小春日和に谷根千へ行ってきた

11月13日(日)は寒気が緩み行楽日和になるという天気予報だった。そのため、普段はテニスクラブでテニスをプレーしているのだが、つれあいと谷根千へ行って来た。谷根千というのは、知らなかったのだが、谷中、根津、千駄木のことをこういうらしい。

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西日暮里から歩き始めると富士見坂がある。坂の上から富士山が見えるのかと半信半疑で坂の上へ
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途中の街路灯。富士山がレリーフされている。最近まで富士山が本当に見えたらしいが、残念ながら、今はマンションが建ち見えない。
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谷中銀座。いろいろな店があり、楽しい。観光地の土産物店と比べると、どの店もそれなりにディープな感じがする。
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「夕やけだんだん」という階段がある。日曜日の午前中、小春日和で気持ちが良い。
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何故か、猫をテーマにした店が多い。
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都心の小学校と幼稚園なのだが、大半がコンクリート製な感じがした。
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途中の喫茶店。江戸川乱歩が本当にの来たのかは知らない。
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変わった工場も多い。ここはカメノコタワシなのだが、タワシを使ったアクセサリーなどを売っており、意外性大だ。
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根津神社。七五三お祝いに多くの家族連れが来ていた。
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千本鳥居。実際は二百本くらいだ。多くの鳥居の下をくぐるのは楽しい。10万円を出すと鳥居に寄付をした人として、名前を書いてくれるという説明があった。
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東京芸術大学。バス停。
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音楽学部の入り口。関係者以外立入禁止となっていたので、中へは入れず。

この日の天気は、日陰を歩くと肌寒いが、日向を歩くと少し汗ばむ感じだった。風もなく穏やかで、テレビの天気予報が行楽日和という日を選んで出かけるのは正解だ。

 

 

 

電通・女性社員過労死–社会の反応 残業割増率を上げることが先決ではないのか

昨年12月25日、電通の女性新入社員(当時24歳)が過労により自殺し、三田労働基準監督署はこの社員が月105時間の残業をし、うつ病を発症していたと判断、労災が認定された。

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NHK News WEBから

日本の名だたる一流企業で、東大を卒業したばかりの社員に起こった事件ということもあるのだろう、大きなインパクトを与え、さまざまな報道がされている。しかし、そのほとんどは日本人のメンタリティや、外国との文化の違いを理由に上げ、日本(人)は独特で、会社に対する忠誠心が高いという風に分析される。また、ブラック企業では、違法なサービス残業が横行しており残業代がまともに払われていないのに、これが当然とされる社風もあると指摘されている。

しかし、このような過労死が起こるのは日本に限られ、諸外国と比べると超過勤務に対する割増率が低いことが大きな原因であるとはほとんど指摘されていない。

以下のリンクの表を見てもらうと、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、韓国いずれも超過勤務の割増率は50%であるが、日本は25%である。それにヨーロッパのイギリス、フランス、ドイツでは、年間の労働時間数にほとんど残業が含まれておらず、残業自体を許さない社会風土があると考えられる。(日本とドイツは年間の平均労働時間が20%も違う。ただし、大企業で1か月あたり60時間を超えると50%の割増となる)

割増賃金の状況等について

日本の割増率25%というのは、業務量が増えた時、新たな労働者を雇用するより、既存の労働者に残業させることの方が得だというインセンティブが働くことを意味している。ましてや違法なサービス残業が蔓延しており、経営者にしてみれば、既存の従業員をこき使い病気に追い込もうと、あるいは病気にならずとも離職されても、タダ働きをさせることができる期間があれば儲けものだ。ブラック企業には、異常な長時間労働をさせながら残業手当を払わず、社員の定着率が異様に低いところがある。これは社員に残業手当を出さずに使い捨てにしても、それでも働く労働者の「歩留まり」を見込んで(労働者の善意や無知を利用して)不当な労働環境で働かせている。最近はあまり聞かなくなったが、「名ばかり管理職」は明らかに残業手当を支払わないための方便だった。この二つ(割増率が低いこととサービス残業という違法状態が見逃されていること)が、他国にはない日本の長時間労働の原因だろう。

大企業の場合、月あたり60時間を超えると確かに50%の割増となるが、60時間までは25%の割増率であり外国へ向けたポーズにしか思えない。多くは25%の割増率が適用されるだろうし、それでは残業を減らすインセンティブにはならないだろう。

この一連の報道では、問題のすり替えが起こっている、もしくは、現象面にだけ囚われた分析が行われている。何故、企業が新規に労働者を雇用するより、既存の従業員に長時間労働をさせる行動をとるのか、この原因をはっきり言わなければならない。

政府が取るべき対策は、まず、1週間の労働時間の上限である40時間をヨーロッパのように守り、残業は原則として認めない社会風土を目指すことだ。当然、残業をさせる場合は割増率をすべて50%にすることだ。当たり前だが、残業の事実があるのに残業代を支払わない企業は、厳しく処罰することだ。

しかし、いったい誰に遠慮して、このようなぬるま湯的な分析ばかりがまかり通るのか不思議なところだ。

ここからはちょっと内容を変え、マクロ経済的な話をしたい。

上のリンクの「割増賃金の状況等について」は、経産省の「経済の好循環実現検討専門チーム事務局提出資料」となっているのだが、どうも政府は踏み込み不足という感じがしてならない。資料の中で割増賃金率を変えた場合に、新規雇用と超過勤務の相関関係がどうなるかを示しているが、分岐点となる割増賃金率がいくらかなのかは明らかにしていない。これでは、政府が現状維持を許すためのアリバイ作りに過ぎないのではないか。

主は、アベノミクスを高く評価している。だが、アベノミクスの第1の矢=金融政策、第2の矢=財政政策、第3の矢=構造改革のうち、第3の矢は掛け声だけだ。そのせいでマーケットの信頼を失い、アベノミクスの最初の成功の先が見えない。

