ゴルトベルク変奏曲 終わりよければすべて良し ファジル・サイ リサイタル

2022年1月29日、ファジル・サイの J.Sバッハ、ゴルトベルク変奏曲のリサイタルに墨田トリフォニーホールへ行ってきた。

ファジル・サイは、トルコ、アンカラで1974年生まれなので、49歳ということになる。トルコ人と言うことで、ドイツ正統派とみなされないハンディキャップがおそらくあると思うのだが、彼の演奏は明晰で明るく、構成が明確で非常に好ましい。

親爺は、バッハのオリジナルがヴァイオリン独奏で演奏される《シャコンヌ》という有名な曲をピアノ用に編曲したCDを聴き、なかなか良いと思っていた。

また、彼は作曲もやり、ブルーノート東京でジャズもするようだ。

スタンウェイ。休憩時は調律していました。

コンサートの印象なのだが、ゴルトベルク変奏曲は、「やはりグールドの演奏はうまいなあ」というのが基本にある。以下は、音楽家でもない親爺の気づいた感想なので、間違いもあるかもしれない。

ファジル・サイは、この曲を1時間かけて演奏したのだが、グールドは40分~50分くらいで演奏する。グールドは反復記号をかなり無視している。楽譜通りに反復すると、くどいなあと感じることもある。グールドは、遅い曲はより遅く、速い曲はより早く弾く。

ファジル・サイは、グールド以上に、バッハをバッハらしく、理知的で数学的に弾くのではなく、まるでロマン派の曲のように感情をこめて弾くのだが、そこは共通するなあと思った。

開演前の様子。1800席は満席でした。

一番違うのは、他のピアニストもそうなのだが、内声がグールドほど明確に聞こえないことだ。つまり、一番高い旋律と低音の伴奏だけになり、内声は低音部と一緒になっているように聴こえる。グールドは、ソプラノ、アルト、テノール、バスがそれぞれ別個に主張する。(よくわからないが、グールドは声部が違う場合、優先順位をつけ同時に打鍵していないのだろうと思う。)

また、多くの場合、グールドのようにデタシェ(スタッカート)とレガートを使い分けない。グールドは、デタシェが基本で、これは《弛緩》であり、レガートは《緊張》だと考えているので、レガートはここぞというところに使うために取っておく。しかも、そのデタシェとレガートを異なる声部で同時に使い分けながら弾くことが出来る。普通のピアニストは、基本レガート一本なので、曲想を変えるのは音量と速度の変化だけなので、飽きてくる。

ペダルの使い方も大分違うのではないか。グールドは、ペダルをあまり使わないのだが、普通のピアニストは曲が盛り上がってくると、ダンパーペダルをじゃんじゃん踏み音を延ばす。当然音は濁ってくるのだが、簡単に迫力を出せる。 グールドは逆に、密やかさを出すために、逆に3本の弦が2本しか鳴らないようにするソフトペダルを多用する。

グールドは装飾音符を装飾音符と感じさせずに弾いていることが多い様に思う。第1曲のアリアからして、グールドは楽譜通りのメロディーに弾いていないのだが、こちらの方が非常に自然な解釈だ。ファジル・サイは、基本、楽譜通りに弾き、トリルなどはトリルらしく、華やかに見事に演奏するのだが、グールドはトリルでも装飾音符と感じさせずに自然に弾くことが多いと思う。

曲全体の解釈も大分違っている。最後の数曲はもうすぐ終わりという感じで、変化球が投げられ、徐々に盛り上がっていく。ファジル・サイは、最後の1曲前であるクオドリベットで最高潮に達するのだが、最後のアリアもその最高潮を維持する。グールドの場合は、この《ゴルトベルク変奏曲》は、《円環の曲》というだけあって、最初のアリアに戻るように弾くので、密やかに静かに閉じるのだが、ファジル・サイは、最後のアリアをクライマックスのように弾く。

このクオドリベットは、ドイツの俗謡が2曲入っていて、この曲だけがこれまでのような格調の高い雰囲気から砕けた気安さに満ち、曲想が違う。ある意味、この曲でゴルトベルク変奏曲は、一気に弛緩し、最後のアリアで最初の地点に戻るのだが、これをグールドは、平穏で、静謐なアリアへ戻ろうとし、ファジル・サイは、最初とは違うクライマックスを持って来たわけだ。

