グールドの演奏の秘密 驚く椅子の低さ! 角野隼人さんのコメント NHK《孤独のピアニストの肖像から》

2023年2月26日、NHKのFM放送で3時間という長時間にわたる「アート・オブ・グールド ~ 孤独のピアニストの肖像」というグレングールドについて特集した番組の再放送があった。

この放送の中で、グールド好きのリスナーにとって非常に興味深い《グールド体験》がレポートされたのでこれを報告したい。

宮澤淳一氏

この番組は3時間あったため、グレン・グールドについてかなり掘り下げたものになっていた。彼の演奏をわりと長くオンエアしつつ、日本のグレン・グールド研究の第1人者である宮澤淳一氏と、漫画家のヤマザキマリ氏のお二人がメインスピーカーだった。宮澤氏は、グールドを1980年頃からずっと研究されてきた青山学院大学教授で、グールドに関連する書籍の翻訳や映画の字幕監修、多くの評論などを手掛けておられ、この人なしでグールドは語れない。

ヤマザキマリ氏は、親爺は単純にテレビにも出られる人気漫画家だと思っていたが、なによりそれ以前に画家、芸術家であり、芸術と芸術家に対する洞察力はたいへん素晴らしく大いに感銘を受けた。

ヤマザキマリ氏

他に2名のゲストとして、ピアニストを目指していた時期にトロントで実際にグレン・グールドに会われた熊本マリ氏と、2021年のショパン・コンクールでセミ・ファイナルまで進まれた角野隼人氏が登場された。

角野隼人氏は、クラシック音楽だけでなく他のジャンルのピアノも弾かれ、「Cateen かてぃん」という愛称のYOUTUBEでも人気のピアニストである。また、東大の情報工学系のAIなどの研究者でもある。

グールドの演奏は、低い椅子に座り指だけでピアノを弾くもので、何千人も入る大ホールで演奏されるショパン、リスト、チャイコフスキーなどロマン派の作曲家の大曲は、鍵盤を打ち下ろして大音量を出すことが必要だが、彼はそもそもこうした作曲家を評価していなかったし、実際に弾けなかったと思われる向きがある。

角野隼人氏

というのは、彼はピアノを弾くときには、脚を10センチほど切り取った低い椅子に座り、おまけにピアノの3本の脚を3センチほどの高さの木のブロックに乗せ、ピアノを持ち上げて弾いていた。

写真の椅子は、グールドが生涯使い続けたもので、グールドを語る上でのある種のシンボルになっている。この椅子は、グールドの父バートが作ったもので、脚を切った後、真鍮のネジで高さを微調整出来るようになっている。グールドはこの椅子が気に入り、アクシデントに備えるためにスペアの椅子を作り、音楽については、すべてに入念で妥協することない性格のグールドは、この椅子とスペアの椅子の二つを持ち運んでいた。やがて、スペアの椅子は持ち運ぶ必要がないと気づくのだが、最初に作った椅子を生涯使い続けた。この椅子の他に、他の椅子も作るのだが、結局のところ気に入ったものは出来なかったという経緯がある。

この椅子も、もちろん最初のうちはお尻のところにクッションが入った座面があった。しかし彼は、ツアーへ行くにも、スタジオにこもって録音するようになっても死ぬまで使い続け、座面のクッションは、やがて内容物がやがてはみ出すようになり、晩年には座面が無くなって、とうとう木の枠組みだけになってしまった。おかげで、演奏するグールドの写真に写る椅子の傷み具合を見ると、おおよその年代を推察できる。

おまけに、彼は低い位置でピアノを弾くだけでなく、彼が好むピアノは、即応性に富んだ軽いタッチの鍵盤を持つピアノだった。

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この日の放送では、レプリカの椅子を使って角野隼人さんに弾いてもらい、一般的なピアノと比べたときの違いについて感想を語ってもらうというのが、実験の内容だった。

いよいよ、角野隼人さんがスタジオのピアノで《グールド体験》をする。

角野「はい、グールドの気持ちを味わっております。」

角野「でもなんか、座って見たら思ったより低くはないというか、まあ、気持ちは理解できるかもぐらいの・・・もっと、低いときもあったんでしょうか。」

宮澤「椅子としてはそうなんですが、ピアノの脚の下にブロックを入れて、鍵盤を高くするから、相対的にはもう少し低い椅子になるんですよ。・・・角野さんとしては、どうなんですか。はっきり言って弾きやすい、弾きにくい?」

角野「・・・この状態だと、これで弾きやすくなるという表現はある気がします。・・・これより低くなると、鍵盤に体重をかけることが難しくなるので、大きな曲は難しくなるのではないかと思います。・・・それは、グールドのレパートリーとも絶対に関係していると思いますが。」

角野「自分の体が下に行くということは、すべてが体が、下に行く、手首が下に行くわけですが、鍵盤を押し下げるときのエネルギーというのか、おそらく、必要な体を動かす量が最小限でおそらくすむので、そういうところは絶対演奏に影響してきますよね。」

ヤマザキ「余計な負荷がかからないための工夫だったんですね。」

角野隼人氏、パラパラとピアノを鳴らしながら、考える。ジャズ的な和音も鳴らす。

角野「あと、ピアノとかピアニシモの絶妙な表現とかは、まあ、ぼくもグールドほど低くはないですが、姿勢を下げることで細かな表現はしやすくなるという印象は持っています。」

宮澤「生演奏(ツアー)をしていたグールドの誉め言葉としては、『ピアニシモが美しい』という指摘はあったんですよ。」

ヤマザキ「『あと姿勢よくして弾いたらどう』って感じなんですけど、しょうがないんですよね。そうすると弾けないんですもの仕方ないですよね。」(笑い)

角野「あと、疲れないですよね。疲れたときにピアノ弾きたいときには、こんぐらいの方がいいですよね。」

宮澤「あと、グールドのピアノの鍵盤はもっと軽い鍵盤だったと思うんですよ。そうするともっと快適だったかも知れませんね。」

角野「鍵盤を軽くすると、高い椅子で弾くことは難しいでしょうね。低い椅子じゃないと鍵盤を極端に軽くする意味はないように思います。・・・上からだと自分の体重をコントロールしなければならない訳だから、椅子が低いと重心が下にあって指を下に下げるだけで弾けることになって、そして軽いとなって、指先でのコントロールを望んでいたんですかね。どうなんですかね。」

宮澤「鋭い指摘だと思います。」

おしまい

グレン・グールドのSACDハイブリッド バッハ全集が出ました!!