政府は、真っ先にこの残業に対する割増率25%から50%への改定をやればよい。経済界は反対するだろうが、世界水準に持っていくだけだ。

同時に、マスコミでしょっちゅう取り上げられる待機児童の解消(保育所の充足)も大事だが、フランスのように子どもの養育費を政府が面倒を見るというような大胆な政策をすべきだ。

昔、池田内閣が「所得倍増計画」を掲げたが、「所得5割増し計画」「所得3割増し計画」のようなプランを表明すべきだ。高額所得者の所得を増やす必要はないが、低所得者の所得は大幅に増やす政策を取るべきだ。

財源について財務省が脅しをいつもながらかけるが、日銀がお札を刷りヘリコプターマネーをばらまくということで問題ない。現に今やっている補正予算にもヘリコプターマネーの要素がある。

こうすれば通貨の流通量が増え、為替レートに対し円安効果が出てくる。為替レートが110円より下がると、工場を海外移転させるよりも、日本国内で生産することが有利になり、生産が国内回帰へとシフトする。そうすると地方も潤い、人口減少に歯止めもかかるだろう。いいことずくめだ。

ヘリコプターマネーの解説は次のリンクが分かりやすい。

http://www3.nhk.or.jp/news/business_tokushu/2016_0728.html

ちなみに、経済に興味がない人にはわかりにくいかもしれないが、為替レートの表現は、1ドルが何円分になるかで表しており、数字が小さい方が高い(値打ちがある)。

この為替レートの最近の推移のおさらいをすると、民主党政権時代は超円高で80円/1ドルほどの水準だったこともある。企業収益は悪化し、企業の生産拠点の海外移転が進んだ。その後、民主党が自民党に敗北し、アベノミクス、量的緩和が始まると、125円ほどの円安へと進んだ。この水準は、リーマンショックの前のレベルである。この段階で雇用情勢、企業の業績も好転し、アベノミクスの成功が囃し立てられた。ところがその後の経済が上向かないことに対し、日本政府の政策に目立った処方箋が見当たらない、第3の矢に具体策がないと海外投資家に判断された。そして、今年のマイナス金利の導入で、もはやアベノミクスには量的緩和の手段がないと投資家に見透かされると、現在は105円程度の水準の円高になっている。直近では、アメリカ大統領選挙でトランプに勝利の可能性が出てきたが、彼がどんな経済政策をするのか不明なため、ドルが売られ円が買われて102円ほどの円高へと振れている。

 

 

日経新聞 財務省ちょうちん記事でっち上げ 浜田宏一/高橋洋一対談

written on 21.10.2016

ラジオ・ニッポン放送に「ザ・ボイス そこまで言うか」という番組があり、経済学者の高橋洋一氏が隔週で出演している。

この高橋氏はリフレ派(マイルドなインフレにより経済成長を果たすのが経済運営に効果的だと考える人のことをいう)の旗頭の一人で、財務省が主導する財政再建キャンペーンを激しく批判している人物だ。財務省、マスコミは「日本の借金が1000兆円」で「GDPの2倍」と盛んに宣伝している。これに対して、高橋氏は、1000兆円は債務の総額(グロス)であり、一方で日本には資産が650兆円あり、正味債務(ネット)は差し引き350兆円になる、このため、財務省の宣伝は恣意的に危機を煽っているとあちこちで主張している。この主張は、どこかで知った人も多いだろう。

この番組の10月18日の放送で、国際電話で登場した安倍首相のアベノミクスのブレーンである内閣官房参与の浜田宏一氏が、メディアに言っていないことを書かれるとめずらしく、激しく憤慨していた。浜田氏は、イェール大学名誉教授でアメリカを本拠地にしている経済学者で、国際金融論やゲーム理論などが専門だ。

憤慨している内容のリンクと簡単な要約を記すと

(次がラジオ・ニッポン放送のYOUTUBEのリンクだ)

https://www.youtube.com/watch?v=pOwrlDff9sA

(次が問題の日経新聞の記事である)

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 1) 浜田宏一氏が「アメリカのFOMC(連邦公開市場委員会)と日銀金融政策決定会合の開催時期が近くて微妙だ」と発言したところ、外国報道社に「日銀金融政策決定会合をFOMCの前に開催するのはやめるべきだ。」と発言したと書かれて困っている。 

2) 浜田宏一氏が安倍首相に「今がロシアと経済で手を結ぶ最大のチャンスです」と熱弁をふるったと日経新聞に書かれているが、このような(ロシアの発言)ことは全くない。

3) 浜田宏一、高橋洋一両氏などのリフレ派経済学者は、主流の経済学者ではなく異端と読める表現になっている。しかし、日本の経済学の状況が世界とかけ離れている(日本の経済学者は、理論と実証が分離しタコツボにいる)のであり、世界的にはリフレ派が主流である

4) 記事でリフレ派のアベノミクスが敗北したかのように書かれているが、現実を見ていない。雇用状況は大幅に改善しており、極めて低い金利のもとで金融政策(量的緩和)の効果が出にくくなっている状況はあるが、敗北ではない。金融政策と財政政策を合わせ、デフレから脱却し、経済成長するしか進む道はない。

といったところだ。(もっと、中身のあることもたくさん話題に出てくるので、是非YOUTUBEを再生してください)

それよりも何も、主が記事を読んで気づくのは、日経新聞の財務省へのヨイショであろう。消費増税時の関係者として浜田宏一氏をキャプションしているが、浜田氏は消費増税をずっと批判してきた立場だ。知らずに記事を読むと、増税に賛成したのかと思う。

