「深層」カルロス・ゴーンとの対話 郷原信郎(小学館)

郷原信郎の「『深層』カルロス・ゴーンとの対話」を読んだ。サブタイトルは、「起訴されれば99%超が有罪になる国で」である。なかなか読みごたえがある。この事件の「深層」が良く分かる。(以下、基本的に敬称略)

郷原信郎は、もともとカルロス・ゴーンの逮捕以降、容疑事実を含め検察の捜査や対応を批判してきて、それを書物の形で出版する予定だった。それが、ゴーンの2019年末のレバノン逃亡が起こり、改めて原稿を書きなおしたのがこの本である。最後の部分に、分かりやすいかと思ったので、出版元の小学館のキャッチ・コピーをペーストした。

まず、主が感心したのは、郷原信郎の経歴だ。Wikipediaによると、郷原は、東大の理学部の地質学科をでて、鉱山会社に入社、1年半で退職した後、司法試験に合格して、検事に任官している。メジャーな法学部出身者より志たかく、良いのではないか。別に安倍政権の批判なども徹底的にしており、彼の巨悪と徹底的に戦うぞという正義感には、つよく惹かれる。

何点か感じた点を書く。

① 日本の検察をはじめ、司法は、あまりに幼稚なロジックだけで判断しているように見える。「科学的」に判断するという姿勢が感じられない。「自白偏重」、「人質司法」という姿勢は全くそうだし、被告の主張を聞き入れず、検察が作ったシナリオに沿って調書を作成することだけに腐心し、検察が握っている証拠を被告側へ開示をしないなどと読むと、日本の裁判制度すべてが疑問に思えてくる。当然だが、「推定無罪」の原則に立ったうえで、科学的、合理的に検察は罪を立証すべきだ。検察は、手の内を隠して裁判を進め、ほとんどの証拠物件を押収された被告の手元には反証するにも資料がない、そのような状況で進む裁判で、判事は検察に有利に取り計らう。—– この本に中に次のような記述がある。

「刑事弁護人の経験から言えば、「推定『有罪』の原則」が働いていると言ってもよいほどだ。「推定無罪の原則」からは、検察が、起訴の段階の証拠で有罪を十分に立証できない場合には、一定の期限を設定して、それまでに証拠が提出できなければ無罪となるのが当然だ。しかし、実際には裁判所は、検察に補充の証拠収集や立証の機会を与える。その結果、公判が長期化する。結局、弁護人が「無罪」の証明をしない限り、無罪判決はなかなか出ないというのが日本の刑事裁判の実情だ。」

② この本を読むと、明らかに日産内部のクーデターに検察が乗ってしまったことがわかる。西川氏が日産のCEOになって以降、業績の悪化が激しく、今回のコロナも考えると倒産してもおかしくないほどだ。西川氏はすでに、ケリー氏が暴露した報酬の割増受領の責任を取らされ、辞任している。しかし、カルロ・ゴーンが、CEOを辞任し会長になった時に、西川氏を後任者に置いたものだ。その西川氏がCEOになると同時に、業績が悪化し始め、ゴーンも「これではまずい」と感じ、西川氏の責任を考慮し、交代させることを考え始め、身の危険を察知した西川氏がクーデターを考えたのだろう。

実際の司法取引をおこなったのは、法務担当役員のハリ・ナダ氏と秘書室長の大沼氏であり、西川氏がこれを知ったのは逮捕の1か月前とされている。しかし、西川氏はもっと早い段階で知っていたと思われる。この司法取引の詳細も公判が始まるまで秘密にされるのだが、これも問題だろう。

③ なぜ、特捜部はこのような、会社のクーデターに加担したのか疑問がわく。これについて、著者は、特捜部長の森本宏氏の名をあげている。大阪地検特捜部が起こした、フロッピーディスクの日付の改竄(村木さん事件)という、不祥事で危機に陥った特捜部の地位を取り戻そうと、2017年に就任した森本氏が、スーパーゼネコン4社のリニア談合、文科省の局長の受託収賄、秋元司衆議院議員のIR汚職を指揮し、一定の成果をあげたと世間から評価される。しかし、これらの捜査は検察の常識を超えるものだという。その延長線上に、ゴーン事件があり、この捜査手法は常軌を逸しているが、これまでは結果がついてきたので、今回また検察の「私物化」が行われたのではないかという。

④ 全体ととおして、日本の司法制度全般が、他のセクター(教育や医療、コンピュータなど)も同様だが、世界とかけ離れているとしか思えない。判断の根拠に合理性よりも、村社会の掟が優先し、ロジックなしでも日本では許されているが、世界に通用しそうにない。本書からそのように感じた「取り調べでの検察官の言動」を引用する。

郷原 「取り調べ時の検察官の態度だが、あなたの説明を聞く耳を持っていたか。言い分を聞こうとする態度だったか?」

ゴーン 「私の言うことはまったく耳に入れようとしなかった。ただ、私の言うことに対抗するためにどうするかということで聞いていた。意見を変えさせるために。弁護士にも言われた。逮捕しているから起訴は決まっているから、説明しても無駄だと。検察官は、ただ起訴を正当化する理由をあら探ししているだけだった。」

