日本人は、ナイーブという言葉の意味を肯定的なプラスの意味で受け取っていることが多いが、これは外国人の言うことを真にうけ、騙されやすい日本人の悪癖かもしれない。
例えば、ナイーブという言葉をプラスの意味で受け取っているので、繊細な肌の人向けにナイーブという名のボディソープが売られている。デリケートな肌、赤ちゃんぽい無防備な肌向けの人用の商品ということを示したネーミングなのだろう。
このナイーブという言葉の語源を調べてみると、どうやら、フランス語のnaïveが語源であり、英語では、naivと表記するらしい。WIKIPEDIAには、「童心的」「うぶ」「世間知らず」「お人よし」「無警戒」「ばか正直」を意味すると書かれている。
例えば、性的にナイーブと言えば、「童貞」「処女」を指すのだが、誉め言葉ではなく、幼稚、子供っぽいという意味が含まれる。
ナイーブと聞くと、純真とか繊細で感受性が強いなどと、イメージしてしまう日本人が多いと思うのだが、実際外国人が考えているのは、「世間知らず」「お人よし」「無警戒」「ばか正直」といったマイナスの意味だろう。
親爺は、戦後の《民主主義教育》を受けて育ってきた。つまり、太平洋戦争で敗戦しGHQが作った憲法を押し付けられたとしても、太平洋戦争は侵略戦争であり否定されるべきものだったことに加え、GHQが押し付けた《自由・平等》《民主主義》と言った価値観は普遍的に正しいので、《戦争放棄》を謳う憲法や戦後の新しい体制を維持するのが正しいと言うような教育を受けてきた。
ナイーブな親爺は、この教育をずっと真にうけてきたのだが、いろいろ本を読んでみると、どうもこれは怪しいなと思うようになってきた。とくに、新型をコロナが始まったこの3年を経て、日本人は、馬鹿だナイーブだと思うようになってきた。
具体的に戦後の教育のどこに疑問を感じたのかといえば、《自由・平等》の自由と平等は同時に達成し得ない。あらゆる人が自由に振舞っては、平等は達成できないので、矛盾する。また、欧米中心に発達してきた資本主義や経済ルール(会計基準、決済基準、銀行制度など)の歴史は浅く、人類にとって普遍的とまでは言えない。欧米の中で発達してきたシステムは、特定の団体の利益を実現するための手段であり、必ずしも正しくないと思うようになってきた。
親爺は、そこへ《クライテリオン》という藤井聡京都大学教授が主宰する2023年1月の雑誌に掲載されているある記事を読んで、完全に日本人観が変わってしまった。
その記事は、小幡敏(おばたはや)の「危機の時代を前に」というものだ。小幡敏さんは、東京大学文学部思想文化学科倫理学専修課程卒業後、自衛官を経て、著述業へと進んだ方のようだ。旧のペンネームが磯邉精僊というらしい。
この小論で、現在のロシアのウクライナ侵攻について、次のように話を始める。
「平和主義も専守防衛も、そんなものは敵さん次第でどうにでも蹂躙され得ることが証明された。真に実効的な安全保障の実力を求めず、未だに核の傘などを前提としている日本(先日聞いた話では、外務省内で核の傘の実効性に関する議論はタブーだそうだ)において来る日に周辺国から攻撃を受ける事があってっも、そんなものは悲劇ですらない。無防備のままでいた自分が悪いのである。網棚に鞄を置いて眠りこけていた酔客が置き引きにあったといって、誰が同情してくれるものか。我々は、今現在、77年に渡る怠惰を清算される立場にあるのである。」
さきの大東亜戦争に関しては、「・・・すなわち、日本人は、何の為に戦うのかをあまり問題にしてこなかったきらいがある。戦いというのは自明に与えられるものであり、そこに放り込まれた以上やるしかないものでしかなかった。あの戦争に確固たる目的などなかったし、戦争遂行の責任者すら居なかった。戦争前夜、誰もが『もはや戦争は不可避である』と考えたけれども、その判断を決定していたのは事実ではなく空気だった。」という。
そして、「戦争をするには民族の信念が必要だが、そうした信念が日本人にあったのかという疑問である。」と、こう続く
今度は、《日本人に足りないものは何か》というタイトルで、何にもない、あらゆるものがないという意味の、敗戦直後のエピソードを紹介しているのだが、これがきわめて強烈である。
「多くの日本人がほとんど一夜のうちに、あたふたとアメリカ人を礼賛するようになり、「平和」と「民主主義」の使徒となったかのような有様をみると、そこには笑うべきことが山のようにあった。皮肉屋は、この「改宗ゲーム」に参加して、政治看板の書き換えや政治上の主義・主張の大転向を、恰好の風刺の的にした。さらに厄介だったのは、日本人の占領軍への対応の仕方が例をみないほど無邪気で、親切で、浅薄だったことである。たとえば原爆が投下された長崎においてさえ、住民は最初に到着したアメリカ人たちに贈り物を準備し、彼らを歓迎したのである(贈り物はガラス・ケース入りの人形で、放射能の影響を調査しに来たアメリカの科学チームの責任者に贈呈された)。またそのすぐ後にも住民たちは、駐留するアメリカ占領軍とともに「ミス原爆美人コンテスト」を開催したのである。(ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』)」
「ありふれた話だった。鮮やかな”転向”を遂げたのは軍部に”虐げれられていた”庶民だけではなかった。戦後、GHQ主導で十数万人に及ぶ公職追放が行われるが、権力者たちもまた、敗戦に我を失ったのである。」
「『みんな自分だけは解除してくれと頼みに来る。見るも無残だな。いかにも戦争に協力しとらんようにいってくる。なんと情けない野郎だなと』ー後藤田正治回顧録」
そして小幡敏さんの結論はこう結ばれる!!
「こうした転向が皮相上滑りであったかを証明するエピソードは無尽蔵にある・・・中略・・・日本人は確固不動、堅忍不抜の思想なり生き方なりを欠いているのである。」