パプアニューギニア グルポカ山 村人の儀式

(2021/2/28一部リライトしました。)

ご覧いただいているこのブログは、WordPressというのだが、無料のものを利用している。このため、広告が表示されるし動画を埋め込む機能がない。有料も辛いし、パプアニューギニアで撮ったおもしろい動画をアップできないなあ、と思っていたのだが、YOUTUBEにアップして貼り付ければOKということにようやく気が付いた。

そのため、パプアニューギニア最大のシンシンショーであるゴロカショーの様子と、前日(2013/9/14)に行ったグルポカ山ハイキングの様子をお伝えしたいと思う。ハイキングと書いているが、そんじょそこらの普通のハイキングとは似ても似つかない。

まず、グルポカ山ハイキングから。このハイキングツアーは、PNGジャパンという旅行会社を通じて手配した。

ポートモレスビーの支配人は日本人のKさんで、青年海外協力隊員(青年ボランティア)として派遣された時に、こちらの奥さんと知り合い結婚された方である。主と同じ大阪出身と伺っているが、「大阪とポートモレスビーしか住んだことがないんですよ」と笑っておられた。このような旅行社が現地にあるということは、駐在員とって非常に心強い。日本の放送局がパプアニューギニアで番組を作るようなときにも、力を貸されていることが多い。「人生至る処青山あり」を地で行っておられる。

ところで、パプアニューギニアでは一夫多妻があるために、「何番目の奥さんですか?」という挨拶があるとおっしゃっていた。しかし、パプアニューギニアでは大きく、海岸部と山間部で、部族や文化が分かれており、一般的に一夫多妻は、山間部の部族に見られる文化だ。このためKさんは、「うちの奥さんは海辺の出身なので独りです」と答えると – 複雑な笑いを含みつつ – 教えてくださった。

では、インパクトのある踊りの方から始めたい。下の写真の踊りを、生で見ることができるのだ。この人体ペインティングなかな凄くないですか?

グルポカ山

待望の動画をYOUTUBEにアップしたので見ていただけるだろうか?——- 結局いつの間にやら動画が消えているようなので、PNGジャパンさんがアップしている動画を貼り付けさせてもらった。踊りの方は1分過ぎくらいから出てくる。街の様子も撮られており美しい。

さて、ハイライトを見ていただいた後に、この旅行を順序だって説明したい。

スタートは、ポートモレスビーからゴロカ空港に到着したところからである。ゴロカは東ハイランド州の州都であり、飛行時間は1時間ちょっとだ。パプアニューギニアには4509メートルの万年雪を抱く山ウィルヘルム山があり、ゴロカはその山にも近く、標高1500メートルだ。朝晩は、毛布なしでは寝られない。2011年の人口だが、2万人強と少なく、飛行場には何とターミナルがない!出発地から飛行してきた荷物は、地べたに置かれる。うしろの飛行機は30人乗りくらいだったと思う。(写真は、主だが、タモリさんの顔を使わしていただきました。平にご容赦を! 面倒くさい時代になったものですね。こうして隠しても、テクニックのある人なら、主の顔を暴けるんだろうね)

さて、村に到着した時には、子供たちが集まってきてくれた。パプアニューギニアの子供たちはいつも本当に屈託のない表情でカメラに向かってくれ、こちらの心も和む。後ろの男は、村人の青年だが、先ほどの動画の方が、1時間程度時間が後なので、踊りのメンバーに入っていたかも知れない。下は、彼らの家だ。

家

村に着いたときに右の彼が、迎えに現れた時は本当にびっくりした(上)。彼が、お爺さんの代に実際に使われていた、敵(近隣の部族)を待ち伏せて殺した洞窟などを案内してくれた(下)。

洞窟

これがグルポカ山山頂の写真。写っているのは一方向だけだが、360度、遮るものがない。右が飛行場に迎えに来てくれたIVAN(アイヴァン)さん。将来は自分で、旅行会社をやりたいと言っていた。

こちらが最後の集合写真。右のタモリさんが、会社の同僚だ。こちらは、若者だ。現地の村人たちも、子供同様屈託がなく、サービス精神に横溢している。

電気も水道もない村なので、外国人が珍しいというのはあるかも知れない。だが、写真を見て、金属が写っていないと気付いた人もいるだろう。実際、彼らが文明に接したのは最近で、それ以前は石器時代の暮らしをしており、海からとってきた貝が宝石になったり貨幣に使われていたのだ。

おしまい(次にゴロカショー再びやりたいと思います。)

