《ホス狂い》のトー横キッズたち 若者よ、日本を捨てろ!脱出せよ!

● 日本で生まれた若者のうち、半数以上は希望がない。ひと月働いて、20万円になるかならないかの給料しかもらえず、税金や社会保険料を引かれると、手取りは15万円程度にしかならない。そんな金額では、家賃、食費などの必要経費を払うと、趣味や好きなことに使うお金は全くない。貯金もできない。 大学に行ったとしても、卒業時にに《奨学金》という、実際は借金である《学生ローン》を抱えた卒業生たちが5割に上り、平均300万円のローンを抱えて卒業する。

● この《学生ローン》を抱えた卒業生は、ハンディキャップを抱えて、はるか後方のスタートラインから社会人人生を始めることになる。ローンを抱えた女子学生の大半は、給与が安くて普通に結婚して子供を作るなんてまったく考えられないと言うし、男子学生も恵まれた会社に入れなければ、結婚を考えられないだろう。生涯未婚率は年々増えている。

● 歌舞伎町にはトー横キッズと呼ばれる、ホストクラブでホストに貢ぐお金を稼ごうとする売春目当ての若い少女たちが大量にいて、中高齢の小金を持ったおっさんや風俗スカウト、AVの撮影者たちがその若い肉体を求めて集まってくる。その少女たちは、ごく普通の少女たちなのだが、多くがホストクラブの《底なし沼》にハマった少女たちだという。最初の1回だけ、1000円、2000円でホストクラブへ行けるらしい。そこで代わる代わるイケメンのお兄ちゃんたちと楽しい会話をして、自分をすべて肯定してくれる人生最高の時間を過ごし、舞い上がってしまう。 

● 親爺は思うのだが、日本の若者の《学校教育》は、勉強(成績)第一で、協調性を重んじ、出るくぎは打たれる的な社会全体の雰囲気と画一的な教えで、若者はがんじがらめにされており、一握りの《東大》に入った成績優秀な子だけが認知されるような社会になっている。そうでない子にとっては生きていても楽しくない。特に女子は、家庭的で我慢づよく優しく、男にとって可愛いことを求められる。こんな国は、ほとんどの女子にとってストレスたまり放題だ。そんな彼女たちは、初めて行ったホストクラブで、過去になかった楽しい経験をして、簡単に《ホス狂い》になってしまう。

● 2回目以降に行くホストクラブは、《担当》のホストに貢げる限りのお金を貢ぐことになる。ホストの成績は、売り上げで決まる。ホストの成績を上げるために、シャンパンを入れたりすると、20万円ほどかかる。普段の日常生活では大した給料をもらっていない彼女たちは、軽い決心で風俗へと走り、ホストへ貢ぐお金を稼ごうとする。つまり、《空気を吸うように自然に売春する》ことで、中高年のおっさんたちから数万円の小金を巻き上げ、少女たちがそのお金をホストへ貢ぐ《食物連鎖》が出来上がる。 

●「歌舞伎町と貧困女子」を書いた著者の中村淳彦さんは、Z世代(2000年以降の生まれの若者)の普通の女子が、自ら貧困へと《ホス狂い》に陥る現象が、歌舞伎町で起こっていると書いているが、やがて東京の隣接県へ、地方都市でも起こるだろうと書いている。

「トー横キッズ」の少女を売りさばく歌舞伎町・悪徳スカウトの手口

https://www.news-postseven.com/archives/20211214_1714202.html?DETAIL ☜記事本文

● コロナでアルバイトが出来なかった女子大生のうち、地方から上京してきた多くの女子大生たちは、学校へも行くことが出来なかっただけでなく、田舎へ帰ることすらも出来なかった。それでも授業料はほとんど免除されなかった。景気の良かった時代と違って、親からの仕送りはゼロか、あっても一部分だけだ。そんな彼女たちが生活していくためには体を売るしかない。パパ活、AV出演、デリヘル、ピンサロ、大学がひしめく沿線の待機所は部室のようになったという。

● 男子学生は、闇サイトで見つけた裏バイトの犯罪に走る。マスコミは、毎日あちこちで警察からリークされた犯罪報道を垂れ流している。マスコミは、なぜそういう犯罪が増えているのかという原因を追究する角度からは決して報道せず、不安を煽って、犯罪に引っかからないよう注意を促すだけだ。

● 若い男子は、本来老人を軽々と否定し、乗り越えたいはずだ。ところが、そのような態度をとれば、会社でのポジションが危うくなる。それで必要以上にいい子を演じて、料理も育児も、家事も分担する良い子であることを続ける選択肢をとる。つまり、ヤンキーの居場所がどこにもなくなった。 再度言うが、若者、とくに男子は、年寄りを否定して社会を変革したいはずだ。ところが、そのための勉強を教わっていないので、同じ社会の中で守旧派を演じざるを得ない。