Tower RecordのHPから

昨年から順次、生誕40年、没後90年を迎えたグレン・グールドのリマスターされた録音物が発売されており、SACD規格によるバッハ全集も発売された。

詳しいことは次のTowerRecordの記事を見てください。

https://tower.jp/article/feature_item/2022/10/03/1110

SACD規格というのを簡単に説明すると、これは現段階でもっとも音質が良いとされるハイレゾの規格の一つである。ハイレゾには、CDの録音規格を高規格化したPCM録音という方式と、変調方式の違うDSDがあるのだが、SACDはDSD方式とほぼ同一と言われる。インターネット販売ではどちらも販売されている。

ただし、SACDをこのようなリアルな媒体で買うと、CDのようにコピーすることが出来ない。また、SACDを再生できるプレーヤーが必要である。今回発売されたメディアはハイブリッド盤なので、CD再生機でも再生できるが、CDレベルの音質でしか再生できない。CD再生専用機を使用するのであれば、CD向けにもリマスターされた規格のものが売られているのでそちらを買えばよい。

今回の全集に含まれるバッハ作品のうち、《平均律クラヴィーア曲集》、《インベンションとシンフォニア》、《パルティータ集》、《イギリス組曲》、《フランス組曲》もこの全集に含まれているのだが、これらはSACDで従来から販売されていた。

今回新たにSACD規格で発売されたのは、《1955年録音のゴルトベルク変奏曲》、《フーガの技法(オルガンとピアノ)》、《ヴァイオリンソナタ集》、《チェロソナタ集》、《ピアノ協奏曲集》、それにCBCテレビ局音源、ソ連公演、ザルツブルク音楽祭のリマスターなどである。

グールド・オタクに有難いと思えるのは、ブックレットが充実しており、ライナーノートが日本語でそのまま読めたり、グールド研究の第一人者である宮澤淳一さんの解説だったり翻訳を読める。また、ミヒャエル・ステーゲマンのしっかりした解説も読める。また、ジョン・マックルーアとティム・ペイジの対談CDが含まれているのだが、こちらも完全な日本語訳がついている。至れり尽くせりです。

特に親爺が有難たいと思ったのは、リマスターされていなかったピアノ版の《フーガの技法》が初めてSACD規格でリマスターされたことである。親爺は、この曲が一番好きで、この《14番の未完のフーガ》をしょっちゅう聴いている。

この未完のフーガについて、グールドが映像作家のブリュノ・モンサンジョンに次のように語ったとブックレットにある。

  • 「あの未完のフーガは確かに情にも訴える。何しろバッハの絶筆だし[・・・]しかし本当の魅力は平穏さと敬虔さ。本人も圧倒されたはず。このフーガに限らず曲集全体に言えるのは、バッハが当時の音楽の流行全てに背を向けていたことだ。彼の晩年、フーガは流行らなくなっていた。[・・・]フーガでなくメヌエットの時代なのにバッハはきわめて意識的に自分の和声のスタイル変え[・・・]別の地平に達していた。バッハは100年以上さかのぼり、対位法や調性の処理法を借用した。バロック初期の北ドイツやフランドルの作曲家のもので、調性を使いながら鮮やかな色彩を避け、代わりに薄い色合いが無限に続く。私は灰色が好きだ。シュヴァイツァーがいいことを言っている。『静寂で厳粛な世界、荒涼とした色も光も動きもない世界』と」
  • 未完のフーガの最後の音を弾いた瞬間、グールドは感電したように左手をさっと持ち上げる。映像は静止し、腕は宙で凍りつく ー 「あらゆる音楽の中でこれほど美しい音楽はない。」この未完のフーガを弾くグールドの姿を見た者は、この瞬間の映像を決して忘れることができない。(訳:宮澤淳一)

追加情報なのだが、3月26日(日)にタワレコで宮澤淳一さんによるこのSACD発売トークイベントがあります。まだ間に合います。駆けつけましょう。

https://tower.jp/article/campaign/2023/03/23/02

おしまい

なぜグールドにハマったか その2HEREAFTER(時の向こうへ/来世)

グールドの映画に《HEREAFTER(時の向こうへ/来世)》という映画がある。

2006年に公開されたものだが、ブルーノ・モンサンジョンが未公開映像を交えながら、グールドの生涯と作品を振り返ったものだ。プロのヴァイオリニストでもある映像作家のブルーノ・モンサンジョンは、グールドが1982年に亡くなる直前に、グールドとバッハの演奏(ヤマハのピアノを使って録音したゴルトベルク変奏曲や、フーガの技法など)を残しているグールドの良き理解者である。晩年のグールドに若いときの勢いは影を潜め、思索的、瞑想的な演奏へとウエイトが移り親父は大好きだ。

日本のイメージに使われた竹林

この映画の中には、1970年代に日本の女性ファンがグールドに書いた手紙に対する返事を、グールド研究の第一人者である宮澤淳一氏がその女性に届けるというシーンが出てくる。この手紙を出したファンというのは、写された手紙の名前と、《グレングールド書簡集(みすず書房・宮澤淳一訳)》から推測すると、どうやらチェンバロ、シンセサイザー奏者の岡田和子さんらしい。この《書簡集》には、他にも日本人のファンに対するグールドの返信がいくつか掲載されていて、グールドはファンレターに返信していたらしい。また、こういうシーンに日本人が出てくると、ぐっと身近に感じられる。

