救いがたい日本 日本人に生まれて情けない その2 マスコミの事件報道

その2 マスコミの事件報道

警察が誰かを逮捕したときに、マスコミはすぐさまどういう容疑で誰が逮捕されたか、認否はどうか、動機はなにかについて、すぐさま報道する。あまりに当たり前に報道されるので、日本人は「どこの国でも、こんなもんだ。」と思っているが、実はこれは異常なことである。

次はサンプルとして事件をコピペしてみたものだ。事件は毎日報道されているので、あくまでサンプルである。この事件は、子供を殺害した母親の事件のようだが、「捜査関係者」が報道機関に漏らしているのが分かる。事件内容を詳しく漏らしているようだが、そもそも漏らすことも報道することも両方が人権無視でありえない行為だ。

例えば、本日のニュース いつもこんな感じである。冤罪やったらどないしますねん!?

つまり、逮捕されただけでは、有罪かどうかはわからないし、「推定無罪」の原則があるので、シロクロは、裁判の結果が出るまでわからない。気安く容疑者が犯罪をしたという前提で報道するのは、「推定有罪」に立っていると言えるくらいの明らかな「人権侵害」である。

しかし、この人権侵害は毎日起こる事件報道で必ず行われている。

マスコミは事件があって、逮捕されたとなると、警察や検察のところへ出向き、上に書いたような情報を担当官からもらって来るのが仕事で、同業他社を出し抜ければ、特ダネとなる。このため、マスコミの警察、検察担当者は走り回っている。マスコミのうち、大手マスコミは、記者クラブという部屋を公的組織の中にあてがわれ、朝からクラブに詰めることが許され、記者会見に優先的に参加でき、事細かな記事をもらう特権がある一方で、公的機関の担当官と個人的にも親しく良好な関係を築こうとする。 わかりやすい例が、東京高検の黒川検事長で、朝日新聞と産経新聞の記者と記者の自宅で、仲良く麻雀をして、連帯意識を醸成していた。

こうしたマスコミが、捜査機関の漏らす情報の意図に沿わない記事を書こうものなら、この情報ソースの担当官は、次回からエサを与えてくれなくなる。このために、忠犬ポチよろしく、公権力の出す情報をそのまま無批判に疑問を挟むことなく、国民に流している。これが、日々の事件のニュースである。

しかし、この警察と検察の捜査情報は、業務上の最高の機密であり、これを漏らすのは国家公務員法100条第1項の「守秘義務違反」であり、109条第12号で「一年以下の懲役又は五十万円以下の罰金」である。

逆に、刑事訴訟法では、公判前整理手続きで、証拠を被告と弁護士に見せなくてはならないとされているものの不十分で、全てを開示しないということらしい。ところが、公判で取り上げる予定の被疑事実をマスコミが報じていたりするという。 もうこうなると、弁護士が知らない情報を、検察側がマスコミへリークしているということだ。

ネットで見ていると、このリークに対して、例えば、政治家の鈴木宗男が抗議していたり、国会で人権侵害だと抗議声明を出していたりするのだが、マスコミ側は情報ソース(リーク元)をあくまで秘匿するので、マスコミと検察側は、「持ちつ持たれつ」の関係である。

次は、元特捜部にいた弁護士の前田恒彦さんが、捜査当局がそうしたリークをする理由をヤフーニュースに述べたものだ。

この記事の中で、『記者も現場の捜査官にはストレートに聞かず、「遅くまでお疲れ様です。今日は激励のごあいさつに参りました。○○の件、いよいよ××を事情聴取するようですね。大変でしょうが、がんばってください。応援しています」といった言い方をする。』と書かれているのだが、記者と検察のポジションが良く出ている。

なぜ捜査当局は極秘の捜査情報をマスコミにリークするのか

https://news.yahoo.co.jp/byline/maedatsunehiko/20131116-00029664 →その1

https://news.yahoo.co.jp/byline/maedatsunehiko/20131203-00030300 →その2

https://news.yahoo.co.jp/byline/maedatsunehiko/20131231-00031031 →その3

〈結論〉

結論は、マスコミは自分の足と目を使って、正しい記事を書いていない。公権力を持つ捜査機関が出す情報を右から左へ出しているだけだ。

警察と検察は、そうしたマスコミを利用して、世間の空気を誘導する。最終的に、裁判官がそうした世論の空気を読んで、ありがたいご宣託をえらそうな口調で下す。

マスコミは、捜査機関の言うなりの記事を書いていると言ったが、捜査機関に限らない。政府、総理大臣だったり、官房長官、財務省だったり、厚生労働省だったり、地方公共団体もそうだろう。マスコミの記事は、為政者の発言を代弁しているだけだ。

