エブリバディ・ノウズ【日本病】その4 日本の医療のすりこみ

日本は病気だと、主は確信している。「日本の医療水準は世界のトップクラスだ。健康保険制度はどこの国より優れている」というのはどうやらそうでもなく、我々は間違った情報を与えられているようだ。

主は、近藤誠さんの「医者に殺されない47の心得」「クスリに殺されない47の心得」の2冊の本を読んだ。近藤誠さんは医師で、元慶応大学医学部の講師、現在は近藤誠がん研究所長である。肩書が定年まで勤めて、慶応大学の講師というのにも医学界における立ち位置が表れている。次がYOUTUBEのご本人の講演で、冒頭を見るだけでどのように過激なのかわかる。

とにかくこの本の内容はすごい。この2作の全編を貫いているのは、日本の医療は、患者不在で、ビジネスを動機にして行われている。様々な医療界で使われるデータは、効能が不明であるにも拘らず、明白で大きな副作用がある。主は、この2点に要約できると思う。結局のところ、我々が抱いている日本の医療のイメージの全否定である。ビデオを見るのが面倒だと言う人のために、この本の「章」タイトルを6個紹介しよう。こういう内容が、2冊の本で94個ある。

  • ① 「とりあえず病院へ」は、医者の”おいしい”お客様
  • ② 医者によく行く人ほど、早死にする
  • ③ 「血圧130で病気」なんてありえない
  • ④ がんほど誤診の多い病気はない
  • ⑤ 「乳がん検診の結果は、すべて忘れないさい」
  • ⑥ ポックリ逝く技術を身につける

もちろん、こんなことを言う近藤医師は、前記のとおり、既存の医学界から総スカンされているのは間違いないわけで、もちろん反論もさまざまある。参考に、2つだけリンクを貼っておく。

ただ、主が両者の主張を比べると、反論は弱く、近藤医師の主張の方に分があるように感じられる。どの反論でも、近藤医師の主張を真っ向から否定していない。否定できているのは部分的であり、かなりの割合で無駄な治療が現実に行われていることが、いずれの論からでも窺える。

話が転換するが、主は母親の死の際に、医療の奇妙さを実感した。死に際になっても、出来る限りの医療措置をするのが、日本社会の社会常識(共同幻想)で、医師はとことん延命させることが役割と思っているようだった。だが、主は腑に落ちなかった。

高齢の母は、ちょっと認知症が始まった父と二人で暮らしをしていたのだが、風呂場で倒れ、呼吸不全を起こし、意識不明になり救急車で救急病院へ運ばれた。主が、千葉から関西の救急病院へ駆けつけたとき、意識がない状態で酸素呼吸のマスク(気管挿管)をされていた。このとき医師は、このあと気管切開して人工呼吸器をつけたいと言った。当然ながら、医師に「前のような生活に戻れるのか?」と聞くと、「そのような可能性はほぼない」という答えがかえってくる。やるせなさはもちろんあるが、母親が元に戻らないというのは素人目にも見てわかる。それならばと積極的な治療に難色を示すと、救急医は「救急車で救急病院へ患者が運ばれてきた以上、我々としては何もしないわけにはいかない。人工呼吸器をつけさせてほしい」と選択の余地がないと説明する。その説明に違和感は感じるものの、母が危篤なのは現実であり、少しでも生かしてやりたいと思う気持ちは当然ある。同意書にサインし、母には気管切開をして人工呼吸器がつけられた。その高度な医療が可能な救急病院は、患者が次つぎと運ばれ、ベッドを回転させる必要があり、1週間ほどで違う病院へ転院させられる。転院した先の病院では、意識が戻らないままでの延命措置はいくらでも可能だと説明を受けた。結局、母は1か月ほどで亡くなったのだが、傍らで見ていて、意識がないといっても、苦しい思いをしているのはわかる。栄養は点滴で注入され、麻酔も含まれているらしいが、意識が全くないわけではなく、無理に生かされている状態で苦しんでいるのが横にいてわかる。

一方で、医者たちは高額の治療報酬を手にし、公的なお金はさらにもっと多く使われたはずだ。こんなことを日本中でしていたら、医療制度が破たんするのは当然だ。それに加えて、それより先に、我々は安らかに死にたいではないか。

つづく

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