「草枕」(Three-Cornerd World) その3 グールドが読んだ夏目漱石

グールドが読んだ夏目漱石

夏目漱石の弱点、男尊女卑と大衆蔑視

グレン・グールドは、1965年に発刊された《Three-Cornered World》(三角の世界:「草枕」)を1967年に手に入れた。35歳の時である。

夏目漱石が「草枕」を書いたのは、さらに遡ること60年も前の、1906年(明治39年)である。「草枕」は漱石にとって、「吾輩は猫である」「坊ちゃん」に次ぐ3作目だった。グールドが読んだ1967年は、自由を謳歌し民主主義が高まった時代だった。それに対し、後にも触れるが、漱石が書いた1906年は、日本では日露戦争が終わった直後だが、西欧列強の《持てる国》と《持たざる国》が対立を深め、二度の世界大戦へと向かう時代だった。

夏目漱石の作品を今読めば、男尊女卑や、教育のない者に対する蔑視が潜んでいるという指摘があるのは当然だろう。しかし、それは大戦前という時代、女性に選挙権もなかった時代背景と、高等教育を受けた者が大衆に対する責務を果たさないとならないというノブレス・オブリージュの義務感があったからだろう。それらを考えれば、漱石の天才は少しも損なわれるものではない。制度的なジェンダー平等はもちろん必要だが、批判覚悟でいえば、性差が生まれる原因はすべて社会環境にあり、生まれながらではないという考えは説得力を欠くものだろう。また、教育を受けたものの義務感であるノブレス・オブリージュの方は、逆に、現在まったく霧消してしまい漱石の時代のほうがずっとマシだったとしか思えない。

つまり、漱石の世界観が当時のスタンダードなもので違和感がないと考えれば、夏目漱石は普遍性をもつ世界的な作家であることは間違いない。

夏目漱石をシェイクスピア以上と評価するダミアン・フラナガン


ダミアン・フラナガンというイギリス人日本文学研究者がいる。イギリスで夏目漱石に魅せられ日本とイギリスを往来しながら、日本語を学び博士号をとり、日本語で2冊の本を出版している。その苦労たるや相当なものだろう。逆に、その熱意の大きさが推量できるというものだ。

その[1]ダミアン・フラナガンは、漱石が、日本では単に森鴎外と並ぶ国文学の先駆者に過ぎないと考えられていること、加えて、有名な評論家の江藤淳や吉本隆明らさえ、漱石の作品を個人的な経験をもとにした私小説の延長といった捉え方をしていると批判する。漱石は、日本では「則天去私」が、理想のキーワードとして語られるが、「則私去天」も場面によって、おなじく理想のキーワードだという。

彼は、実際のところ、夏目漱石がシェイクスピアをも超える世界的なスーパースター作家であり、小説は自身の苦悩を表現する手段ではなく、哲学的な問題について深く掘り下げ、人生そのものの普遍性を探求する手段であり、背後にはニーチェ思想があるという。漱石の思想には、ニーチェの「冒険」というコンセプトに惹きつけられているというのだが、皮肉なことに、そのことを日本人は理解できていないという。

例えば漱石の『門』について、[2]「崖の下に住む冒険に向かない男と、満州の冒険者、ニーチェ的な謎を喜ぶ冒険と、禅と儒教と。」と指摘し、「『門』は、宗教に対する挫折感を話題にする、気の滅入るような小説と見るより、むしろある種の意思のない人間を風刺する、精密に考案された小説と見るべきであろう」という。

 また、上記に続いて『それから』については、「『それから』のように堕落を超越しようとする冒険を書くより、冒険が堕落だと恐れているために、宗教へ逃避する過程を書くことによって、このいくつかの観念を融合させるのは何よりも当然だったであろう。しかし、皮肉なことに、この冒険からの逃亡のために、主人公は禅という大冒険をするはめになる。・・・数多くの批評のように、(『門』の)宗助が宗教的な冒険に失敗するのが、宗教に対する漱石自身の悲観を表している推定するのは決して適切ではない。」という。

なお、ダミアン・フラナガンの分析は、従来の日本人評論家と比べて、非常に説得力がある。また、これについて項を改めて書きたい。

カナダ人ピアニストのグレン・グールドは、芸術論と日常の苦悩との関係が、奔放にユーモアを含んで展開される英訳の「草枕」を愛読して止まなかったが、同時に彼は、他の手に入る英訳された漱石作品も読んでいたはずだ。その時「草枕」を含め、漱石の個人的な感想や感情を読み取っていたのではなく、ダミアン・フラナガン同様、もっと深い人間の普遍的な真実をそれらの作品に見ていただろう。

おしまい


[1] ダミアン・フラナガン 1969年イギリス、マンチェスター生まれ。ケンブリッジ大学モードリン・カレッジ在籍。93~99年に神戸大学で、修士、博士課程を経て2000年に博士号取得。著書に「日本人が知らない夏目漱石」「世界文学のスーパースター夏目漱石」がある。

