如何に死ぬか 「大往生したけりゃ医療とかかわるな」中村仁一

中村仁一さん(73歳)というお医者さんが『大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ (幻冬舎新書)』という本を書かれている。(「年に1度棺桶に入って、横たわって見なさい」とうことを言われています。)

アマゾンからキャッチをコピーをすると — 3人に1人はがんで死ぬといわれているが、医者の手にかからずに死ねる人はごくわずか。中でもがんは治療をしなければ痛まないのに医者や家族に治療を勧められ、拷問のような苦しみを味わった挙句、やっと息を引きとれる人が大半だ。現役医師である著者の持論は、「死ぬのはがんに限る」。実際に最後まで点滴注射も酸素吸入もいっさいしない数百例の「自然死」を見届けてきた。なぜ子孫を残す役目を終えたら、「がん死」がお勧めなのか。自分の死に時を自分で決めることを提案した、画期的な書。大往生今は、昔と違う。昔はみなあっけなく死んでいった。殺されたり、自刃したり、病に倒れたり、飢えで死ぬこともあっただろう。元気な人しか生きていなかったはずだ。

ところが、現在。死ぬのは大変だ。母は、間質性肺炎がもとで亡くなった。幸い、救急車で中核病院の高度医療施設で治療を受ける事が出来、人工呼吸器を取り付け、一命をとりとめた。人工呼吸器は患者にとって非常に苦しく麻酔を併用するため、意志を表す事が出来なくなる。その高度医療施設で容体は安定するのだが、他の患者に対応する必要があるため、2週間ほどで転院を求められた。転院した先の病院では、「意識がないままの状態になるが、人工呼吸器と高濃度の点滴でずっと生かせることができます」と医師から治療コースを松竹梅の中から選ぶようなことを言われた。

最初の高度医療施設の支払いは、150万円程の治療費に対して支払った額は、確か5万円程度。転院した先の病院の方は、詳しく覚えていないがやはり100万円以上の治療費に対して負担した額は10万円程度だったと思う。患者の家族は、治療費が安いことは有難い。だが、残りの大半の額は社会全体で負担しているはずだ。

父は、母をなくす少し前から認知症の傾向があった。そのころ、新聞が大好きだった父から新聞を止めたと聞かされたが、ブログの主も認知症のサインだとは気づかなかった。その認知症の始まりのころ、よく「いつ死んでもええんや」と言う意味のことばかり言っていた。その後、認知症の症状はどんどん進み、いまでは家族のこともわからない。介護付き老人ホームのお世話になっているが、社会の負担は大きい。ホームの料金は20万円程だが、別に介護保険を15万円、他に医療費が毎月10万円ほどかかっている。1か月45万円。介護保険、医療保険の本人負担は1割。本人が負担しているのはホームの費用と保険の1割で、20万円ほど。

医者と治療方針を相談したが、医者は絶対に治療を諦めない。治療を続け、呆けた状態であっても、寿命が尽きるまで穏やかに生かせるのが家族にとっても、医者にとっても、老人ホームにとっても最良だそうだ。父はもう「いつ死んでもええ」とは言わなくなった。「食事は美味しい」と言っている。確かに家族にとっては、父が穏やかに生きていることは嬉しい。だが、おとなしく文句も言わず手のかからない老人の存在は、老人ホームの収益に貢献しているし、医者も毎月収入を得ているのは間違いないだろう。

こうしたことはなかなか語られない。だが、コストはだれが負担しているのだろう?

このような高負担に社会が耐えられなくなってきているのは、間違いないだろう。ブログの主は60歳を過ぎたら健康診断を受けないつもりだ。気が付いたら手遅れ、これが理想だろう。(ただし、実際の主は医者へ足しげく通っており、医者マニアかなと思うほどだ。汗。(^^);;)

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