その《HEREAFTER(時の向こうへ/来世)》から、いくつかエピソードを紹介したい。

この美しい女性は、1982年のゴルトベルク変奏曲の再録音を聴いてグールドのファンになり、カナダの街角で、グールド作曲の弦楽四重奏曲のテーマの4音をモチーフにしたデザインを入れ墨に彫った。彼女の語りが素晴らしい。

「私はグールドについて全く何も知りませんでした。彼が1982年に録音した音楽を聴いてその魅力に夢中になりました。私は、以前から闇に包まれたような音楽に惹かれていました。瞑想にふけるような1982年の録音は、まさに最高の録音だったということもあるし、それからいくつかのカノンは極端にゆっくりしていて本当に驚くべき美しさをもっています。特に、その緩慢なリズムはグールドの生涯では遅い時期に生まれています。 同時に彼のハミングが聞こえてくる。私の先生は、ある人たちにはうるさく聞こえるかもしれないこのハミングを、ピアノを演奏する人間が感じられて力強い、と言っていました。」

「この四重奏曲は私の中に大きな跡を残しました。トロントまでグレン・グールドが生きた場所の巡礼に行ったとき、偶然街角の店の前で小さなプレートを見かけたのです。その時私は、『この4つの音はすごい力を持っている!』と思いました。このモチーフは伝記に載っていたものです。私はレコード屋で働いていたボブという男性にこのモチーフをコピーしてほしい、と頼みました。彼ははじめTシャツ用だと思ったみたいです。翌日Tシャツをめくって「さあ、始めて!」と私が言ったら、ボブははじめショックを受けていましたが、その後は、彼の悪魔的な部分が目覚めたのか、なかなかクールじゃないか、と思ったみたいです。ふつう入れ墨されるのは、ヘビーメタルのグループ名ですが、これはクラシック音楽の演奏家のためでしたから。」 

背中に彫られた入れ墨・グールドが作曲した弦楽四重奏曲の冒頭の4音

下の女性は、病気で生きる望みを失っていたのだが、グールドを知り、生きる希望を取り戻した。彼女は、知人たちにグールドを知らせる活動を始め、この活動を「グールドする」と命名した。知らされた人は、グールドの演奏と写真を知人に伝えなければならないと言う。親父も、おそらくその使命を帯びた一人のような気がする。皆さんも是非、「グールドして」くださいね! (^^);;

この映画の最後にドイツ人の音楽学者、作曲家で作家のミヒャエル・シュテゲマン(Michael Stegemann)が登場する。この人は、グールドの映像をどんな風に加工しているのか、ウィットが効いていて、あたかも対話するような動画を作っている人物である。この人が作った3枚組のSACD/CDハイブリッドの《Glenn Gould Trilogy》という作品が別にあるのだが、これも面白い。すべて英語なので、親父の耳には荷が重いのだが、グールドの生涯が伝記風に、グールドの音楽に乗せてグールド自身と関係者の声で語られる。SACD/CDハイブリッドなので音質も良く、とても良いです。

おしまい

(修正版)グレン・グールド・ギャザリング その2 「いかにしてモーツァルトはダメな作曲家になったか」 内田光子さんと比べて

リライト2021/10/8 YOUTUBEのリンクがうまくつながっていなかったので、加筆・修正しました。

YOUTUBEにアメリカでのテレビ番組「いかにしてモーツァルトはダメな作曲家になったか」があるのを見つけた。2種類のモーツァルトのピアノソナタK333もあった。

これらを聴いてもらえると、グールドの弾くモーツァルトが、いかに過激か!よくわかっていただけると思います。

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2017年12月に建国150周年を記念したカナダ大使館で、グレン・グールド・ギャザリングという催しがあったことを前回書いたが、そこで映画「いかにしてモーツァルトはダメな作曲家になったか」を見てきた。写真の席の左側に座ってパンフレットを広げておられるのが、グールド財団の方で、今回の上映を許可してくださったそうだ。また、右側と下の写真は、ずっとこのシリーズの解説と、字幕翻訳の監修をして下さった宮澤淳一氏である。氏は、青山学院大学教授で世界的なグールド研究の第一人者だ。

今回紹介する、超過激なタイトル!の映画、「いかにしてモーツァルトはダメな作曲家になったか」は、アメリカで1968年4月28日に放送されたテレビ番組の一部だった。グールドは当時36歳だったが、彼は32歳の時からコンサートを開かなくなっていた。そのため、もっぱらスタジオでのレコード作りをしていたので、テレビとはいえ、4年ぶりに生の姿を現したと話題になったらしい。この放送があった1968年頃といえば、第二次世界大戦後の文化、経済、政治あらゆる面で、大きく民主化や大衆化が世界的に進んだ時期と言っていいのではないか。ベトナム戦争の最中だったが、反戦運動も激化し、ヒッピー文化、サイケデリックなサブカルチャーやドラッグ、性の解放などが進んだ時代だった。そうしたアメリカでの2時間番組の40分ほどが、このグールドの放送だった。なお、再放送されることはなかったようだが、ググると仏語のDVDがヒットするので、販売されていた時期があったのかもしれない。(下の写真は大使館に展示されていたもので、コロンビアレコードのハンスタインさんが撮られたものである。晩年のグールドでこのように笑っている写真は少ないと思う)

ビデオを見て驚くのだが、グールドのモーツァルトへのこき下ろし方は半端ではない。モーツアルトは35歳で早逝しているのだが、グールドは前から「死ぬのが早すぎたのではなく、死ぬのが遅すぎた」と言っていた。

この番組では、モーツァルトの作曲態度を、安易で紋切り型の繰り返しに過ぎないとピアノで演奏しながら説明する。この説明には、ピアノ協奏曲の24番を使って説明するのだが、オーケストラが演奏するパートをすべてピアノ1台で弾きながら説明する。このピアノが、鮮やかで、オーケストラに引けを取らないくらい魅力的なのだ。ピアノの演奏の上手さと、語り口の激しさが、見ている方にとっては、メチャメチャ刺激的だ。

大体、天下の大作曲家、モーツァルトを、ここまで正面切って誰が否定するか?モーツアルトの美しいメロディーが変化していくさまを、ピアノを弾きつつグールドが解説し、その変化のさせ方が簡単に予想がつき、手抜きだというのだ。だが、グールドの語り口はともかく、演奏の方は見事で申し分ない。こんなに美しく移ろうのに、どこが悪いの?

