MMTの話 その1 《 お金は血液だ!》

MMT( Modern Monetary Theory : 現代通貨論)の話をしたい。MMTが広く世間に認知されるなら、お金が原因になっている問題のほとんどが解決するから。そのためにはまず、なぜ経済学の世界で、MMTがなかなか認知されない事態になっているのか説明するところから始めたいと思う。

《経済学の変遷》

経済学の歴史を見渡すと、『国富論』を書き、経済学の始祖と言われるアダム・スミス(1723年 – 1790年)というイギリス人が最初である。この人物は、現在の経済学で出てくる商品、労働、価格、利子、貨幣、資本など、今ある概念の殆どを提示した。また、市場には「神の手」があると言ったことで有名な人物である。この学派を古典派経済学と言う。

アダムスミス(WIKIPEDIAから)

アダムスミスから100年たって、やはりイギリス人のケインズ(1883年- 1946年)が登場し、1936年に『雇用・利子および貨幣の一般理論』という経済学の一大著作を発表し、ケインズ経済学が主流派の位置を占めるようになる。彼の主張によって、アメリカではニューディール政策、ドイツではアウトバーンの建設が実施され、景気回復に大いに貢献したと言われる。ケインズ経済学の登場はケインズ革命と言われ、また、マクロ経済学とも言われる。

ケインズは、大きな政府を主張し、所得を金持ちから貧乏人に再分配することで、平等を実現できると考えていた。また、科学技術の進歩により、世界の貧困問題は解消され、やがて人間が働かずとも暮らせる時代が来ると予言していた。

ケインズ(WIKIPEDIAから)

ところが、西側諸国では、1970年代にオイルショックに端を発する不況とインフレが同時に起こる、スタグフレーションが起こり、ケインズ経済学ではこの現象に対処できないないと言われ始まる。

同時に、経済学に「限界革命」が起こり、余計な価値判断を含まずに、経済学を数学的に研究することで、客観的な科学になるという新古典派経済学の考えが広がった。

「限界革命」と言うのは大げさな言葉だが、例えば、1杯目のビールは2杯目のビールよりおいしいとか、同じような服が増えてもありがたみは正比例しないとかいうもので、単位当たりの投入数量を増減していくと産出がどのように変化するかを考えるにあたって、微分を使うことで数学的に捉えることができ、扱いやすくなる。同様に、需要と供給がいかに決まるかという主流派経済学の主柱である「均衡論」もここから生れた。また、ミクロな観点から出発するので、ミクロ経済学ともいわれる。

この学派は、ケインズと同時代を生きオーストリア人のハイエク(1899年 – 1992年)が始祖なのだが、後に「選択の自由」というベストセラーを書いたアメリカ人のフリードマン(1912年 – 2006年)の影響が非常に大きい。

  • )ハイエクと言うのは、ケインズと考え方においてライバル関係にあり、ケインズが政府の介入を力説するのに対し、ハイエクは、自由放任を主張した。フリードマンも同様である。フリードマンの貨幣論は、「社会に流通している貨幣の総量とその流通速度が物価の水準を決定している」という経済学の仮説である『貨幣数量説』を蘇らせたと言われる。
  •  この『貨幣数量説』は、社会の貨幣の流通速度を変えることで、経済動向をコントロールできるというもので、金融政策の中心をなしている。しかし、後に述べるMMTの貨幣観と比べると、ずいぶん欠落している部分がある。
  • また、現在の黒田日銀は『貨幣数量説』に従って、マネタリーベース(現金通貨と準備預金の合計)を増やす量的緩和を行うリフレ政策を行っている。しかしながら、デフレ下でいくら通貨を増やしても、通貨は『ブタ積み』の状態になるだけで、誰も借手になろうとしないので、効果は限定的だ。

前述のフリードマンの主張は、政府は、極力マーケットに介入することをせず、市場の働きにより、すべてが解決されるというものだ。つまり、人々が合理的で、好きなように活動すれば、市場がすべて(失業問題や財の配分)を解決するというもので、小さな政府、自由貿易、自己責任と言った価値観が生まれてくる。

これに飛びついたのが、イギリスのサッチャー首相、アメリカのレーガン大統領であり、この時代から、世界は、グローバリズムへと進むことになる。

フリードマン
サッチャー首相
レーガン大統領

《新古典派経済学の貨幣観は》

一部前述したが、この新古典派経済学は、通貨制度に大きな変革があったにもかかわらず、貨幣観を古いままにしていた。

つまり、貨幣の歴史を考えると、物々交換の時代には貝殻などの貴重品(宝飾品)が通貨の役割をはたし、時代が現在に近づくにつれ、金など希少性の高い金属を含む通貨に変わってきたと説明される。やがて通貨は政府が発行する紙幣になるのだが、この紙幣は同じ金額の値打ちの金と交換を約束するものだった。(金本位制、兌換通貨) これを商品貨幣論と言う。