米国人観光客が集団レイプ被害、パプアニューギニア

次の記事は、AFPというニュース局(2016/1/15)からの切り抜きだ。

AFPのリンク

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【AFP=時事】第2次世界大戦(World War II)の戦場となったパプアニューギニアの「ココダ・トラック(Kokoda Track)」を英国人の恋人と一緒にハイキングをしていた米国人女性が、集団に性的暴行を受け、指を3本切り落とされた。地元メディアが13日、報じた。BBoc4Lw

「パプアニューギニアの「ココダ・トラック」の記念碑を除幕したオーストラリアのジョン・ハワード首相(当時、左)とパプアニューギニアのマイケル・ソマレ首相(当時、2002年8月14日撮影)。(c)AFP=時事/AFPBB News」

 パプアニューギニアの警察当局によると、被害男女はともに31歳で、11日にパプアニューギニアのジャングルを通るココダ・トラックをハイキング中に襲われ、携帯電話や靴、かばん、現金1万5000キナ(約59万円)を盗まれた。

 地元警察幹部は同国日刊紙ナショナル(National)に「男性は木に縛り付けられ、女性は繰り返しレイプされた後に指を3本切り落とされた。1時間後にようやく2人は解放された」と述べた。事件にはブッシュナイフとやりで武装した容疑者少なくとも2人が関与しており、そのうちの1人は村の住民に捕らえられているという。

 オーストラリア外務省は事件があったことを確認し、被害男女が事件当時、正式な免許を持ったツアーガイドなしにハイキングをしていたと付け加えた。

【翻訳編集】AFPBB News

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この「ココダ・トラック(Kokoda Track)」の入り口には、主もポートモレスビーから車で3時間ほどかけて行ったことがある。このココダ・トラックというのは、ポートモレスビーとスタンレー山脈を北側に越えたココダまでの道のりを言う。下が、Ower’s Conerというポートモレスビー側にある出発地点を撮った写真だ。

KOKODA Trail

ところで、このオワーズ・コーナーは、第二次世界大戦で日本軍に勝利したオーストラリア軍の戦勝記念碑があるところなのだが、日本軍は、後方支援のない中、人力で大砲を運びながら陸路を山越えをするという無謀な作戦で、食糧補給もなく体力が消耗し、自決を選んだ隊員も大勢いたらしい。日本軍は、このココダ・トラックの山越えだけでなく、映画「永遠のゼロ」で描かれたゼロ戦のラバウル航空隊基地をはじめ、パプアニューギニアの各地で軍を展開していた。太平洋戦争末期の日本軍は戦況が悪化し、救助もない状況で出口のない戦いを続けたため、遺骨が今も広い地域に残されている。

下の写真は、シンシン(sing sing)という踊りのショーのものだ。このシンシンは、オーストラリア人がハイランドで金鉱の採掘をするため、現地人を労働力として使ったのだが、部族同士の喧嘩が絶えず、争いを減少させる方策として、お互いの部族のシンシンを披露させたのがはじまりと言われている。

パプア・ニューギニアには、800部族が暮らしていると言われ(800言語ある)、特に山岳地帯のハイランドにおいては、文明と接してわずか数十年しか経っていない。このため、普段はTシャツなどの衣服を身に着けているのだが、お祭りの時にはこのような格好をする。だが、服を着るようになったのは最近のことであり、すぐ底流には昔のカルチャーが残っているはずだ。

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部族ごとに伝統的で原始的な衣装がある。彼らは真剣だ。

レイプ事件に戻ると、首都のポートモレスビーをはじめとした州都では、電気も使えるし、携帯電話も使え、スーパーもあるし、文明が浸透していると言って間違いない。だが、伝統的に土地を部族の共有とする文化があるために、国土全体に道路網が未発達で、地方、特に山の中に入った部落では、日常生活の中に、この写真のようなカルチャーが今も残っていると思う。このため、ポートモレスビーから車で3時間離れた山の中で、村の男にアメリカ女性が木に括り付けられ、レイプの挙句に指を3本切られたという野蛮な事件があったと聞いても、それほど大きな驚きとはならない。旅行するのに、注意が足りんかったんやろなあ、という感じだ。