● 自民党をはじめ、野党ですら既成政党の政治家のほとんどが、坊ちゃん、お嬢ちゃん育ちの世襲議員でまったくの世間知らずだ。世襲議員でない場合は、前職が霞が関のキャリア官僚経験者であったり、経営者などの恵まれた環境で育ったボンボンたちばかりだ。当然ながら、多くの若者がお金がなくて体を売ったり、犯罪するしかないなどの状況に追いやられているとは想像力が働かない。かりに、知識として知っていても、若者の投票率は低いから、若者のための政策をしようとは思わない。新しく生まれた政党には、国民のことを考えている政党がいろいろあるが、なにしろ人数が少なすぎるので、何の力も発揮できない。

「仲良く貧乏」を選んだ日本は世界に見放される1人当たりGDPは約20年前の2位から28位へ後退
(東洋経済から)

● 上のチャートが、よく言われる過去30年間の日本の経済政策の失敗の歴史である。これを見ると、日本の経済成長は30年間ほぼゼロである。一人当たりGDPで、韓国に抜かれ、チャートにはないが台湾にも抜かれたという。GDPの合計値で、ドイツに抜かれるのも時間の問題で、世界第4位に転落する日も近いと言われる。結局、この経済政策の失敗が、若者にしわ寄せを起こした。老人は、比較的貯蓄もあり比較的気ままに暮らしているのだが、多くの若者は世界の成長から完全に取り残され、悲惨だ。

ところが、海外で頑張れば・・

● 海外へ行けば、職業によるだろうが、大変な介護や肉体労働などでは月に100万円近く稼げる。下のリンクは、NHKのクローズアップ現代という番組が、日本を脱出した若者が、海外で日本の数倍の給料を手にするだけでなく、《希望》も見つけたという内容だ。

https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4746/ ☜こちら記事のリンク。詳しく読むことができます。

おしまい

愛とセックスの話 (2023/4/10 修正しました)

「歌舞伎町と貧困女子」(中村敦彦 宝島新書)、「往復書簡 限界から始まる」(上野千鶴子・鈴木涼美 幻冬舎)と「ちつのトリセツ 劣化はとまる」(原田純 径書房)を書かれた原田純さんのYOUTUBEとを題材にして、《愛とセックス》について考えてみた。

以下の写真は、著者の方々である。

上野千鶴子さん
鈴木涼美さん
原田純さん
中村敦彦さん

● 結論

いきなり結論から入ろうと思う。

昔、あるいは今でも、一般に《セックス》とは《結婚》を前提にしている。そこには《愛情》が不可欠とされてきた。

しかし他方で、「歌舞伎町と貧困女子」(中村敦彦(50歳) 宝島新書)を読むと、現在、10代、20代の普通にどこにでもいるような普通の女の子が、ホストクラブのホストにハマる《ホス狂い》になり、ホストに貢ぐ大金を稼ぐために、風俗で働いたり、《空気を吸うように》売春をしているという。彼女たちの《セックス》は《愛情》と分離されている。

 「チツのトリセツ 劣化はとまる」(原田純 径書房)を書かれた原田純さん(68歳)がYOUTUBEで、一般には言いにくいことをはっきり言われている。

結婚している中高年カップルの奥さんから見た《夫》は、何の取り柄もなく偉そうにするばかりで、セックスも自己中心的で絶望しかない。欧米の老夫婦は結構な率で性生活をエンジョイしているが、日本はほとんどがセックスはご無沙汰で、性生活のあるカップルにとっても、女性側は仕方なく夫の相手をしているだけだという。妻にとって夫は、まったく期待できない。 高齢男性は、セックスで女性を圧倒するという固定観念を捨て去り、気の合うパートナーと、お互い相手を思いやり、スローで楽しいセックスを楽しみましょう、そうすることで男女が本来の自分を取り戻すことが出来ます、何歳になってもそれは可能ですと言う。 高齢の夫との《セックス》には、もう《愛情》がなく、両方を求めるためには、気の合うパートナーを見つけることだということになる。

ここまでのところ、《ホス狂いの貧困女子の売春》と、連れ合いと仕方なくする高齢者の《セックス》は、《愛情》がないという点については一致している。

「往復書簡 限界から始まる」(上野千鶴子・鈴木涼美 幻冬舎)は分厚い本だが、男女の《愛とセックス》について、往復書簡の体裁を取りながらストレートに主張し合った本である。上野千鶴子さん(74歳)の言い回しは学者らしく、曲がりくねっており、Googleさんに聞きながらを読む術しかないカナカナ用語が頻発して、アカデミックぽさが漂っている。