[2] ダミアン・フラナガン「日本人が知らない夏目漱石」第二章『門』までの道 『門』の新しい冒険から引用

カテゴリー: 音楽(グレン・グールド), 読書 | タグ: , , , | コメントをどうぞ

「草枕」(Three-Cornerd World) その2 画工の芸術観と芸術家観

つぎに画工の芸術観と芸術家観はなにか

いままでストーリーを追ってきたが、次は「草枕」に書かれた画工の芸術観と芸術家観について抜き出してみたい。またのちに、グールドが読んだ英訳ではどのような印象になるのかも考えてみたい。

  1. あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。
  2. 明暗は表裏のごとく、日の当たる所にはきっと影がさすと悟った。喜びの深きとき憂いいよいよ深く、楽しみの大いなるほど苦しみも大きい。
  3. 余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵芥を離れた心持になれる詩である。いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少なかろう。どこまでも世間を出る事が出来ぬのが彼らの特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌の純粋なるものもこの境を解脱する事を知らぬ。・・・うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したものがある。・・・すこしの間でも非人情の天地に逍遥したいからの願い。一つの酔興だ。
  4. (日本の伝統芸能である能について)我らが能からうけるありがた味は下界の人情をよくそのまま写す手際から出てくるのではない。そのままの上へ芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長な振舞をするからである。
  5. 芭蕉と云う男は枕元へ馬が尿(いばり)するのをさえ(みやび)な事と見立てて発句した。
  6. 世にはありもせぬ失恋を製造して、自ら強いて煩悶して、愉快を貪るものがある。常人はこれを評して愚だと云う、気違いだと云う。しかし自ら不幸の輪郭を描いて好んでその中に起臥するのは、自ら[1]()(ゆう)の山水を刻画して[2]壺中(こちゅう)の天地に歓喜すると、その芸術的の立脚地を得たる点において全く等しいと云わねばならぬ。この点において世上幾多の芸術家は(日常の人としてはいざ知らず)芸術家としては常人よりも愚である。気違いである。・・・してみると四角な世界から常識と名のつく、一角を摩滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。
  7. (現実の美である)燦爛(さんらん)たる彩光(さいこう)は、[3]炳乎(へいこ)として昔から現象世界に実在している。・・・[4]ターナーが汽車を写すまでは汽車の美を解せず、応挙が幽霊を描くまでは幽霊の美を知らず、・・・[5]サルヴァトル・ロザは泥棒が研究して見たい一心から、おのれの危険を賭けにして、山賊の群れに這入り込んだと聞いたことがある。飄然と画帳を懐にして家を出たからには、余にもそのくらいの覚悟がなくては恥ずかしい事だ。
  8. (どうすれば)詩的な立脚地に帰れるかと云えば、おのれの感じ、そのものを、おのが前に据え付けて、その感じから一歩退いて有体に落ちついて、他人らしくこれを検査する余地さえ作ればいいのである。詩人とは自分の死骸を、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務を有している。
  9. 茶と聞いて少し辟易した。世間に茶人ほどもったいぶった風流人はない。広い詩界をわざわざ窮屈に縄張りをして、極めて自尊的に、極めてことさらに、極めてせせこましく、必要もないのに[6]鞠躬如(きっきゅうじょ)として、あぶくを飲んで結構がるものはいわゆる茶人である。・・・あれは商人とか町人とか、まるで趣味の教育のない連中が、どうするのが風流か見当がつかぬところから、器械的に利休以後の規則を鵜吞みにして、これでおおかた風流なんだろう、とかえって真の風流人を馬鹿にするための芸である。
  10. われらが俗に画と称するものは、ただ眼前の人事風光をありのままなる姿として、もしくはわが審美眼に濾過して、絵絹の上に移したるものに過ぎぬ。花が花と見え、水が水と映り、人物が人物として活動すれば、画の[7]能事(のうじ)は終わったものと考えられている。もしこの上に[8]一等地を抜けば、わが感じたる物象を、わが感じたるままの趣を添えて、画布の上に[9]淋漓(りんり)として生動させる。ある特別の感興を、己が捉えたる[10]森羅の裡に[11]寓するのがこの種の技術家の主意であるから、彼らの見たる物象観が明瞭に筆端に迸っておらねば、画を製作したとは云わぬ。己はしかじかの事を、しかじかに観、しかじかに感じたり、その観方も感じ方も、前人の[12]籬下(りか)に立ちて、古来の伝説に支配せられたるにあらず、しかももっと正しくして、もっと美しきものなりとの主張を示す作品にあらざれば、わが作と云うをあえてせぬ。
