なぜグールドにハマったか その2HEREAFTER(時の向こうへ/来世)

グールドの映画に《HEREAFTER(時の向こうへ/来世)》という映画がある。

2006年に公開されたものだが、ブルーノ・モンサンジョンが未公開映像を交えながら、グールドの生涯と作品を振り返ったものだ。プロのヴァイオリニストでもある映像作家のブルーノ・モンサンジョンは、グールドが1982年に亡くなる直前に、グールドとバッハの演奏(ヤマハのピアノを使って録音したゴルトベルク変奏曲や、フーガの技法など)を残しているグールドの良き理解者である。晩年のグールドに若いときの勢いは影を潜め、思索的、瞑想的な演奏へとウエイトが移り親父は大好きだ。

日本のイメージに使われた竹林

この映画の中には、1970年代に日本の女性ファンがグールドに書いた手紙に対する返事を、グールド研究の第一人者である宮澤淳一氏がその女性に届けるというシーンが出てくる。この手紙を出したファンというのは、写された手紙の名前と、《グレングールド書簡集(みすず書房・宮澤淳一訳)》から推測すると、どうやらチェンバロ、シンセサイザー奏者の岡田和子さんらしい。この《書簡集》には、他にも日本人のファンに対するグールドの返信がいくつか掲載されていて、グールドはファンレターに返信していたらしい。また、こういうシーンに日本人が出てくると、ぐっと身近に感じられる。

その《HEREAFTER(時の向こうへ/来世)》から、いくつかエピソードを紹介したい。

この美しい女性は、1982年のゴルトベルク変奏曲の再録音を聴いてグールドのファンになり、カナダの街角で、グールド作曲の弦楽四重奏曲のテーマの4音をモチーフにしたデザインを入れ墨に彫った。彼女の語りが素晴らしい。

「私はグールドについて全く何も知りませんでした。彼が1982年に録音した音楽を聴いてその魅力に夢中になりました。私は、以前から闇に包まれたような音楽に惹かれていました。瞑想にふけるような1982年の録音は、まさに最高の録音だったということもあるし、それからいくつかのカノンは極端にゆっくりしていて本当に驚くべき美しさをもっています。特に、その緩慢なリズムはグールドの生涯では遅い時期に生まれています。 同時に彼のハミングが聞こえてくる。私の先生は、ある人たちにはうるさく聞こえるかもしれないこのハミングを、ピアノを演奏する人間が感じられて力強い、と言っていました。」

「この四重奏曲は私の中に大きな跡を残しました。トロントまでグレン・グールドが生きた場所の巡礼に行ったとき、偶然街角の店の前で小さなプレートを見かけたのです。その時私は、『この4つの音はすごい力を持っている!』と思いました。このモチーフは伝記に載っていたものです。私はレコード屋で働いていたボブという男性にこのモチーフをコピーしてほしい、と頼みました。彼ははじめTシャツ用だと思ったみたいです。翌日Tシャツをめくって「さあ、始めて!」と私が言ったら、ボブははじめショックを受けていましたが、その後は、彼の悪魔的な部分が目覚めたのか、なかなかクールじゃないか、と思ったみたいです。ふつう入れ墨されるのは、ヘビーメタルのグループ名ですが、これはクラシック音楽の演奏家のためでしたから。」 

背中に彫られた入れ墨・グールドが作曲した弦楽四重奏曲の冒頭の4音

下の女性は、病気で生きる望みを失っていたのだが、グールドを知り、生きる希望を取り戻した。彼女は、知人たちにグールドを知らせる活動を始め、この活動を「グールドする」と命名した。知らされた人は、グールドの演奏と写真を知人に伝えなければならないと言う。親父も、おそらくその使命を帯びた一人のような気がする。皆さんも是非、「グールドして」くださいね! (^^);;

この映画の最後にドイツ人の音楽学者、作曲家で作家のミヒャエル・シュテゲマン(Michael Stegemann)が登場する。この人は、グールドの映像をどんな風に加工しているのか、ウィットが効いていて、あたかも対話するような動画を作っている人物である。この人が作った3枚組のSACD/CDハイブリッドの《Glenn Gould Trilogy》という作品が別にあるのだが、これも面白い。すべて英語なので、親父の耳には荷が重いのだが、グールドの生涯が伝記風に、グールドの音楽に乗せてグールド自身と関係者の声で語られる。SACD/CDハイブリッドなので音質も良く、とても良いです。

おしまい

投稿者: brasileiro365

 ジジイ(時事)ネタも取り上げています。ここ数年、YOUTUBEをよく見るようになって、世の中の見方がすっかり変わってしまいました。   好きな音楽:完全にカナダ人クラシック・ピアニスト、グレン・グールドのおたくです。他はあまり聴かないのですが、クラシック全般とジャズ、ブラジル音楽を聴きます。  2002年から4年間ブラジルに住み、2013年から2年間パプア・ニューギニアに住んでいました。これがブログ名の由来です。  アイコンの写真は、パプア・ニューギニアにいた時、ゴロカという県都で行われた部族の踊りを意味する≪シンシン(Sing Sing)≫のショーで、マッドマン(Mad Man)のお面を被っているところです。  

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