第4章 カナダという国、両親のフローラとバート

イギリス領だったカナダが、自治権を得て独立した[1]建国は、1867年である。今もって150年あまりしか経っていない。日本の明治維新のわずか1年前だ。

カナダは、今でこそ、[2]人口3,700万人のうち、約30%が他国からやってきた移民が暮らす多国籍国家だが、グールドが生まれた1932年は、人口は全土で1,000万人ほどしかなかった。カナダが世界で一番移民を受け入れるようになったのは、移民政策が始まった1971年の「多文化主義」宣言が契機だ。このとき、インドや南米、フィリピン系などの移民が爆増し、コスモポリタンな姿になった。

もっとさかのぼれば、この国はエスキモーの呼称で知られるイヌイットが住む国だった。世界の約7%をしめる広大な土地に、15世紀にわずか2百万人しか住んでいなかった。大航海時代がはじまった16世紀に、この地に最初にやってきたヨーロッパ人はフランス人だった。南米大陸などと同様、自然免疫のない先住民たちのところに、銃と病原菌をもった侵略者がやってきて、インフルエンザやはしかなどの感染症にまったく免疫のない先住民の25%~80%が死亡した。17世紀には、フランスとイギリスの領土争いが起こり、カナダは英連邦の一員になる。この国を最初につくった人たちの多くは、スコットランドやアイルランド、ドイツ、イタリア、中国、ウクライナの出身者だった。

グールドが生まれたオンタリオ州の州都のトロントは、現在、人口250万人、周辺都市を入れると500万人を超えるカナダ最大の大都市だが、彼の生まれた1930年代の人口は、周辺都市を入れてもわずか80万人ほどしかなく、宗主国イギリス移民のプロテスタントが多い、静かな田舎だった。同じオンタリオ州の他の町からは、多くの豚を生産、販売していたから[3]ホグタウン(豚の街)というありがたくないニックネームでずっと呼ばれていた。近代的な大都市ではなく、反外国人、反ユダヤ人の空気の強い保守的な場所だった。

グールド家のルーツは、父バートがイギリスとスコットランドで、アメリカを経由したカナダ移民だった。母フローラは、スコットランドからの移民だった。

両家はどちらもプロテスタントだったが、父の家系は、メソジスト派、母の家系は長老派で、伝統的な中産階級の信仰である。この二つの宗派は、1925年に統一し、カナダ合同教会になった。当時のカナダで成功するには、信心深いことが不可欠だったが、あからさまな、例えばバプテスト派やエホバの証人は「裏通りの信仰」と陰口を言われていた。

グールドの父バートは教会に熱心に通い、合唱に加わるほど歌がうまかった。また、ヴァイオリンもずっと愛好していた。

グールドの母となる[4]フローラ・グリーグは、1891年生まれだった。フローラは、祖先に有名なノルウェーの作曲家、エドヴァルド・グリーグがいることが誇りで、祖父の従弟にあたった。フローラは結婚前、オペラ歌手をめざし、トロント王立音楽院の教授やほかの先生からも学んでいた。同時に、自宅では声楽とピアノの個人レッスンをしながら家計を助けていた。

ふたりは、教会の音楽が縁で結婚したが、音楽は単なる娯楽ではなかった。音楽は、信仰と同じく重要だった。二人は、篤い信仰としっかりした道徳心を持ち、聖書を尊重し地域の奉仕活動に貢献し、生活のあらゆる場面で神の存在を感じられないとならないと思っていた。

二人が結婚したのは、1925年10月31日、フローラの誕生日で、バートが23歳、フローラが34歳で11歳年上だった。

この時代、女性が結婚することは主婦に専念し、職業につくことを諦めることと同義だった。二人は道義をわきまえ、高潔で責任感が強く、しかも愛想のいい心の温かい隣人として文句のつけようがなかった。しかし逆に言えば、古い観念に縛られ、文化的に洗練されず、感情表現は紋切り型だった。

一家の自宅は、トロントの東の郊外のビーチといわれる中産階級のイギリス系白人が住む地区にあった。バートの順調な商売のおかげで、ビーチの中では、グールド一家は裕福な方だった。住み込みの家政婦がいたし、必要な時には、乳母や家庭教師を雇えた。ビーチというグールドの生家がある地区は、南をオンタリオ湖に面しているが、バートが経営するトロント中心部の商業地域と約10キロ離れ、のどかで保守的で、ダウンタウンの猥雑さがまったくなかった。

グレンの父のバート・グールドは1901年生まれで、祖父が経営する毛皮商を手伝っていた。その店はユニオン駅に近いトロントの中心部、となりが新聞社のある金融街の端に位置するビルの上階にあった。「高級毛皮問屋」の看板を掲げ、顧客にコートを販売し、同業者たちと毛皮を売買するのが業務内容だった。経営は実直で誠実だったが、大きな儲けをあげていた。

フローラが結婚前の30歳の頃、友人の歌仲間の女性と合唱を楽しんだあと、将来の希望を語っている。

「わたしは、いつか結婚して、可愛い子供を産んでグレンと名付けるの。」

「きっと音楽の豊かな才能に恵まれるわね、その子は。あなたは、ありきたりのものにはぜんぜん満足しないで、いつも最高のものだけを追い求めてきから。」

「ええ、そうするつもりよ。その子は、音楽家として成功しなくてはならない。できれば大ピアニストにしたいわ。」

フローラは、何度かの流産の末、グレンを妊娠する。フローラは、グレンがお腹の中にいる胎児の時から、ピアノを弾き、歌い、ラジオやレコードであらゆる好ましいと思う音楽を聴かせていた。友人はだれもが、「まちがいなく赤ちゃんは、豊かな音楽の才能を持って生まれるでしょう。」というのだった。

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[1] カナダ建国 イギリスから自治権を得た1867年7月1日を指す。外交権を得たのは、グールド誕生の前年である1931年である。

[2] カナダの人口の歴史 https://en.wikipedia.org/wiki/Population_of_Canada

[3] How Toronto got the nickname Hogtown. https://www.blogto.com/city/2013/10/how_toronto_got_the_nickname_hogtown/

[4] フローラ・グリーグ(1891~1975) 正しくは、フローレンス・エマ・グリーグ・グールド(Florence Emma “Flora” Greig Gould)。フローラは愛称。

投稿者: brasileiro365

 ジジイ(時事)ネタも取り上げています。ここ数年、YOUTUBEをよく見るようになって、世の中の見方がすっかり変わってしまいました。   好きな音楽:完全にカナダ人クラシック・ピアニスト、グレン・グールドのおたくです。他はあまり聴かないのですが、クラシック全般とジャズ、ブラジル音楽を聴きます。  2002年から4年間ブラジルに住み、2013年から2年間パプア・ニューギニアに住んでいました。これがブログ名の由来です。  アイコンの写真は、パプア・ニューギニアにいた時、ゴロカという県都で行われた部族の踊りを意味する≪シンシン(Sing Sing)≫のショーで、マッドマン(Mad Man)のお面を被っているところです。  

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