映画「クレッシェンド 音楽の架け橋」見てきた。内容は凡庸、音楽は最高!

音楽映画は、映画館で見ると音響が良いし、音楽のハイライト集のように一番いいところばかりを流してくれる。これで、筋や物語が面白ければ言うことがない。

そんなで、〈クレッシェンド 音楽の架け橋〉という映画を見てきた。結構政治的な映画で、パレスチナとイスラエルの若者が一つのオーケストラを作り演奏するという映画である。しかも、このオーケストラの指揮をするおっちゃんスポルクはドイツ人で、両親がユダヤ人虐殺のホロコーストの片棒を担いだという設定である。

この映画は、ユダヤ人の大指揮者、ピアニストのダニエル・バレンボイムが、こうした民族融合の試みをしており、それがもとになっているということだ。

「音楽は世界をつなぐ」とか「音楽には国境がない」というような綺麗ごとが言われることがある。

しかし、音楽が共感や感動を引き起こすにしても、父や母、兄弟や姉妹が殺された、アラーの神を信じている、ユダヤ教を信じているという背景の違いや憎しみがあれば、音楽の演奏をつうじて、心をひとつにするのは難しいだろう。

以下は、公式サイトのコピペである。

世界的指揮者のスポルクは、紛争中のパレスチナとイスラエルから若者たちを集めてオーケストラを編成し、平和を祈ってコンサートを開くという企画を引き受ける。オーディションを勝ち抜き、家族の反対や軍の検問を乗り越え、音楽家になるチャンスを掴んだ20余人の若者たち。しかし、戦車やテロの攻撃にさらされ憎み合う両陣営は激しくぶつかり合ってしまう。そこでスポルクは彼らを南チロルでの21日間の合宿に連れ出す。寝食を共にし、互いの音に耳を傾け、経験を語り合い…少しずつ心の壁を溶かしていく若者たち。だがコンサートの前日、ようやく心が一つになった彼らに、想像もしなかった事件が起きる――

https://movies.shochiku.co.jp/crescendo/ ← 上のYOUTUBEと同じものです。

<ネタバレの感想>

ネタバレになってしまうが、このパレスチナ人とユダヤ人のオーケストラの合奏は、みんなの努力の甲斐あって、かなりいいところまで行く。

しかし、パレスチナ人の男のクラリネット奏者とユダヤ人の娘が、恋に落ちてしまい、悲劇が起こって男は死んでしまって、2つの民族の合奏の発表はできなくなる。 

失意の中、ユダヤ人、パレスチナ人の両者が練習先のスイスから帰国する空港の待合ターミナルで、ガラスの壁を挟んで、飛行機を待っている。彼らのひとりが何を言うでもなく、バイオリンの弓のお尻で、ラベルのボレロの特徴のあるリズムを叩き始める。コツ、コツ、コツ。何の曲かすぐに察する団員たち。

ラベルのボレロは、一定のリズムが続く中、小さな音で始まり、少しづつ「クレッシェンド」する曲だ。やがて、フォルテッシモになる終曲で、突然崩壊する。そんな曲だ。

他にも、バッハのヴァイオリン・パルティータ、ヴィヴァルディの四季の冬、パッヘルベルのカノン、ドボルザークの新世界など有名な曲がながれ、とても楽しめる。ヴィヴァルディの四季の冬は、バロック音楽とは思えない変わった解釈で、とても刺激的だった。

やっぱり、映画館の音響は素晴らしい。まるで生の音みたいだ。

おしまい

再上映「痛くない死に方」「けったいな町医者」見てきた

尼崎に長尾和宏さんという医師がおり、お昼のテレビのワイドショーに出て、コロナの対応方針について熱く語っておられた。今年(2021年)の夏ごろだったと思うが、デルタ株が蔓延しPCR検査で陽性者が多数発生したにもかかわらず、医療施設に収容しきれずに、自宅待機を余儀なくされていた時期と思う。

この長尾さんの主張は、コロナの分類を2類から5類に変更することと、治療薬として、イベルメクチンの使用を認めることの2点だった。イベルメクチンというのは、北里大学大村智さんがノーベル賞をとった薬で、アフリカや南米で広く使われ、動物用にも使われている。

ところが、この発言は日本の『感染症の専門家たち』から完璧に無視され、長尾医師は医者の世界で、完全に孤立した存在になる。

そんなで主は、長尾さんのコロナについてのYOUTUBEを見たりしていたのだが、たくさんの著作とともに、医療をテーマにした映画もあることを知った。

それが、「痛くない死に方」と「けったいな町医者」である。

始まるころには、もう少し増えた。観客の平均年齢は、80歳に近いかも(東京都写真美術館)

だれしも歳を取って高齢になると、死ぬのは仕方がないが痛い思いをしたくない、というのが一般的だろうと思う。また老いぼれて、オシメをして下の世話で、家族に迷惑を掛けたくない、というのも普通だろう。

