親父がグレン・グールドにハマった原因を一言で言えば、やはり映画だろう。おそらく、身近な人たちが映像に登場して話をすることのない、CDやストリーミングの音楽だけを聴いていたのであれば、このようなオタクにならなかった気がする。
もともとは、TSUTAYAのレンタル映画で、「グレン・グールド~アルケミスト(錬金術師)」と「グレン・グールド エクスタシス」という2つを借りて、パソコンにコピーし、なかなかいいなあと思いながら何度か観たことがあった。(一般に、レンタル映画をパソコンにコピーしたりはしないものだと思うが、親父はパソコンオタクでもあり、音楽CDも映画もパソコンに取り込んで鑑賞している。)
しかし、本格的にハマったのは、渋谷道玄坂の映画館ユーロスペースで2011年10月に公開された、「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」を観たのがおそらく契機だと思う。
その時の映画館で流されるグールドの演奏が素晴らしかっただけではなく、流れる音楽の音質も素晴らしかった。デカい画面と広い空間でとても良い音がした。グールドは1982年に亡くなっているので、親父がCDなどで持っているメディアと、音源は同一だと思った。それなのに、これだけ自然な本物の音がする。オーディオの性能を上げれば、ここまで良い音で聴けるはずだと確信し、オーディオに投資するようになったきっかけでもある。
ところで、親父はこの映画を見た後で、ブルーレイ版のこの映画を買ったのだが、中古品販売サイトで当時の価格の約2倍ほどの値段で販売されている。グールドの人気がいつまで経っても衰えないのがわかってもらえると思う。
映画で語られるグールドを絶賛する皆さんのセリフを、以下にコピーしてみた。なお、字幕の監修はグールド研究家の第1人者の宮澤淳一さんである。映画のセリフは、映画の制約上限られた文字数で翻訳されているが、実際の語り口はもっと長いと思って見ていただけたら幸いである。
最初に紹介するのは、映画冒頭の部分である。カナダの美しい自然の場面が流れた後、ベートーヴェンのピアノ編曲された交響曲第6番「田園」の第1楽章の演奏風景が流れる。
- コーネリア・フォス(作曲家ルーカス・フォスの奥さんでグールドと不倫関係にあった)「彼の知性と傲慢さに心を奪われたの。それに何といってもハンサムだったし」
- レイ・ロバーツ(晩年のグールドのアシスタント)「死後すでに25年が過ぎた。だが今も注目を集めるグレンのように語り継がれる人間は決して多くない。」
映画は、タイトルクレジットが流れ、本編が始まる。バッハのゴルトベルク変奏曲の録音風景が写されている。
- ハイメ・ラレード(ヴァイオリニスト)「これまでに演奏されたバッハとまるで違っていた。とにかく圧倒されたよ。天才だと思った。」
- ウラジミール・アシュケナージ(指揮者・ロシア出身のピアニスト)「私もバッハはよく演奏した。皆それぞれの解釈でバッハを弾いていたが、彼の演奏には驚いた。自然で明快なバッハだった。」
- フレッド・シェリー(チェリスト)「『いったい何者だ』と思ったよ。音の粒立ちがよく左右の手が自在に動く。まるで1人で連弾しているようだった。彼のピアノには本当に驚いた。人間離れしたすばらしい演奏だった。」
グールドがバッハのゴルトベルク変奏曲で一流ピアニストの仲間入りした後、1957年に冷戦真っ最中のソ連へ演奏ツアーに行く。このとき、大成功を収めたときのものだ。最初誰もグールドを知らないということと、バッハは人気がなかったため会場は閑散としているのだが、いざ演奏が始まると、40分間ある休憩の間に知人を誘い、後半には会場が満員になった。画面にはバッハのフーガの技法がかなり使われている。
- ウラジミール・アシュケナージ(指揮者・ロシア出身のピアニスト)「誰もグールドを知らないから会場は閑散としてた。バッハは尊敬されていたが、バッハの演奏会は人気がなかった。」
- P.L.ロバーツ(長年の友人)「そのうち聴衆は外に出て知人に電話をかけ始めた。『すごい演奏だ。彼は天才だ。』と相手を誘った。後半、会場は満員さ。」
- ウラジミール・アシュケナージ「完璧な演奏だった。すばらしい演奏技術だったよ。彼の奏でる音は完璧にコントロールされていた。こんなバッハは始めてだと皆が思った。」
- ジェイムズ・ライト(グールド研究者)「ソ連の聴衆に感想を聞いたら、まるで宇宙人だと言っただろう。この天才の演奏と高い芸術性は、ソ連の人びとの感性に訴え大きな衝撃を与えた。」
- ウラジミール・アシュケナージ「私たちは隔絶され価値尺度は制限されていた。グールドの演奏が高く評価されたのは若い彼の個性が際立っていたからに違いない。私たちは心の深い部分でそれを理解していた。」