また、(財務省が)『「呼吸がわかってきた」。政府が28.1兆円の大型経済対策を詰めた今年7月。規模は財政投融資で大きく膨らませて見せ、赤字国債は新たに出さない――。財務省の演出を首相も採用した。』と書いている。しかし、これに対し、「私も言いたいことがある」と高橋氏が言っている。すなわち、「財政投融資を使うのは、私が昔の大蔵省で初めて採用した政策(財投債はプライマリーバランスに影響しないルール)で、このアイデアを官邸に伝えたのは自分だ。財務省ではない。記事は全く嘘だ。取材しているのか。」と述べている。

最後の部分もひどい。記事の最後は「本田、浜田両氏ら側近のベスト・アンド・ブライテストたちと首相の協議はあくまでも 非公式な場。長期安定政権には「主流」の力を引き出す懐の深さも求められる。」とある。ここでいう本田悦朗氏、浜田宏一氏は「異端」「傍流」の扱いになっており、それ以外の「主流」を使う「懐の深さ」と言っている。

いったい日経新聞の言う「主流」の経済学とは何なのか。ラジオ放送にも出てくるが、この書きぶりに記者のインテリジェンスを疑う。

ちなみに、誰が書いたか記事の署名がない。書名がなければ、これだけ根拠がないことでもすらすら書けるのだろう。

 

 

 

 

 

ジュリアード弦楽四重奏団協演 グールドvsバーンスタイン ピアノ演奏スタイルの違い

グレン・グールドの器楽曲との合奏はそれほど多くない。

正規録音には、バッハは、チェロ・ソナタ集(レナード・ローズ:3曲)、ヴァイオリン・ソナタ全曲集(ハイメ・ラレード:全6曲)が録音されている。他は、シェーンベルク、ヒンデミットやウェーベルンの現代曲がある。

正規録音ではないが、テレビのCBC(カナダ放送局)で放送されたドビュッシーのクラリネットピアノのための第1狂詩曲、ショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲などがある。また、有名なヴァイオリニストのユーディ・メニューインと共演したバッハ、ヴァイオリン・ソナタ第4番、シェーンベルク、幻想曲作品47、ベートーヴェン、ヴァイオリン・ソナタ第10番の3曲がある。他に、バッハのチェロ・ソナタ3曲を録音したレナード・ローズが、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番を協演している。

言ってしまえば、チェロのレナード・ローズとヴァイオリンのハイメ・ラレードは、グールドの子分のような存在だ。メロディーを奏でるチェロやヴァイオリンがピアノを伴奏者として従えるのが一般的だろうが、グールドの場合は、伴奏しているピアノがリズム感、存在感の両方で大きく、主客が完全に逆転している。

片や、ヴァイオリニストのユーディ・メニューインとの協演は、さすがに一流奏者らしく、簡単に主導権をグールドに渡さない。お互いに丁々発止と譲らず、ずっと緊張感が漲っている。3曲とも名曲というのも作用しているだろう。

グールドは、ロマン派の弦楽器との合奏では、シューマンをジュリアード弦楽四重奏団と協演している。録音されているのは、ピアノ四重奏曲変ホ長調作品47なのだが、このレコードはレナード・バーンスタインが弾いたピアノ五重奏曲変ホ長調作品44がカップリングされている。ディスクガイドを読むと、本来五重奏曲もグールドと共演したものが使われる予定だったが、双方の関係が途中で険悪になり、最後には修復不能までになってしまった。このためバーンスタインの演奏が使われたということだ。

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この2曲のジュリアード弦楽四重奏団の協演が、バーンスタインの場合とグールドの場合でどのように違うのか感じているところを書きたい。

この2つの曲は、同じ調で、同じく4楽章の構成で作曲されており、かなり似た印象を持つ。こっちがバーンスタインだよな、グールドだよなと聴きながらも聞き流していたが、真剣に聴き比べてみた。

バーンスタインは、チェロやバイオリンが主役になるメロディーの場合は、かなり音量が抑え気味で、リズムの崩し方も弦楽器にゆだねている。この場合のピアノは控えめで、弦楽器はのびのび自由に弾いている。曲が進みピアノが主役になるときには、俄然音量を上げ、自分のリズムで演奏し、存在感を急に高める。間違いなく、このように主役が交代しながら、自分のアーティキュレーションで演奏するのはストレスがなく楽しいだろうと思う。しかし、うまく行くときは良いが、ややもすると曲全体の構想が希薄だったり、ベクトルのはっきりしないものになりがちだ。(後で述べるが、たいていこの現象が起こっていると言って過言ではない。)

グールドの場合は、真逆だと言っていいだろう。チェロやヴァイオリンがメロディーを奏でているときでも、バックのピアノがリズムをインテンポで奏で、なおかつ存在感を消さない。このため、弦楽器が崩して演奏したりすることが、全体のバランスが崩れるためにできない。ピアノが足枷となるのだ。弦楽器の裏で、ピアノが小さめの音で伴奏をする場合でも、リズム感に大きな説得力がある。もし、ジュリアード弦楽四重奏団がグールドと違った考えを持つなら、グールドとの協演は大きなストレスになるだろう。

一般に合奏では、主旋律を演奏する者に合わせて、他のメンバーがサポート役に回る。ただ、主旋律は時に違う楽器へと交代するし、同じメロディーをユニゾン(同度の音程)で奏で、音色の違いや緊張感を楽しませることもある。この場合、曲全体をどのように解釈して表現するかはっきりさせ、全員が理解したうえで、意図に沿った演奏ができなければならない。

グールドの頭の中には、常に曲の全体像がある。曲の構造と言ってもいいだろう。それを見失うことがない。だが、その全体像の着想を保ちながら、目の前の演奏の細部を失うこともない。ここが彼の凄いところだと。

同じことをバッハのフーガの技法BWV.1080で説明したい。この曲はグールドがピアノで演奏したものとオルガンで演奏したものと二つある。オルガンも良いが、ピアノ版が空前絶後だ!バッハの遺作で未完の曲なのだが、楽器の指定をしていないこともあって、ピアノの外にもチェンバロ、オルガン、弦楽四重奏、金管楽器、アンサンブルやオーケストラなどで演奏されている。

