1970年代、主が学生時代に習った経済学、それは「近代経済学(=近経)」と呼ばれていた。生憎、まったく不真面目な学生で不勉強だったのだが、当時習ったことが、実は間違っていたという話をしたい。つまり50年間以上、世界中で間違った経済学が教えられているということに等しい。
当時の経済学は、大学のカラーによって「マルクス主義経済学(=マル経)」を教えるところと「近代経済学」を教えるところの2種類があり、学生運動、社会主義運動が盛んだった1970年代は、「マルクス主義経済学」の方が人気があった時代だった。 やがて、1989年にベルリンの壁が崩壊、東西ドイツが統一され冷戦が終結すると、一応、共産主義の敗北ということになる。それに伴い経済学も、「マルクス主義経済学」は人気がなくなり、「近代経済学」が一般的になる。
《1.簡単に経済学史を振り返る》
この近代経済学であるが、現代の主流派経済学の呼び名は、「新古典派経済学」である。なぜ「新古典派」という名前なのかといえば、18世紀、経済学の祖と言われるアダム・スミス時代の「古典派」を源流にして、発展の基礎にしているために「新古典派」という名前がついている。
ところが、近代経済学には、もう一人巨人がおり、それがケインズ(1883~1946)である。名前を聞かれた方は多いだろう。イギリス人で、フルネームは、ジョン・メイナード・ケインズという。
ケインズは、第1次世界大戦と第2次世界大戦の間に起こった世界恐慌に対する処方箋である、ルーズベルト大統領が行ったニューディール政策の理論的支柱として有名だ。アメリカのニューディール政策、ナチス・ドイツのアウトバーンの建設は、経済の復興に大きな貢献を果たした。しかし、有効性が確認されるまでに時間がかかり、政府赤字が積み上がり、政権への評判は必ずしも良くなかった。実際に、この時代の最終的な景気回復は、第二次世界大戦の貢献によるとも言われる。 ケインズは、基本的に「大きな政府(=財政政策重視)」を主張し、完全雇用や分配(所得の再分配=金持ちと貧乏人の間のバランス)を最も重視した。また、ケインズは、経済学を「平和と豊かさ」を実現するための道徳、倫理感を、その思想の根底に置いていた。このケインズに連なる学派を「ケインズ学派」という。
一方、「新古典派経済学」派は、第二次世界大戦後に発達した経済学で、この世界大戦時にケインズが提唱したケインズ経済学を否定した(乗り越えた)経済学である。第二次世界大戦の終結後の1970年代、欧米がインフレに苦しむ時期に、人々が合理的(=エゴイスティック!に)に経済活動するだけで、市場の「見えざる手」の働きで、資源が最適配分されると数学的に証明した。つまり、誰もが自分の損得勘定だけにもとづき、マーケット(市場)で振舞えば、生産資源が最適に活用され、非自発的失業(自発的失業は除く)は起こらず、アダムススミスが言う「神の見えざる手」の働きで商品の価格は、自動的に最適な均衡点に向かい、問題は解決すると言ったのだ。
《2.新古典派のインチキ》
しかし、「新古典派」が証明したとされるものには、様々な問題がある。そもそも、「人間が合理的に行動する」という最初の前提条件自体がもう問題である。問題点を列挙すると次のようなものになる。
- ① 人間は損得勘定や合理性で生きていない
- ② 売り手、買い手ともに対等な情報が必要だが、一般に買い手側には、十分な情報がない
- ③ 広告、デマなどの情報操作が、参加者の判断を歪める
- ④ 市場取引になじまない水、空気、安全など様々なものがある
- ⑤ 「神の見えざる手」が存在しない
また、新古典派経済学者は、経済学は科学だといい、数学で説明することに夢中になる。その結果、社会の平等、貧富の格差や、非自発的失業の存在などについて、それらを科学の問題ではなく、倫理や政治の判断の問題だとして、考察の対象外にするのが流儀となる。
新古典派の理論では、市場で各人が合理的に行動しさえすれば、市場が資源を最適配分するので、失業は起こらない、恐慌も起こらない、すべて市場での民間の企業活動に委ねればよいというものであり、そこから一直線に、「小さな政府」、「自己責任」、「グローバリズム」という呪文のようなテーゼが導き出される。これらの経済政策を実際に採用したのが、インフレに苦しんでいたアメリカのレーガン大統領、イギリスのサッチャー首相である。この二人による1980年代の政策が転換点であり、経済学におけるケインズ学派は、完全に新古典派に主流の座を奪われ、今に至っている。
余談であるが、日本はこのころ、絶好調の経済を謳歌していた時期だったが、1985年のプラザ合意により、2倍の円高不況に突入したにも拘わらず、欧米が取ってきたのと同じ反インフレ政策を25年以上続けた。このため、未だにデフレ不況を脱出できていない失政を犯してしまった。
