グールドが読んだ夏目漱石
夏目漱石の弱点、男尊女卑と大衆蔑視
グレン・グールドは、1965年に発刊された《Three-Cornered World》(三角の世界:「草枕」)を1967年に手に入れた。35歳の時である。
夏目漱石が「草枕」を書いたのは、さらに遡ること60年も前の、1906年(明治39年)である。「草枕」は漱石にとって、「吾輩は猫である」「坊ちゃん」に次ぐ3作目だった。グールドが読んだ1967年は、自由を謳歌し民主主義が高まった時代だった。それに対し、後にも触れるが、漱石が書いた1906年は、日本では日露戦争が終わった直後だが、西欧列強の《持てる国》と《持たざる国》が対立を深め、二度の世界大戦へと向かう時代だった。
夏目漱石の作品を今読めば、男尊女卑や、教育のない者に対する蔑視が潜んでいるという指摘があるのは当然だろう。しかし、それは大戦前という時代、女性に選挙権もなかった時代背景と、高等教育を受けた者が大衆に対する責務を果たさないとならないというノブレス・オブリージュの義務感があったからだろう。それらを考えれば、漱石の天才は少しも損なわれるものではない。制度的なジェンダー平等はもちろん必要だが、批判覚悟でいえば、性差が生まれる原因はすべて社会環境にあり、生まれながらではないという考えは説得力を欠くものだろう。また、教育を受けたものの義務感であるノブレス・オブリージュの方は、逆に、現在まったく霧消してしまい漱石の時代のほうがずっとマシだったとしか思えない。
つまり、漱石の世界観が当時のスタンダードなもので違和感がないと考えれば、夏目漱石は普遍性をもつ世界的な作家であることは間違いない。
夏目漱石をシェイクスピア以上と評価するダミアン・フラナガン
ダミアン・フラナガンというイギリス人日本文学研究者がいる。イギリスで夏目漱石に魅せられ日本とイギリスを往来しながら、日本語を学び博士号をとり、日本語で2冊の本を出版している。その苦労たるや相当なものだろう。逆に、その熱意の大きさが推量できるというものだ。
その[1]ダミアン・フラナガンは、漱石が、日本では単に森鴎外と並ぶ国文学の先駆者に過ぎないと考えられていること、加えて、有名な評論家の江藤淳や吉本隆明らさえ、漱石の作品を個人的な経験をもとにした私小説の延長といった捉え方をしていると批判する。漱石は、日本では「則天去私」が、理想のキーワードとして語られるが、「則私去天」も場面によって、おなじく理想のキーワードだという。
彼は、実際のところ、夏目漱石がシェイクスピアをも超える世界的なスーパースター作家であり、小説は自身の苦悩を表現する手段ではなく、哲学的な問題について深く掘り下げ、人生そのものの普遍性を探求する手段であり、背後にはニーチェ思想があるという。漱石の思想には、ニーチェの「冒険」というコンセプトに惹きつけられているというのだが、皮肉なことに、そのことを日本人は理解できていないという。
例えば漱石の『門』について、[2]「崖の下に住む冒険に向かない男と、満州の冒険者、ニーチェ的な謎を喜ぶ冒険と、禅と儒教と。」と指摘し、「『門』は、宗教に対する挫折感を話題にする、気の滅入るような小説と見るより、むしろある種の意思のない人間を風刺する、精密に考案された小説と見るべきであろう」という。
また、上記に続いて『それから』については、「『それから』のように堕落を超越しようとする冒険を書くより、冒険が堕落だと恐れているために、宗教へ逃避する過程を書くことによって、このいくつかの観念を融合させるのは何よりも当然だったであろう。しかし、皮肉なことに、この冒険からの逃亡のために、主人公は禅という大冒険をするはめになる。・・・数多くの批評のように、(『門』の)宗助が宗教的な冒険に失敗するのが、宗教に対する漱石自身の悲観を表している推定するのは決して適切ではない。」という。
なお、ダミアン・フラナガンの分析は、従来の日本人評論家と比べて、非常に説得力がある。また、これについて項を改めて書きたい。
カナダ人ピアニストのグレン・グールドは、芸術論と日常の苦悩との関係が、奔放にユーモアを含んで展開される英訳の「草枕」を愛読して止まなかったが、同時に彼は、他の手に入る英訳された漱石作品も読んでいたはずだ。その時「草枕」を含め、漱石の個人的な感想や感情を読み取っていたのではなく、ダミアン・フラナガン同様、もっと深い人間の普遍的な真実をそれらの作品に見ていただろう。
おしまい
[1] ダミアン・フラナガン 1969年イギリス、マンチェスター生まれ。ケンブリッジ大学モードリン・カレッジ在籍。93~99年に神戸大学で、修士、博士課程を経て2000年に博士号取得。著書に「日本人が知らない夏目漱石」「世界文学のスーパースター夏目漱石」がある。
[2] ダミアン・フラナガン「日本人が知らない夏目漱石」第二章『門』までの道 『門』の新しい冒険から引用