この説明には、「クリシェ」というフランス語がキーワードで使われており、WIKIPEDIAではクリシェを「乱用の結果、意図された力・目新しさが失われた句(常套句、決まり文句)・表現・概念を指し、さらにはシチュエーション、 筋書きの技法、テーマ、性格描写、修辞技法といった、ありふれたものになってしまった対象にも適用される。否定的な文脈で使われることが多い」と書かれている。

この発言だが、どこまで本気なのか真偽のほどはわからないが、グールドの言っていることは一理あり、完全に本気なのかもしれない。だが、彼はモーツアルトのピアノソナタは、反面教師的に否定的なことを言いながらも全曲録音しているし、「モーツァルトが書く展開部は、展開していない」とこき下ろしたピアノ協奏曲のうち、番組で取り上げた第24番だけは見事な録音を残している。

この番組の最後の部分では、高く評価できるというピアノソナタ第13番変ロ長調K.333を13分程度で全曲演奏する。これがまた素晴らしい演奏で、主は大使館のホールですっかり感動してしまった。この曲は3楽章あり、驚異的なスピードの第1楽章、比較的ゆったりした第2楽章は、強弱のつけ方や、レガートに弾いたり、スタッカートで弾いたり、響きを区切ったり、残響を残したり変化をつけて飽きさせないで見事なのだが、第3楽章の中盤あたりにいわゆるサビがあり、とても盛り上がっていき、ひねりも加わって曲全体のハイライトがここにある。

このK.333の第3楽章を、ジェフリー・ペイザントが「グレン・グールド、音楽、精神」で次のように評している。「・・・グールド本人はいくつかのモーツァルト演奏において、まさにこの芝居ががった演技性を探求している。例えば、彼の演奏する変ロ長調ソナタ(K.333)の第3楽章は明らかにオペラ的であり、≪魔笛≫でタミーノが歌う <彼はパミーノを見つけたのかもしれない> に実によく似ている。グールドの弾くモーツァルトの終楽章には、モーツァルトのオペラの第一幕末尾を思わせるおどけた性格が頻繁に現れる。・・・」 要は早い話が、普通のピアニストが弾くモーツァルトの原曲とは、違う曲になっているんですね!!

主は、このブログを書くにあたって、英国で活躍する内田光子さんの演奏と比べてみた。内田さんは、日本を代表する世界的ピアニストなのだが、情熱ほとばしるというか、のめりこむところを表に出す正統派のピアニストだろう。

第1楽章を聴くと、何回繰り返すの?と思うくらいリピートしている。おそらく、グールドが、楽譜どおりの繰り返しをしていないのだろう。第2楽章は、大人しくて美しい。文句のつけようがないが、主はそれがどうしたと思うだけで、面白くない。いつまで弾いているの。第3楽章、やはり美しい。がそれ以上のものがない。全体をとおして、平板だ。美しい音色で美しい演奏だが、それ一本。びっくりする要素がない。ひたすら高音部のメロディーだけが、存在を主張している。

グールドは、低音部に自分で考えて勝手に音を加えて、低音部にもメロディーがあるように再作曲しているにちがいない。アーティキュレーション(フレージング)も自在だ。基本的にインテンポ(テンポを崩さず)で弾くのが彼の特徴なのだが、人に真似のできないようなスピードで弾ける(人に弾けないような遅さでも弾ける)。同じ弾き方を、何回もしない。繰り返すときはデタシェ(ノン・レガート)で弾いたり、弾き方を変え、サービス精神があって飽きさせない。なにより、低音部が伴奏ではなく、主役の一部を構成する。全ての音が、全体を考えたピースの1個であるかのようにコントロールされている。

50年経った今でも、未だにグールドは、アバンギャルドなのかもしれない。

・・・主は、グールドがモーツァルトの偉大さは認めながらも、言っていたのは本気だと思う。ちなみに、番組では「作曲家としてはダメだったが、音楽家としては偉大だった」と強調していた。

うまい具合に、YOUTUBEにどちらもあったので、はめ込んだ。グールドは、まったく違う2種類の演奏が見つかった!(どちらも、残念ながらテレビの録音は良くなく、CDやSACDはずっとよい。)

最初は、内田光子さんの演奏。3つに分かれている。ゆったり弾かれているのがわかる。

4番目からグールドの演奏。グールドの最初は、1967年3月のCBC(カナダ放送協会)のものだ。これは18分あり、モーツァルトをこき下ろした番組に比べると、わりとおとなしい(オーソドックス)な演奏をしている。

グールドの2番目が、テレビ放送「いかにしてモーツァルトはダメな作曲家になったか」の方である。きわめてエキセントリック、挑発的(だが、魅力的!)な演奏だ。 

大使館での上映では、宮澤淳一氏が監修された日本語字幕付きの映像を見ることができた。ぜひ機会を見つけて販売してもらえると嬉しい。(さもなくば死蔵することなく、YOUTUBEなどの手段をとってでも見られるようにしてもらえることを願うのみだ。)

https://www.youtube.com/watch?v=D_1pJ9sptk8

Glenn Gould performs Mozarts “Piano Sonata No. 13 in B-flat major“, at the classical music television series “Music For a Sunday Afternoon”, 140 years after the death of the legendary composer, originally broadcast on March 19, 1967.

こちらは、1967年5月19日カナダの公共放送であるCBCテレビで放送されたもの。

https://www.youtube.com/watch?v=L52LqcVAhGY

Excerpt from the “Return of the Wizard”, where concert pianist Glenn Gould enumerates on “How Mozart Became a Bad Composer.”