おしまい

「世界でいちばん石器時代に近い国パプアニューギニア」山口由美

「世界でいちばん石器時代に近い国パプアニューギニア」(幻冬舎新書 山口由美)を読む。発行されたのは2014年11月だから、最近だ。

主がパプアニューギニアから日本へ帰国して間もないこともあってか、この国について聞かれることがときどきある。主がこの国を様子を説明したあと、「数十年前まで高地ハイランド)は石器時代だったんです!」と加えるのだが、いまいち聞き手との間に温度差があるようで、こちらが思うようには驚いてくれない。こう言えば良かったのだ、「世界でいちばん石器時代に近い国パプアニューギニア」。さすが売れ筋どころを揃えている幻冬舎、キャッチーな書名が核心を衝いている。

主は2年間パプアに住んだのだが、この本には主が知らなかったことが多く書かれ、手際よくまとめられている。山口さんは海外旅行とホテルの業界誌のフリーランス記者だったとのことで、学術的ではないものの、この国のことについて、有吉佐和子、人類の進化の過程を研究した進化生物学者のジャレド・ダイアモンド、国民的嗜好品のブアイ、いまも残る黒魔術、水木しげる、日本軍や天然資源のLNGなどなど、幅広く情報が満載されている。もし、パプアニューギニアがどんなところか興味をお持ちであれば、この本はかなりお勧めだ。

この本の中に「First Contact」という映画のことが出てくる。1930年代にオーストラリア人が金の採掘を目的にパプアニューギニアの高地(ハイランド)へ行く。こうして、石器時代の暮らしをしていたハイランダーと西洋人(近代文明)が初めて遭遇する。まるで宇宙人に会ったような言葉だが、現地の人たちにとって白人との遭遇は、まさしく宇宙人とのそれだったに違いない。

白黒フィルムで実写されているさまは、われながらボキャブラリーが乏しいなと思うが、「凄い!」の一言しかでてこない。葉っぱや草を身にまとい、鳥の羽を頭の毛に刺したハイランダーのところに、白人が現れる。ハイランダーたちは白人のことを、先祖が現れたと驚愕する。先祖が白い姿になって蘇えるという言い伝えがあったのだ。白人が空から来たのか、土の中から出てきたのか、水の中から出てきたのか、全くわからず混乱する。

ハイランダーのリーダーが白人に近づいていくと、襲われると思った白人はリーダーに発砲する。ハイランダーたちは、白人の強さを思い知る。

白人のライフル銃が、豚を一撃に殺すさまを見て泣き喚き、走り出す。蓄音機を死者の魂を閉じ込めた箱だと思い、その声(音楽)におののく。恐怖感が素直に表情に出ている。缶詰のキャンベルのフタを見て、初めて金属を目にし、貴重品だと直感したハイランダーは奪うように額の飾りにする。女性は白人たちが近づいてくると、食われるかと恐怖を抱いていたが、関係をもって「なんだ、男だ」と納得する。

YOUTUBEで、このファーストコンタクトを見ることが出来る。映画は英語だが、ハイランダーの喋る言葉は、英語の字幕が出るので分かりやすいと思う。

https://vimeo.com/51548963

次の写真は、マッドマン。毎年9月に行われる、全国各地のシンシン(踊り)が一同に見られるハイランドのゴロカショーの一枚だ。お面をずらし、顔を見せてくれた。全身に泥を塗りたくり、弓を手に持っている。主もマスクをかぶらせてもらったが、結構な重さがある。

MADMAN (2)

 

日本へ  “unexpected”(思いがけない)な国からの帰国!

パプア・ニューギニアを形容する言葉の一つに”unexpected”(思いがけない)がある。とにかくとんでもないことが起こり、最後まで安心できないのだ。

日本へ帰国する直前に3泊するつもりでホテルへ移動してきた。ともあれ、明日のフライトで日本へ帰る。仕事はとうとう終わった!!

移動してきたホテルは、ポートモレスビーの中でも三本の指に入る高級ホテルで、1泊が2万5千円程する。(家賃も異常に高い)ところが、ホテルの造りもがっかりだが、冷房が故障している。全館で冷房が止まっており、食堂では窓を開けて大型の扇風機をブンブン回していた。最初の日の夜は、まだ比較的冷気が出ており、食堂での飲食を4000円まで無料にするという案内がドアの下に入っていた。2日目、3日目の夜は宿泊料を無料にするという案内が入っていた。3日目の今日は、会社に電話があり、引き続きとどまるか他のホテルへ移るかという問い合わせがあった。他へ移るかといわれても、こちらは自動車を売り払い足もなく、荷造りを再度することも大変なので引き続きとどまることにした。