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第1曲は4声のテーマで、2曲目以降はフーガがさまざまに変形される。第1曲目のテーマだが、グールドの演奏は速度が非常に遅い。もちろん、すべてを聴いたわけではないのだが、グールドの演奏がダントツに遅い。曲を一定以上の遅さで演奏するというのは、非常に難しい。バランスを保つことが難しいからだ。だが、グールドはその遅いスピードで演奏しても破綻しないし、強い緊張感を保っている。4つの声部を弾き分け、最初はどの声部もレガートで弾くのだが、曲が進むと、主旋律をレガートなまま、対旋律をデタッシェ(ノン・レガート)で弾き趣を変える。彼の演奏は、常に時間に沿った横のメロディーが、4声なら4つのメロディーが並行しながら流れていく。ほとんどのピアニストは拍の頭に4つの音が楽譜に書かれていると、4つの音を同時にならす。それでは4声にはならない。鳴るのは和声、和音になってしまう。一人のピアニストでありながら、グールドの頭の中では、あたかも違う楽器を持った4人が演奏しているイメージで演奏している。

そして、テーマの最後に、休符が2度来るのだが、グールドは完全無音の状態を長い時間演奏する。このように完全な無音を奏でた演奏は、フーガの技法を演奏した他の演奏者にはないだろう。グールドがこの曲を録音したのは1974年だが、グールドの死後、1987年にジュリアード弦楽四重奏団がやはりフーガの技法を録音しており、休符を長くとって演奏しているが、グールドほどではない。(グールドは、楽譜どおりに演奏するより、この方がインパクトがあり彼にとって正しいと考えていたのだろう。そのような例は他にもいろいろありそうだ)

そして本題。グールドはこのような対位法で書かれた曲やポリフォニーの曲は、旋律ごとに違う楽器を持った演奏者が演奏している意識でピアノを弾いている。このために、実際の弦楽四重奏団や室内楽団が演奏する場合より、曲の統一感がずっと明確だ。管弦楽団によるフーガの技法で非常に美しく演奏されたもの(シュトゥットガルト室内管弦楽団など)があったりするが、美しいだけで、「それで何が言いたいの?」という感想だけが残る。

いろんな演奏者によるフーガの技法があるが、どれもグールドの演奏にある緊張感、深遠さ、美しさ、無常感、虚無感、統一感、十全さ、ドラマ性、永遠性、宇宙を感じさせる広大さといったものが及ばない。

グールドのポリフォニー的演奏については、「グレン・グールド発言集」(みすず書房 宮澤淳一訳)で自身が述べている。これについては、あらためて述べてみたい。

 

グールドの人間性はどこから来たか 両親のBPDの可能性

ここのところ境界性パーソナリティー障害やアスペルガー症候群などの精神疾患に関する本をけっこう読んできた。

そこで思うようになった。グールドは不安症や薬物依存といった症状に苦しむのだが、背景に母フローラ、父バートの影響がある。

グールドは一人っ子で溺愛され過保護に育ったと言っているが、フローラ、バートともに境界性パーソナリティー障害(BPD Boarderline Personality Disorder)だろう。この障害によるプレッシャーが、グールドという天才を生んだのだ。もちろんこれは、主の憶測でしかない。だが、グールドが音楽で成功したにもかかわらず、私生活では心気症や不安症が生涯解決できなかったことを考えると、親の代からのBPDが天才を生み、同時にその子を追い詰めたからだと思う。

過保護で心配性の母親フローラは、自分の価値観を、必要以上にグールドに押し付けながら育てた。価値観の中で大きなウエイトを占める「音楽」をグールドに伝えることには成功したが、子供の成長に必要な社会性を育てることはまったくできなかった。

父バートは、妻フローラのコントロールの中から出ようとせず、息子グールドを見る時間が少なく、勤勉に仕事に励むのみで父親としての役割を果たせなかった。10歳以降のグールドにピアノを教えたチリ人ピアニストのゲレーロが、父親代わりの存在になり本物の父バートは影が薄い。

境界性パーソナリティー障害を持つ母親を持つ子供は、「ダメな子供」か「完璧な子供」のいずれかになりがちだが、いずれの場合も子供時代の抑圧が原因で、大人になっても心が引き裂かれており、不安から逃れられない。同じことだが、母親の不安感や混乱が子供に投影され、子供の成長を妨げてしまい、大人になってもこの不安が親子の間で拮抗、葛藤するのだが、解決には長い時間がかかる。解決しないこともある。

ところがだ、10歳を過ぎたグールドは「完璧な子供」となり、音楽の分野では親の希望を凌駕、突き抜けてしまう。また、グールド自身が親の価値観を否定し、親を乗り越え始める。だがそれは、音楽の世界での話。人間全体を見渡すと、普通の子供のように精神的な安定を獲得しているわけではなく、きわめて不安定なところがずっと抜けない。

この音楽の世界にかぎっては、世界が完結しているので、ここでは自己を超越し、解放するすることができた。同時に、周囲から称賛されることが当たり前になったグールドは、自己愛性パーソナリティ障害になったのだろう。

ここで、似たような症状を示すアスペルガー症候群との関係を考えたい。アスペルガー症候群とパーソナリティー障害との一番大きな差は、アスペルガー症候群が生まれながらの先天性であるのに対し、パーソナリティー障害は後天的であり、ある段階でパーソナリティー障害になるというところにある。また、アスペルガー症候群の特徴には、常人とは違い一つのことに高い集中を続けることができるという性質があるが、グールドの場合は、対位法的人間であり、複数のことに同時に高い集中力を見せていた。このため、生まれながらのアスペルガー症候群というより、自己愛性パーソナリティ障害が良く合致すると思う。