こちらが、「いいかにしてモーツァルトはダメな作曲家になったか」で放送された、モーツァルトのピアノソナタ13番K333を抜粋したもの。挑発的だ!

https://www.youtube.com/watch?v=1pR74rorRxs

Glenn Gould – “How Mozart Became a Bad Composer”の全編。設定のところをいじると、大いに問題がある怪しい日本語訳を表示させることができます。

おしまい

グールド おすすめCD 「坂本龍一コレクション」

今回は、これからグールドを聴きたいと思っている人向けのコンピレーションアルバムを紹介しよう。コンピレーションアルバムとは、ウィキペディアによると「何らかの編集意図によって既発表の音源を集めて作成されたアルバム」と書かれている。

絶対的と言って良いのが、「坂本龍一セレクション」だ。バッハ編とバッハ以外の2種類があり、各々2枚組なので4枚のCDにまとめられている。(厳密に言うと、バッハ以外のセレクションの最後には、「マルチェロのオーボエ協奏曲」をJ.S.バッハが編曲した「協奏曲ニ短調BWV974」が入っている。)

坂本龍一は、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)、映画「戦場のメリークリスマス」、アカデミー賞やゴールデングローブ賞を受賞した作曲家でもあるが、東京芸大大学院の修士課程まで進んでおり、その過程でグレン・グールドの影響を非常に強く受けたと言う。

坂本龍一は、このアルバムを録音時期に沿って選曲しているのだが、広く漏れなく曲を選んでおり、グールドの魅力が網羅されている。バッハ以外では、ベートーヴェン、ブラームス、ウェーベルン、シェーンベルク、バード、スクリャービン、C.P.E.バッハ(息子バッハ)、シューマン、モーツァルト、グリーグ、シベリウス、ヒンデミットと続く。この中には現代曲であるシェーンベルクとヒンデミットの歌曲が3曲含まれている。残念ながら、オーケストラ曲はなく、唯一のアンサンブルがジュリアード弦楽四重奏団とのシューマンのピアノ四重奏曲である。いずれも、数あるグールド映画にもよく使われる素晴らしい演奏がチョイスされている。

バッハ編の選曲について、坂本龍一は「今回この全体を選ぶのに、もちろん、基本的には僕が好きな曲であって、しかもいい演奏だというのが前提なんですけれども、傾向としてはですね、クロマティックなもの、つまり、半音階的なものを、なるべく入れるようにしてみたんです」と語っている。

バッハ編の最後には、ピアノ版の「フーガの技法」から第1曲と終曲の第14番が入っている。第14番は未完、バッハの絶筆であり、唐突に終わる。この突如音楽が終わってしまう違和感を軽減させるため、グールド以外の演奏者は、聴衆へのサービス(?!)なのか、バッハが死の床で口述筆記させたコラール「汝の御座の前に、われいま進み出て」BWV668を多くの場合に付け加えることが多い。だが、グールドはこの14番を未完のまま譜面どおりに演奏し、最後の小節を少し強調して弾き、最後の音が虚空へ消える、余韻、空白感を残す演奏をしている。「フーガの技法」はそうした曲なのだが、最後に持ってきたこの未完の曲のあとに、坂本龍一はゴールドベルグ変奏曲から、3曲しかない短調で半音階的で無調的な響きのある第25変奏で締めくくっている。

グールドは「フーガの技法」のオルガン演奏による第1曲から第9曲までの録音も残しているが、圧倒的にピアノの方が内容が濃い。これは、ピアノの方が楽器としての表現力が高いためだ。オルガンは、鍵盤を押さえている間は音が減衰せず、多声音楽の演奏に適した面があるものの、ピアノのような強弱や微妙は変化は表現できないからだ。

このアルバムには、坂本龍一とグールド研究の第一人者である宮澤淳一の対談、宮澤淳一による曲目解説冊子がついており、こちらも読みごたえがある。その解説冊子の対談の最後で坂本龍一が、面白く刺激的なことを言っているので紹介したい。

- 「僕は、あんまりピアノも上手くなくて、練習もほとんどしなかったので、演奏家にならなくてすんだので良かったんですけども、やっぱりグールドの後に演奏家になる人は本当に大変だろうなと思って。本当に自分にはそういう能力がなくて良かったな思ってますけども。それにあまりにも磁力が強すぎてね、あるいは魅力が強すぎてね、真似したら真似だって言われるだろうし、でもグールドのあとに今さら古典的にね、バックハウスみたいに弾くって訳にもいかないしね。つまり、グールドの魅力を知っちゃったらそれはもう出来ないし、がんじがらめでダブルバインドで、もうどうしようもないですよね。だから、今グールドの後に演奏家になるってのは、ほんとに大変なことだと思いますよ。でも、みんな乗り越えてやってほしいとは思いますけどもね。やっぱり、グールドのような演奏家はなかなか出てこないでしょうね」

なお、発言の中に出てくるバックハウス(1884年 – 1969年)は、グールドよりひと昔前のピアノの巨匠で卓越した技巧の持ち主なのだが、決してストイックで堅苦しくはなく、ロマンティックな人間味あふれる演奏を聴かせた。彼が、1905年のルービンシュタイン・ピアノ国際コンクールで優勝した時、2位になった作曲家のバルトークが、ピアニストの道を断念した逸話があるという。

ところで、YOUTUBEで「坂本龍一 グレン・グールドについて」というのを見つけた。これがとても面白い。

おしまい

 

グレン・グールド・ギャザリング その1 ローン・トークとエドクィスト

12月13日(水)、建国150周年を記念したカナダ大使館で、5日間の日程でグレン・グールド・ギャザリングという催しが始まった。グールドはそれほどカナダにとって、偉大な有名人なのだ。この催しは、青山通りに面したカナダ大使館と公園をはさんで隣接する草月会館の2か所で行われている。このグレン・グールド・ギャザリング(Glenn Gould Gathering = GGG)の主催は、朝日新聞社なのだが、カナダ大使館が特別協力し、大使館で無料映画の上映やミニライブなども行われる。メインは、12月15日(金)~12月17日(日)の3日間、草月会館で行われるライブと関連の深い人たちによるトークショーだ。なお、キュレーター(展覧会を企画する人)は、坂本龍一氏である。