ところが、この金本位制は1930年代から徐々に姿を消し、単なる紙切れである紙幣へと姿が変わっていった。つまり、政府は主体的に通貨を発行できるようになったのだが、経済学の前提をドラマチックに変える必要があったが、経済学者はそれに気がつかなかった。

そうするとどうなるか。政府は民間や個人と同様に、歳出を歳入の範囲で行うというレギュレーションになるだろう。金と交換する必要はないが、むやみに通貨を乱発すれば、政府の信用は失われるだろうとなる。無制限に通貨を発行すると、インフレになり、通貨の信用は失われ通貨安になるとなる。

しかし、この貨幣論は通貨自体に値打ちがあると考える商品貨幣論である。つまり、通貨に値打ちがあるから、万人に値打ちがあると認められているというトートロジー(同語反復)である。

また、新古典派経済学には、政府が、通貨を発行する際に余分に生じる、通貨発行益という概念がある。しかし、この概念は極めて限定的で、国債につく利息だったり、硬貨の発行益だけを指す。ここにもこの主流派経済学の間違いがよく表れていると、一経済フリークとして思う。

《MMTの貨幣観は》

MMTは、通貨が信認される根源は、租税の納入にあると考えている。つまり、政府は国民から徴税する際に、その納付を政府が定めた通貨で納めることを法律で定めている。罰金を払う際にも、政府が認めた通貨で支払うことを定めている。これが、国民が通貨を求める理由であり、信任される理由である。

また、通貨の発行主体を考えると、通貨の発行を行っているのは政府だけではない。一番多い例が、銀行である。つまり、ソフトバンクがみずほ銀行から5000億円融資を受けると、みずほ銀行が5000億円通貨を発行したのと同じである。もし金持ちの個人が、手持ち資金から1億円誰かに貸したなら、1億円分通貨を発行したのと同じである。

後述するが、この5000億円の融資は、みずほ銀行が顧客から集めた預金を原資に、貸出を実行しているものではなく、キーボードマネーと言われるものだ。ここを新古典派の経済学者は誤解している。

これは簿記で考えると理解しやすい。政府が国債を発行して、銀行に国債を買ってもらい、現金を手に入れる場合は、次のようになる。

政府

(借方)現金(貸方)負債(=国債)

銀行

(借方)国債(=資産)(貸方)預金

上記について補足すると、政府と日銀は一体と考えている。また、銀行の預金は、借方と貸方が逆になる。この仕訳を見ると、銀行の預金が増えているように見えるかもしれないが、銀行にとって預金は負債であり、この取引では資産と負債が同時に増えるということだ。

同様に銀行融資の場合を考える。例えば、ソフトバンクが、銀行から借金をする場合は、次のようになる。

ソフトバンク

(借方)現金(貸方)負債(=借入金)

銀行

(借方)貸付金(=資産)(貸方)預金 

つまり、政府は通貨自体の発行主体なので、通貨を生み出すことができるのだが、銀行でも誰でも、借り手の返済能力を信じることができれば、お金をいくらでも貸せ、それは通貨を生み出す。貸した金が返ってこなかったとき、企業・個人は倒産するしかないが、政府は通貨を追加的に発行できるので、倒産しない。

極めておおざっぱな説明であるが、現在では、デジタルで決済が行われるため目の前に現金を積む必要もない。また、政府も、銀行も、企業・個人も同じ通貨である日本円を使っているので、政府以外であっても、通貨を発行したのと同様の事態が起こっている。 この通貨の発行割合であるが、日銀が発行している通貨の残高が、2割程度、残りの8割が銀行の融資残高と言われる。こうした貨幣を負債の一種とみなす学説を、信用貨幣論と言う。

貨幣数量説を信じる新古典派と言われる主流派の経済学者たちは、金本位制度から管理通貨制度に変わった後も、考えを改めず、こうした観点を見落としている。つまり、通貨が企業・国民の手に渡らない間、銀行にいくら残高を増やしても、誰かが借手になって負債を負うか、政府が実際に国民にお金を手渡すまでは、需要を増やす効果はぜんぜん出ない。 

つまり、通貨は社会の血液だ。この血液が、金持ちに偏っているのも問題だが、血液の量自体が少なすぎるのが、もっと問題だ。

長くなっってしまった。次回は、需要と供給の差がインフレになったり、デフレになったりするというMMTの理論について書きたい。

おしまい

グローバリズムのどこが悪いのか エマニュエル・トッド Part 3

ここからは、トッドの説明を簡略化して書いてみたい。簡略化は、彼の言わんとしいることを正確に伝えることに失敗する危惧もあるのだが、なるべくわかりやすく要約したい。

Part 2で書いたが、自由貿易が抱える問題は、例えば中国のような低賃金国の製品が例えばアメリカの市場を席巻するとき、消費国の消費者は安い製品を購入できることで利益を得るのだが、奪われた産業で働く労働者は職を失う。このためやがて賃金の低下が起こり、アメリカでの需要の減少が起こる。需要が減少すると、この場合の中国であれば、輸出数量がやがて減少することになる。このような現象が、いま世界中で起こっている。