以下で、グールドの性格が垣間見れる関係者の発言を取り上げる。

「どんな形であれ音楽家を自認するなら、独創性がなければならない。オリジナリティが前提だ。音楽のない生活など考えられない。音楽は私を世俗から守ってくれる。現代の芸術家に与えられた唯一の特権は世俗から距離をおけることだ。私の活動はメディアのない19世紀では難しかった。」(映画「グレン・グールド天才ピアニストの愛と孤独」:グールド)

「こうして僕はハワード・ヒューズのように、神秘的な存在でいたい、という夢にたどり着く。僕はとても私的な人間で、ほとんど独りで時を過ごす。だからスタジオには音楽を生み出す雰囲気を必要とするのだ。僕の私生活を、スタジオとスタジオの行列的な安全さから引き離すことは不可能だ。僕は夜通し起きていて、朝6時前に眠りにつくことは珍しい。コンサート活動をしていた頃は、コンサートの前日には早く寝ることに、そしてコンサートの後ならば夜更かしをしていた。こうして僕は夜型の人間になった。」

「グレンは孤独だった。電話をかける相手ならたくさんいた。だが、真の友人となると別だ。彼は自分の見せたい一面を、あるいは、見せられる面を相手に見せた。だが、他人に見せない面を彼は確かに持っていたと思う。本人も気づいていた。」(映画「グレン・グールド天才ピアニストの愛と孤独」:P.L.ロバーツ)

グールドは私生活を明らかにせず、何か秘密があるのではないかと思わせた。禁欲的なイメージが持たれるようになった。彼はそのイメージを誇張した。しかし、現実には彼は女性関係においてはごく普通の男だった。」(同:ケヴィン・バザーナ)

 

ノートPC SSD換装とNVMe サムスン SSD 960 PRO発表

パプア・ニューギニアから昨年帰国したのだが、向こうでLENOVO E130というノートパソコンを使っていた。今から4年ほど前の製品で、起動に1分程度時間がかかり、もどかしい思いをしていた。このため、内蔵HDDをSSDに交換すれば起動も早くなると考えた。今更HDDをSSDへ交換するより、新製品を買った方が良いのではないかと悩んだのだが、SSDはずいぶん安くなっている。

このノートPCに入っている古いHDDの速度をフリーソフトで測ったところ、50MB/s程だった。だが、SSDでは500MB/s以上出る。実に10倍のスピードである。それに値下がりが続き、500GBの容量で1万5千円程で買える。ノートPCを買い替えるとすると、安いものは3万円程度で買えるが、主が魅力を感じる性能をもつ機種では10万円は出費しなければならない。交換する前に、HDDの内容をWindowsのコントロールパネルのシステムイメージの作成により、イメージを他のドライブに念のために保存したりしていた。しかし、メーカーが提供する「引っ越しソフト」でHDDの内容を簡単にコピーでき、古いHDDと新しいSSDを交換するだけで入れ替えが終了し、ちょっと拍子抜けした。

上の写真は、HDDと同じ形をしたSSD(2.5インチタイプ)だが、データのやり取りをする規格にSERIAL ATA 6Gb/sという規格が使われている。これでは理論上の速度の上限値が720MB/sを意味する。市販のSSD製品速度は550MB/s程度であり、HDDではそこまでの速度が出ないために問題がないが、SSDの場合は理論値にかなり近づいている。

一方、最近はこのデータをやり取りする新しい規格が出てきた。すなわち、PCI Express 3.0 NVMeという規格だが、上限の理論値は4000MB/sもある。この理論値に近い性能のSSDが発表された。Samsung SSD 960 PROで、3500MB/sも出る。これは従来のSSDの7倍の速度だ。HDDと比べると70倍であり、これはちょったしたブレイクスルーと言える。下のリンクは、このサムスンSSDの詳細を伝えるニュースだ。

http://news.mynavi.jp/articles/2016/09/26/samsung_ssd/

当たり前と言っては当たり前だが、残念ながらこの規格は最新式のマザーボードでないと使えない。マザーボードを交換するとCPUのソケットの規格も新しくなっており、新しいCPUを買わなければならない。メモリーも変わっているので新品を買わなければならない。パーツの性能にもよるが一とおり揃えると、10万円ほどの出費が必要だ。

それだけ投資をしてレベルアップする点は、起動時間が30秒だったものが、10秒位になるといったところだろう。他にも4Kのディスプレイが使えるメリットなどはあるが、主は4Kのディスプレイを使っていないので切実ではない。組み立てるところをあれこれ頭の中でシミュレーションするのは愉しいが、20秒の差に10万円を出すのは蛮勇をふるわなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恐るべし中国製極安アンプ LEPY LP-2024A+

デスクトップパソコンに接続する安いデジタルアンプを探していた。しばらくググったところ、中国製のLepy LP-2024Aを見つけた。口コミを見るとすこぶる評判が良いのだが、値段が何とわずか3千円!ほどだ。

パソコンの音出し用と割り切って早速購入した。下が写真なのだが、口コミが良いだけあって、値段以上の性能を発揮する。とても3千円とは思えない音がする。

LEPY LP-2024A+
Lepy LP-2024A+

中音域は心もとないのだが、低音域と高音域は自然な音が出ていて立派なものだ。残念なことは入力に、RCA端子というアナログの規格しかないことだ。デジタルアンプなのだから、デジタル入力があればよいと思うのだが装備されていない。値段が安いので仕方がないか。

デジタルアンプで入力にもデジタル入力を備えている機種を探すと、DENONなどのオーディオ機器メーカー製のものがある。大体5万円前後で販売されている。この値段が意味するところは、決して高級品のゾーンではないということだ。デジタル方式でオーディオ向けの良い音を出すのはかなり難しいと言われている。ただ、軽い、小さい、発熱量が少ないというメリットがある。