新古典派の失敗は、さきほどの前提条件だけではない。新古典派は、登場以降、経済学は過去の経済恐慌を克服し、経済をコントロールできるので、世界恐慌など起こりえないと大言壮語していた。しかし、2008年のリーマンショックが実際に起こり、エリザベス女王は、経済学者に「あなた、これが起こることがわからなかったの?」と質問したという。新古典派が言うように、経済が制御され、経済危機が起こらないわけではなく、リーマンショック以前にも、東アジア通貨危機など、世界各地で起こっている。
また、高い理想を掲げて出発したEU(欧州連合)について、統一通貨であるユーロの使用は、加盟国の中で独自の通貨発行ができなくなり、金融政策の選択肢を奪われることを意味し、EUの結束にネガティブな側面をもたらす。実際に自国で対策ができないギリシャ、アイルランド、イタリア、スペインなどで経済危機が起こったが、加盟国間で救済の足並みがそろわず、反対意見が公然と出る。新古典派経済学者は、こうした経済上の問題点を予見することすら出来ず、まったく無力だった。
また、専門用語になってしまうが、新古典派の概念に生産時における「費用逓増」を前提としている概念のバカバカしさがある。「費用逓増」というのは、生産をする際に、いくら投資を追加しても生産がやがて増えなくなるという主張である。つまり、生産量を増大させるにあたって、最初は大した追加費用を投じることなしに、生産を増大させることができるが、やがて、追加費用を極大に増しても、生産量が増えなくなるなどという馬鹿げた前提を新古典派は、置いている。この「費用逓増」の概念は、農業生産などによく当てはまるのだが、工業製品などでは、規模の利益が働く「費用逓減」である。こうした間違った前提の下で、企業は利益を最大化するが、「費用逓減」はすなわち、寡占、独占が起こることを意味し、新古典派にとって都合が悪く、理論が成り立たない。
工業製品のみならず、ましてや現代のソフトウエア提供、映画配信、オンライン図書、音楽配信、通信技術の提供などの産業の非常に大きなポーションで、追加費用ゼロで産出高を増やすことができる事態が生じている。このように新古典派の「費用逓増」という概念は根本的に間違っており、そこから出てくる企業活動の分析、均衡理論は実際の社会には全く当てはまらない。よく、デジタルの世界では「勝者総どり」と言われるが、新古典派の理論では役に立たない。
他にもある。新古典派の理論は、古典派の理論がベースになっていると書いたが、貨幣観がまったくアップデートされていない。彼らの貨幣観は、物々交換の時代に遡ったままだ。つまり、様々な商品の交換に最初、貝殻などの貴重品を使っていたが、やがて、為政者の発行する貴金属を含有する貨幣にかわる、これが通貨の起源というものだ。やがて、時代は進み、通貨は金と交換を約束するものとなる。というか、新古典派の経済理論の中にはまともに貨幣論がないし、政府は、市場原理が働かない部門を担当する、生産性の低い団体としてしか描かれていない。
上記が、新古典派の貨幣観のベースであるが、現代では、金本位制はすでに廃止され、為替レートも固定されていない変動相場制である。事情は変わっているのだが、新古典派は兌換制と固定相場を前提とした理論のままだ。これが原因で、「国債の発行は、子孫へのツケを残す」、「国債の大量発行は、民間の資金需要を政府が奪うため、国債価格の暴落と金利の上昇を引き起こす」など、事実無根のデマが、もっともらしく長年流布されてきた。
《3.MMTの貨幣観》
一方、MMTの貨幣観は、政府が発行した通貨を納税の支払い手段として認めたことにより、通貨が信任を得、通貨は発行者の負債(=受領者の資産)だという。同時に、国には、通貨発行権があり、インフレにならなければ、無限に通貨を発行できる。
また、とくに注目してもらいたい点だが、MMTは、中央銀行が発行した通貨だけでなく、銀行が契約に基づいて資金を貸し付けた瞬間(預金残高に記帳した瞬間)に通貨が生まれるという。この銀行の通貨発行には、金額的な制約はない。制約があるとすれば、契約相手の返済に対する信用だけである。これは、日銀の通貨発行と銀行の与信の合計を示すM2という日銀の統計数値に一致する。このM2の内訳だが、日銀による通貨発行残高が2割程度であり、銀行による通貨創造が8割くらいの割合になる。つまり、例えばソフトバンクがみずほ銀行から5000億円借金をした瞬間、みずほ銀行は5000億円の通貨発行したことになる。

またMMTは、経済活動の分析に簿記の考え方を取り入れているのが特色であり、その考え方は、実社会で経理経験を持つものとして、非常に実感を持てるものである。
おしまい