医者たちが、庶民に手の届かなかった時代、つまり太平洋戦争より前の時代は、便所に行けないような年寄りは、食事介護され食物を口に放り込まれることもなかったはずだ。生命活動が自然に低下した年寄りは、寝たきりとなり、ぼんやりとなって意識が低下して、まもなく死んでいったはずだ。死ぬ間際には、脳内ドラッグ(ホルモン)が出て、幸福な夢を見ながら動物は死ぬ。

臨死体験の謎を解く「脳内ドラッグ」 死の直前30秒間に放出

ところが、この死ぬ間際のまどろみを破るものが出てきた。現代の医者である。医者たちは、患者が死ぬことを敗北と教えられる。患者がオシメをして、ベットで意識を失っていても、それが勝利だという教育を受けている。そして点滴で過剰な栄養を補給するため、患者は最終的に溺死する。溺死では、脳内ドラッグは出ない。

この二つの映画は、そんな話です。

おしまい

菅政権批判映画《パンケーキを毒見する》

この暑い中、《パンケーキを毒見する》を見てきた。

なかなかおもしろかった。まだ上映されているので、興味のある人は、ぜひ行かれると値打ちはあると思います。

この 《パンケーキを毒見する》 という映画のタイトルの理由を解説すると、酒を飲まない甘党の菅氏が、首相に就任した時に、パンケーキを食べてみせ、若い女性などに「元号が変わった時に、あの『令和』って書いた札を持ってきたおじさんが、パンケーキが好きなんだって!」と好評だったらしい。それを揶揄したものだ。

Twitterから

しかし、多くの人は、安倍政権、菅政権と続くこの8年間の政治にネガティブな印象を持っていると思う。

それは、安倍政権では、モリカケ、桜を見る会、消費増税、黒川東京高検検事長定年延長問題など、菅政権では、東北新社の放送利権、学術会議、コロナ対策、オリンピック開催など、どちらの総理もろくにに説明せず、菅総理に至っては、安倍政権時代にずっと官房長官だったから、ある意味、同じ穴の狢、一蓮托生である。

主は、「こいつら、日本語を壊しとる!」と思っている。具体的な説明なしに、「安心・安全」とか「しっかりやる」「総合的に判断する」とか、言ってすまそうとするからだ。

先日は、《「謝らない謝罪」が日本で蔓延している》という記事が、ニューズウィーク日本版に乗った。菅総理は、しょっちゅう謝罪しているが、これは、うわべは謝罪しているが、問題になったことを謝罪しているだけで、中身について謝っていない、逆に肯定し続けているというものだ。

<「誤解を与えたのであれば申し訳ない」とは、形を変えて加害を繰り返しているとすら言える言葉だ。ホテルから保健所、政治家、首相まで、そんな「謝らない謝罪」が多過ぎる>

https://www.newsweekjapan.jp/mochizuki/2021/07/post-8.php

実際にこの映画を見る人は、おそらく高齢の人が多いのかもしれないが、若い人に見てもらいたい。若い人は、政治が何かを学校で教わらないし、ダサいと言われるのが世間の空気なので、政治の議論などしない。それで、何にも分かっていない人が多い。

日本では、言われたことをそつなくこなす従順な人材を育てようとしているとしか思えないが、言われたことを従順にこなすより、言われずとも自分の発見を貫く人材が求められている。協調性のある団体プレーより、変人の独創性が、ブレークスルーをもたらすのが明らかだ。それには、日本の教育はフィットしていない。みんなで、強いものに忖度し、発言しない。

いまや、日本の多くの指数が、OECDで最下位であり、それどころか、世界中でも最下位な指数も多い。

ひとつだけ、この映画を見て恐ろしいと思ったことは、官房機密費である。この映画に出てくる官房機密費は、1日当たり307万円(この8年半では、100億円。つまり毎年10億円!!が使われているのだが、使途を明らかにする必要がなく、官房長官が好き勝手に使える。この映画で示唆されているのは、これを私的な権力の増大に使っている恐れである。

官房機密費は、テロなどで人質になった邦人の救出など、支出したこと自体を伏せる必要がある事態の時に使われるというのだが、そんなテロのような事件はしょっちゅう発生しないし、政権が自分の権力の増大に使っているとすれば、明らかな背任行為であり、犯罪だ。

<官房機密費、菅内閣で5億円 加藤長官「説明は控える」← 朝日デジタル>

https://www.asahi.com/articles/ASP1Y6GB0P1YUTFK017.html

おしまい

楢山節考 深沢七郎 (医者たちの身勝手さ その4)

我々は、戦前まで医療とは無縁の世界に生きていて、人間も犬猫などの動物と同じで、死ぬのにそれほど苦しまなかったのではと、かねがね主は思っている。人類が誕生してから、700万年といわれるのだが、医療にアクセスできるようになったのは、わずかこの数十年である。

昭和32年に発表された深沢七郎、42歳の処女作、短編小説「楢山節考」は、中央公論新人賞を受賞したベストセラー小説であり、映画のほうも、木下恵介と、今村昌平が監督をし、後者はカンヌ映画祭でパルムドールを受賞したというあまりにも輝かしいものだ。