下の写真は、12月13日(水)に草月会館で撮ったものだ。主は、カナダ大使館の地下ホールで上映されたグールド研究の第一人者の宮澤淳一さんの解説による、無料映画を2本見てきた。この2本の映画の上映の合間に時間があり、草月会館の2階(下の写真)で流されていた「グレン・グールドについて」(2017年11月トロントにて)という映像(インタビュー映画)を見ることができた。

このインタビュー映画は、グールドの仕事を支えてきた二人の裏方である録音エンジニアのローン・トークと調律師のヴァ―ン・エドクィストのインタビューからなっている。グールドは、1982年に50歳の生涯を閉じ、今年は没後35年にあたる。そのため、現在存命する周囲の友人や関係者たちは、かなりの高齢であり、このインタビューは今年の11月に撮られたもののようだが、登場する二人は、ともにお爺さんだ。だが、生きて証言してくれるだけでファンにはありがたい。配られていたリーフレットには、このインタビュー映画の説明が次のように書かれている。

「CBC(カナダ放送協会)の録音エンジニアで、グールドの仕事も多数手がけた友人でもあったLorne Tulk(ローン・トーク)とトロント・オーディトリアムでの録音セッションでトークとともに仕事を担当した調律師のVerne Edquist(ヴァ―ン・エドクィスト)。グールドの活動を影で支えた2名の最新インタビュー。」(2本で50分)

まず、エドクィスト(86才):下がの写真が調律師のエドクィストだ。彼は「グレン・グールドのピアノ」(筑摩書房 ケイティ・ハフナー 訳:鈴木圭介)という本に、主な登場人物として出てくる。視力が極端に弱かったので、盲学校で調律を学んだのち、調律師になる。若くして実力を認められる。映像の中で、エドクィストは調律に慣れてくると一日に10件(軒)はこなせるようになり、それは完璧なチューニングではなく、おおざっぱに基本的な部分を押さえただけだけのチューニングだという。グールドの場合は、毎回、二時間かけて完璧にやっていたという。

グールドはずっと専属契約を結んだスタンウェイのピアノを使っていたのだが、彼はピアノの選択には非常にこだわっていた。タッチの浅い、アクションの敏感なピアノを好んだ。グールドはCD318というスタンウェイのピアノを好んで使っていて、アメリカ公演の際にはそのピアノをわざわざ運搬していた。また、望むタッチを実現するために、アクションにさまざまな改良を繰り返した。こうした時にエドクィストは、大いに働いたはずだ。だが、このCD318は最終的に、輸送中の事故で壊れてしまう。その後は、既存のピアノのを探し求め、改造を試みるのだが、なかなか気に入ったものにならない。そうしたときにも、エドクィストは腕を振るったはずだ。

ところで、最晩年の「ゴールドベルグ変奏曲」の再録音には、YAMAHA のコンサートグランドを使ったのだが、YAMAHA という文字が見えないようにするためだと思うのだが、鍵盤の先にある饗板を外していた。しかし、こうすると弦がむき出しになっているのが見え、かなり異形ともいえる姿だ。ただ、主は日本製のピアノが使われたと知って嬉しいということはある。

エドクィストは次のように言う。

グールドは、444HzのAの音が好きだったのは知っていたので、そのように調律していた。彼は完璧主義者だったが、レコードになっているものの中には完璧に調律されていないものがあり、よく聞くと唸りが聞こえるものがある。

録音作業を終えて、イートン・オーディトリウムを出る際にグールドが、鍵が見つからないと言い出したことがあり、結局、最終的に見つかるのだが、グールドは本当のところ、鍵のありかを知っていてそういうことを言っていたかも知れない。

私が、出身の田舎を話題にする定番のジョークを言ったら、グールドはすぐに察して笑ってくれた。職場はジョークを言い合って、楽しい雰囲気だった。ただ、グールドが言うことに対して私は反論はせず、グールドが言いたいことは言わせておいた。

次に、ローン・トーク(78才)。なお、写真のセリフは、グールドを語る際によく話題になるテープの切り貼りを話している場面だ。

グールドは、人間より動物の方が好きだった。

仕事を通じて親友になった私に、義理の弟になって欲しいというグールドが言い出した。この発言は2~3年間続いた。私はずっとあいまいな返事をし続けていた。最後にいよいよグールドが本気になって、弁護士に相談したり、役所へ行こうというので、私は兄弟の了解をとらないとならないと返事し、彼はようやく諦め、その後その件は何も言わなくなった。

録音作業は、第1楽章を録音したあと、何か月かのちに第2楽章を録音するといったことをしょっちゅうしていた。このため、マイクの位置を決めるのにグールドとずいぶん試行錯誤したが、いったん場所を決めるとその位置を動かすといことは一切しなかった。おかげで、録音されたものについてはマイクの位置の問題は起こらなかった。

前述のCD318でバッハの「インベンションとシンフォニア」という曲集を録音するのだが、CD318のメカニズムをそれ以前にさんざんチューニングしていた。グールドはレスポンスが改善され、改良が気に入るのだが、これを録音する際「しゃっくり音」が良く起こった。しゃっくりのような余分な音が入ってしまうのだ。しかし、グールドは、その「しゃっくり音」がどこの場面で起こったか、正確に完璧に覚えていた。このため、その前後の小節だけを再び演奏して、私がテープを差し替える作業をした。

グールドの記憶力に関して、私が「ある本のどこどこに、こう書いてあった」とかいうと、グールドは「ああ、何ページの上の方に書いてあったね」という風に答えを返した。実際にそれが正しいかあとで確認すると、そのとおりの場所に書かれており、もっと驚かされた。

