グールドが否定したコンサートへ行く 福田進一 禁じられた遊び

2016年2月17日(水)13時30分開演、「楽器の秘密 第3回ギター~禁じられた遊び~」というタイトルのコンサートへ行ってきた。まず驚いたのは、聴衆のほとんどが高齢者であるということだ。平均年齢は70歳くらいだろうか。平日の昼間、普通の勤め人は来ることができないのだと納得する。

ギターの福田進一さんは、今年1月、還暦記念リサイタルでJ.S.バッハのリュート組曲全曲演奏をした日本のクラシックギター界の第一人者だ。主は、バッハ・無伴奏ヴァイオリンパルティータ第2番の有名なシャコンヌが入ったCDを1枚持っている。

ところでこのシャコンヌ、調弦を「落ち着いた音色を求めるために通常のA=442Hzより低めのA=439Hzに下げて演奏」されているのだが、やはり、意外と違和感がある。

この日のコンサートは副題のようなものがついており「楽器の秘密 第3回ギター」となっているように、ステージの福田さんが、演奏の間にギターにまつわる話をするという趣向で、もちろん演奏が良かったのだが、専門家による話は刺激的でなかなか楽しかった。福田進一

では、グールドにちなんだトピックへ行こう。

第1ばんめ。グールドはコンサートへ来る観衆が、自分を安全な場所に身を置き、まるでコロッセオで行われる猛獣と戦う剣闘士を見るように、演奏者を見ていると考えていた。「集団としての観衆は悪だ」と言い、そして「コンサートは死んだ」とも言っては、コンサートを否定していた。彼が31歳の1964年以降は、コンサート会場で実際に弾くことはなかった。グールドがコンサートを否定する理由の一つには、彼の完璧主義があるだろう。彼はコンサートでの演奏の後、観衆の大喝采を受けている最中に「今の演奏には気に入らないところがあった。もう一度演奏をやり直したい」と思っていたという。他にグールドがコンサートに出たくない理由として、コンサートツアーで飛行機に乗ったり、列車で長距離を移動したり、快適とは言えないホテルに宿泊したり、行く先々で慣れないピアノを弾かされるといったことが嫌で仕方なかったという現実は当然ある。

心気症でもあったグールドは、コンサートの会場へ親しい知人が来ることにも強い拒否反応を起こした。グールドが26歳から29歳のころ、恋人であるヴァーナ・サンダーコック(グールドのマネージャーであるウォルター・ホンバーガーの秘書)は、コンサートへ行かないという内容の誓約書を書かされている。グールドにとって聴衆は、邪魔な存在だった。多くの音楽家にとって、神がかり的で素晴らしい演奏をするためには聴衆が必要なことを考えると、グールドは珍しいタイプと言えるだろう。

グールドは、20世紀中にはコンサートは録音メディアにとって代わられ、なくなるだろうと予言していた。この予言は当たらなかったと言わざるを得ないだろう。クラシック音楽のコンサートは、今も毎日のようにどこがで開かれている。しかし、クラシックのコンサートの地位は、紛れなく低下している

また、グールドは、クラシック音楽の演奏の一部がキットとして流通し、リスナーが好きな演奏を組み合わせて、自分の好きな演奏を組み立てるようになるだろうとも予言していた。「いくつかの異なる演奏のレコードを売って、聴き手にどれが一番好きか選ばせたい。そして好きなように組み合わせて、聴き手が自分の演奏を作るのです。聴き手に異なるテンポと異なる強弱で演奏されたあらゆる部分とあらゆるスプライス(切り貼り)を与え、自分が本当に楽しめるような組み合わせをさせればよい。ー この程度まで演奏に参加させるのです」と言っている。もちろん、音楽の断片が、このようにキットとして販売されるということは聞いたことがないが、今やパソコン上で同じことをしているマニアはたくさんいる。

クラシック音楽を考えると、世界中でそうだと思うが、ゴールデンタイムにテレビでクラシック番組を放送するというようなことは、1900年代と比べると明らかに減っている。クラシック音楽を聴く人の数そのものが減っていると思う。CDショップでは、往年の巨匠たちの演奏の焼き直しばかりが相変わらず売られているし、家庭へのアコースティックピアノの普及率も下がっているのではないか。昔と比べると、クラシック音楽で身を立てるというのも難しいはずだ。それはとりもなおさず、現在のクラシック音楽自身は徐々に世間から顧みられなくなりつつある。

クラシック音楽の業界の中だけで、クラシック音楽を有難がっているようではだめだ。

第2ばんめ福田進一さんの話に戻るが、第1曲をフェルナンド・ソルの「モーツァルト『魔笛』の主題による変奏曲」で始めたのだが、1曲目ということかかなりミスタッチが目立っていた。ギターは左手でフレットを押さえ右手で弦をはじくのだが、右手で弦をはじく前に左手の準備ができていないとかすれた音が出る。この曲は、最初にテーマがあり、変奏曲が続くのだが、変奏が進むにつれ同じ拍の中の音の数が増え、曲の進行につれかなりの速度になる。ここでうまく音が出ず、荒っぽい演奏となる。この日のミスタッチは、曲目をこなすにつれてなくなっていったように思う。 ここで、グールドのテープのスプライス(切り貼り)を思い出した。当然、福田さんがスタジオ録音を行う際には、気に入らない部分をスプライスするのだろう。録音されたCDにそのようなミスタッチは当然ない。

ただ、1932年に生まれたグールドは、ミスタッチの少ない演奏家だったにも拘わらず、この切り貼りの先駆者であったのは間違いない。当時、15年以上レコーディングプロデューサーを務めたアンドルー・カズディンの書いた「アットワーク」を読んでいると、グールドは、ミスタッチを消すためにスプライスをしたのではないことがわかる。彼は音楽の細部と全体の両方を深く理解しており、全体を完全なものに仕上げるために、細部についても妥協しなかった。細部にフォーカスを当てていながら、同時に、全体を見通す(見失わない)というのは常人にはかなり困難なことだと思うが、グールドはこれができた。

グールドがブリュノ・モンサンジョンと作ったバッハシリーズのビデオは、そのあたりがよく出ている。グールドがバッハを曲の構造をディープに解説しながら同時に弾いてみせるのだが、喋る方と弾く方どちらも破綻することなく実に見事なものだ。

 

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