加藤訓子プロデュース スティーブ・ライヒ・プロジェクト行ってきた

親父は最近まで、マリンバなどは鍵盤楽器だと思っていた。しかし、それは間違いで、正しくは打楽器なのだそうだ。この打楽器だが、非常に良い音がする。それもパイプオルガンかというほどすごい低音まで出るし、高音は、非常に優しい音がする。和音も出せるし、その響きがとても良い。荒々しく叩くと打楽器なんだと納得する。楽器を叩くスティック(マレット)も何通りかあるようで、それで音色も変えられるらしい。

目黒パーシモンホール
当日の様子 舞台にマリンバが並んでいる。ほぼほぼ1200人収容のホールは満員だった。

最初に、加藤訓子さんを知ったのは、2017年リリースの「J・Sバッハ マリンバのための無伴奏作品集」というアルバムが、Linn Recordsの年間ベスト・アルバムに輝き、日本の第10回CDショップ大賞クラシック部門を受賞したというニュースだった。

所謂、オリジナルの楽器ではなく、違う楽器で演奏するキワモノ演奏が親爺は好きだ。オリジナル楽器より、演奏者の楽曲の解釈がむしろ、ストレートに反映されるように思うからだ。

そのバッハのアルバムはなかなか良かった。ライナーノーツを読むと、「エストニア、タルトゥ、ヤンニ教会にいる。相変わらずしつこい私は納得のいくまでレコーディングができることを幸せに思う。勿論苦しいのだが・・・」とあり、録音日を見ると、2015.9.1-11と2016.3.14-24とかなり長い日数をかけて録音しているのが分かり、「ああ、このひとはグールドと同じタイプなのかもしれない」と思ってしまった。というのも、グールドは、気が済むまでテイクをとり、つなぎ合わせて作品を完成させていたからだ。

この作業は才能がないと難しいだろうと思う。似たような録音の微妙な差を意識して、一つの目標を目指さないとならないと思うが、人間、細部にこだわると全体を見失いがちになる。 それに加えて、この人はSACDというハイレゾ録音を多く出しており、よい音で聴いてほしいと思っているに違いない。

渦中のコロナ禍で、NHKなどマスコミは、実際のコンサートではなく、「オンラインの演奏会を聴きましょう。」と無責任なことを言うが、馬鹿を言っちゃいけません!!コンサートホールで演奏される生の音を、通信回線から出てくる音が代替できるなんてまったくの絵空事である。

そんなで、ライヒの音楽が生で聴けるとあって、今回のコンサートへ行ってきた。スティーブ・ライヒ(1936~)を補足すると、ウィキペディアには次のように書かれている。

「ドイツ系ユダヤ人移民の父親と東欧系ユダヤ人の母親の子として生まれる。最小限に抑えた音型を反復させるミニマル・ミュージックの先駆者として、「現代における最も独創的な音楽思想家」(ニューヨーカー誌)と評される。同じ言葉を吹き込んだ二つのテープを同時に再生し、次第に生じてくるフェーズ(位相)のずれにヒントを得て、『イッツ・ゴナ・レイン』(1965)、『カム・アウト』(1966年)などの初期の作品を発表。」

要するに、ライヒは現代音楽であり、ジャズにも近いんですね。そういえば、親爺はパットメセニーというジャズ・ギターのミュージシャンの演奏するCDを1枚持っている。

長い前置きはこれくらいにして、コンサートの様子を書きたい。

下は、開演前にホワイエという観客席と入り口の間にある場所で手拍子によるボディパーカッション演奏の一部である。彼らは、この後、舞台で演奏してくれる。この日は、ほぼ満員の観客だったし、とても楽しめた。

コンサート本番では、前半3曲、後半3曲の同じ音型を繰り返すミニマルミュージックが演奏されるのだが、曲ごとに演奏者の人数が変わり、使われる楽器も変わり観客を飽きさせない。

何といっても、音がいいのだ。前にも書いたが、パイプオルガンやコントラバスが出すような低音と、非常に心地よい高音、たくさんのマリンバやビブラフォンのばちで音をだす楽器(マレット楽器と言うそうです。)が、最大、総勢20人ほどで演奏される。そうした曲が最後に終わる一瞬、残響がホールに、唸りながら、歪ながら、反響するのだが、何とも言えない心地よい独特の雰囲気がある。そして、その後、盛大な拍手が来る。

コンサートが終わった後も、盛大な拍手がずっと鳴り止まず、席を立って帰ろうとする観客がいないほどだった。親爺が行ったコンサートでは、最近にないヒットである。

本格的なオーケストラによる交響曲などのコンサートや、独奏楽器のコンサートなども良いが、この日の演奏は、肩がこらない。ミニマル音楽ということで同じフレーズを繰り返すのだが、もちろん飽きないように徐々に変化する。いろんな仕掛けもある。そんなこんなで、その変化を観客も楽しめるのだろう。

おそらく、加藤訓子自身がアルバムを作る際には、一人で多重録音をして完璧なものにするのだろう。しかし、ステージでそれを再現するのは難しい。このようなミニマルミュージックは、大勢が上がったステージが、迫力や変化を出すことに向いているような気がする。

また、この成功は、プロデューサーである加藤訓子の才能に、人にはない尖ったものがあるということだろう。

(2022/12/11 一部修正しました。)

おしまい

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