ネットでの評に、この映画は「日本では昔、棄老がひろく普通に行われていたとの誤解を招く」といったものがあるが、人類の歴史は、生存のための食料の調達があってこそであり、この物語に出てくる、 棄老や嬰児殺しは、世界中で普遍的に、19世紀ころまであっただろう。だからこそ、誰でも理解できる普遍的なこととして、カンヌ映画祭で捉えられ評価されたと思う。

新潮文庫(発表は昭和32年、中央公論社)

あらすじと感想を取り混ぜて書こう。

山梨県あたりの寒村が舞台だが、時期は書かれていない。「銭屋」という家族の話が出てくるので、江戸末期か明治の初期の話と思われる。この 「銭屋」 は、村では流通しておらず、役に立たない貨幣の「天保銭」を1枚持っているので、村人から「銭屋」と呼ばれているからだ。

なお、本文に説明はないが、この「天保銭」は、8枚で1文になるという値打ちのないもので、「価値のない、役立たず」といった意味も込められているらしい。

主人公は、69歳のおりん、45歳の孝行息子の辰平だが、辰平の子供たち、辰平の後家として隣村から来る玉やん、16歳の長男の嫁の松やん、近隣の村人たちが登場し、村の様子がよくわかる。彼らが住むのは、非常に貧しく、毎年冬になると、その一家が餓死をせずに冬を越せるかどうかが問題になるほどの寒村である。彼らにとって、なにより食料にありつけるかどうかが問題である。

村の習わしとして、老人は、70歳になると口減らしに、信仰の神の山である楢山に捨てられる(「楢山まいり」する)ことになっている。

おりんは、若いときは村一番の器量良しといわれたが、亭主を20年前に亡くし、他の後家のような嫌な噂を立てられることもなく、人にとやかく言われることもなかった。楢山に捨てられるにもしっかりして、模範として捨てられようと、その目標を果たす日を前から心待ちに、準備もしていた。おりんは、次の正月をすぎたら、楢山に行こうと心に思っていたが、ひとつ気がかりなことがあった。それは、年齢に不相応な、丈夫な歯をしていることだった。

おりんは、健康でたくさん食べると人から思われる丈夫な前歯を、火打石で砕き、血を流しながら一つ懸案を片付けた、と満足する。しかし、口からの出血が止まらず、口を開くたびに、口から血を流す老婆を見た子供たちは、わーっと逃げ出し、おりんは「鬼婆(おにばばあ)」と不名誉な称号をもらう。

大人は、小さい子におりんのことを、「食いついたら放さんぞ」「食い殺されるぞ」と吹き込み、泣いている子に「おりんやんのうちにつれていくぞ」と殺し文句に利用したりする。

楢山に捨てられようかという老婆が、丈夫な歯をしていることを恥じて、おりんは歯を砕くのだが、血まみれになり、口から流血する鬼婆になり、周囲を驚かせ、「根っこの鬼婆(おにばばあ)」と陰口を叩かれる。

「『根っこ』の鬼婆(おにばばあ)」の 『根っこ』 というのは、おりんの家の前には、大きな木の切り株があり、人が腰を下ろして一休みしていた。その根っこという場所を指している。お互いの家族は、苗字ではなく、 『根っこ』 とか『銭屋』とか呼んでいた。 

おりんには、気がかりがもう一つあった。息子である辰平の嫁が、去年栗拾いに行って、谷底へ転落して死んでしまっていた。辰平には、4人の子供がおり、16歳の長男のけさ吉を筆頭に男が3人、末が3歳の娘だった。あいにく、適当な後家が見つからず、辰平は再婚できないままだった。

ところが、山一つ隔てた隣村で3日前に亭主と死別したという後家が現れ、その後家を辰平の後妻に迎えてくれという使者がやってきて、辰平は再婚することになる。当時、結婚は当事者同士の意思にかかわりなく、年恰好だけで簡単に決められていた。

おりんが孫たちに、すぐに新しいおっかあがやってきて、お前たちの家事も楽になるというと、孫のけさ吉が、意外なことに辰平が後添えをもらうことに大反対する。

ここのところ、家族の在り方がよく表れていて、非常に面白い。

けさ吉向こう村からおっ母あなん来なくてもいいぞ! 俺が、嫁を貰うから後釜なんいらんぞ。 めしのことがめんどうなら俺の嫁にさせるから黙っていろ。」

おりん「バカヤロー!飯を食うな。」 とけさ吉の顔めがけてはしを投げる。

13歳になる次男の孫「けさあんやんは池の前の松やんを貰うのだぞ」と、けさ吉と松やんが仲の良いと知っていることを皆の前で暴露する。

けさ吉バカー、黙ってろ!」

この村では食料事情が厳しいので、晩婚が奨励されており、そのような歌もでてくる。おりん、辰平は、まだ子供だと思っていた16歳のけさ吉が松やんを嫁に貰うと言い出すほど成長していたことに驚き、それを察しないで、うっかり怒ってしまったことを申し訳なく思いもする。