  11. わが感じは外から来たのではない、たとい来たとしても、わが視界に横たわる、一定の景物ではないから、これが原因だと指を挙げて明らかに人に示す訳に行かぬ。あるものはただ心持ちである。この心持ちを、どうあらわしたら画になるだろう ー否この心持ちをいかなる具体を[13]()りて、人の合点するように髣髴(ほうふつ)せしめるかが問題である。
  12. 普通の画は感じはなくても物さえあれば出来る。第二の画は物と感じと両立すればできる。第三に至っては存するものはただ心持ちだけであるから、画にするには是非ともこの心持ちに恰好なる対象を択ばなければならん。・・・古来からこの難事業に全然の績を収め得たるものを挙ぐれば、[14]文与可の竹である。[15]雲谷門下の山水である。下って[16]大雅堂の景色である。[17]蕪村の人物である。泰西の画家に至っては、多く目を具象世界に馳せて、[18]神往の気韻に傾倒せぬ者大多数を占めているから、この種の筆墨に[19]物外の[20]神韻を伝え得るものははたして幾人あるか知らぬ。
  13. 惜しい事に雪舟、蕪村らの(つと)めて描出した一種の[21]気韻は、あまりに単純でかつあまりに変化に乏しい。・・・・考えたがやはり出て来ない。色、形、調子が出来て、自分の心が、ああここにいたなと、たちまち自己を認識するようにかかなければならない。生き別れをした吾子を訪ね当てるため、六十余州を回国して、寝ても覚めても、忘れる間がなかったある日、十字街頭にふと邂逅して、稲妻の遮るひまもなきうちに、あっ、ここにいた、と思うようにかかなければならない。それがむずかしい。この調子さえ出れば、人が見て何と云っても構わない。画でないと罵られても恨みはない。
  14. (那美さんが振袖姿で廊下を何度も行きつ戻りつするのを見て)うつくしき人が、うつくしき眠りについて、その眠りから、さめる暇もなく、幻覚(うつつ)のままで、この世の呼吸(いき)を引き取るときに、枕元に病を護るわれらの心はさぞつらいだろう。四苦八苦を百苦に重ねて死ぬならば、生甲斐のない本人はもとより、傍に見ている親しい人も殺すが慈悲と諦められるかも知れない。しかしすやすやと寝入る()に死ぬべき何の科があろう。
  15. (裸体画について)うつくしきものを、いやが上に、うつくしくせんと焦るとき、うつくしきものはかえってその度を減ずるが例である。・・・放心と無邪気とは余裕を示す。余裕は画において、詩において、もしくは文章において、必須の条件である。今代芸術の一大[22]弊竇(へいとう)は、いわゆる文明の潮流が、いたずらに芸術の士を駆って、[23]拘々(くく)として随所に[24]齷齪(あくそく)たらしむるにある。裸体画はその好例であろう。
  16. 余はこの温泉場に来てから、まだ1枚の画もかかない。絵の具箱は酔興に、担いできたかの感さえある。人はあれでも画家かと嗤うかもしれぬ。いくら嗤われても、今の余は真の画家である。ちっぱな画家である。こういう境を得たものが、名画をかくとは限らん。しかし名画をかき得る人は必ずこの境を知らねばならん。
  17. 芸術の定義を下しうるとすれば、芸術はわれら学問教養を身につけた人の胸に潜んで、邪を避け正に就き、曲を斥け直にくみし、弱を扶け強を挫かねば、どうしても堪えられぬと云う一念が結晶して、[25]燦として白日を射返すものである
  18. 余は画工である。画工であればこそ趣味専門の男として、たとい人情世界に堕在するも、東西両隣の没風流漢よりも高尚である。社会の一員として優に他を教育すべき地位に立っている。詩なきもの、画なきもの、芸術のたしなみなきものよりは、美しき所作ができる。人情世界に在って、美しき所作は正である、義である、直である。正と義と直を行為の上において示すものは天下の公民の模範である。
  19. 汽車ほど個性を軽蔑したものはない。文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を踏みつけようとする。一人前何坪何合かの地面を与えて、この地面のうちでは寝るとも勝手にせよと云うのが現今の文明である。同時にこの何坪何合の周囲に鉄柵を設けて、これよりさきへは一歩も出てはならぬぞと()()かすのが現今の文明である。何坪何合のうちで自由を(ほしいまま)にしたものが、この鉄柵外にも自由を(ほしいまま)にしたくなるのは自然の(いきおい)である。憐れむべき文明の国民は日夜にこの鉄柵に嚙みついて咆哮(ほうこう)している。文明は個人に自由を与えて虎のごとく(たけ)からしめたる後、これを[26]陥穽(かんせい)の中に投げ込んで、天下の平和を維持しつつある。この平和は真の平和ではない。動物園の虎が見物人を(にら)めて、寝転んでいると同様な平和である。檻の鉄棒が一本でも抜けたらー世の中はめちゃめちゃになる。第二の()(らん)西()革命はこの時に起こるのであろう。個人の革命は今すでに日夜起こりつつある。北欧の偉人[27]イプセンはこの革命の起こるべき状態についてつぶさにその例証を吾人に与えた。余は汽車の猛烈に、見界(みさかい)なく、すべての人を貨物同様に心得て走る様を見るたびに、客車のうちに閉じ()められたる個人と、個人の個性に寸毫(すんごう)の注意をだに払わざるこの鉄車とを比較してーあぶない、あぶない。気をつけねばあぶないと思う。現代の文明はこのあぶないで鼻を()かれるくらい充満している。おさき(まっ)(くら)に盲動する汽車はあぶない標本の一つである。