明日支払いをするのだが、割引額はいったいいくらなのだろう?1泊分の料金だけで済むのだろうか。

ホテルでは、NHKはもちろん映らない。見れるのはCNNなどの放送。あと、マンションから持ってきたパソコンと接続するスピーカーだけだ。このスピーカーはホテルを出るときに身軽にするため捨てるつもりでいる。マンションではケーブルテレビとインターネットを今週の月曜日に解約し、火曜日まで音楽を聴くことだけしかできなかったのだが、いかにテレビとインターネット中毒になっているかを痛感した。きっと、刑務所につながれると頭の中が空白になってしまうだろう。

ところで、主が泊まっているこのホテル、冷蔵庫に入れたペットボトルの水が氷るのだ。二晩目あたりまでは、半分くらいの氷り方だったが、今晩は完全に凍ってしまい肝心の水が飲めない。

今日、自動車を手放し、最後の勤務を終え、4時30分に会社の運転手にホテルまで送ってもらった。

時間がたっぷりあるので、小銭入れに現金を移し、その他の貴重品は部屋に置いて、隣にあるさらに高級なホテルで背中のマッサージを30分間受けた。次に、徒歩で行けるインド料理屋で食事をした。この時点でようやく夜7時前になる。ホテルのキャッシュディスペンサーで現金を補充し、キャッシュカードは再び部屋に置いて、隣のホテルで再びマッサージ、今度はフットマッサージを30分間してもらった。この国の娯楽らしい娯楽はマッサージしかないのだが、内容はお金をドブに捨てるに等しいほど虚しい。マッサージ師はツボを全く理解しておらず、痛くない程度に撫でまわすだけだ。

それでも、受付にいたちょっとイケメン風のインドネシア人青年に「社長さん!」と日本語で冷やかされたりする。フットマッサージがはじまりしばらくすると、主の隣で太ったPNG人女性がこのインドネシア人青年にフットマッサージしてもらっていた。この青年もマッサージ師だった。若いインドネシア人青年が太ったおばさんのPNG人女性の足をマッサージしているのは違和感があったが、これは明らかに人種的偏見だろう。

8時前、隣のホテルから自分のホテルへと戻る、わずか100メートルほどの道を夜歩くのが、気が進まないなあと思っていた。だが、ちょうど出口のところに複数の警備員がおり、「一緒に歩いてくれ」と言ったら、当然の如くにたちどころに了解して、隣のホテルまでエスコートしてくれた。

まもなく帰国 日本は遠い!

3月28日のフライトで日本へ帰国する。辞令はすでに出ている。今日は3月25日で、残すところ3日間だ。 しかし、この3月という時期は、経理担当者にとって何もなくても決算があるため繁忙だ。それにくわえて引継ぎと引っ越しを同時にしなければならない。やってきた後任者は、公募で選ばれた50歳の独身女性。パプアは治安が悪いので、どこへ行くにも自動車を運転する必要がある。こちらに来て最初のうちは、地理に不案内で、交通事情にも慣れていないので、生活の面倒も見る必要がある。

引継ぎを始めてみると、あれもこれもけっこう詰問調で、先日受けていた会計検査がいまだに続いているような感じがする。また、後任者は今後のことを考えて、主をまるでクリンチする感じがしないでもない。

自宅の方もそのまま後任者に引き継ぐ予定だったが、話が急展開し、不動産屋に依頼して専門業者が清掃をしたあと引き継ぐことになり、今日ホテルに移動してきた。この清掃費用やホテル代は自腹を切らなければならない。家財道具もそのまま引き継ぐつもりだったが、二日かけて清掃をすることになったために部屋をまったく空にしなければならなくなった。

この部屋を専門業者に清掃させようと後任者に吹き込んだのは、別の50代半ばの女性だ。夫は外国人で外国で暮らし、成人した子供は日本で暮らし、単身赴任をしている。部屋を掃除するということにくわえ、携帯電話を早く引き継げと注文が多い。

わしは引っ越しでややこしいので、引越しが済むまで待てっちゅうねん!

どうも、オバタリアンの扱いは難しい。とほほ。

日本へ パプア・ニューギニアから帰国!