辰平は、後妻を貰うことに照れていたが、隣村で夫を亡くしたばかりの玉やんが、辰平の後妻としてやってくる。玉やんはよい人柄だった。

けさ吉も松やんと結婚し、家族が増え、ますます食料の確保が問題となるのだが、松やんは大飯ぐらいだった。おりんは、「これでは、松やんは、前の家族から厄介払いをされたも同じだ」と思い、「この子は、あっちの方だけが、達者だ」と思うのだが、それでとくに松やんを否定することなく、そんなものだと受け入れている。

そのころ村で、食料泥棒が発覚する。雨屋(=山に入るたびに雨が降るので雨屋と呼ばれている)の亭主が、隣の焼松(=近くに落雷で焼けた松の木がある)の家の豆のかます(=臭いにおいがする納豆のようなもの)を盗んで家人に見つかり、袋叩きにされ、村中が大騒ぎになる。食料を盗むことは、極悪人である。食料を盗むと、最も重い制裁である「楢山さまに謝る」ということをしなければならない。その制裁は、その家の食料を他の家の者たちにすっかり、奪われてしまうことである。分配にあずかる他の家の者たちが、盗人の現場に駆け付けるときにも、掟があり、必ず裸足で駆けつけないとならない。もし、草鞋を履いて駆けつけると、逆に袋叩きに合うことになっており、駆けつける者たちも死に物狂いである。雨屋の家は、「家探し」をされ、芋が縁の下からぞくぞくと出てきて、一坪ほどの山になった。雨屋の亭主は、半殺しの目にあい息も絶え絶えだが、その家族はその横で泣き喚くばかりである。

その3日後の夜遅く、雨屋の家族12人は、裏山の方向に消える。

雨屋の家族が村から消えた興奮が冷めやらぬまま、松やんのお腹が目立って大きくなり始まる。おりんのような老婆が、ネズミっこ(ひ孫)を見るのは、性欲にまみれた一家だと思われ、おりんは早い楢山参りを望む。玉やんは、「ネズミっこが生まれたら、わしが赤子を捨ててやる」と明るく、言う。こんどは、けさ吉が「コバカー、俺が捨ちゃってくらァ、わきゃァねえ」と応じ、松やんが「ああ、ふんとに、たのんだぞ」という。

12月末、いよいよ、おりんは楢山参りを決心する。それまで蓄えてきた食材や振舞酒で、村の重役たちをもてなし、重役たちは言い伝えである楢山参りの注意事項をおりんと、辰平に伝える。順番に要点が伝えられるのだが、このとき、誰も何も喋ることは許されない。重役たちが、順に発言するのみである。

次の夜、辰平は、おりんを背板に乗せ、楢山に向かって出発する。村の重役たちが言ったとおりの光景が順におこる。 最後の楢山の頂では、多くの骸が転がり、カラスが大勢舞っていた。辰平はちょうどよい窪みを見つけ、おりんを下ろす。おりんは、辰平の手を堅く握りしめるのだが、辰平の背をどーんと押した。大粒の涙を流しながらよろよろと山を下っていく辰平。

村へ戻ろうとする辰平だが、やがて、雪が降ってくる。雪は、楢山参りで、吉兆とされていたし、おりんの望みでもあった。辰平は、おりんのところへ戻り、「雪が降ってきた!」とひとこと言いたくて、村の掟にそむいて戻る。再び、戻れと手ぶりをするおりん。

ーーーーーーー

おりんは、村の掟のとおり70歳で死ぬのだが、それは名誉を保ったまま家族の犠牲になることであり、最愛の息子の手によって殺されるのであり、死ぬこと自体は恐ろしいにせよ、嬉しいことだろう。山へ捨てられ、空腹と寒さがやがて意識を遠のかせ、知らずに死んでしまうだろう。 人間が死ぬ瞬間には、β(ベータ)エンドルフィンという幸福ホルモンが放出されるという。

もちろん、今は、昔とあらゆる面で事情が違い、生きること自体はこうまで過酷ではなくなった。しかし、このような過酷な時代でも、人々は淡々と、シンプルで最低限の道徳と、自分たちの生活をしっかり守って生きていた。

いまはどうか。いろいろ知恵はつき、食料事情は改善したが、それがかならずしも生きる幸福に役立っていない。失ったことが、かなり多いのではないか。もちろん母親を背中に背負って山に捨てに行く、嬰児を河原に捨てに行くわけにいかない。

老人が、具合悪くなったら、きっと救急車を呼べ、介護施設に入れろと言われるだろう。しかし、うっかりしていると、ここに大きな落とし穴がある。

楽に静かに穏やかに死ねる、チャンスを逃しているのではないか?