そのため高級志向のアンプは、アナログ方式となる。アナログ方式というのは、音源の波形を忠実に再現(拡大)しようとする方式だ。スピーカーから出る音が、歪のない正確無比なものであることが肝要だ。このため、歪を最小限にするよう厳選されたパーツで構成する必要があり、値段は高く、重いものになる。

ただ、現在のデジタルアンプは、既に高級品を駆逐する威力を持っている。現にiPodやスマートホンなどには、デジタルアンプが使われている。これは昔のアナログアンプを凌駕しているし、十分に実用的だ。

以下はオマケだが、下の写真がデスクトップパソコンで使っているスピーカーとUSB DACだ。スピーカーのスキャンダイナはデンマーク製らしいが、ユニークなデザインで気に入っている。

スキャンダイナ
スキャンダイナ MICRO POD SE

 

DAC-1000
ONKYO DAC-1000

 

 

 

 

B&W 805D3 購入!

主は、下の写真のB&W CM8というスピーカーを2年ほど使っていた。B&Wというのはイギリスの会社である。秋葉原のヨドバシカメラに高級スピーカーを並べた部屋があり、やはり高級アンプ、高級CDプレイヤーの試聴をする際のリファンレンススピーカーとして店員が勧めていたのがこのB&W CM8だった。店員のこの話を聞き、これを買ったのだが結構気に入っていた。

B&W
B&W CM8

ところが、主がふだん行っているテニスクラブに、やはりクラシック好きでオーディオマニアの爺さんがいる。もちろん主も爺さんだが、このご仁は東京国際フォーラムで行われるオーディオフェアへ毎年欠かさず出かけるという筋金入りだ。

80歳の少し手前で、気の毒なことに現在は心臓病を発病し、いまはテニスを休んでいるのだが、秋には復帰できるらしい。この年齢だが、エドバーグ(この名前を知っている人は昔からのテニスファンですね)が使っていたようなフェース面積の小さい(85インチ!)こだわりのラケットをずっと愛用している。

音楽/オーディオの方は、チェロのミーシャ・マイスキーのファンだがジャズも聴くというオーディオマニアで、主はテニスクラブで音楽談義に話を咲かせていた。次の写真が、彼が持っているスピーカーだ。このスピーカーは1980年代に発売され、その後も大ヒットを続けた。

B&W_matrix801
B&W 801Matrix

B&Wのこのスピーカーのシリーズはその後も改良され、高い人気を保ち続けるのだが、昨年の秋にもモデルチェンジをし、主はその評判を耳にしていた。このB&Wの最高位のラインナップは800シリーズといい、主が購入したのは下の写真の805D3だ。最初は、評判を知っていたが、価格ゆえに躊躇していた。だが、普段聞いているグレン・グールドの協奏曲物とピアノソロ、ちょっと録音が古く音質が良くないものなど取り混ぜて、何度かヨドバシカメラへ持って行き試聴はさせてもらっていた。

B&W_805D3
B&W 805D3

試聴すると、表現される内容の次元が、これまで使っていたスピーカーとは違う。これまでは朦朧として気が付かなかったのだが、例えば、グールドのベートーヴェンピアノ協奏曲3番(指揮:バーンスタイン)は、1959年の演奏(グールド27歳、バーンスタイン41歳)でステレオ録音が始まった時期のものだが、オーケストラの音色、金管楽器と弦楽器がフォルテで全奏するところなど、古式蒼然とした音色だということに気が付く。大仰といってもいいし、歴史的録音という表現もできるだろう。それに、グールドのピアノのトラックが、真ん中に非常に大きな音で強調されており、今の録音ならこう極端なことはしないよなと今更ながらに思う。

主は、これまで器楽曲や室内楽といった小編成のものばかりを聴いてきた。というのは、オーケストラなどを聴くと、普通のスピーカーでは解像力が劣るために、音が混じってしまいいまいち好きになれないのだ。ところが、この805D3ではオーケストラが、オーバーな言い方だが、コンサートホールではこのように聞こえるだろうという再現性を見せる。さらに、このスピーカーに替えて気が付いたのは、チェンバロの音の美しさだ。特に録音が古いチェンバロ、例えばグスタフ・レオンハルトのもの(1972年の録音だった)などはあまり聴きこんでいなかったが、初めてその価値に気づいた。音が正確に表現されると違って聞こえるのだ。レオンハルトおそるべし。

チェンバロに限らず、「このCDには、こんな音が入っていたんだ!」と思うこともたびたびある。(おかげで、ジャズのマイルス・デイヴィスもよく聴くようになった)

この800シリーズのラインナップは次の4種類あるのだが値段がすごい。一番左が、802D3 で¥3,400,000、左から二番目が803D3で¥2,700,000、左から三番目が804D3で ¥1,460,000、右端が主が購入した805D3で¥880,000である。この805D3はブックシェルフ型なのだが、写真の純正スタンドは¥140,000する。

B&W800series

このヨドバシカメラでの試聴の際に、顔見知りになった店員に小声で「ここだけの話ですぜ。即決するなら、スピーカー2台で6万円まけます」と言われるのだ。ここで、最近の円高で輸入品の仕入れ値は下がっているはずだから、値下げされないかなと思っていた主の心は揺れる。ぐらぐら。とりあえず、名刺をもらって帰る。

そこで、奥さんに反対されない方便を考える。前から考えていたのは、古いスピーカを息子に譲り、有効活用を図る。これなら仕方なく認めてくれるかもしれない。

結局、ヨドバシカメラと自宅で同じ音が再現できたか? それは残念ながら、ヨドバシカメラの方が良いようだ。なぜなら、ヨドバシカメラでは純正のスタンドを使い、スピーカーケーブルは最高のものを使っている。アンプも相当、高級品だ。エージング(暖機運転を十分にすること)も十分だ。