この3月に日本へ帰国する。パプア・ニューギニアには都合2年弱住んでいた。

主は、10年前にブラジルで暮らしていた。ブラジルと違ってパプアは、生活状況が良くない。生活状況が良くない国の生活は、日本人同士の付き合いが全ての面で近くなり、べったりとなる。もう少し詳しく説明すると、ブラジルのような生活に不自由のない国では、日本人同士がべったり付き合わなくとも、単独行動で好きなところへ出歩ける。こういう国では、日本人同士の関係が希薄でも十分に生活できる。ところが、パプアでは治安状況が悪いために単独で街を動き回るということはできない。また、動き回わって楽しいところがないという事情もある。そうした背景から、日本人同士が群れる。群れて、酒を飲んだり、食事をしたり、一緒に運動したり、生活が日本人同士でべったりとなったほうが、さしあたり、充実した生活を送ることが出来る。

ところが主は最後の約半年、周囲の日本人と没交渉になり、私生活ではほとんど独りで暮らしていた。同僚の多数は遅くまで残業しているのだが、主は勤務時間終了とともにさっさと帰ったし、食事を一緒にするということもなくなった。一緒に運動することもほとんどなくなった。

もちろん、周囲の日本人と別段なりたくて没交渉になったわけではない。だが、周囲の同僚とのジェネレーションギャップや、主が基本的に下戸なため長い時間酒席に付き合えないということで、どこかで歯車が狂ってしまい、なかなかもとには戻らなかった。大人の付き合いは、子供のように簡単に仲直りをするという方向に向かわないようだ。一度歯車が狂ってしまうと、疎遠な状態がそのまま続いてしまった。

この一番大きな理由は、「億劫さ」にあるように思える。関係修復するためにエネルギーを出すのが面倒くさい。主はそうだったし、相手もそうだろうと思う。無理してまで、関係修復するエネルギーを出そうとしないのだ。その小さなエネルギーを出しさえすれば「来る者拒まず、去る者追わず」、相互の関係は修復されるのだろうが。

 

何かわかった気がするパプアニューギニア人 Part3

主がよく行く日本人経営で唯一の日本食レストランでは、結構な数のウエイトレス(メリー)が雇われている。日本の店ではありえないことだが、彼女たちはしょっちゅう行く主(に限らず誰でも)に非常に愛想がいい。お互いなかなか通じない英語で会話するのだが、「独身?」「彼はいるの?」「家族は?」といったストレートな質問をしても屈託なく正直に答えてくれる。これと同じことを日本のファミレスの若い女性にしたら間違いなくヒンシュクを買うだろう。若い女性に限らず、60歳の親爺がこのような質問はなかなかできない。

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独立記念日にシンシンの格好をしたメリー

小さな子供たちと目が合った時にこちらから手を振ると、どんな場所でも、実に嬉しそうに手を振り返してくれる。大人でもそうだ。下は道路端で野菜を売っていたおじさん。服装も若いが子供のような屈託のないポーズ。

おじさん

どうもここの人たちはピュア、純真なんだと思う。すれていない、裏表がないという表現もできそうだ。そして、結構誇り高い。下はマンションの入り口の警備員だ。住人が出はいりする際には必ず挨拶をお互いする。現実にはしょっちゅう泥棒が現れる訳ではないので手動で扉を開け閉めするだけだが、彼らは仕事に強い誇りを持っている。

警備員

おしまい

 

何かわかった気がするパプアニューギニア人 Part2

パプアニューギニア(以下PNG)には今なお800以上の部族がおり、それぞれの言語を持っている。PNGでは、一般にピジン語が話されていると思われがちだが、ピジン語は欧米との接触後に作られ、大洋州で広く使われる言語である。ゆえに、各村では今でも800に分かれた昔からの言語がある。例えば、ポートモレスビーでは「モツ語」がここの言葉だ。モツ語はポートモレスビーだけで話される。ポートモレスビーでは、モツ語とピジン語によるラジオ放送局の2種類がある。現地の言葉とピジン語の違いだが、現地スタッフの村では2進法で数を数えており、10進法のピジン語とはまったく違う。ピジン語は言ってみれば第1外国語であり、英語は第2外国語なのだ。

現地スタッフに家族(family)の概念とワントクについての違いを聞いてみた。まず家族。家族には3種類あり、第1(nuclear)は日本で言う家族である配偶者、子供。第2(joint)は田舎に住む親、兄弟が入る。第3(extend)は日本で言う親類の概念であり、配偶者の親、兄弟やその子供たちを含む。一般に高地族は一夫多妻なので、母親は複数あることも多い。彼の場合、第3までのカテゴリーの家族は30人ほどになるそうだ。このカテゴリーまでの家族は、養育が困難になった場合などは面倒を見て、面倒を見てもらった方は豚などで対価を払ったりしてギブアンドテイクの関係になる。一方、ワントクはone talkのことなので、本来は同じ言葉を話す同郷の人を指す。だが、ワントクと言っても、ワントクが故郷以外で出会う場合は、拡大解釈される。例えば、首都ポートモレスビーで暮らすオンボさんにとっては、出身の村だけではなく、出身の村が属する州の出身者がワントクに含まれる。もし、海外でPNG人に出会うと、PNG人全部がワントクとなる。ワントクの場合は、仲間であるが困窮したからと言って生活の面倒までをみるかといえば、そういうことはない。