ファジル・サイは、ずっと楽譜を見ながら弾いていた。このため、変奏の変わり目に楽譜をめくることがあるのだが、CDで聴くときのようにインターバルが揃わず、わずかに興が削がれる時がある。もちろん、生の演奏がCDの録音のように完成度が高くならないのは、当然なのだが、すべてが暗譜であれば、インターバルもより演奏者の意図したものになり違うかもしれない。

この日、このホールは1800席あるのだが、いくらコンサート・グランドと言われるピアノがデカい音を出せるとしても、300人くらいの小ホールがふさわしい気がしなくもない。

この日の観客の反応はとてもよく、近くに座っていた女性が「まるで教会で聴いているようで、目をつむりながら感動していた。」という声が聞こえて来て、そのとおりだなと思った。

第2部では、シューベルトのピアノソナタが演奏された。全体として、とても良いコンサートで、観客は演奏が終了した後も盛大な拍手がなり続け、スタンディングオベーションする外人や日本人も多かった。

錦糸町のイルミネーション

そのアンコールを期待していた親爺なのだが、ドビュッシーの月の光とショパンのノクターン遺作の2曲を演奏してくれた。これまでの曲とガラッと雰囲気が変わり、どちらも凄く素敵で、こうした感じが生のコンサートの良さなんだと実感する。

2曲終わったところで、早く帰れと催促するように、ホールの照明が明るくなってしまった。もっと聴きたかったのに。

おしまい

文芸批評もガラパゴス? 夏目漱石研究者 ダミアン・フラナガン その1

グレン・グールドオタクの親爺は、グールドの人生観や芸術観を知りたいとずっと思ってきた。 というのは、グールドは子供のときから「結婚はしない」と発言したり、「最後の清教徒」と自称したりする人間だった。これがどこまで本気なのか、目くらましの韜晦だったのかを知りたかったわけだ。 同時に、彼が生きた時代は、第二次大戦前の宗教を含めた古い価値観から、1950年代以降の自由奔放で新しい価値観への転換期であり、その価値観の中に、性(セックス)が大きな柱だったのは間違いがない。そして、芸術観についてもプレスリーや、ビートルズ、ロックミュージックなどたくさんのポップミュージックが登場する時代で、グールドはクラシック音楽の芸術性をどう考えるか悩んでいたはずだ。

ダミアン・フラナガンさん 毎日新聞から

そうしたグールドは、夏目漱石の「草枕」を知り、その小説の虜になる。その小説は、世界の芸術を比較考察しながら、どんな芸術が価値があるか、どんな芸術は価値がないのか考えるもので、芸術と向き合う芸術家の心構えをも考察していた。

親爺は、日本人なので、「草枕」を新仮名遣いの日本語で読んでみた。この「草枕」は、日本だけではなく、西洋と中国の芸術に対する夏目漱石の博覧強記ぶりを強烈に示しており、親爺のような凡人が全てを十全に理解するのは難しい。 ただ、何度かこの小説を読むうち、だいたい夏目漱石が言わんとすることが分かってきたような気がする。

他方グールドが読んだ「草枕」は、当然英訳本ということになる。いくつかの解説書などを読むと、日本語版より、英訳版の方がずっと理解しやすいと言われる。つまり、漱石の格調高いが、難解な古語や漢語が平たくわかりやすく表現されているからだ。

親爺は、2種類の「草枕」の英語版を手に取ってみた。英訳を最初にしたのは、アラン・ターニー(1938-2006)版なのだが、KINDLE版には、メリディス・マッキンリーという翻訳者もいる。

アラン・ターニーが翻訳したペーパーバック版は、新装(2011)されており、この本の冒頭に40ページ弱にもわたる非常に充実した内容のイントロダクションが掲載されている。これを書いたのが、ダミアン・フラナガン(1969-)さんという人物だった。

このダミアン・フラナガンは、イギリス人の日本文学研究者なのだが、夏目漱石を読んで感動し、はるばる日本へやって来て日本語で博士号をとり、日英両語で漱石をはじめとする日本文学の研究成果を出版している。