現代は、年老いて、具合が悪くなってもすぐに死ぬことは減ったという言い方ができるのかもしれない。しかし、救命したが、その後、延命措置されています、というのでは意味はない。もとどおりの元気にならないで、胃ろうや人工呼吸器をつけられると、苦しいばかりで、死ぬ間際にこうした幸福ホルモンはきっと出ないに違いない。

おしまい

追記: WIKIPEDIAを読んでいたら、深沢七郎の小説・「楢山節考」とパルムドールを受賞した今村昌平監督の映画では筋が違っているようだ。

映画では、深沢七郎の他の作品も使い、次男以降は、結婚もできないとか、父親の遺言で、セックスできない次男以降とセックスさせられる娘が出てきたり、さらに過激で、こうしたシーンが上手に筋に加えられているらしい。

それで、下のポスターのコピー、「人間の大らかな『生と性』を謳う今村節 笑い・感動・愛・衝撃」ということになるのだろう。

余談だが、1983年のカンヌ映画祭でのパルムドール受賞は、今村昌平監督・「楢山節考」ではなく、大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」が大本命だろうと言われていた。ところが、この圧倒的な大方の予想を覆して「楢山節考」が受賞したのだった。

「戦場のメリークリスマス」4K修復版を大規模劇場公開から

映画「子どもたちをよろしく」

少年役の二人の俳優がとてもいい顔をしている。貧困や複雑な家族問題があり、そうした大人たちの影響から逃れられない感受性の強い主人公たちの苦悩が切なく描かれる。

 

この映画、元文科省の事務次官をされていた寺脇研さん、前川喜平さんのお二人が企画をされた映画らしく、メジャーな映画館で上映される作品と違い、マイナーな映画館を巡っている。筋が予定調和でも、安易なハッピーエンドでもないが、その分ズシンと来る、いろいろ考えてしまう映画だ。ほぼ無名の俳優たちの演技に惹き込まれる。

上映後、舞台に寺脇研氏、隅田監督、主演男優が登場し、観客を交えたトークもあり楽しめた。また、スクリーンを出たところにこの3人が揃っておられ、主役の男優に「いい顔しています。頑張ってください。」と声をかけたかったのだが、照れくさく、そうできなかったのが心残りだった。

P.S. ところで、主は最近ツイッターを始めた。そして前川喜平氏のフォロワーなのだが、前川氏のツイートには、クソリプ(糞リプライ)が大量に付いている。

前川氏は、文科省の事務次官だった時に、加計問題で官邸(菅官房長官)に協力せず反発し、官邸によって読売新聞に「出会いバー通い」をリークされ、悪者に仕立て上げられ、その後天下りあっせん問題で辞任させられるのだが、その時も「次官の椅子にしがみついている。」という脚色された報道が世間に溢れた。

そのような経緯なのだが、何年もたった現在でも、前川さんが何かをツイートするたび、「出会いバー買春」「高額退職金」「教育者の資格なし」というリプライが溢れている。

こういうリプライを見ると、妙な正義感を振りかざし、弱きを叩き、強きに巻かれる人ばっかりだなと思うのだが、いつまでも叩かれる前川氏が気の毒になってくる。SNSで非難されつづけ、自殺した女子プロレスラーの事件があったばかりだが、顛末の詳細も知らずに、人を非難するというのは、エネルギーの矛先を明らかに間違えている。

おしまい

 

強烈!!! アカデミー賞受賞 「パラサイト 半地下の家族」

下は、カンヌ映画祭最優秀賞(パルムドール)とアカデミー賞の両方を受賞した韓国映画「パラサイト 半地下の家族」の公式ホームページの写真と、引用である。


(公式ホームページの抜粋)全員失業中の一家が目指す高台の豪邸。そこは最高の就職(パラサイト)先-!?

  • 全員失業中。日の光も、電波も弱い“半地下住宅”で暮らす貧しいキム一家。大学受験に失敗し続けている長男ギウは、ある理由からエリート大学生の友達に家庭教師の仕事を紹介される。身分を偽り訪れた先は、IT企業を経営するパク社長一家が暮らす“高台の大豪邸”。思いもよらぬ高給の“就職先”を見つけたギウは、続けて美術家庭教師として妹ギジョンを紹介する。徐々に“パラサイト”していくキム一家。しかし、彼らが辿り着く先には、誰にも想像し得ない衝撃の光景が待ち構えていた―。ツイストを効かせながら猛烈に加速していく100%予測不能な展開。喜怒哀楽、全ての感情が揺さぶられる、唯一無二の最高傑作が誕生した!

映画『パラサイト 半地下の家族』オフィシャルサイト ← 面白いです!

