百田尚樹 「永遠のゼロ」  ポートモレスビー上空の日米空戦

百田尚樹の「永遠のゼロ」を読んだ。「海賊とよばれた男」に続いて、あっという間に読んでしまった。「海賊とよばれた男」は大正時代から、太平洋戦争をはさみ現代へ続く話だが、「永遠のゼロは」特攻で死んだ祖父の人となりを孫たちがかつての戦友から戦後60年経って探し当てるというものだ。

この2冊を読むと太平洋戦争(当時は大東亜戦争)に巻き込まれた日本人がいかに真剣にこの時代を生きたか、涙なしで読めなかった。

それはさておき、太平洋戦争の舞台にパプアニューギニアも含まれることを漠然と知ってはいたが、日本軍航空隊の主要な基地がラバウルで、ポートモレスビーはアメリカ軍の基地のあったところ。 ガダルカナルに日本軍の設営隊がジャングルを切り開き飛行場を作ったとたん、完成を待っていた米軍に守備力の薄い日本軍は、この飛行場を奪われてしまう。日本軍はこのガダルカナルを取り返すために、最悪な戦法、戦力を小出しに投入する逐次投入をしてしまう。日本軍の被害が拡大し、日米最大の激戦地になる。 主人公は、今見ればおもちゃのようなゼロ戦でラバウルからソロモン・ガダルカナル島まで片道約1000キロを飛び、ガダルカナルでわずかな時間の戦闘を行い、燃料を気にしながらまた1000キロを戻るという大変な戦いをしていたのだ。 またポートモレスビーから4000メートル級のスタンレー山脈を越えたところの都市(ラエ)に日本軍航空隊の基地があった時期もあり、ポートモレスビー上空でもアメリカ軍とゼロ戦が空戦していたのだ。

同時に日本軍はポートモレスビーを攻略するため、この4000メートルある山脈を陸路で越えるという無謀な作戦を立て悲惨な結末を迎える。パプアニューギニアは、日米双方にとって重要な地域であり、あまりに悲惨な死に方をした日本人兵の魂が、今でも浮遊しているのではないかと思う。 戦況の悪化とともに、日本軍は「特攻」しか選択できなくなるが、特攻は志願だったのか命令だったのか、現代のテロの自爆とどう違うかを考えることが出来る。

一方で、当たり前と言えば当たり前だが、フィリピンやインドネシアも戦場だった。サイパンやグアムなども同様だ。勿論、アメリカと戦争を始める前から中国とも戦争をしており、その面積はすざましい。もし戦争に勝っていたら、世界1の面積の国だろう。

なぜ、戦争に負けたかということも書かれている。もちろん欧米列強との国際政治に負けて追い詰められた、戦争するという判断自体が誤っていたと思うが、現在の日本人は、当時の日本人のメンタリティ、スケール感を失ったと思う。

地図

ソロモン ホニアラその2

こちらに来てからはじめて知ったが、ソロモンの首都ホニアラがある島の名前はガダルカナルだった。太平洋戦争の激戦地餓島である。そうしたことから今でもその名残がある。

餓島大砲

上は、市内の中心部に残るものだ。

餓島(沈没船)餓島桟橋

こちらは、ホニアラ市街から少し離れたところだ。日本の沈没した輸送船と桟橋だそうである。 

「海賊とよばれた男」(百田尚樹)は、出光興産を作った出光佐三をモデルにした感動的な小説だ。この時代が背景になっている。日本軍は、開戦直後の半年間は快進撃するが、この快進撃の戦勝気分で気が緩み?!、ミッドウエー沖海戦、ガダルカナル島の戦いで大敗。その後優勢に立つことがなかった。 そもそも、日本は戦前の最大の資源提供国であるアメリカを敵に回した戦争をしていた。そのためアメリカに代わる資源の獲得先が必要であり、マレー半島やボルネオなどの太平洋地域から日本まで資源を運べるということが、戦争遂行の絶対的条件である。しかし、欧米列強をはねのけて、何千キロにも及ぶ地域の制海権、制空権が確保できると考えること自体に無理があったと思う。

パプア・ニューギニア、ソロモンへとジェット機で来て思うが、日本を離れてはるばる来たもんだと思う距離である。この時代の日本人の精神力を考えると圧倒される。しかし今なお、現地人と比べると(こういう比較は良くないかもしれないが)生産性という点では日本人はどこへ行っても通用しそうだ。

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