(抜粋おしまい)


[1] どこにも存在しない風景

[2] 自分だけの別世界

[3] きわめて明らかなさま

[4] イギリス19世紀前半の風景画家

[5] イタリア17世紀の画家、銅版画家

[6] (きっきゅうじょ) 身を屈めてかしこまる様子

[7] なすべき事柄

[8] 一段と優れている

[9] 勢いが盛んにあふれ出ているさま

[10] 森羅万象 ありとあらゆるもの

[11] 直接示さないで他の事物に託して表現する

[12] りか 垣根のそば。低い位置にあることのたとえ。

[13] 藉(か)りて かこつけて

[14] 中国、宋代の画家

[15] 雲谷等顔 桃山時代の日本画家

[16] 池大雅 江戸中期の文人画家

[17] 与謝蕪村 江戸中期の俳人、画家

[18] 心が惹かれるような風雅な趣(おもむき)があること

[19] 物質界を超える世界

[20] 詩文・絵画などの、神わざのようなすぐれた趣のこと

[21] 気品の高い趣

[22] 弊害、欠点

[23] ものごとにとらわれ、こだわるさま

[24] あくせく、こせこせすること

[25] 燦として→きらびやかで美しい、白日→照り輝く太陽

[26] ワナ 落とし穴

[27] イプセン ノルウェー19世紀の劇作家。社会の矛盾をえぐりだし、近代劇の祖と称される

カテゴリー: 音楽(グレン・グールド), 読書 | コメントをどうぞ

「草枕」(Three-Cornerd World) その1 ストーリー

「草枕」の冒頭は、次の有名な文で始まる。

「山路を登りながら、こう考えた。 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」

30過ぎの西洋画を描く画工が、[1]熊本とおぼしき山中に絵を描きにやってくる。

この小説は、画工の持つ芸術観とこの山中で起こる物語を交互に語る形式をとっているが、物語の方は那美さんという魅力的な女性の画を、どう描くかがテーマである。

まずはどんなストーリーか

この画工が、「非人情」の旅に出かける。いきなり「非人情の旅」といわれても誰も分からないので説明すると、画工がいう「非人情の旅」というのは感情抜きで、物事を突き放して客観的に見る旅と言えばよいだろう。本文には、こうある。

「恋はうつくしかろ、忠国愛国も結構だろう。しかし自身がその局に当れば利害の旋風(つむじ)に捲(ま)き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩んでしまう。したがってどこに詩があるか自身には解しかねる。」「これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は観て面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害は棚へ上げている。見たり読んだりする間だけは詩人である。」

これが「非人情」の地位である。

画工は、那古井(なこい→な恋→「恋をするな」という暗喩)という地を目指し、山を登っていく。途中で雨に降られ、お婆さんがいる茶屋に寄る。そこで、お茶とお菓子をだしてもらった画工が写生帖を出し俳句をひねっている。そこへ、那古井から茶屋へ馬子の源さんが馬を曳いて立ち寄る。お婆さんと源さんの二人は、「那古井の嬢様と比べれば幸せに暮らしているが、あんな器量をもった嬢様が気の毒だ、近頃は具合はどうだろうか。」と心配している。馬子の源さんは、5年前に船ではなく、馬に乗った嬢様が高島田で城下にお輿入れしたとき、馬の手綱をひいて、桜の花びらが高島田の上にはらはら落ちて美しく、いまも忘れられないと言う。

画工は、ミレーが描いた[2]オフィーリァを思い出し、オフィーリァとその嬢様がだぶるのだが、顔だけはすっぽり抜けている。画工が、さぞかし、高島田でお輿入れの嬢様は綺麗だったろうと言うと、お婆さんは「たのんでご覧され。着て見せてくれましょう。」と真面目に答える。驚きながら画工が聞いていると、この村の《長良の乙女》の言い伝えになり、墓と五輪塔があると言う。

ミレーのオフィーリァ
五輪塔(Wikipediaから)

昔、《長良の乙女》という美しい娘がおり、二人の男が一度に[3]懸想して「ささだ男になびこうか、ささべ男になびこうかと、娘はあけくれ思い煩ったが、どちらへもなびきかねて、とうとう[4]『あきづけばをばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもゆるかも』と云う歌を詠んで川へ身を投げ果てました。」と、突然、お婆さんは予想外の教養を示す言い伝えを語る。さらに、長良の乙女と嬢様は、二人の男が祟(たた)った推移が似ていると言う。一人は嬢様が京都へ修行に入った時の男、もう一人は城下随一の物持ちで、本人は京都の男を強く望んだが、事情があり親が地元の物持ちに決めた。ところが、戦争で男の勤めの銀行が潰れ、嬢様は那古井へ戻り、世間から不人情だとか薄情とか言われていると語る。

画工は、志保田という唯一の宿屋に宿泊する。その最初の晩、長良の乙女がオフィーリァになっている夢を見ていたら、遠ざかる歌声に目を覚ます。床を出て障子をあけると、月明かりの向こうの[5]海棠を背に、化物かと思ったら女の影がある。時刻は、深夜1時10分である。あれは化け物か、化け物でなければ嬢様の那美さんかも知れぬが、夜中に出戻りの嬢様が庭に出るのは不穏当だとか、懐中時計の音も気になって寝付けない。画工は、気味悪がっていてはならんと思い直し、俳句を画帳に書きつらねているとうとうとと眠くなる。そうして覚醒とも眠るともつかないでいると、入り口の唐紙がすーと開く。幻のごとく仙女のような影が現れ、そろりと部屋の中へ入る。仙女は戸棚を静かに開け閉めして出て行った。 翌朝、朝から風呂に入って裸で出てきたら、那美さんが「これをお召しなさい」と柔らかい着物をかけた。向き直ると那美さんは、二三歩後ずさるのだが、那美さんの表情は、「悟りと迷いが一軒の家に喧嘩しながら同居している体(てい)だ」「不幸に押し付けられながら、その不幸に打ち勝とうとしている顔だ。不仕合せな女に違いない。」と画工は思う。