彼は、当然ながらイギリス人であり、縁もゆかりもない日本語をゼロから勉強し、それも古語と言っても良い明治時代の日本語を勉強して、その研究成果を日本語で論文にする労力は、並大抵ではなかっただろう。

その彼の書く日本語の評論は、はるかに他の日本人の書いた評論より、内容の密度が高く、説得力のあるものだ。しかし、日本人の国文学者先生たちのうけは必ずしも良くなかったようだ。

というのは、彼の夏目漱石観は、他の日本人評論家の漱石観とはずいぶん違っており、日本では夏目漱石が、芥川龍之介と並んで国文学を代表する作家であると紹介されているが、それはまったく間違いだと彼は言う。

つまり、明治時代に西洋文明にキャッチアップしようとした知識人である夏目漱石という個人が、個を確立するために苦悩した物語と捉えられることが日本では一般的だが、これは間違いで、夏目漱石は、シェイクスピアに勝るとも劣らない普遍的なテーマを扱った世界的大作家だと言う。

親爺は、日本の文芸批評には詳しくないのだが、このフラナガンの夏目漱石論は日本の文壇でどうやら、完全に賛同を得られているわけではなさそうで、なぜこれだけ説得力のある文芸批評が受け入れられないのか、そこにはやはりガラパゴス化した日本の閉鎖性があるのではないかとつい思ってしまう。

—————————-

彼が、日本文学を研究するようになった経緯を紹介する。ケンブリッジ大学に在籍していたフラナガンは、19歳の時、大学の図書館にある翻訳された夏目漱石を読み漁る。「吾輩は猫である」「それから」「彼岸過迄」「坑夫」「それから」「門」「草枕」「三四郎」「坊ちゃん」「行人」「明暗」を読む。彼が言うには、夏目漱石の着眼点に感心したという。

そもそも、彼は17歳の時に、自然科学を学ぼうとケンブリッジ大学に合格、在籍していた。しかし、体験就職と世界各地の旅行を経て、このまま自然科学を学んでも「工場」で実験する日々が続くに過ぎないと思い、専攻を変え、東洋学部日本語学科へ転入する。

それが縁で、日本への旅行と国際基督教大学で1学期を過ごし、東京から京都への自転車旅行などをするうち、生涯を文学の研究に身をささげようと決心する。英国に戻った彼は、まず英文学を専攻するためにケンブリッジ大学へ舞い戻る。今度はここで、ギリシャ悲劇、サルトル、ジョージ・エリオット、ジョセフ・コンラッド、ジョイス、メルヴィル、シェイクスピア、オーデン、英文学ではないが、ドストエフスキー、トーマス・マン、スタンダールなどを読み漁る。

こうして彼は、英国で正統派の英「文学」を学ぶのだが、英「文学」がピンと来ない。むしろ、夏目漱石の方がピンとくる自分に気づく。

こうして世界の文学と夏目漱石の両方を読みふけるフラナガンは、漱石の背後にニーチェの影響があることを確信する。フラナガンは、この夏目漱石がシェイクスピア以上の文豪だと確信し、再来日し、今度は日本語の勉強から始め、神戸大学で夏目漱石を研究し、文学の博士号をとった。 これが大体の経緯である。

次回は、そのフラナガンの夏目漱石観について具体的に触れたい。

その1 おしまい

いま、日本は行く末を左右する剣が峰にある!!

今、われわれは、日本が30年来の不況から成長へと回復できるかどうかの瀬戸際にいる。そして、われわれが持つ金融資産も非常に危うい状態にある。つまり、株や投資信託が暴落する可能性がある。

日本には二つの進行中の大事なトピックがある。一つは、下に引用した国債の60年償還ルールと防衛費増税の問題であり、もう一つは、この4月8日に予定されている日銀総裁交代による金融政策の変更があるかどうかである。

日本経済はもちろん悪い。30年来のじり貧状態が極まっている。 おまけに、コロナで被害を被ったところに、ウクライナで戦争が始まり、グローバリズムは終焉した。つまり、前提である自由貿易が極めて怪しい。

ヨーロッパの経済は大インフレであり、そもそも以前から悪い。アメリカも過去にないほどのインフレが起こっている。この欧米などは、コロナで減税と財政支援を積極的にやってきた。そこへ、ウクライナ戦争が起こって、エネルギーや小麦などの価格が暴騰し、デマンドプル・インフレとコストプッシュ・インフレが同時に起こっている。

