリベット(Quod libet)という。クオドリベットは、ラテン語で「好きなものをなんでも」という意味で、大勢で短いメロディの歌を思いつきで歌い合う。
[4] ランドフスカ:ワンダ・ランドフスカ(1987-1959)ポーランド出身のチェンバロ奏者、ピアニスト。忘れられた楽器となっていたチェンバロを20世紀に復活させた立役者である。(Winkipedia)
[5] 上昇する4音 フーガの主題の最初の4音(嬰ハ-ニ-嬰ト-イ) (「神秘の探訪」P.150)
[6] ジェームズ・ディーン(1931年 – 1955年)アメリカの俳優。「エデンの東」「理由なき反抗」などが代表作。
[7] 『グラマー』4月号は、「あなたに会わせたい男たち」という見出しで「華奢でしなやかな体つき、豊かな明るい茶色の髪をしたカナダ人は、その特異な振る舞いで伝説につつまれている。その振る舞いを構成しているのは、どこにでも持って行く何種類もの薬、ミネラルウォーター、特製の椅子である。また食生活に関する独特な考え方もそうだ。「友人は言う、『グレン、何か君にあわないものでも口にしたのかい?まさか食べ物じゃなかろうね?』」と書いた。
[8] 『ヴォーグ』は、「グレン・グールドは・・・・今年アメリカの批評家の間で祝いのかがり火を真っ赤に燃やした。緊張し、やつれた容貌をもつ、ブルーベリーの目をしたグールドは、調教されていない馬のようにピアノに向かい、強力かつ抒情的な音を生み出すのである・・・・・」
(グラマーとヴォーグの記事:「グレン・グールドの生涯/オットー・フリードリック/宮澤淳一訳」青土社96頁)
[9] 『ライフ』は、スタンウェイ社の地下室にいる姿、コートを着て、例のピアノ椅子を抱えてニューヨークの通りを歩く姿、ミルクとクラッカーの軽食をとりながら、スタジオの技師たちと冗談を言い合う姿、靴を脱いでペダルを踏む足、革の手袋を脱いでその下のミトンをはめた手を見せる姿、洗面所で腕を湯に浸している姿、ピアノを弾いていない方の腕で、空(くう)を指揮する姿などを掲載した。
[10] 《グレン・グールド神秘の探訪》ケヴィン・バザーナ第3章寄席芸人 P172