画工が部屋に戻ると、夜中に書いた画帳の俳句の下に、真似をしたのか、添削をしたのか、馬鹿にしたのか誰かの字で俳句が付け加えられている。画工が夕べの名残はどこかと障子を開けて庭を見ても、食事は出てこない。やがて、小娘が食事を運んできて、画工は那美さんのことを聞き出そうとするのだが、画工が寝ていた部屋は、那美さんの普段使っている部屋だとしかわからない。小娘はなかなか口が堅い。食事が終わり片づけに小娘がふすまを開けた瞬間、庭の向こうの建物の二階で、静かな目で俯いている那美さんが美しいのだが、その音に気付いた刹那、毒矢のような視線が空を貫き、会釈もない。はっと思う間もなく、襖はしまり、平穏な春に戻る。

ごろごろしていると、那美さんがお茶と見事な青磁の皿にのせた羊羹を持って来る。皿をほめると那美さんの父親が骨董が好きだという話になり、長良の乙女の五輪塔の話になる。お婆さんが『あきづけばをばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもゆるかも』と歌を聞かせたというと、那美さんは、昔お婆さんが志保田に奉公している時分に何度も教えて聞かせるうちに覚えたという。画工が「あの歌は、憐れな歌ですね。」というと、憐れな歌でしょうか、私ならあんな歌は詠まない、第一淵川へ身を投げるなんてつまらない、と那美さんは言う。画工があなたならどうするのかと問うと、那美さんは「訳ないじゃないですか。ささだ男もささべ男も、男妾にするばかりですわ。」「当たり前ですわ。」と答える。そこで、鶯が「ほーう、ほけきょーう。ほーー、ほけっーきょうー」と鳴き、「あれが本当の歌です。」と那美さんが言う。

画工は髪結い床へ出かけ、江戸で暮らしたことのある髪結いの親方に髭を剃ってもらっている。この親方は、客の首を抜けるほど乱暴に扱い、しかも酔っている。江戸で、那美さんの父親に世話になったらしく、志保田の家に詳しい。那美さんは、本家の兄とも仲が悪い、き印だ、気違いだと村で言われていると言い、どんな証拠があるのかと尋ねると、観海寺の下級僧の泰安という坊主に見初められ、出戻った那美さんが、お寺の御堂で「仏様の前で、いっしょに寝よう」と泰安の首っ玉にかじりついたと言う。その後、泰安さんはどうなったのかと尋ねると、それは生きてはおられんだろう、姿を隠した、だが、相手が気違いだからひょっとすると生きてるかも知れんと言う。

そこへ了念という若い坊主頭の坊さんが、「一つ剃ってもらおうか。」とやってくる。了念と親方がお互い減らず口をききながら罵り合っていると、泰安さんは死んだっけかという話になり、泰安さんは東北へ修行に行き、今では智識という高僧になっている、那美さんのことは、「あの娘さんはえらい女だ。老師がよう褒めておられる」との新情報をもたらす。このあたり、江戸に住んだことのある髪結い床の親父と駆け出しの僧のやり取りがユーモラスである。

画工は、夕暮れの机に向かう。障子も襖も開け放つ。芸術と芸術家について思案していた画工が漢詩を作っている。ふと鉛筆を握ったまま入り口の方を見ると、開け放った三尺の空間を綺麗な影がとおった。画工は、漢詩を捨て入り口を見守る。一分も経たぬうちに反対の方向から向こう二階の縁側を振り袖姿のすらりとした女が、音もせず寂然として歩いていく。画工は思わず鉛筆を落として、鼻から吸いかけた息をぴたりと留めた。暮れんとする春の夕刻まぼろしに彩る中に、目も醒むるほど鮮やかな織物は行きつ戻りつ一分おきに消えて去る。

画工は、春の宵の湯舟に浸かっている。湯舟のふちに仰向けの頭を支えて、体を浮かしながらミレーのオフィーリャも悪くないが、ミレーはミレー、余は余だ、一つ風流な土佐衛門を描きたいと思い、土佐衛門の詩を作っていると、どこかで三味線の音が聞こえる。画工が、子供時代によく聞いた三味線の音に触発され、無邪気な子供に戻った気分でいると、突然風呂場の扉がさらりと開いた。誰か来たなと思っていると、画工は女と二人風呂場にいることを覚った。女は芸術的に見ても申し分のないたっぷりとした美しさを奥ゆかしくほのめかし、月の宮殿を逃れた月世界に住む仙女が、追手に取り囲まれてしばらく躊躇する姿のように画工は見る。女が湯舟から出るとき、せっかくの仙女があわれ俗界に堕落すると思う刹那、白い姿は階段を飛び上がる。ホホホホと鋭く笑う女の声が、廊下を響き、次第に遠のく。

画工は、美術品の愛好家の那美さんの父親、観海寺の和尚大徹と24、5歳の甥の久一と4人でお茶を飲みながら茶器、漢詩を書いた書や硯など美術品を愛でている。頼山陽、荻生徂徠などの名前がでてくる。那美さんの父親、和尚大徹と画工の3人は、骨董品には博識だが、久一は、鏡が池で写生をして西洋画を描いたりするのだが博識とまでいかない。