デマンドプル・インフレというのは、国民の側に所得アップなどがあり、それが需要を増やしインフレになる、普通というか、望ましいインフレのことだ。他方、コストプッシュ・インフレというのは、戦争や災害などにより供給量が減り、輸入している場合にはそのもののコストのみならず、それらを使った製造費なども上昇して、インフレが起こる。これをコストプッシュ・インフレと言うのだが、戦争や災害は、国民にどうしようも出来ず、従来の経済学では解決不能と言われている。悪性インフレである。

アメリカは急激に金利を上げ、世界中を通貨安に陥れたが、コストプッシュ・インフレに対する利上げは、国民には間違った政策であり、資産家の救済であり、アメリカの不況は長引くだろうと言われている。 

日本で起こっているのは、コストプッシュインフレである。

中国も当然悪い。ゼロコロナ政策で生産が落ち込み、何より、西側諸国からデカップリング(切り離し)政策を取られ、これまでのようにグローバリズムの最大の恩恵を今までのように受けられない。 韓国も通貨安が起こり、不動産バブル崩壊が懸念され悪い。この国はなにより政治が不安定だ。 要するに世界で調子のよい国はどこにもない。

日本が30年間の不況を続けてきた原因が少しづつ理解されてきた。つまり、政府による通貨の供給不足である。

この大問題を解決できるかどうか、大きな試練が瀬戸際まで来ている。日本は、国債60年償還ルールというのを世界で唯一持っており、これを止めれば毎年16兆円以上好きに予算を使えるのだが、これを自民党と政府で見直しの検討をしている。もちろん、バックには大反対する財務省がいる。

もう一つのトピックは日銀総裁の交代で、金融緩和策を見直して、金利を上げるのかどうかである。日銀が昨年12月末、突然、0,25%から0.5%へと長期金利の誘導幅を見直したら、日経平均が1,500円下がった。これで分かるように、日本で金利を上げる(日銀が、政策変更でないと言ったのだが、世間は利上げと受け止めた。)と景気をさらに冷やすので、不景気は続くのだが、金利が上がった方が都合の良い関係者は大勢おり、主流派の経済学者やマスコミがそうだ。

つまり、あまりに問題の多い日本経済なのだが、この二つの行方いかんで、日本はさらに沈没するか、浮上のきっかけをつかめるのかという剣が峰にある。それだけでなく、気を付けていないと、金融資産が暴落して国民が損害を被りかねない状態にある。

防衛費倍増に必要な「5兆円」教育や医療に向ければ何ができる? 自民提言受け考えた(東京新聞)親爺は新聞も不安を煽るだけでなく、もっと勉強して欲しいと思っている。

おしまい

【衝撃的展開!!】なぜニュースにならない?防衛増税問題での党内議論の全貌!財務省が事実上、従来説明を撤回した!(西田昌司ビデオレター 令和5年1月20日)
いよいよ追い込まれた財務省が本気で動いてきました【増税/ニューソク通信/須田慎一郎】

「60年国債償還ルール」見直しへ検討開始!!

自民・世耕氏“国債償還60年ルール”見直しへ検討を 1/11 日テレNEWSから

ブログの前2回で、「60年国債償還ルール」があり、16兆円の予算を圧迫しているという話をした。この「60年国債償還ルール」は、有名無実のルールであり、実際には償還期日がきた国債は、借換債を発行して償還をしていない。また、国債の残高を減らすということは、市中の通貨流通量を減らすことになるので不況になってしまう。

このようなことをブログで書いたつもりだった。

これに対し、自民党の世耕参院幹事長がこのルールの見直しの検討を開始すべきとの考えを1月10日に示した。自民党の「責任ある積極財政を推進する議員連盟」に属する議員たちは、この考えを以前から主張しており、萩生田政調会長をトップとする特命委員会で検討する。