グールドは、絶対にピアノに楽譜を置かなかった。モニタールームで楽譜を見ていることはあったが、モニタールームを出るときに楽譜はそこに残し、ピアノは必ず暗譜で弾いていた。恍惚となって弾いているように見えるが、頭の中では、極端に演奏に集中しているというより、漠然と虚空を見ていたんだと思う。

おしまい

 

 

 

トーク&試聴イベント『目と耳で楽しむグレン・グールド~ゴールドベルグ変奏曲1955』

2017年10月8日、主が愛してやまないカナダ人ピアニスト、グレン・グールドの宮澤淳一さんによるトークと試聴イベントが渋谷のタワーレコードであり、主も行ってきた。

グレン・グールド(1932-1982)は、今年生誕85年、没後35年になる。人気は今なお健在で、彼にまつわるいろいろな録音が発掘され発売されたり、催しが開かれたりしている。

彼は、1955年、23歳の時にJ.S.バッハのアリアと30の変奏曲からなる「ゴールドベルグ変奏曲」でセンセーショナルなレコードデビューを果たす。この録音で何度もテイクをとり、テープを切り貼りしながら、一番いいものを選んで仕上げたことが知られている。このテープの切り貼りは、今では当たり前になっているが、当時、大きな批判や議論が起こった。演奏は1回の通し演奏をすべきで、録音を切り貼りするとは音楽の冒涜だといった批判があがった。

今年はカナダ建国150周年だそうで、カナダ人の誇りであるグールドの記念物を出そうということになったのだろう。デビュー作の1955年の「ゴールドベルグ変奏曲」レコーディング際に使われなかったテイク(アウトテイクというそうだ)全てを含むCD集7枚プラスLPレコード1枚からなる「グレン・グールド ゴールドベルク変奏曲コンプリート・レコーディング・セッションズ1955」が発売された。下の写真がそれである。詳しくは次のリンクを参照してもらえば良く分かる。タワーレコードの商品紹介ページ 重さは5Kgあるそうで、ポスターや分厚い解説も入っており、値段は1万円ほど、マニアには有難い値段だ。

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この発売を記念して、宮澤淳一さんのトークと試聴イベントが行われた。宮澤淳一さんは音楽評論家で青山学院大学教授なのだが、日本のグールド研究の唯一無二といって良い方で、ご自身の「グレン・グールド論」を出版されているほかに、英語で書かれたグールドの出版物の大半を、宮澤さんが翻訳されているほどの第一人者だ。また、グールドを描いた映画「ヒアアフター(時の向こう側へ)」では、数少ない日本人の一人として登場されている。

この日、会場に用意されていた椅子は20脚ほどで、最初「こんなものか、淋しいなあ」と思っていたのだが、時刻になると50人以上の人が立ち見も含めて集まり、けっこう盛況だった。集合時間と比べてかなり早く来られた愛好者は、主と同じような年配者が多かったが、開始時刻間際には若い人たちがぞくぞくと集まってきた。グールド人気が、年寄りだけではなく、若者にも受け継がれているように、主には思われた。

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トークイベントの様子。左が宮澤淳一さん。右はソニーの録音エンジニアの方だったと思う。

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手前に並んでいるのはすべて「ゴールドベルグ変奏曲」のCDで、1955年録音のものと死の直前の1982年録音のもの、自動再生ピアノに演奏させたものなどが並んでいる。

この日面白いなと思ったことを何点か、以下に書いてみよう。

一つ目、グールドは何通りにも録音した演奏を聴き比べて、一番気に入ったものを最終作品としていたとよく言われているが、この日の話によると、グールドは何度も録音を繰り返すのはその通りなのだが、ほぼ最後に録音したテイクを最終作品にしているということだった。つまり、ランダムにいろんな演奏をして、その中から気に入ったものを選ぶというより、気に入った演奏が出来るまで録音を繰り返し、うまくいったらそこでそれでストップしたということだ。ある程度か、明確なのか主にはわからないが、最終形のイメージはあったということだろう。

具体的にいうと、ゴールドベルグ変奏曲は、最初と最後のアリアで2曲、変奏が30曲あるので合計32曲からなるのだが、グールドはそのうち20曲は最後に演奏したテイクを採用しているとのことだ。(当日の宮澤氏のレジュメをPDFにし、次のリンクにさせていただいた)

宮澤淳一氏 レジュメ

二つ目、レジュメにもあるこの日の宮澤氏のお話の中で、グールドの性格をあらわすエピソードだ。グールドはジェフリー・ペイザントの「グレン・グールド、音楽、精神」(宮澤淳一訳)の中で、冒頭のアリアは20回取り直したと回想しているが、「コンプリート・レコーディング・セッションズ1955」から実際は11回目であることが分かるとのことだ。

この差について、宮澤氏は「グールドは20回という数字が恰好いいと思ったんでしょうね」といった旨のことをおっしゃっていた。

グールドの性格は、彼は嘘をついていたということではないが、周囲に写る自分の像をコントロールしていたのは間違いない。実像を隠し、実際と違う像を世間に見せていたし、それは完全に成功していたということだ。

楽しいお話はもっとあったのだが、またの機会に紹介しよう。

特記すべきは、12月にGlenn Gould Gathering(GGG)という催しが、坂本龍一さんがキュレーターとなり草月会館、カナダ大使館で開かれる。チケットの発売はすでに始まっており、早くも残り少ないようだ。関心のある方はググって下さい。主は購入しました。

おしまい

 

 

「グレン・グールド論」 宮澤淳一

「グレン・グールド論」(宮澤淳一 春秋社)

宮澤淳一は、グレン・グールドに関する海外で刊行された著作や、LPレコードのライナーノーツなど多くを翻訳をしており、日本のグレン・グールド研究における第一人者である。この「グレン・グールド論」は、2004年に出版され吉田秀和賞を受賞している。(吉田秀和は日本の音楽評論家の草分け的存在だ。)また、この「グレン・グールド論」により博士号を取得し、現在は青山学院大学総合文化政策学部教授である。