日本の映画がアカデミー賞に毎年のようにノミネートされながら、最高賞が取れない中、韓国映画が最高賞を含めた4部門を受賞した。そのニュースを見て、ミーハーな主はすぐに映画館へ向かった。平日だったが、普段1割くらいしか入っていない観客席が、6~7割埋まっており驚かされた。

同じテーマの映画に、カンヌ映画祭でパルムドールを受賞した日本の是枝裕和監督の「万引き家族」があるが、こちらは比較すると大人しい印象を受ける。「パラサイト」は、烈しい。テーマが「格差」のみにフォーカスされている。退屈を感じ始める3分の1を過ぎたあたりから、何回もどんでん返しが用意されていて、退屈させず、悲惨になりすぎず、かつユーモアがあって、説得力がある。ただし、安っぽいヒューマニズムやセンチメントはなく、ストレートに「格差」だけが身に沁みる。日本ではすっかり希薄になってしまった家族関係が、韓国はまだ大事にされていると感じられ、羨ましく感じられもする。

とてもインパクトのある映画で、おススメです。

おしまい

 

 

 

ゴーン事件・日本の司法取引制度 映画「ウルフ・オブ・ウォールストリート」から

ゴーン逃亡事件は、日産経営陣が社長陣の犯罪を司法取引制度を使って、検察に不正を訴え出たことが発端だ。つまり、西川前社長たちのグループが、日本で認められている「捜査公判協力型」の司法取引を使い、自分たちの罪を軽くしてもらうことと引き換えに、ゴーン社長陣の犯罪の証拠を提供したはずだ。

ところが、この司法取引制度を弁護士事務所のブログは次のように評している。

一方で、ドラマなどによく出てくる「自己負罪型」といわれる、被告の知っている情報を捜査当局に提供することで自分の罪を軽くしてもらう司法取引は、日本の制度では、認められていない。つまり、ゴーンさんの立場からは、西川陣営の不正を知っていたとしても、それで刑を軽くしてもらう手段がない。訴えた西川陣営だけが、刑罰の減免を受けられる。(現に、不正な報酬を手にした西川前社長は、その件について起訴されない)

このような背景があるのだが、ホリエモン(堀江貴文)が日本とアメリカの司法制度の違いを理解するのにスコセッシ監督、ディカプリオ主演の「ウルフ・オブ・ウォールストリート」が分かりやすいと、YOUTUBEで勧めていた。

この映画、ウォールストリートでのし上がってきた新興の株式ブローカーを描いており、ディカプリオが主演で、めちゃ面白い。女性まみれ、ドラッグまみれで破天荒なのだが、達者なセールストークで顧客から金を巻き上げ、どんどん成功のステップを登っていく。しかし、最後はお定まりの逮捕劇。被害を捜査していたFBIが、司法取引を使って、部下たちから社長の犯罪の証拠を得る。様々な罪状を足し算するとディカプリオは懲役20年以上になる。一計を案じる主人公のディカプリオ。結局、罪人を一網打尽にし、被害者へお金を戻したいと考えるFBIの勧めに従って、ディカプリオも自分の持っている犯罪の証拠をFBIに提供することを決心する。ただし、本当に仲の良かった一人については、証拠をFBIに渡さなかった。結局、彼も司法取引の恩恵を受け、3年の懲役刑になる。その3年は、仲の良かった仲間を守った代償だった。

というのが、あらすじだ。ゴーン事件と対照すると、日本にもアメリカと同様の「自己負罪型」の司法取引制度があるなら、ゴーンが知っている証拠を検察に提供することで、彼の罪が軽くなる可能性があるはずだと言うことだ。

ホリエモンは、この司法取引に関する制度改正の契機となった、えん罪で刑務所に入った村木厚子さんの郵便不正事件について、「村木さん事件を考えれば、顔を見たこともない係長が、村木さんを主犯にすることで、自分の刑を軽くしようと試みることが想定され、えん罪を生むのではないか」という反対意見を国会の参考人として述べている。しかし結局、原案どおり法律が成立した背景がある。

ちなみに村木さんは、えん罪事件の検察の取り調べの過酷さを「全くの素人である私が、レフェリーもセコンドもいないリングで、取調官と二人きりで闘わせられるようだった」という興味深い表現でされている。

おしまい

 

 

《カランジル》ブラジルの刑務所 月1の面会日、セックス部屋がある!

(2022/9/18 一部リンクが切れていましたので、リンクを削除しました。)

ゴーンさん逃亡事件で、日本の拘置所の処遇が、人権にもとるという指摘を声高にした。そういえばブラジル映画で見た刑務所には、面会日があって、奥さんや恋人とセックスができる部屋がある。ブラジルの刑務所は、定員の倍以上詰め込まれ最悪だが、日本とは根本的に違う。ひさびさのブラジルネタです。

映画「カランジル」のカバー

ブラジルの刑務所には面会日があり、家族や子供、友人がぞろぞろ刑務所の囚人と会う日がもうけられている。その日には、何と奥さんや愛人とセックスする部屋まで用意されている!!