自民・世耕氏“国債償還60年ルール”見直しへ検討を ←YAHOOの記事

そのトピックを語った動画が、下の元自民党衆議院議員・安藤裕さんである。

国債60年償還ルール見直し@andouhiroshi2

動画の要点は次のとおりである。

● 見直し議論を始める。

● このルールは世界中のどこにもない。

● このルールを外すと、16兆円の予算の余裕ができる。

● 国債発行は通貨の発行であり、残高を減らす通貨が消えるので不況を招く。

● こんなルールを作ったのは日本人の生真面目さが原因かもしれない。

● 60年と言うのは適当(いいかげん)である。建物の耐用年数がそれくらいだからである。

● 財務省は警戒している

● 野党は、ほんとうに不勉強である。(除くれいわ新選組)野党は、自民党にこれでリードされると立つ瀬がない。これだけ岸田政権の支持率が下がっているのに、野党は何をしているんだ。

● 「責任ある積極財政を推進する議員連盟」の会長である中村裕之衆議院議員が、「この措置は金利が低い今だから、出来ることだ」という意味の内容を述べているが、これは金利に関係ない。金利に関わらず、国債償還時には借換債を発行するので、償還していない。

おしまい

日本政府の借金は1200兆円。なぜお金を刷って返済しないのか? 60年国債償還ルールは? その2

日本政府が発行した国債の残高は、政府による通貨発行の残高(履歴)の意味しかない。この残高は、経済の発展に必要なものであり、どこの国も年々経済成長するので増えていくのが当たり前だ。ところが、30年間ゼロ成長な日本だけが国債の残高を減らそうとしている。こんなことをしていては、不景気が続くのは当然の結果としか言いようがない。

国債の発行は「子孫につけを残す。」とかいう財務省の宣伝は、このままでは日本を滅ぼす狂気の沙汰である。

つまり、前回のブログで、日本は「60年国債償還ルール」をやっていないのに、ルールがあると書いた。 次の左の円グラフの赤枠で囲んだ「債務償還費167,561億円(16兆7,561億円)」と書かれているのが、2023年度予算に計上されている正体だ。 実際にはこのように歳出で国債残高を消去(償還)していない。だが、これだけ計上しているので、16兆円分、割合で言うと14.6%、他の予算を圧迫している。

14.6%、これだけ他の予算を増やせれば、どれだけのことが出来るか、考えて見ると良い!!

財務省のHPから

次の絵は、財務省が子供向けに作ったHP「キッズコーナーファイナンスランド」とというところにある「ワニの口」の説明である。黒い線が歳出、青い線が歳入で、両者が年々「ワニの口」のように開いているという説明なのだが、こうして財務省は子供たちにも危機感を煽っている。同じように、若者相手に同じ「金融教育」をはじめている。

だが、この図は、毎年の「債務償還費(2023年度は16兆7,561億円)」がなければ、「ワニの口」は平行となり開かない。財務省のでっち上げだ。日本の経済運営に、何の問題もないわけだ。

具体的な「60年国債償還ルール」の説明は、この西田昌司参議院議員の動画を見てもらうと、このことがよくわかる。また、財務省主導の増税案が自民党の中でどのように考えられているのかよくわかる。

「国債償還ルール」見直し議論!『市場の信認』に隠された本質は、国際金融資本によって形成されたルールだ!!(西田昌司ビデオレター 令和5年1月13日)

西田議員は、この動画の後半でさらに、非常に重大な指摘をされている。 というのは、アメリカのFRBやイギリスのイングランド銀行は、民間銀行で、株主はロスチャイルドをはじめとする国際金融資本家であ。その中央銀行が持つ資産から生じる利子や配当などの利益は、株主のものになる。また、この中央銀行は政府から独立をしており、政府が行いたい政策でも、中央銀行が賛成しなければ実現できない、と言われている。

ところが、日本はと言えば、日本銀行も株式会社であるのだが、株式の55%は政府所有であり、日本銀行法により生じた利益は国庫納付(政府のもの)になる。(日銀法第53条)

つまり、国債残高が上がっていくと、財務省は「国債の信認が失われる。」と主張するのだが、誰に信認されるのかと考えると、ステークホルダーである国際金融資本である。ところが、日本の場合は、中央銀行が民間銀行ではない。このために、どれだけ国債発行して通貨発行しても、(供給力の範囲であれば、インフレも起こらず)何の問題もない。「マーケット(国際金融資本)の信認を失うことがない。」と言われている。