オーディオの世界は、壁の電気コンセントとアンプなどの電気機器をつなぐケーブル(電線)や電気コードを差し込むタップに、10万円以上するものが売られているほどキリのない世界なのだ。オーディオにどんどん凝っていくと、究極は、電力会社にオーディオ専用の電柱を立ててもらうところまで行く。間違ってもそういう世界に入らないように、気を付けながら愉しもうと思っている今日である。

 

老親の医療について (その2 父の場合)

主の出身は大阪だ。当然、父母は大阪に住んでいたのだが、母は5年前に83歳で亡くなった。このとき父は85歳で、主と父が一緒に地元の脳神経外科医から聞いた診断では、父はアルツハイマー型の認知症を患っており、普通の人の状態を100点満点とするなら、父の認知能力は35点しかないという説明だった。だが、当時の父の反応は、もちろん頼りない面があちこちにあるものの、当時は一応それなりの反応ができていた。

この脳神経外科医の診察の際、配偶者が直前に亡くなり、息子が東京から父に付き添っていることを説明した。すると医師は父に向って、銀行の預貯金などの管理がどうなっているのか今のうちに息子へ伝えなさいと諭すように言ってくれ非常に助かった。

また、父は内科へも通い、高血圧の薬、睡眠導入剤を貰っており、加えて前立腺癌を患っていた。内科医の説明では、高齢者の前立腺癌は、寿命で死ぬか癌で死ぬかどちらが早いかというくらい進行が遅いとの説明があり、治療の意味がどのようにあるのかと主は疑問を感じたのだが、内科医は「癌なのですよ!!」と主に驚けとばかりに促した。

母の葬儀が済むと、父は大阪のマンションで独り取り残されることになった。だが、認知症に加え、料理・洗濯・掃除などそれまでほとんどやってこなかった男である。主は仕事があり、千葉へ戻らなくてはならない。しかし、父をほったらかしにするのは無理がある。

このため、訪問介護事業者の力を借りることにした。自宅に近い事業者に相談、まず市の介護認定を受けた。認定結果は、要介護1だったように思う。並行して、ヘルパーさんに自宅の訪問をお願いした。この事業者は派遣会社系の事業者だったが、大変お世話になった。非常に親身に対応していただいた。

介護保険の経費面の説明をすれば、受益と負担は、当然、介護度と収入により当然変わってくるが、ざっくり言うなら、その当時は、1か月あたり15万円程度のサービスを1割の負担で受けられた。この制度により、父の場合、週に3~4回程度ヘルパーさんに来てもらい、食事の用意、買い物の同伴、洗濯、掃除などの家事をやってもらい、別に週1回通所のデイケアサービスを受けることができた。

父は大阪でヘルパーさんの力を借りながら、3か月ほど独り暮らしをした。だが、父はすでに85歳で認知症がかなり進んでおり、大阪で独り暮らしをしたまま、千葉の息子が大阪のケアマネージャーと電話で相談しながら進めるのは無理だと感じていた。

このため、まず父を主が住む千葉へ移し、同居をしながら介護付き有料老人ホームを探すのが良いだろうと考えた。ヘルパーさんを通じて千葉への引っ越しをしても構わないかという意向を父に聞いてもらったが、あまり肯定的な返事をしないということだった。このため、父にはヘルパーさん二人から「千葉へ旅行に行って下さい」と騙してもらうようにお願いし、新大阪駅まで見送ってもらい、主が東京駅まで迎えに行くという方法を取った。

父が千葉へ来ても、本人は旅行のつもりなので夕方になると「それでは大阪へ帰ります」と言い出したりする。一方で、父を宥めながら老人ホームの下見に出かけたりした。認知症がある程度進行すると、直前に考えていたことが思い出せなくなる。哀れだが、優しく話をされると何でも肯定的に受け止めてしまう。

父はこのような調子だったが、一方で必要な手続きはいろいろあった。 母の死亡により預貯金が銀行で凍結されてしまった。これを解除するため、相続権のある者の書類を取り寄せ、「遺産分割協議書」を作成して銀行へ提出しなければならなかった。また、父は賃貸マンションに住んでいたのだが、引っ越しをすると家財の処分、原状回復もしなければならない。当然ながら役所の手続きもある。銀行の支払いでどの印鑑が使われているのかわからず、銀行員の好意にすがって印鑑を教えてもらうということも必要だった。母の入院後、父が千葉へやってくるまでの間、主は毎週のように千葉と大阪を往復しなければならなかった。

Bestlife

老人ホームに対して、父はバラ色の幻想を抱いていたようだ。よく「ホームへ入れてくれるか?」と言っており、入居を希望しているように見えた。このため介護付き老人ホーム探しは順調に進み、上の写真のところに入居した。

だが、父が抱いていたイメージと違うことがこのホームに入ってすぐに分かり、他の老人ホームへ移りたいと言い出した。実際に入居してみると入居者同士の会話が全くない。何もすることがない。散歩もさせてもらえない。このあたりが本人が抱いていたイメージとのギャップだと思う。認知症とはいうものの、大阪から突然縁もゆかりもない千葉の老人ホームに入り、周囲は見ず知らずの人ばかりだ。集団生活といいながら、会話もない。(ちなみに、元気な老人の場合は外出も認められていた)

父の意向に従って、他の有料老人ホームの見学を実際にしたのだが、状況は全く同じだった。むしろ、今入居しているホームの方が、毎日の体操(チェアエクササイズ)やお誕生会など入居者同士のコミュニケーションを取ろうとしていた。

ただ、父は何が嫌だと感じたのか、それ自体を忘れてしまう。他の老人ホームの見学に行ったことも覚えていない。無意識の領域に、不快な気持ちがあるのだが意識の端までは上ってこない。そんな状態で、父はこのホームに5年間住んでいた。この間に認知症は非常に進んでしまった。