当たり前といってしまえば当たり前なのだが、ワントクだからといって生活の面倒を見る訳ではない。生活の面倒を見るのは家族までなのだ。家族の概念が今の日本より広く、家族の概念は日本の親戚までが範囲だ。こういう言い方もできるだろう。昔の日本もそうだったのだ、家族の概念は広かった。戦前までは、困窮したものがあれば親類縁者で支えあっていたはずだ。日本における家族の概念が、近年小さくなったのではないか。

こちらでは、「養子」にしたり、親戚の子供を育てているということがしょっちゅうあるようだ。それとて、無料奉仕でしている訳でなく、ギブアンドテイクで子供を預けている方の親は義理を感じているようだ。日本もかつてはそうだったのだと思う。

つづく

何かわかった気がするパプアニューギニア人 Part1

主はすでに60歳になっている。このため来年3月で定年となる。パプアニューギニアに来て1年半が経ち、少しは彼らがわかったような気がするので、書き留めてみたい。

まずは、簡単にこちらポートモレスビーの日常をさらっとおさらいをすると、次のようなる。こちらは、ラスカルという強盗(少年のグループが多いのだ)が、自動車を止めてピストルやブッシュナイフ(長い刃物)で強奪するということがまま起こる。街中では喧嘩がしょっちゅう起こっており、我々外国人は獲物として巻き込まれる可能性が高い。そのために二重に警備されたスーパーマーケットやレストランへ車をピンポイントに使って移動する。目と鼻の先の目的地に歩いていくときには、ガードマンを伴って歩く。そんなわけで、日没後やセトルメントと言われるスラムへは近づかないようにして暮らしている。

とは言っても、主が住むマンションの周りはセトルメントが混在していて、パプアニューギニアには高級住宅地で安全というエリアはない。土地の所有権は部族の共有になっており、マンションの建つ土地は借地であり、どうしても虫食い状態になるのだ。

こうした日常の不便さから、勤め先では半年に1回、安全に関する講習会をやっている。主は、この場で日本語を喋れる現地スタッフとトークを行った。

分かったようで分からないパプアニューギニア人。ワントクというシステムがあり、仲間を大切にするが、他の部族とは少し前までは殺戮しあっていた!そんなイメージを持っていた。

現地スタッフは今年50歳になるわが社で一番の高給取り。高校を卒業して日本の国際基督教大学(ICU)を卒業した日本通である。だが、それも昔の話、普段は英語とピジン語を話しているので「大分忘れた東京弁」でトークを行った。

つづく

 

ヴァリラタ国立公園

2014年9月13日ポートモレスビーから車で山道を走ること1時間(約30キロメートル)、ヴァリラタ国立公園の方へ行ってきた。標高が1000メートル近くあり、下界よりかなり涼しい。下は、国立公園から西のポートモレスビー方向へ向かって撮った写真である。雲がかかっているが、主は正面方向の遙か彼方に住んでいる。 Varirata National Park 下の写真が国立公園の入口看板。バスで来る人はバス1台50キナ(日本円で2000円)、外人は一人5キナ(200円)とある。「足跡以外は残すな。写真以外は取るな」と注意書きされている。 Varirata National Park_看板 下はオワーズコーナー(OWERS CORNER)というところから始まるココダトレイルのゲート。太平洋戦争の時、日本軍とオーストラリア軍がこのココダトレイルで戦ったのだ。日本軍は山の向こうからスタンレー山脈を陸路越でポートモレスビーの連合軍を背後から攻めようとした。このゲートはじめ、この場所はオーストラリア軍の戦勝記念碑的施設になっている。 KOKODA Trail 下の写真は、近くにあるシリヌム湖だ。ポートモレスビーの水源でもある。かなりの大きさがあった。 Sirinumu Dam放水口 下の写真は、ダム(湖)の反対側にある放水口である。 Sirinumu Dam 下の写真、だが、なぜだか枝に運動靴がひっかかっている。理由は分からないが、そういえば、靴を放り投げ高い枝にひっかかっているのをときどき見かける。こうすることで、幸運が訪れるおまじないなのだろうか。 ズック靴

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