グレン・グールドはカナダ人ピアニストだ。それはわかっている。クラシック音楽の中心地ヨーロッパから離れていたことが、グールドを形作った。ただし、カナダ人はアメリカ人とほぼイコールだろう、というくらい単純に主は考えていた。

だが、カナダ人であるということは、アメリカ人とアイデンティティが全く違っていることにこの本を読んで初めて気づいた。カナダ人は、アメリカ人とは違う。カナダ人は、二つのモンスターにはさまれている。自然とアメリカである。カナダの北には北極へと続く広大な自然が広がっているが、日本人が抱く自然観とはほど遠い、厳しい自然である。南にはアメリカンドリームの国アメリカ。カナダ人はアメリカを常に意識しながらも、アメリカを単純に肯定することはない。両者のメンタリティーの差は、『アメリカ人は、どこかに陰謀でもない限りは負けるとは考えない。カナダ人は、気候や距離や歴史によって抑圧されているため、勝つと思っていない。』といわれるくらいに違う。カナダ人は、アメリカ人に対し劣等感を持ちつつも、アメリカ人を賛美することはない。日本人が日本人であることを常に意識しているように、カナダ人はアメリカを過剰に意識しながら、厳しい自然と共存し、サバイバルすることを常に意識してきたというのだ。

そういう意味では、グレン・グールドは典型的なカナダ人だった。アメリカデビューを成功させた後、最初のうちはニューヨークを録音の根拠地とするのだが、やがてトロントへ根拠地を移す。アメリカでの経済的な成功は少しも頭にない。むしろ、カナダへの恩返しがある。

彼は、20歳を過ぎたころから昼夜逆転する生活を送るようになる。太陽を憎み、モノクロの世界を好む。「静寂で厳粛な世界、荒涼として厳しく、色も光も動きもない」世界を理想と考えていた。(この表現は、バッハ「フーガの技法」についてのシュヴァイツアーの表現だ。グールドは、この「フーガの技法」を最高の音楽であると評価していた)

グールドには、彼の発明の「対位法」ラジオ・ドキュメンタリーがある。カナダ独立100周年記念の1967年に放送された「北の理念」がそれだ。4人の登場人物と1人の語り手を用意し、「北」についての意見を対位法のように同時に語らせる。テープを切り貼りし、フェードイン、フェードアウトなどの遠近法を用いながら、鉄道が線路を走る音を背景にさまざまな意見や思いが語られる。その後も10年にわたって、「孤独三部作」といわれる「対位法」ラジオ・ドキュメンタリーを作り続けた。当時は、ラジオの全盛期であり、新しい分野を開いたと評価を受ける。グールドは、リスナーが「同時に喋る言葉を理解できないという理由はない」という。だが、主は、「ラジオで複数の人が同時に喋ったら理解しづらいよな」と思う。普通の人にとって、こうした語り手が同時に喋るという手法の番組を聞くことは、理解が追い付いていけないものだ。だが、どうやらグールドはこういうこと、すなわち、対位法のように複数の旋律、会話を同時に理解することが当たり前のようにできたようだ。

グールドの言う「聴衆」も自分自身が基準になっていた。音楽の面では彼は特殊で、異常なまで高いレベルにいた。普通、語りが三人同時に喋りながらテーマに向けて話をするのを理解できないし、それよりも先に、そのような努力は放棄するだろう。だが、グールドは、それが可能だった。

グールドの考えでは、将来コンサートはなくなるだろうと言っていたし、リスナーは、異なった演奏家の録音の断片を集め、自分で曲を好きなように再構成して、楽しむだろうとまで言っていた。この発言は、グールドの見通しが間違っていたということではなく、聴き手(大衆)のレベルがグールドほど高くないということを示している。

彼自身の対位法的性格をあらわす逸話をいくつかあげよう。グールドは、友人で指揮者/作曲家ルーカス・フォスの奥さんのコーネリア・フォスとの間で、約10年間三角関係にあった。二人の子供たちも一緒に団らんしながらテレビドラマを見ているとき、グールドはピアノの楽譜を暗譜している。コーネリアがドラマの筋をグールドに尋ねたら、しっかりグールドはドラマの筋をすらすら答えたという。また、まだグールドがコンサートに出て演奏をしていた時代、素晴らしい演奏を讃えられるのだが、彼自身コンサートが終わり次第いかに早くタクシーを呼んで帰るかということに演奏しながら策略をめぐらしていたと述懐している。

宮澤のグールド評は正確だ。グールドが世間に向かって標榜していた「清教徒像」と、グールドの見えにくい現実(プライベート)を区別し、混同することがない。グールドは、晩年自分を「最後の清教徒」と言い、周囲に禁欲的イメージを与えることに成功していた。だが実際のところは、女性関係がいろいろあったと今ではわかっているのだが、その内実まではわかっていない。グールドは私生活を詮索されることを極端に嫌い、社会に向けて自分の意図する像を発信していた。

グールドのバッハに対する評価が取り上げられているが、宗教家としてのバッハ像と呼べるものはなく、音楽に限定された一面のみを捉えて評価している。グールドはバッハを時代遅れの頑固者という捉え方をし、宗教家としての評価や、宗教観についてはまったく気に留めていない。

こうしてみると、グールドは常に「結果にこだわっていない」と言えるだろう。「対位法」ラジオ・ドキュメンタリーも、これまでにない新しい手法を編み出してはいるが、何か主義を声高に主張していたり、押し付けようとする意図は全くない。バッハについても、バッハの精神が崇高であったとか言う気はさらさらない。書かれた音楽があくまで、対位法的によくできており、しっかりした構造を持っていたから、シェーンベルグもそうだが、グールドの知的水準にマッチしたのだ。言い換えれば、プロセス重視の人なのだ。 それでも、彼の演奏は神が宿っているようでもある。

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