(ここでは、この愛好者垂涎の端渓の硯にまつわる4人の関係が分かりやすく現れているシーンがある)

この端渓の硯には、松の皮をそのまま使った蓋がついている。持ち主の那美さんの父親が、この蓋は松の皮には違いないが、山陽が庭に生えている松の皮を剥いで手ずから作ったものだと言うのだが、画工は山陽が俗な人物と思っているから「どうせ自分で作るなら、もっと不器用に作れそうなものですな。」と遠慮なく批判する。すると和尚が磊落に笑い、「ワハハハハ、そうよ、この蓋はあまり安っぽいようだな。」と画工に賛成する。それを久一は気の毒そうに祖父を見ている。不満顔の老人なのだが、硯本体のすばらしさに話が弾む。そのあと話が、久一に中国で硯を買ってきてもらうかという話になり、久一は、志那へ、満州の荒野へやがて出征することが決まっている。

端渓の硯

画工が泊っている部屋で本を読んでいると、那美さんが来る。「お入りなさい。」というと、那美さんは、遠慮することなくつかつかと入ってくる。なかなかの美貌である。

西洋の本で難しいことが書いてあるんでしょうと言われ、なあにと答えると、じゃあ何が書いてあるの、実は私にもよくわからない、それでお勉強なのと突っこまれる。勉強じゃないんだ、パッと開いたところを読むんです、それが面白いんですか、小説なんかそうして読むのが面白い、筋を知る必要なんかないと画工はいう。那美さんが、筋を読まないで何を読むんですかと、反駁すると、「あなたは小説が好きですか」と画工は質問する。那美さんが、「小説なんか読んだって読まなくたって・・・」と口ごもる。「じゃあ、それなら初めから読まなくたって、終いから読んだって、いい加減なところをいい加減に読んでもいい訳じゃありませんか」「しかし若い時分は随分御読みなすったろう」と画工。「今でも若いつもりですよ。」「そんなことが男の前で言えれば、もう年寄りのうちですよ。」「そういうあなたも随分の御年じゃあ、ありませんか。そんなに年とっても惚れたの、腫れたの、にきびが出来たのってえ事が面白いんですが」「ええ面白いんです。死ぬまで面白いんです」「おやそう、だから画工なんぞになれるんですね」「全くです。パッと開いた小説を読むのは面白い。あなたと話をするのも面白い。あなたに惚れ込んでも良い。いくら惚れ込んでも夫婦になる必要はない。惚れて夫婦になる必要があるうちは、小説を初めから終いまで読む必要があるんです」

「すると不人情な惚れ方をするのが画工なんですね」

「不人情じゃありません。非人情な惚れ方をするんです。小説も非人情な読み方をするから、筋なんかどうでもいいんです。こうして、おみくじをひくように、ぱっと開けて、開いたところを、漫然と読んでるのが面白いんです

那美さんは、画工が読んでいた英文の[6]ジョージ・メレディスの小説を読むようにいう。画工が本を訳しながら読み、那美さんが的確なちゃちゃを入れる。パッと開いて読んだところは、次のような話である。————

船から夕暮れの都会ヴェニスが見える。血をたぎらせた男が、情を漂わせる女を助けながら船首へ向かい、船べりで二人はきわめて近い距離にいる。やがて、完全な日没になり、ヴェニスを離れた女の心は自由を取り戻す。星が次第に増し、真夜中の船べりの甲板で帆綱を枕に、男女が横たわり、一夜だけはつれない、幾夜を重ねてこそとか言うのが聞こえる。男は、しっかりと女の手を握りながら、強いられた結婚をした女を救い出さんと決心する。

そのとき突然地震が起こり、ぐらっと来る。那美さんが小声で叫び、画工に寄りかかる。お互いの体がすれすれになり、顔がくっつきそうになる。その時、一羽のキジが藪から飛び出す。

「非人情ですよ」と女はたちまち居住まいを正しながら屹(キッ)と言う。

「無論」と言下に余は答えた。

岩のくぼみに溜まった水が、地震で揺れている。これを見て、「非人情でなくっちゃ、こうは動けませんよ」と言うのに対し「非人情がお好きなこと」と那美さん。画工は、那美さんが振り袖姿で行ったり来たりして見せたこと、夜中の風呂に入ってきたことに話題を向けるのだが、那美さんは、何食わぬ顔で大徹和尚が書いた漢文の額を読み上げ、話を逸らす。そのあと、和尚や久一の話、鏡が池の話になる。鏡が池は絵を描くのに良いところかと聞く画工に、那美さんは身を投げるのによいところだ、私は近々投げるかもしれないと答え、次のように言う。「私が身を投げて浮いているところを ―苦しんで浮いているところじゃないんです― やすやすと往生して浮いているところを― 綺麗な画に描いてください」「え?」「驚いた、驚いた、驚いたしょう」女はすらりと立ち上がり、にこりと出るときに振り返る。「茫然たる事多事。」