また別の場面で、郷原 「それに対して何か反論はしなかったか?」

ゴーン 「彼らにとってはどうでもいいこと。私の主張を聞く耳がない。こちらの論理や説明は聞かない。私の話を聞くためではなく、私にとってダメージになる材料を私の口から引き出そうとしていた。議論をしようとすると、『あなたは賢すぎる』と言った。『私はあなたのように賢くない』、という言い方。『ただ、検察にはたくさんの人間がいるから、集まったら勝利するのだ』」と。・・・

録音テープがあるはずだし、こんな様子の取り調べはあまりに情けない。

合掌。

おしまい

—– 以下、本書のコピー —–

〈 書籍の内容 〉元特捜検事が10時間以上にわたり聴取!
田原総一朗氏 「この事件は、日産と経産省による正義を装ったクーデターだとはっきりわかった」
堀江貴文氏「これは、日本の司法制度が間違っている、と世界に伝えるチャンスだ」
両氏推薦!

特捜検事として数々の事件を手がけた著者が、ゴーン氏本人に計10時間以上もの単独インタビューを敢行、検察庁の悪慣習「人質司法」の異常性、日産の奇策「内部告発・司法取引」のガバナンス上の大問題、マスメディアの検証なきリーク報道について、プロの目で聴取を行った。その赤裸々な証言から、法曹界、産業界、マスメディアに向けて大きな警鐘を鳴らす1冊が誕生した。

  • ●証言であぶり出された「深層」とは
    ジェット機に踏み込む逮捕画像はフェイク!?
    検察による「人質司法」の生々しい実態
    「自白するまで家族に会わせない」検察の常套手段
    ヤメ検弁護士と検事の不気味な関係
    ヴェルサイユ宮殿で結婚式を挙げていない 
    ゴーンを叩き潰そうとしたのは誰か
    「ルノーとの合併回避」は口実だった!? 

 

 

 

 

ゴーン事件・日本の司法取引制度 映画「ウルフ・オブ・ウォールストリート」から

ゴーン逃亡事件は、日産経営陣が社長陣の犯罪を司法取引制度を使って、検察に不正を訴え出たことが発端だ。つまり、西川前社長たちのグループが、日本で認められている「捜査公判協力型」の司法取引を使い、自分たちの罪を軽くしてもらうことと引き換えに、ゴーン社長陣の犯罪の証拠を提供したはずだ。

ところが、この司法取引制度を弁護士事務所のブログは次のように評している。

一方で、ドラマなどによく出てくる「自己負罪型」といわれる、被告の知っている情報を捜査当局に提供することで自分の罪を軽くしてもらう司法取引は、日本の制度では、認められていない。つまり、ゴーンさんの立場からは、西川陣営の不正を知っていたとしても、それで刑を軽くしてもらう手段がない。訴えた西川陣営だけが、刑罰の減免を受けられる。(現に、不正な報酬を手にした西川前社長は、その件について起訴されない)

このような背景があるのだが、ホリエモン(堀江貴文)が日本とアメリカの司法制度の違いを理解するのにスコセッシ監督、ディカプリオ主演の「ウルフ・オブ・ウォールストリート」が分かりやすいと、YOUTUBEで勧めていた。

この映画、ウォールストリートでのし上がってきた新興の株式ブローカーを描いており、ディカプリオが主演で、めちゃ面白い。女性まみれ、ドラッグまみれで破天荒なのだが、達者なセールストークで顧客から金を巻き上げ、どんどん成功のステップを登っていく。しかし、最後はお定まりの逮捕劇。被害を捜査していたFBIが、司法取引を使って、部下たちから社長の犯罪の証拠を得る。様々な罪状を足し算するとディカプリオは懲役20年以上になる。一計を案じる主人公のディカプリオ。結局、罪人を一網打尽にし、被害者へお金を戻したいと考えるFBIの勧めに従って、ディカプリオも自分の持っている犯罪の証拠をFBIに提供することを決心する。ただし、本当に仲の良かった一人については、証拠をFBIに渡さなかった。結局、彼も司法取引の恩恵を受け、3年の懲役刑になる。その3年は、仲の良かった仲間を守った代償だった。

というのが、あらすじだ。ゴーン事件と対照すると、日本にもアメリカと同様の「自己負罪型」の司法取引制度があるなら、ゴーンが知っている証拠を検察に提供することで、彼の罪が軽くなる可能性があるはずだと言うことだ。

ホリエモンは、この司法取引に関する制度改正の契機となった、えん罪で刑務所に入った村木厚子さんの郵便不正事件について、「村木さん事件を考えれば、顔を見たこともない係長が、村木さんを主犯にすることで、自分の刑を軽くしようと試みることが想定され、えん罪を生むのではないか」という反対意見を国会の参考人として述べている。しかし結局、原案どおり法律が成立した背景がある。