為政者だけではない。強者だ。決して、弱者を代弁していない。無知な大衆が、違和感なく読みたいもの、聞きたいものだけを流し、実際の世間で起こっている貧者の窮状を訴えたりしない。

真実を見極めるという姿勢がまったくない。あるのは、忖度、忖度、忖度ばかりである。

次回は、マスコミが骨抜きになった「情報公開法」「個人情報保護法」と、官僚のつけるネーミングの上手さについて書きたい。

おしまい

ゴーンさん逃亡 検察の情報リークとマスコミ報道 & 郷原信郎弁護士「検察の大失態」

昔から問題になっているのだが、主が、今回のゴーンさんの会見で初めて気づいたことがある。それは、日本の報道機関の報道の姿勢と内容についてである。

彼は会見で、検察が守秘義務違反をしながら、捜査情報を意図的、大量にマスコミにリークし、マスコミはその情報を無批判に報道する結果、一方的に「悪者」にされたという。一方の弁護側は、被告を守る立場から情報をマスコミに流すことは少ないので、世間は「ゴーン=悪者」と思っている。主の周囲でも、この事件が話題になることがあるが、「国外逃亡しておいて、日本の司法制度を批判するのは何事か!」というのが、多数派である。ただ、これは検察の持っている捜査情報が大量に、一方的にリークされ続けた結果に他ならない。多くの国民が、検察の情報操作を受け入れているのだ。もちろん、なぜ検察がそのような情報操作をしたがるのかというのは、最終的に「有罪」の判断をしたときに、世論の反発を受けたくないからだ。

国家公務員法第100条で国家公務員に対していわゆる守秘義務を課しており、検察が捜査情報を流すのは法律違反なのだ。

ところが、日本の事件報道では、事件直後から犯人とされる人物が歩く防犯カメラ映像などが流されたり、認否情報が流されるのが、ごく一般的な報道である。殺人などの粗暴犯に限らず、経済事件などでも、事件発生時から、マスコミは被疑者の映像や背景などをじゃんじゃん流す。われわれも、それが当たり前だと思っている。事件が起こったら、犯人と思しき人物を速やかに特定し、いかにその人物が悪いかをマスコミに断じてもらいたいという我々の願望のような長年の「刷り込み」が底流にある。

しかし、ここで考えなければならないのは、逮捕され、起訴され、有罪判決が下されて初めて犯罪者となるわけで、事件が起こった直後は、単なる被疑者または被告人だ。刑が確定するまでは、「推定無罪」であり、人権が守られなければならない。事件直後、捜査もしていない段階で、被疑者の情報が報道されること自体が、オカシイのだ。 ところが、日本の事件報道ではそうなっていない。 逮捕される前でも、ただちに犯人扱いした報道がはじまる。

主は、約10年前になるが4年間ブラジルで暮らしたことがある。ブラジルで、ニュース番組の事件の報道が、「日本より簡単だな、短時間だな」と思っていた。外国の事件報道では、事件直後から被疑者を犯人扱いせず、刑が確定するまでは、掘り下げた報道をしないのだと思う。

この日本の事件報道のあり方は、被告の人権が守られていないという観点で、弁護士会でも問題にしていたり、過去に国会でもとりあげられている。

マスコミ側も取材に必死で、事件が起こるたび、検察官や警察に張り付き、捜査情報をもらうことに必死で、批判的な記事を書こうものなら、次に情報をもらえないので、捜査機関に追従的な記事にならざるを得ない構図がある。マスコミにとって、大事件は、ホリエモンの言う視聴率を稼げる「メシウマ」であり、情報源は、検察サマサマだ。

マスコミも妙な(というか「間違った」)正義感を振りかざし、被疑者をバッシングする記事を書けば、読者に読んでもらえると思う姿勢そのものが、間違っている。

ところで、このゴーンさん事件、もう一つ説得力のある人の動画を見つけた。東大の理学部を出て弁護士になった、異色の郷原信郎弁護士で、東京地検特捜部の勤務経験もある。この動画の中で、「ある日本人が北朝鮮で裁判にかけられ、北朝鮮から逃げ出す機会があるときに、あなたは北朝鮮で身の潔白を証明しろと言えますか?」というくだりがある。北朝鮮に失礼?かもしれないが、とても理解しやすい。 また、裁判の争点整理手続きの中で、弁護人側が提出した書類にゴーンさんが会見で明かさなかった政府関係者を、「官房長官」と書かれていると述べておられる。

 

おしまい

 

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