ブラジルの刑務所は、収容定員の倍以上の囚人が詰め込まれていて、最低だ囚人同士の暴力やレイプも茶飯事だ。一方で、なにより、刑務所の中で何でも買える。お金で寝床を買えるのみならず、テレビや携帯電話、趣味の道具、何でも揃う。とりわけ、ドラッグが蔓延しており、刑務所で薬物中毒になって売人になる者がいる。そんな刑務所なのだが、刑務所の中でサッカー大会があったり、人気歌手が慰問に来て、壇上からコンドームをばらまいたりするし、ゲイの囚人同士が結婚式をあげたり、それなりに自由に過ごしているといえなくもない。

「映画感想 * FRAGILE」から

「映画感想 * FRAGILE」から 右が主人公のドクター、エイズの専門医だ

そうした刑務所を舞台にした映画《カランジル》がある。カランジル刑務所は実在し、1992 年にはサンパウロのこのカランジル刑務所内で暴動が発生し、鎮圧のため刑務所内に警察が突入した。クライマックスが、囚人 111 名が死亡した事件であり、それまでの人間ドラマが描かれている。

映画のDVDのカバー写真は、暴動を起こした囚人を真っ裸にして、運動場に集め、座らせている場面である。暴動の鎮圧に警官たちは、気違いのように銃や機関銃を乱射する。その囚人たちを無差別に虐殺する様は、普通の人間(警官)が、恐怖とともに圧倒的な権力を握ると、何を始めるのか思い知らされる。(このときの警察の行動に関した裁判が、2016年末まで行われ、警察の無罪が確定している。)ブラジル映画、なかなかいいす。切ないっす。

下は、何か所かネットで見つけた、関連情報です。

① 刑務所で確かめ合う愛=女囚との特別面会は少数

こちらは、ブログ「おもしろランキングの広場」から。その冒頭部分の抜粋。ソースはブラジルに住む日系人向けの日本語新聞である「ニッケイ新聞」に掲載されたものらしい。

「【Revista da Folha 2005.11.27 ←ブラジルの現地紙】ブラジル国内の刑務所では世界でも稀にみるセックス面会日が設けられ、夫婦や愛人との愛を確かめ合うことができる。面会日は毎月最後の土曜日で、刑務所内の特別面会室で二時間甘い時間を過ごす。ただし時間切れを知らせるけたたましいサイレンで現実の厳しい世界に引き戻されるのが玉に傷だが・・・。」

② Mais ou Menos(まあまあ)の世界 ブラジル

こちらは、「ブラジル、アマゾナス州とマナウス市、ZFM(マナウス・フリーゾーン地域)に関する情報サイト」のPDFからである。こちらは、長く詳しい情報を読むことができる。

ちなみにMais ou Menos(マイゾウ・メーノス=まあまあ)と言うのは、英語でいえば、plus or minus と考えてもらえばよい。ブラジル人に限らず外人は、面と向かってBad! とは言わないので、否定的な表現をするときに手のひらを上に向け、肩をすくめてよくこういう。

「《第32章 刑務所は楽園》 法律の世界でいえば、極端なのが刑務所の中での囚人の扱い、ここにも“マイゾウ・メーノスの世界”があり、金で扱いが変わってしまう。金があれば、テレビ、ステレオ、冷蔵庫なんでも不自由しない程度の物を持ち込み、優雅に刑務所生活をしている囚人がおり、拳銃や麻薬まで手に入れている囚人もいる、女性は面会時に性器内に携帯電話や薬物を忍ばせて入ることが頻繁にニュースで報道されている。リオ・デ・ジャネイロでは刑務所内に豪華なベッド、バス付寝室、大型 TV、ステレオ付きの囚人の部屋が発見され全国ニュース大騒ぎ、即刻解体されたニュースが TV で放映された、いったいどうやって改築したのか想像を絶する。さらに刑務所内に事務所を設けて携帯電話で麻薬組織を操っている者までいる刑務所内には犯罪組織のグループが出来ており、護身料を払ってグループに入り命を守ってもらっている、いずれかのグループに属さないと拷問、性的暴力を受け何時殺されるかわからないことになる。・・・・」

③ ブラジル・刑務所面会お作法

「あめでぃお」さんのブログ「これでいいのだ!★サンパウロ」から。

「さて。
マリアちゃんからブラジルの刑務所についていろんな事を教えてもらいましたよ。
まず、びっくりしたのが
面会の前のチェックでございます。
荷物検査はもちろん、刑務官の前で真っ裸になってスクワットをするというのです。
前を向いて3回、後ろ向いて3回。
この試練に耐えなければ、愛する元銀行強盗の夫に会えないので
うら若きマリアちゃんも1・2・3、1・2・3と毎回行うそうです。」

「驚くべきブラジルの刑務所、なんと
二人きりになれるベッドのサービスまであるというのです。
コンクリート製の2段ベッド、目隠しに白いカーテンはあるけれど
マットレスのようなものはございません。
ついでに時間制限もございません。
更に驚くは、なんと希望すれば避妊具まで刑務所からもらえるそうです。
なんと心憎いサービスでしょう。
ここでの注意点はただ一つ。
「声を出すな。」
そんなことまで、このマリアちゃんは頬を赤らめ教えて下さったそうです。」