画工は、うららかな春の日を受ける鏡ヶ池に来ていた。時折、月下の海棠の愛らしさとは真逆の、毒々しい妖女のような椿の花がぽたりぽたりと池に落ちる。こんなところへ美しい女の浮いているところをかいたらどうか、と思案する。那美さんを題材に、椿の木の下の池に浮かせ、上から椿を幾輪も落とす。だが、どうも物足らない。那美さんの顔は物足らない。嫉妬の表情を加えたら、憎悪を加えたら、怒りを加えたら、恨みを加えたらと考えるうち、神にもっとも近い憐れの表情が欠けていると気づく。―「あの女の顔に普段充満しているものは、人を馬鹿にする薄ら笑いと、勝とう、勝とうとする焦る八の字のみである」

そんな風に思っていると、熊笹の中から、馬子の源さんが馬を曳いて現れる。二人は、お婆さんの茶屋で会ったことを思い出し、源さんは、この鏡が池の命名の言い伝えを画工に教える。ずっと古い昔、やはり美しい嬢様がおり、尺八を吹きながら諸国を行脚修行する梵論字(ぼんろんじ=虚無僧)が、志保田の庄屋に逗留しているうちに、その嬢様が梵論字を見染めて、一緒になりたいと泣いた。ところが庄屋どのは、聞き入れず、梵論字は婿にならんと言って、追い出してしまった。そこで、この池まで追いかけてきた嬢様は、向こうに見える松のところから身を投げた。その時、その時1枚の鏡を持っていたので鏡が池というのです。さらに、あの志保田の家には、代々気違いができます。去年亡くなった嬢様の御袋様がそうだった、祟っている、お嬢様も近頃は少し変だと村人は言います。

源さんが去った後、画工はどのような絵にしたらいいだろうか、どう工夫したものかと思案していたが、ふと顔を上げて絵筆を取り落とした。夕日を背に高い岩の上に振り袖姿の那美さんが微動だにせず立っていた。その一瞬、女はひらりと身をひねり、すでに向こうへ飛び降りた。

画工は、朧月夜に観海寺の石段を考えながら上る。「世の中は、しつこい、毒々しい、こせこせした、その上ずうずうしい、いやな奴で埋まっている。・・・浮世の風にあたる面積の多いのをもって、さも名誉のごとく心得ている。五年も十年も人の尻に探偵をつけて、人のひる屁の勘定をして、それが人生と思っている。そうして人の前へ出て来て、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと頼みせぬ事を教える。うるさいと云えばなお云う。よせと云えばますます云う。・・・そうしてそれが処世の方針だという。方針は、人々勝手である。ただひったひったと云わずに方針を立てるがいい。人の邪魔になる方針は差し控えるのが礼儀だ。邪魔にならなければ方針がたたぬと云うなら、こっちも屁をひるのをもって、こっちの方針とするばかりだ。そうなったら日本の運の尽きだろう。」

画工は、開け放しの観海寺の庫裏(台所)から入ろうとすると、小坊主の了念が出てくる。画工が下駄を脱いで上がろうとすると、「行儀がわるい画工さんじゃの」といいながら、了念がそこをご覧と「脚下を見よ」と書いた注意書きを蠟燭で示す。画工は、下駄を丁寧に揃えなおす。

画工は和尚と雑談をする。「あなたは、方々歩くように見受けるが画を描くためかの」「道具を持って歩きますが、画はかかないでも構わないんです」「じゃあ、遊び半分かの」「そう云ってもいいですが、屁の勘定をされるのが、嫌ですから」「屁の勘定た何かな」「東京にいると屁の勘定をされますよ」「衛生のことかな」「衛生じゃありません。探偵の方です」・・・・和尚が小坊主の時に先代によく言われたのは、日本橋の真ん中に臓腑を晒して、恥ずかしくないようにしなければ、修行を積んだとはいえないと言われたといい、画工は画工になり澄ませばなれると言う。和尚がそれなら画工になり澄ませばよいと言うと、屁を勘定されちゃ、なり切れませんよと画工。

「志保田の那美さんも、出戻ってからわしのところに法を問いに来たじゃて。ところがだいぶできて来て、あのような訳のわかった女になったじゃて」「わしのところに修行に来ていた泰安という若僧(にゃくそう)も、あの女のために大事を究明せんならん因縁に逢着して、今によい智識になるようじゃ」

画工の帰り際、和尚が庫裏を出たところまで送り、わしが手を叩くと鳩が寄ってくると手を叩くのだが、一羽の鳩も飛んでこない。不思議がる和尚、少し微笑する了念。和尚は、鳩は夜目が効かないことを知らない。

画工は、朝食後に煙草を吹かしながら、芸術家についてどういう境遇に達しないとなれないかとか思案している。襖を開けて縁側に出ると、向こうの二階に那美さんが立っている。画工が、挨拶をしようと瞬間に、右手を風のごとく動かしたら、白刃が光った。姿はたちまち障子の影に隠れた。

画工は、那古井の宿屋を出て、石がごつごつした山道を登りながら、那美さんの振舞の御蔭で画の修行がだいぶ出来たと考えている。

―「あの女の所作を芝居と見なければ、薄気味がわるくて一日もいたたまれん。義理とか人情とかいう、尋常の道具立てを背景にして、普通の小説家のような観察点からあの女を研究したら、刺激が強すぎて、すぐいやになる。現実世界に在って、余とあの女の間に[7]纏綿した一種の関係が成り立ったとするならば、余の苦痛は言語に絶するだろう。余のこのたびの旅行は俗情を離れて、あくまで画工になり切るのが主意であるから、眼に入るものはことごとく画として見なければならん。能、芝居、もしくは詩中の人物としてのみ観察しなければならん。この覚悟の眼鏡から、あの女を覗いて見ると、あの女は、今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする。自分でうつくしい芸をして見せると云う気がないだけに役者の所作よりもなおうつくしい」