ここで大きな疑問が解けた気が親爺はした。

日銀はイールドカーブコントロール(YCC)という金利誘導策で金利をターゲットに固定している。ときどき、外国の投機筋が、日本国債をカラ売りし、国債を暴落させて大儲けを企むということがある。昨年もあったし、今、日銀がターゲットの幅を、0,25%から0.5%へと拡大させ、利上げと解釈したマーケットは、長期金利が上がり始めている。これを見て、海外の投機筋は毎度の失敗に懲りず、再びカラ売りをしており、日銀は過去最高の額の国債の買い入れを週明けもすると宣言したとニュースで言っていた。

昔から海外の投機筋が日本国債の空売りをして、国債を暴落させて利益を上げようと企むんできた。だが、いつもこれは失敗し、未亡人製造機(Widow Maker)と言われてきた。これが繰り返されている。

他方、イギリスでは首相がインフレのさなかに減税を発表し、マーケットで国債売りが殺到、ポンド急落する事態になった。そのため、トラス首相からスナク首相へと交代が起こった。現在は、スナク首相の緊縮政策で落ち着いているのだが、今後どうなるかというところだ。

https://jp.reuters.com/article/sterling-analysis-idJPKBN2QS07Y ←ロイターの記事

だが、親爺は、なぜイングランド銀行は日銀と同じ、YCCをやらないのかと不思議に思っていた。なぜ国債の買い支えをやらないのか。

結局、日銀はほぼほぼ政府と一心同体、ところが、民間銀行の海外は政府と中央銀行の利害が一致していないのではないか?と思う。通貨を発行する中央銀行が、民間であれば、その勢力の利益を第一に考えるだろう。

おしまい

冬の低い太陽で眩しい!! テニスコートの向きは?

親爺は千葉県のとあるテニスクラブでプレーしている。ところが、この冬の季節は、太陽が夏ほど高い位置ではなく、はるかに低いところにあり、冬の日の午後、余りに眩しくてボールが見えない状況になる。

テニスコートは、こんな感じになる。うまくないのに加えて、ボールが見えないやん!!

テニスコートが一般に、どの方向に作られているのかを調べてみた。使ったのは、GoogleMap (北が上になるように表示される)の写真である。コートの上に赤い線を引いた。それがテニスコートの向き(方角)である。

フクダ電子・ヒルステニスコート
鷹の台テニスクラブ(花見川区)
昭和の森テニスコート
天台スポーツセンター
ローズヒルテニスクラブ(八千代市)
八千代総合運動公園
稲毛海浜公園庭球場
岩名運動公園(佐倉市)
船橋さくらテニスクラブ
松戸テニスクラブ

さすがに東西に向いたコートはないようです。東西に向けるといつも眩しいのでしょうね。

おしまい

日本政府の借金は1200兆円。なぜお金を刷って返済しないのか?また、60年国債償還ルールは? その1

——- 2022.1.10 ほぼ書き直しました

これは、いかに世間がひろく誤解しているかという例だ。たまたま、見つけたものだが、立命館大学経済学部が作成したものだが、名のとおった大学の経済学者と言われる立派な人たちの、見事な間違いに驚かされる。

http://www.ritsumei.ac.jp/ec/why/why02.html/

結論のところは知らないが、書きぶりから、設問自体矛盾していておかしい。負債を負債で返せないからだ。たとえ国債が借金でも、借金は借金で返せない!(言っときますが、「国債」が、政府の「負債」というならマシですが、あたかも国民の借金のような書きぶりでで、国民のお金を集めて返さないといけないという素人のような設問です。政府の「負債」は、民間の「負債」と意味合いがまったく違います。)

《結論》

タイトルに対する結論を先に言うと、国債発行は、例え自転車操業であっても返済すべきものではないし、日本もやっていない。どこの国でも、償還期限が来ると借換債を発行して償還を先延ばししている。「永久債」にしようと言われるのは、このためである。ところが、財務省は残高を実際に減らそうとするために、「国債の発行は子孫につけを残す。」というデマを流し、マスコミがこれを報道するので、多くの国民が信じている。

国債発行は、、経済成長するために必要な、政府が供給すべき通貨供給であり、どこの国でも残高が積みあがっていくものだ。日本政府がこれをしないから、日本はパイが増えるような経済の成長ができない。給料も上がらないし、技術革新もできないので、ずっとパイの奪い合いをしている。