ちなみに村木さんは、えん罪事件の検察の取り調べの過酷さを「全くの素人である私が、レフェリーもセコンドもいないリングで、取調官と二人きりで闘わせられるようだった」という興味深い表現でされている。

おしまい

 

 

カルロス・ゴーン行ってらっしゃい! 《江戸時代の日本の司法》

日本でガラパゴス化しているセクターの一つに刑事司法制度がある。

よく言われるのは、刑事事件で警察に取り調べる際に、諸外国では弁護士が同席できるらしい。それで、日本の制度は海外から「中世のようだ」と言われる。刑事事件で起訴されると有罪率が99%以上あり、検察は有罪にならないと自分の能力を否定されると感じ、何としても有罪に持ち込もうとする。「推定無罪の原則」はない。これは逆に言うと、有罪に持ち込めないかも知れない案件は起訴しないことを意味する。巨悪が懸念されていても有罪の確証が得られないものは起訴したがらない。最近では伊藤詩織さんがレイプされたとTBS記者の山口敬之氏を訴えたことに対し、検察審査会が「不起訴相当」にしたのだが、他の力学の存在も疑わせるものの、典型的な例だ。結局日本の司法は、江戸時代以前の自白主義のままで、「自白が証拠の王」との考えが依然として変わっていない。これでは、取り調べ段階で何日も拘束し、睡眠も与えずに取り調べをすれば、取り調べに耐え切れずに、自白を強要される場合があるだろう。だから、99%の有罪の中には、えん罪が結構あるはずだ。

大体、裁判官が思いっきり上から目線で、事件を反省しない被告には量刑を重くして説教を垂れ、裁判の過程でも事実認定を争うより、自白を前提にして、どれだけ反省をしているかで、量刑が争点になっていることが多い。

結局は、法の作りが前近代的なのではないか。主のサラリーマン時代は、官庁系業務で経理畑が長かったが、こちらも国の会計法が様々な制約を加えているのだが、こちらも明治の制定以来、根本的な改正がされず、ボトルネックになっている。

実刑判決で2年半刑務所暮らしをしたホリエモンが、YOUTUBEでゴーンの裁判プロセスを予想していた。日本の司法に従事する、検察と判事の人事異動のコースを踏まえた説明をする。また、裁判記録を閲覧できないし、していないという前提だが「裁判は間違いなく地裁で有罪判決が出て、高裁、最高裁へと争うと結審までに10年かかり、判決は少なくとも5年の実刑になるだろう。65歳のゴーンさんは80才になるのではないか。検察は、日本で初めて導入された司法取引を使ってみたかったんでしょうね。ただ、日本の司法取引には問題があり、アメリカでは被告にも対抗措置がとれるイーブンな制度だが、日本の被告にはそれがない制度になっている。」というのが彼の見立てだった。

堀江貴文氏「有罪なら出所80歳」ゴーン被告が心配

こちら公判前整理と保釈について詳しい解説を聞ける。↓

おかげで、ゴーンを内部告発した西川前社長は、その後、役員報酬を不正受領したことが発覚した際、社長を辞任するのだが、検察の取り調べを受けることがなく、ゴーン側の弘中弁護士が「この違いは何なのか!?」と言うことになる。

下は、12月30日のYOUTUBEである。日本脱出のホリエモンの推理は当たっている。どうやらゴーン事件はうやむやにされそうだ、というのがホリエモンの見立てだ。

——-2020.1.11追記———-

ところで行っちゃったゴーンさんだが、日本側はICPO(国際刑事警察機構)をつうじてレバノン側に引渡しを要求したが、両国の間に犯罪人引渡し条約がないので引渡しは困難だろうといわれる。これは、日本はこの条約を締結している国が、米国と韓国のみしかないのだが、普通の国は、数十か国あるのが普通だ。これは、日本に「死刑制度」が残っているからだといわれる。特に、欧米諸国は死刑制度を廃止しており、死刑制度を残している国には、引渡し条約を締結しようとしないということだ。アジア諸国には、「死刑制度」が残っている国が多いのだが、日本が世界の趨勢から、遅れている感は否めず、先進国を標榜するのは止めた方がよい。

また日本の検察は、ゴーンさんの会見の前日に、キャロル夫人に逮捕状を出した。これに対し、夫人は

“I find this a belittling act from an alleged great democracy.”

と発言し、新聞社などは、「キャロル容疑者は『立派な民主主義と自称する国が、ささいなことをしている』とも発言した」と伝えている。しかし、正確に訳せば、「立派な民主主義と自称する(言いつのる)国が、価値を下げる振る舞いをしている」という感じだと思う。

ここで、注意してほしいのは、「立派な民主主義の国」ではなく、「自称」と皮肉を言っているところだ。言外で「民主主義でない国」と言っているのだ。大体外国人は、日本人のようにストレートな批判をしない。スマートな皮肉で、痛烈な批判をする。その皮肉が分からない日本人もいる。

おしまい

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