第3章 恋人バッチェンと新人ライター グラディス・シェンナー

バハマの休暇から帰ってきたグールドは、政治や文化を取り上げる[1]マクリーンズ』という雑誌に特集されることになっていた。記者としてやってくるのは、グラディス・シェンナーという23歳の女性だった。年齢からすると経験が浅く、初の大仕事に意気込んでやってくるのだろうとグールドは思った。

グールドは、恋人である[2]バッチェンのアパートメントをインタビューを受ける場所として指定した。

バッチェンは、彼より7歳年上でこのとき30歳だった。バッチェンは、青灰色の才気溢れる瞳が印象的で、黒に近い茶髪のブルネットを長く広がるように伸ばし、小柄だがとても美しかった。

バッチェンもプロのピアニストを目指していたが、映画や演劇、音楽、アニメなど、当時の前衛的な芸術に関心を持つ若者のグループでも活動して、彼女は、そのグループが作った無声映画で、上流階級の女主人の美しいヒロインを演じメンバーから慕われていた。実際の彼女は、田舎町の貧しい家庭の育ちで、バッハが何より好きで、将来ピアニストになる夢を持ち、明るく聡明だった。

ブルネット(Hot Pepper Beautyから)

グールドとバッチェンがはじめて知り合ったのは、トロント王立音楽院で、二人は、17歳と24歳だった。グールドは、上級クラスで、年長者にまじって華々しく活躍をしており、いつも王立音楽院の話題をさらっていた。そんなグールドにバッチェンが声をかけたのが最初の出会いだった。最初、グールドは女性に無知でナイーブな子供にすぎなかった。しかし、グールドが王立音楽院をやめ、グールド一家が所有するシムコー湖の別荘で長い時間を過ごすようになる18歳のころには、ふたりは恋人関係になっていた。グールドは、このシムコー湖で時間を過ごすようになって、弦楽四重奏曲作品第1を長い時間をかけて少しずつ作曲し、進み具合を毎夜遅くにバッチェンに電話していたのだが、翌日に仕事のあるバッチェンにとっては負担だった。

グールドの求婚のセリフは「[3]僕たちは結婚すべきだ。(”We should get married.”)」だった。しかし、バッチェンは、グールドがあまりに社会生活に向かず、結婚はできないと判断し、受け入れなかった。このとき、二人の関係は、もうすでにぎくしゃくして、修復不能だった。

記者のシェンナーが部屋に入ってきたとき、グールドはソファで横になり、バッチェンの膝にプードルのように頭を置き、頭を撫でてもらっていた。彼はいつまでもウジウジしていた。彼を取材にやってくる記者がどう感じるか、まったく頭になかった。

シェンナーは、グールドを禁欲的で中性的な修道士のようなピアニストだと予想していた。しかし、意外な性的な光景を見て、息をのんだ。驚きがはっきりと表情に出ていた。恋人たちはソファから離れることなく、バッチェンは相変わらずグールドの頭を撫でていた。何故、私にこのような場面を見せるのかとシェンナーは思った。

「マクリーンズ社の依頼で、グールドさんの記事を書くことになったフリーランスのグラディス・シェンナーです。一昨年、マニトバ大学を出て、昨年は、ウィニペグの新聞社で働いていました。今年から、マクリーンズの仕事をするためにトロントへ出てきました。この記事は、どんなに長くなってもいいと言われています。グールドさんは、今やカナダ最大のスターです。」とシェンナーは、言った。

型通りの挨拶が終わって、シェンナーは、恋人の膝でぐずぐずしている《ペット男》の記事が書ければ、確実に特ダネになると思って動悸がした。しかし、まず記事への協力を取り付けることだと思いなおした。

「フラニー、もっと下の方も撫でて。キスして。」と彼は横になったまま、バッチェンに言った。バッチェンは、グールドの髪を下の方も撫で、軽くキスして言った。

「グレン、私はこの町を出て、ニューヨークへ行くかも知れないわ。私は、もう少し稼がないとならないのよ。わかるでしょ、あなた。そうなっても、私なしでしっかりしなさいよ。」

「わかってるよ。だけど、その考えを変えられないの?どうしてもだめなの?僕には、世話を焼いてくれる女性が必要なんだよ。」

彼は、いつまでも未練たらしく懇願していた。

「グールドさん、私の話も聞いてください。」

「何だっけ?えっ、きみは誰だっけ?!」

シェンナーは、グールドより1歳若かった。利発で愛らしく、やはりブルネットの髪をした美人だった。彼女はマニトバ大学で政治学を学び、21歳の時にトロントへ出てきた。当時は、まだ多くの女性が働く時代ではなかった。そのような1950年代に、若い女性がどれだけちゃんとした仕事に就けるかを考えると、自分は時代の先端を走っていると感じていた。現に直前まで他の雑誌で、クロスワードパズルを担当していたばかりだった。