- ジェイムズ・ライト「グールドの音楽には超越性があったと思う。現実の問題から私たちを引き離し、穏やかな陶酔の世界を見せてくれる。グールドは音楽の持つ力を知っていたし、それは1957年のソ連ツアーで特に歓迎された。」
- P.L.ロバーツ「彼が求めたのは拍手喝采ではなく、音楽が聴く人の心に響くことだった。彼の究極の願いは、人びとの心の糧になる音楽を届けることだった。」
- フレッド・シェリー(チェリスト)「いつの時代も演奏形態は多様だ。グールドが演奏をはじめた頃は多くの巨匠がいた。ホロヴィッツ、ゼルキン、ルービンシュタイン、偉大な音楽家がひしめいていた。しかし、グールドだけが作品と作曲家の内面に侵入し、その反対側に突き出た。作曲者に対する共感を通り越し、作品を完全に乗っ取っていたと思う。自分の個性に塗り替えたんだ。」
次に紹介するのは、グールドが亡くなる直前にゴルトベルク変奏曲を再録音し、カナダの大きな教会で葬儀が営まれる場面で流れる。
- フレッド・シェリー(チェリスト)「グールドは『ゴルトベルク変奏曲』の再録音に取り組んだ。デビュー盤以上に極端な演奏だと評された。これがあのグールドなのかと人びとは驚いた。異常な別人の演奏に聞こえたのだ。若さと高度な技術がある種の思慮深さに変わった。エキセントリックな演奏だが美しさは増した。グールドはあらゆる面からこの曲の可能性を検討した。そしてその深奥を極めた。」
- PL.ロバーツ「グレンは考えていた。自分が取り上げる音楽には、最良の光を当てたいと、そうすることで聴く人の心に訴えたかったのだろう。それが彼の願いだった。たくさんのファンレターが届いたが、孤独で苦寓にあるファンのものも多かった。不幸に耐えながら感謝の気持ちを綴っていた。『あなたの音楽に救われた。』こうした手紙は彼の心を癒し、満ち足りたものにした。」
- ジェイムズ・ライト「天才を語る言葉は多くあるが、グールドの本質は謎のままだ。理解したと思ってもまたすぐに分からなくなる。その不可解さがグールドの魅力だ。心の安らぎを得られる場所を得られるかどうかが人生には大切だ。グールドは演奏にのみ安らぎを感じていた。」
- ケヴィン・バザーナ(グールド研究者)「グールドは単なるピアニストではない。ピアニストとして大成したが、演奏の陰にある彼の哲学を見過ごすことは出来ない。彼はそれを示したかった。創造性にも注目して欲しかったのだろう。作品の解釈において独創性を発揮し、ルネサンス的な『万能の人』となった。」
- ローン・トーク(録音エンジニア)「この世界を良い方向に導いた。それが彼の功績だ。」
- ハイメ・ラレード(ヴァイオリニスト)「400年後に地球が存在するとしても、グールドの名前は残るだろう。彼の演奏は永遠だ。価値は失われない。」
次はボーナストラックからである。別れてしまったが、結婚するところまでいった、コーネリア・フォスの話である。
- コーネリア・フォス「自分に酔うことと自我を超越することは矛盾しない。それどころか相乗効果がある。自分に陶酔すればするほど自我を超越したいと思うものよ。当然の事ね。演奏中のグレンは超越していた。個人としての欲求や恐れなど世俗的な感情を忘れ去ってしまうの。自分自身を森羅万象と融合させることができた。自分を取り巻く宇宙と一体化して、人間としての存在を深めていくことができるの。バイオリニストやチェリストでも同じ、偉大な演奏家ならではの神秘的な境地ね。演奏技術の問題でなく大きな力が働くの。 ある日グレンが、帰ってくるなり息せき切って話し始めた。『大変だよ』『なんなの?』と尋ねたわ。『《グレングールドの精神》という講座がトロント大学で開かれている』というの。彼は身をよじって笑っていた。おかしくてたまらなかったのね。『聴講しなきゃならないよ』『うまく変装して行こう』『最後列に座ればいい』『勉強になるぞ』言うまでもなく2人とも行かなかったわ。だからグレンの精神は分からない。」
おなじく、ボーナストラックから研究者のジェイムズ・ライトの言葉である。
- ジェイムズ・ライト「グールドはいつも言っていた。『既存のレコードと同じ演奏をするなら改めてレコーディングする必要はない。』道理だね。この主張の意味は、クラシック音楽界への批判だ。ある時点から楽譜どおりの精緻な演奏が主流になった。技術的には見事だが変わり映えがしない。確かに聴く価値はあるだろう。だがグールドが重視したのは楽譜の細部にこだわらず新たな視点を持ち込むことだった。実は作曲家本人は楽譜の細部に必要以上に執着しない。カナダの音楽家はグールドのこの姿勢を受け継いでいる。」