ここで儲けを手にするのは、安い賃金を武器に輸出する国の企業家、輸入国の輸入業者が継続的に儲けを手にする。しかし、中国の労働者は、当初賃金の上昇を享受できるものの、やがて輸出数量の落ち込みによる不振のせいで賃上げを享受できなくなる。また、アメリカの消費者は最初、購買力が上がるため利益を手にするが、輸入品と競合する分野で働く労働者が失業したり、低賃金に甘んじなくてはならなくなると、需要も低下してしまう。当然、不景気となる。

自由貿易を批判する際、なかなか共感を得られないのには理由がある。それは、特に貿易が始まった初期の段階では、自由貿易は効果を発揮する上げるという点だ。確かに他国の安い労働力を使うので、企業は非常に有利な価格で商品を生産し、母国へ輸出できるので、競争力を得ることができ、安い価格が消費者に支持されるだろう。しかし、その次の段階まで進むと弊害が大きくなる。

すなわち、輸入される側の同じ産業が敗れ、その企業に従事する労働者が職を失うために、不況を輸出する恰好になる。格差が許容できる範囲を超え、民主主義をも危うくさせる段階へと進む。しかし、国民の間には当初の成功イメージが残っており、なかなか自由貿易を否定することは難しい。

しかしながら、自由貿易が格差を生じさせることは当然の前提条件であり、格差は所得の再分配により弊害を除くことが求められている。だが、政府の介入を最小限にすることを是とする思想と矛盾するため、十分な再分配を政府が格差に対して行うことは少ない。

輸出国が輸入国に対して所得の補填をすることは当然ない。自由貿易で利益を上げている多国籍企業が国内にあった場合でも、政府が貧しい国民に対し所得の再分配を十分に行わなければ、格差は開く一方だ。

2008年のリーマンショックはグローバリズムの内包的な欠陥が表に出たものだが、先進国はその後遺症から未だに立ち直っていない。しかしグローバリズムの欠陥は認識されておらず、相変わらず国際会議ではいつも、「自由貿易を守り、そして保護主義と戦わねばならない」と結論付けて会議が閉幕する。トランプ大統領の登場以来、「保護主義と戦う」という表現が入らないことがあるが、マスコミは大声で不満を大合唱する。しかし、自由貿易を続けている限り、賃金の停滞により需要は不足し、景気は回復しない。

結局、グローバリズム、自由貿易で利益を得るのは大企業、資本家、政治家や金融機関などの特権階級だ。こうしたところは、グローバリズムがなくなれば、大きな利益を得ることができなくなる。

先進国と途上国が全く同じ土俵で戦えば、先進国が勝つに決まっている。企業は安い労働力を利用することで、より高い競争力を実現できる。このため、労働者の労働は近年、単なるコストとしか捉えられなくなった。労働者の生活の質を考えているような資本家は、競争に勝てない。途上国が発展段階へ進むためには、自国産業を保護する段階が必要なのだが、グローバリズムは容赦なく途上国にも市場の即時開放を要求する。先進国の発展段階において、保護主義政策を採っていた時代があったにも拘わらずだ。

話が変わるが、「選択と自由」という本がある。この本の影響は計り知れない。経済学に大きな影響を与えただけではなく、ベストセラーとなり、学者のみならず各方面に大きな影響を与えた。この本を著したのは、アメリカのノーベル賞経済学者のミルトン・フリードマンという人物である。

AMAZONから

 

AMAZONは「選択と自由 – 自立社会への挑戦」のコピーとして次のように書いている。『生誕百年を記念して刊行する世界的ロングセラーの新装版。経済における自由の重要性をわかりやすく訴え、小さな政府、規制緩和といった政策の実現をとおして現代世界を変えた「革命の書」』『フリードマンが本書で説く「急進的自由主義」は1980年代、レーガン米大統領やサッチャー英首相によって現実の政策になり、経済再活性化の基礎を築いた。この文庫版は長い低迷経済のなかにある日本にとって、ベストタイミングで帰って来たベストセラーだ。』と書いている。主にしてみれば、トホホだが・・・。

フリードマンと同じシカゴ大学の同僚だった経済学者の宇沢弘文(1928-2014)は、「ミルトン・フリードマンを市場万能思想を信仰する経済的自由放任主義者で、アメリカ経済学を歪めた。真に受けて起きたのが2008年のリーマン危機である」と批判しているとWikipediaには書かれている。主は、宇沢弘文に共感する。

だが、現実は哀しいかな、宇沢弘文よりフリードマンの方が今なお経済学の主流なのだ。マスコミや財務省も同じだ。かように経済学の世界では、立場がこれほどまでに違うのだ。合掌!!

おしまい

 

 

 

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