「私は、突然に、世界的なピアニストの仲間入りを果たしたあなたのことを書きたいんです。とても読み応えのある記事になると確信しています。私は、発売になったばかりの『ゴルトベルク変奏曲』を聞きました。とても生き生きしていて素晴らしかったです。これまでのクラシックの演奏とはまったく違うものを感じました。まったく新しいものを感じました。演奏の素晴らしさとあなたの人間そのものについて、読者に知らせたいのです。そのためにいろいろ教えてほしいんです。」

「あーん。・・・いいよ、問題ないよ・・・いくらでも協力してあげるよ。」と彼は、ようやく体を起こしていった。

———————–

その日から2週間ほどの間、二人で記事にとりかかった。グールドは、まとまった時間のインタビューを受け、シェンナーがドラフトを書いた。グールドは、彼女の書いたドラフトに深夜の長電話で、彼女を励ましながらコメントを伝えた。

それはバッチェンの時にもいつもしていた、彼女を疲れさせた深夜の長電話だった。グールドは、対面して話をするより、電話の方が気安く話ができ、夜型人間で、相手の迷惑も顧みず、深夜長電話するのだった。ただ、グールドの話はユーモアにあふれて才気煥発であり、電話をかけられた方は、人気者からの電話の聞き役になることを迷惑に思う者はいなかった。だが、毎晩深夜に電話を受けるバッチェンにとっては、睡眠不足になり、翌日の仕事に差しさわりがあるのだった。

シェンナーの記事は、よく書けている部分もあったが、足りない部分もあり、グールドは率直に情報を提供した。

はじめのうち、記事は、恋人のバッチェンを含んだグールドの女性関係も書かれていた。しかし、やがて彼は、女性のことが書かれるのは、イメージダウンになると思いだした。

そのため、一時は、記事の掲載そのものをシェンナーに止めるように言いだした。当然ながらシェンナーは、雑誌への掲載を許してほしいと懇願し、女性関係に関わる部分を削ると申しでた。最終的に、グールドは彼女の条件を了承し、その部分を削る形で記事が完成した。

そうして、インパクトのある風変わりなピアニストの写真数枚とともに、大作である記事が出来上がった。もとの記事から、グールドの女性関係をバッサリ削っても10ページ以上ある長文だった。それが、《[4]演奏したくない天才》だった。

MACLEAN’S April/2/1956

バッチェンは職を求めてニューヨークへ旅立ち、二人はとうとう別れた。グールドは、いつまでも思いを引きずっていた。

この記事で、シェンナーは有望な記者として認められ地位を確立した。

グールドとシェンナーの関係は、グールドがコンサートツアーをしなくなる7年ほどの間、彼女はグールドの演奏旅行に同行し、記事にするという関係が続き、二人の親密な交際を示す手紙がいくつも残っている。

シェンナーはグールドの頭の髪の毛を犬のように撫でるという役目をバッチェンから引き継ぐとともに、グールドが住んでいる世界と、現実の世界の間の橋渡しの役目をした。

また、グールドは同時に他の女性にも恋心を抱いていた。

グールドの物語を、彼の性格がよくわかるようにアメリカでの成功の後、プロポーズの失敗と、その後のセンチメンタルジャーニーにスポットライトを当ててきたが、ここからは、グールドの出生から順を追って語ろうと思う。

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[1] マクリーンズ:カナダのニュースマガジン(1905年設立)で、政治、ポップカルチャー、時事問題などのカナダの問題について報道。2017年1月から週刊から月刊になった。

[2] バッチェン:フラニー・バッチェン(Frances Batchen Barrault)

[3] 「僕たちは結婚すべきだ」“We should get married.”「The secret life of Glenn Gould, Michael Clarkson, Chapter4, page51」この表現は、英語のプロポーズの文例をネットで調べてみると、かなり上から目線で、普通はこう言わなないのではないか。(著者注)

[4] 「演奏したくない天才」The genius who doesn’t want to play 巻末に拙訳を添付した。

投稿者: brasileiro365

 ジジイ(時事)ネタも取り上げています。ここ数年、YOUTUBEをよく見るようになって、世の中の見方がすっかり変わってしまいました。   好きな音楽:完全にカナダ人クラシック・ピアニスト、グレン・グールドのおたくです。他はあまり聴かないのですが、クラシック全般とジャズ、ブラジル音楽を聴きます。  2002年から4年間ブラジルに住み、2013年から2年間パプア・ニューギニアに住んでいました。これがブログ名の由来です。  アイコンの写真は、パプア・ニューギニアにいた時、ゴロカという県都で行われた部族の踊りを意味する≪シンシン(Sing Sing)≫のショーで、マッドマン(Mad Man)のお面を被っているところです。  

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