山を登りきると、歩いてきた蜜柑畑の向こうに海が見える平らな場所に出た。画工は、春の日の木瓜の小株のなかにごろりと寝る。五言律詩の漢詩を作りながら唸っていると、エヘンという人間の咳払いが聞こえた。

木瓜(ぼけ)

雑木の間から、茶の形の崩れた中折れ帽を被った野武士のような男が現れた。男は、山道を降りるかと思えば曲がり角から引き返し、行きつ戻りつを繰り返した。男はときどき立ち止まり、四方を見渡す。そこへ那美さんがやってくる。

中折れ帽

画工は、那美さんが短刀を出すかと思ったが、長財布を出し野武士に渡す。財布を受け取ったあと、野武士は雑木林に姿を消すところで一度振り返るのだが、那美さんは後をも見ない。那美さんがこっちへやって来て、画工に木瓜の中にいないで出ていらっしゃい、今のをご覧になったでしょう、という。あれは、離縁された亭主です、お金を拾いうに行くんだか、死に行くんだか分かりませんが満州に行くんです、という。

画工と那美さんは、本家である兄の家に向かう。そこで、那美さんは甥の久一に父からの餞別である白鞘に入った短刀を畳の上に転がして渡す。ぴかりと刃の部分が光る。

川舟で駅まで久一を送りに行く。舟に乗ったものは、画工、那美さん、久一、那美の兄さん、那美さんの父親、荷物の世話をする源兵衛の6人である。舟の中で、那美さんは、自分を描いてくれと頼む。画工はあなたの顔を描きたいのだが、あなたの顔はそれだけじゃ画にならない、それが出ないままに描くのは惜しいという。一行は、舟を降り鉄道駅に向かう。漱石は、鉄道が文明の象徴で、文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの手段をつくして、個性を踏みつけようとする、汽車ほど個性を軽蔑したものはないという。

いよいよ列車が動き始める。久一が車窓から首を出している。未練のない鉄車がごとりごとりと動きはじめる。最後の三等列車が前を通るとき、また一つ頭が出た。野武士である。那美さんと野武士が思わず顔を見合わせた。野武士の顔はすぐに消えたのだが、那美さんは茫然として、汽車を見送る。その茫然のうちには、不思議にも今までかつて見たことのない「憐れ」が一面に浮かんでいた。

「『それだ!それだ!それがでれば画になりますよ』と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである」

(その1 ストーリー終わり)

――――――――――


[1] 熊本県玉名市の小天温泉に、漱石は30歳の時に、第五高等学校で英語教師をして数日間、保養に来ている。温泉旅館の主として登場する「志保田家」は、帝国議会議員で自由民権運動をしていた前田案山子、娘、卓(つな)が那美のモデルではないかと言われている。

[2] ロンドンのテイト・ギャラリーに夏目漱石も見た、ミレーの「オフィーリァの面影」の絵があり、シェイクスピアの《ハムレット》の女主人公の入水の場面である。

[3] 懸想(けそう)異性に思いをかけること

[4] 「秋づけば尾花が上に置く露の消ぬべくも我(あ)れは思ほゆるかも」万葉集に出てくる日置長枝娘子(へきながえをとめ)の歌。(意は、秋めいてくると尾花の上に露がおきます。その露のように今にも消え果ててしまいそうに私はあなたのことが、この上もなく切なく思われます。) この万葉集が詠まれた当時、妻争いの説話があった。:美しい娘に数多くの男が言い寄ったが、最後まで望みを捨てずに争った男が二人、一人は同郷の莵原壮士(うないおとこ)、一人は隣国和泉の信太壮士(しのだおとこ)があり、娘は信太に心を傾けていましたが、信太がよそ者なので同村の若者達の妨害を受け遂に思い余って入水して果ててしまいました。すると二人の男も負けじと娘の後を追って果てたのです。後世の人は哀れに思い、娘の墓を真ん中にして左右に男の墓を建てて弔ったという。

[5] 海棠 バラ科の落葉高木。高さ3~7メートルになる。

[6] ジョージ・メレディス イギリス、ポーツマス生まれ。1849年、彼が21歳のとき、30歳の未亡人メアリーと結婚するが、その9年後に妻メアリーは画家と駆け落ちしてしまう。この体験をもとに『リチャード・フェヴェレルの試練』を書いて小説家として成功した。1864年、36歳のときに再婚し幸福な家庭生活を送ったが、晩年は多病のうえ聴覚の衰えに悩まされた。早くに夏目漱石などが日本に紹介し、特にその思想が『虞美人草』などに影響を与えている。

[7] 纏綿(てんめん) 物がまつわりつくこと。からみつくこと。情緒が深く離れがたいこと。

カテゴリー: 音楽(グレン・グールド), 読書 | タグ: , , , , , | コメントをどうぞ