なぜこんな事態になったのか。それは、主流派の経済学者が、金本位制を止め、管理通貨制度に貨幣制度が変わった時に、古い貨幣観を改めなかったからだ。

具体的に言えば、1971年、アメリカの財政赤字、経常収支の赤字が増大してインフレが進行、アメリカはドルと金の兌換停止に踏み切り(ニクソン・ショック)、これをもって金と通貨の関係は完全に切り離され、国際的にも管理通貨制度へ移行した。この時には、経済学の学説を見直すべきだった。

————————————

まず、市中に出回るお金は、市中銀行が生み出しているという話と、市中銀行は日銀から日銀当座預金というお金を作ってもらっているという話をする。どちらも通貨発行(信用創造=Money Creation)である。

《財務省のウソ》

財務省は、国債の残高が1,200兆円あり、国民一人当たり1,000万円の借金になるというような説明をし、国民に日本が破綻するのではないかという不安をまき散らしている。ところが、この説明は通貨発行の仕組みを正しく理解していないデマだ。おかげで、われわれ国民は政府にお金がないんじゃ仕方がないかと、お金のいることをあきらめてきた。だが、そんなことは決してない!!

《本当の通貨発行のプロセス、暦年の推移、注意点》

通貨発行(信用創造)は、次のマネタリーベースとマネーストックの2段階で行われる。

● マネタリーベース

まず、どこの国でも同じなのだが、お金が発行されて市中に流通する仕組みは、① 中央銀行が金融機関に対し、お金を供給する仕組みがあり、これをマネタリーベースという。具体的には、銀行券(紙幣)、流通貨幣(コイン)および日銀当座預金の合計をいう。

リアルな紙幣と貨幣は総額の2割弱しかない。残る8割強は、単なる字デジタルデータである。黒田総裁の登場で、日銀は異次元の量的緩和を行い、日銀当座預金を爆増させた。この日銀当座預金は、市中に直接流れず、マーケットに影響を与えないことに注意が必要である。黒田日銀総裁は、量的緩和により民間企業の投資の呼び水なることを考えていた。

この日銀当座預金は、① 日銀と市中銀行の日々の銀行間決済と② 市中銀行の預金の準備金の積み立て義務(市中銀行は預金残高の2%ほどを日銀当座預金に積み立てる義務がある。)と、③ 日銀による信用創造(通貨発行)に使われる。通貨発行は、日銀、市中銀行ともに、負債(借入金)と資産(貸付金)という債権債務の貸借関係により、行われる。

信用創造の大きな目的は、政府が国債を発行する際、日銀は市中銀行に対しあらかじめ、信用創造を行い、市中銀行の日銀当座預金を増やすということをする。こうして増加した財源を使って、市中銀行は国債を買い入れる。 原則的に日銀当座預金は金利ゼロなので、市中銀行は利息が付く国債を必ず引き受けて保有する行動をとる。(現在は余りに低金利で、銀行救済のために一部分付利している。)

マネタリーベースの増加は、市中の通貨流通量を増やさないものの、市中銀行のバランスシート(貸借対照表)を大きくする効果があり、マーケットのマインド(期待)を変え、市中銀行から民間企業への貸し付けの増加(=マネーストックの増加)を狙ったものだった。しかし、デフレマインドが解消されない、少子化が進む、技術革新がなかなか日本でないことなどなどで、民間企業は銀行から借り入れを増やさなかった。

● マネーストック

マネーストックは、金融機関(市中銀行)が世の中に供給したお金のことで、具体的には、企業や家計、地方公共団体などの経済主体が保有する現金や預金の残高のことを言う。(ここには、日銀と市中銀行が持つマネタリーベースは含まれていないので注意。)

マネーストックの正体は、市中銀行の貸し出しの総額である。個人が家のローンを借りるときや、民間企業が設備投資のために借り入れた金額が、市中銀行が信用創造(通貨発行)した通貨そのものである。この信用創造は、借り手に返済能力さえあれば無限に実行できる。

こうして市中銀行の信用創造(通貨発行)は、借り手が新たに借りると増え、返済すると消滅する。

バブル崩壊時の1993年に、BISルール(自己資本比率)が変更され、市中銀行の資本比率が引き上げられた時、「貸しはがし」が大々的に起こった。この貸しはがしなどが起こると、市中で流通する通貨量が急激に減少するので、不況をひき起こすのは当たり前である。