やがて、父は意識もはっきりせず、意欲も低下していることが外からもわかるようになる。昔趣味にしていたクラシック音楽のことなどは雲散霧消し、朝食が和食か洋食だったかも言えない。家族や親せきの関係も分からなくなり、かろうじて息子である主だけは分かっていたようだが。表情は穏やかだが、昔の気性やはっきりした意識はまったくなくなり、最低限のできることとして食事を取ること、短い距離の歩行ができること、排泄ができるということだけだ。もう生きることに倦んでいたのは、間違いない。

主は見舞いに行き、ホームの近くにある大規模ショッピングセンターによく出かけたのだが、当初、レストランで昼食をとっていた。だが、徐々に食べこぼしが激しくなるにつれて、喫茶店やフードコートでの喫食だけになった。最後は、おしめをするようになるのだが、小便が漏れないかと気にかかる。

入居当時に医者と治療方針を老人ホームへ毎月診察に来る若い内科医と相談する機会があった。このときには、年齢が年齢で昔の面影がすっかり失われており、積極的な治療は希望しない旨を伝えたのだが、それでも約10種類の薬を処方されていた。

また、前立腺がんの権威らしい老教授と相談する機会もあった。この老教授に診察を受けたのは父が85歳の時だったが、「あと5年くらいは生きるでしょう」「(呆けてはいるが)治療を続けて安寧な状態を保つのが、家族、老人ホーム、皆にとって都合がいいだろう」というような意味のことを言った。

どちらの医師も薬を止めたりすることは、毛頭考えないようだった。父にかかるコストは、老人ホームの入居費が月々20万円弱、介護保険の総額が20万円程度、医療費が10万円弱かかっている。介護保険と医療費は本人負担が1割なので、3万円ほどになるため、ホームの入居費と合わせると本人負担は20万円ちょっと超える。だが、コスト全体は月々50万円くらいになるということだ。

今となっては確かめようはないのだが、ホームへ来る若い医師の診察は毎月1回問診がさらっとあるだけなのに、明細を見ると医療費が診療に月3万円程度、薬剤に7万円程度かかっていた。何故そんなに費用がかかるのか疑問だった。

父は、亡くなる直前におむつをしたり徘徊をしたり手がかかる状態になったが、これは亡くなる直前だけだ。それまでは頭がぼけていたが、着替えもできたし排泄もできた。その人物に、毎月50万円の費用がかかり、ホームは介護保険と入居費用の40万を受け取り、医師は月1回の問診で3万円、薬局が7万円受け取る。関係者にとって大きな収入だが、老人の介護費、医療費が大きな問題になるはずだ。

 

 

LITERA 「稲田朋美防衛相に領収書偽造が発覚、なんと520万円分!」

ネットでは、LITERAというところがソースになり多くのニュースサイトに稲田朋美防衛相の領収書偽造が発覚したと流れている。内容を一部コピーする。

————————-以下コピー

安倍首相肝いりの重要閣僚・稲田朋美防衛相に、政治資金を巡る“巨額不正疑惑”が発覚した。本日14日発売(2016/8/14)のしんぶん赤旗日曜日版が「稲田防衛相 3年間で約520万疑惑領収書 自民パー券代“金額は自分たちが記入”『白紙』で領収認める」と題してスクープしたものだ。        記事によれば、稲田氏の政治資金管理団体「ともみ組」の領収書のなかに金額、宛名、年月日が同じ筆跡の領収書が大量に存在することが発覚した。これは、自民党議員らの政治資金パーティの会費支払いの証明として稲田氏側が受け取ったものだが、実は、この領収書は「ともみ組」の収支報告書の担当者が記入したものだったことが筆跡鑑定の結果判明。稲田氏の事務所は赤旗の取材に対し、金額の入っていない「白紙」の領収書に稲田氏側が書き入れていたことを認めた。赤旗の調べでは、この白紙領収書は2012〜14年の3年間で計260枚、約520万円にのぼるという。

————————-引用終了(抜粋)

ここからが主が不思議に思うことだが、スクープしたのが共産党機関紙である赤旗のせいか、ネットではいろいろな媒体が取り上げているものの、新聞各紙は全く追随、報道していない。

唯一それを追いかけたのが、ネットニュースのLITERAなのだが、LITERAというのはネットで調べるとかなり左翼的な位置にあるようだ。そこらへんが、新聞が追随しない理由かもしれない。

だが、この内容にはニュースバリューが十分にあると主は思うのだが、赤旗自身にこれを追求して、さらなる問題にするそぶりが見えない。共産党ならず、民進党が問題視してもよさそうに思うのだが、今のところそのような気配もなさそうだ。

さて、今後この問題はこのまま鎮火するのだろうか。それとも、また週刊文春あたりが取り上げて、大騒ぎになるのだろうか。その成り行きは主には分からない。だが、何かの圧力が働いているのではないかと、下衆の勘ぐりをしてしまう。

2016/8/30 追記 ———- その後、ネットを見ていると、FLASH、女性自身といったところが記事で追求しており、稲田朋美はじめ疑惑をもたれている者が「誰でもやっていることだ」と開き直っているとある。主が一番不思議だと思うのは、やはり、野党がスルーしているところだ。

2016/10/8 追記 ———- その後、6日の参院予算委員会で共産党の小池書記局長がこの白紙領収書問題を追求したようだ。次がそのリンクである。稲田大臣の返答は「どこでもやっていること」で、おまけに政治資金を所掌する高市総務相は「法的に問題ない」と答弁している。

http://www.sankei.com/politics/news/161006/plt1610060052-n1.html

総務省のマニュアルでは領収書への記入について、宛名は発行者の依頼があれば、受領者側が追記することが認められているが、それ以外のことは明記されていないらしい。

そりゃあそうだろう、白紙の領収書に勝手に書くことは許されないだろうというのが、庶民感覚だ。

ただ、今回は大手紙も報道しているが、これ以上に大きくはならないだろう。