④ カランジル/実録!囚人虐殺事件

「ナイトウミノワ」さんのブログ「映画感想 * FRAGILE」の「カランジル/実録!囚人虐殺事件」から。

このブログの写真は、ここから張りつけさせてもらった。とても詳しく、分かりやすく書かれています。この映画をよく知りたい人におすすめです。「・・・囚人が鎮圧部隊バンザイと叫ばせられたり、・・」「刑務所内で暴動が起こり警察が鎮圧したと聞けば、それは囚人が悪いのだと思われてもしかたないでしょう。
でも実際はそうではない、政治家と警察の問題について斬り込んでいき、囚人の目線で事件を描き、隠された真実を暴こうとする熱意に感銘を受けました。」と結ばれています。

おしまい

行っちゃったゴーンさん 日本の刑事司法に思うこと

多くの日本人は、「警察に捕まったら人生おしまいだ。二度と立ち上がれない。」と思い、遵法精神に従って生きている。それは、警察権力がいかに乱用されているかうすうす気づいているからだ。

2007年に周防正行監督の映画「それでもボクはやっていない」があった。下は、アマゾンの斉藤博昭さんの映画レビューである。

  • 周防正行監督が10年のブランクを経て完成させ、これまでの作風を一変させた社会派の1作。電車内で痴漢の容疑をかけられた青年が、無実を訴え続けるも、証拠不十分のために起訴されて裁判で闘い続けることになる。監督が痴漢冤罪事件を取材して練り上げた物語だけあって、細部まで綿密にリアルな展開。これまでの裁判映画では描ききれなかったシーンがいくつも登場し、最後まで観る者を惹きつけて離さない作りになっている。
    留置場での日常は、経験していない人には驚きの連続だが、最もショックなのは「疑わしき者は有罪」という警察や裁判所側の姿勢。取り調べでの自白強要はともかく、冷静に判断しそうになった裁判官が急に左遷されてしまうエピソードが強烈だ。被告人の青年役を演じる加瀬亮を中心に、キャスト陣もそれぞれの役を好演。電車内での痴漢に関わらず、ちょっとした運命によって、その後の人生が一変してしまう怖さは、本作を観た人すべてが感じるはずだ。

 

電車で痴漢と指摘されて、線路へ逃げたという報道がよくある。あれは大人しく駅務室へ行き、警官に引き渡されると、ベルトコンベアに載せられたように、被害者の証言が100%採用され、確実に有罪になるからだ。否認すると、やっていないことの立証責任を被告側が負ってしまうのだ。

次は、2005年12月に起こった小学1年生の女児児童の殺害事件で、8年以上経過した2014年に逮捕された勝又拓哉被告(逮捕時32才)である。覚えておられる方も多いだろう。この事件、自白以外ほぼ証拠がないのだが、彼は、地裁と高裁で無期懲役を言い渡されている。(詳細は下のリンクをクリックしてください。)

こちらも、えん罪ではないかと疑う記事がたくさん出てくる。毎日、圧迫する取り調べを長時間すれば、誰でもおかしくなって捜査段階で自供することもあるだろう。まして世間知らずの若者であればなおさらだ。そして、自白すれば、証拠がなくても有罪にしてしまうというのは、裁判の機能ではないだろう。

栃木小1女児殺害で無期懲役判決。事件のあらましとこれまでの裁判

今市事件 法廷にたちこめる「霧」の正体

次は、ゴーン弁護団の高野隆弁護士のブログのことを書きたいと思っている。

おしまい

108~海馬五郎の復讐と冒険~

あらすじ

名脚本家として成功している海馬五郎は、ある日、元女優の妻・綾子の浮気をFacebookの投稿によって知ってしまう。コンテンポラリーダンサーである“ドクタースネーク”という男への恋心を綴ったその投稿を見て、わめき散らす海馬。あまりのショックに離婚を考える海馬であったが、財産分与で資産の半分を慰謝料で支払わなければならないことを知り大激怒。“不貞”の妻に慰謝料で支払わなければならない1000万円を、自分の“不貞”で使い切ることで復讐を決意した海馬。妻のFacebookの浮気投稿についた、108もの“いいね!” に湧き上がる猛烈な怒り。その数を目標に女を買いまくる、肉慾全開、前代未聞の復讐劇が幕を開ける――。( https://www.cinemacafe.net/movies/28796/ から)

 

https://rockinon.com/news/detail/189620 から

松尾スズキは、本も出している(下)。本の装丁で分かるように、この映画は妻や恋人と行ってはならない。全編、下ネタなのである。主は、けっこう下ネタが好きで、こういうバカバカしい話が、平和で大好きだ。ただ、きっとこの種の映画は、観客になる可能性のある半分の数を占める「女性」に見てもらう気はないのだろうとしか思えない。でも、男には、バカバカしくて「罪がなくて楽しい」映画だ。

主は、松尾スズキはNHKで放送された「木曜時代劇 ちかえもん」が、独特の存在感で気にいっていた。他と違って力が入っていなくて、ユルイ主人公なのだ。「ちかえもん」全体に、どこか浮世離れしたユルさが漂っていて、演劇風というか、舞台風というか、切迫感のないところに大きな魅力があった。

エンドロールで主題歌「夜のボート」が流れるのだが、雰囲気があって星野源を再発見した気分がして、とても良かった。

おしまい

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