日本のフェミニストの草分けであり、大御所でもある上野千鶴子さんの発言は、「構造と主体」という切り口で考えられており、女性が永らく「社会構造」によって振舞いを制約されてきた被害者であるという立場である。こうした考えは、アメリカの黒人が劣っているとすれば、それは社会構造がそうなっているからだという《批判的人種理論》に通じるものを感じる。もちろんそういう側面を否定できないが、原因全てをそこに求めてしまうのは、やりすぎではないかと思う。

同時に、上野千鶴子さんの《愛とセックス》に対する姿勢についてだが、《セックス》は本源的に、《愛情》がセットになっているべきという観念が底流にあり、逆に、《愛情》のない《セックス》は女性を搾取し、貶めるという考え方に常に捉えられているように思える。 つまり、貧困を背景にした人を貶めるような構造的な買売春などを許さないのがフェミニズムだ、と主張されているように思える。それは、《愛とセックス》の話ではなく、社会の在り方への問題意識だと感じるのだが、どうだろう。

もう一人の書簡の書き手の鈴木涼美(39歳)さんは、元AV女優だったが、もう一方で、東大の大学院を出て日経新聞の記者だったという経歴がある。

彼女は、16歳のバージンだった高校生の時に、ブルセラショップで、パンツ、ブラジャーとルーズソックスをマジックミラー越しにキモ親爺に売り、キモ親爺がパンツを頭に被り、ルーズソックスを首に巻き、ブラジャーの臭いを嗅ぎながらながらマスターベーションをするのをうっすら分かるマジックミラー越しに見て、《男一般》に絶望した。この経験が、彼女の《愛とセックス》の入り口だった。 その鈴木涼美さんは、男に絶望すると同時に、軽蔑心や理解不能感を抱きながら、日経新聞の記者をやりながら、キャバクラで働き、AV女優稼業を並行する。

やがて、彼女は付き合っていた男の嫉妬心から、AV女優であることを会社や両親にばらされる。その後、鈴木涼美さんは会社を辞めて、社会学者へ、文筆業へと進む。

そのような経歴を持つ彼女は、後輩にAV嬢になりたいと相談されると次のようにアドバイスするという。ー「AV女優を引退することは出来るけれど、元AV女優を引退することは出来ない。」ーつまり、いつまでたっても、AV女優だったことに対するリスクから引退後も抜け出せない。ここに社会の怖さがある。AV女優だった出演料の中には、AV女優を辞めた後の生活費が上乗せされているという。

鈴木涼美さんは、男女関係を俯瞰する面白い著作を多く出版しており、男という種の馬鹿さ加減と、女という種の生存戦略など、また、彼女のちょっと、距離を置いた《愛とセックス》の見方に他にない新しい発見があり、結構面白い。

この二人の往復書簡は、上野千鶴子さんの言う、愛のない《肉体と精神をどぶに捨てるようなセックス》についてかなりのウエイトを置いて考察されている。

もちろん、上野千鶴子さんは《どぶに捨てるようなセックス》を提供する側を擁護する立場なのだが、鈴木涼美さんはニュアンスがちょっと違って、どぶに捨てるようなセックスであっても、それに対価が伴うのであれば、肉体と精神を捨てるということはないように思えるとも読み取れる。

ここで果たして、金で買われた《セックス》は、本当に尊厳やプライドを傷つけるのだろうか、という疑問が出てくる。

親爺が思うのは、金で買われたセックスでも、お互いが納得していれば《必要悪》レベルなのではないかと思う。《セックス》は、別に魂までを売る行為でもなく、《どぶに(自分を)捨てる》行為でもないだろうと思う。

原田純さんが言うように、「セックスは究極の遊び」だというのが親爺の結論です。

しかしながら現実は、《セックス》が仮に《究極の遊び》に過ぎないとしても、夫婦以外の気の合うカップルが《セックス》に没頭すれば、生殖能力があれば子供が生まれたりすることもあるだろうし、家庭を顧みなくなって、既存の夫婦関係が壊れる恐れが大いにあるでしょう。そこで社会通念や、宗教、倫理などが、夫婦以外のセックスを禁止してきた背景が、当然ながら頑としてある。 《セックス》の本質が、仮に《究極の遊び》だとしても、夫婦の片割れ、連れ合いの存在が《遊び》であることを許さない。

実際のところ、嫌な相手とセックスするのは男女どちらにとっても願い下げなのだが、好ましい相手となら《セックス》は《究極の遊び》に違いない。ただ、それを大っぴらに社会に向かって言うと、限られた経済状況やしがらみの中で生きざるを得ない我々にとって、結婚や家族の生活の枠組みなどを壊しかねない。それで、宗教を持った欧米人、その他の外国人、世間体をもっとも気にする日本人も、だれもが認めないのでしょうね。

こんな結論では平凡でつまらないでしょうか。(苦笑)

その1 おしまい

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