下に張り付けた表が1970年から2020年までのマネタリーベース、マネーストック、GDPの推移である。この表を見ると、黒田日銀総裁が就任した2012年から、『異次元の量的緩和』が行われ、日銀から金融機関へマネタリーベースを爆増させたことが分かる。

また、マネタリーベースを爆増させたにもかかわらず、赤色のマネーストックは、伸び率がぜんぜん変わらないのが分かる。つまり、日銀の異次元の量的緩和にもかかわらず、市中に流通している通貨量の増加分の速度は増えなかった。日銀当座預金が『ブタ積み』になっただけだった。

補足すると、GDPで表される経済の大きさは、年々、大きくなって当たり前だ。毎年同じなんて国は、日本以外にない。テレビは、毎年、「過去最高額の予算が編成されました!」と非難めいたことを言うが、これはきわめて自然な現象である。

日銀のホームページから
日銀のホームページから
黒い線が日銀が金融機関へ供給したお金、赤い線が金融機関から世間へ供給されてた通貨の総量。赤線は、黒線ほどには増えていない。

上記の説明を理解していただくために、分かりやすいと思い、日本証券業協会のHPから図を下にコピペさせていただきました。

https://www.jsda.or.jp/gakusyu/edu/web_curriculum/images/mailmagazine/Vol.51_20180201.pdf から

同じことだが、《通貨発行のプロセス》を簿記で説明してみる

1.日銀の通貨発行 (日銀がA銀行に1,000億円通貨を発行する)

日銀(A銀行に対し)(借方)貸付金1,000億円 (借方)日銀当座預金1,000億円

A銀行(日銀に対し)  (借方)日銀当座預金1,000億円 (借方)借入金1,000億円

(説明)日本が、A銀行に1,000億円の通貨発行をする場合を考える。日銀は、《負債》である《日銀当座預金》1,000億円計上することで、A銀行の《日銀当座預金》1,000億円という《資産》を与える。その時、無条件に《資産》を与えるのではなく、日銀には《貸付金》という債権、A銀行は、《借入金》という借金返済の債務を負う。

これが、黒線の動きである。黒田総裁は、異次元の量的緩和と称し、強力にマネタリーベースという日銀と市中銀行の資金量を爆増した。このマネタリーベースを増やすことが、市中銀行の民間への貸し出しを増やすと考えたからだ。もちろん、これは成功しなかった。民間企業は市中銀行から借金をせず、景気は良くならなかった。

国債を発行するとき、日銀が銀行にお金を用立てている!!

2.BさんがマイホームのためにA銀行から3,000万円を借入

A銀行     (借方)貸付金 3,000万円 (借方)預金 3,000万円

Bさん     (借方)預金 3,000万円 (借方)借入金 3,000万円

(説明)Bさんが、A銀行から3,000万円のローンを借りるとき、A銀行は《貸付金》3,000万円という資産をもち、負債である《預金》3,000万円を計上する。この《預金》3,000万円は、A銀行が、Bさんから返済を受けられず負債が焦げ付いたとき、社会に対し、弁済(返済)する責任の意味合いがある。返済されなかった場合には、《損金処理》や《引当金償却》などの処理をA銀行がする必要がある。Bさんは、ローンの実行により、資産である《預金》3,000万円を手にすると同時に、返済義務である《借入金》3,000万円という債務を背負う。 こうしたことは、大企業でも全く同じだ。銀行が通貨発行し、債務者は貸し出しを受け、そのお金が日本中で使われれば、日本の景気は良くなっていく。

これが銀行による通貨発行(信用創造)だ。市中銀行は、預金者から集めた預金を原資に貸付していない。借主の返済能力を審査したうえで、返済能力があると判断すれば貸出実行、すなわち通貨発行する。

長くなったが、国債発行は、自転車操業でも何でもない。償還時期が来たら借り換えているというのも本当だ。だが、政府と日銀は、個人や民間企業とは全く違う。市中銀行や金融機関に対し日銀が通貨発行し、その市中の金融機関が、われわれがお金を使う世界にマネーストックという形でさらに通貨発行し、それが血液のように循環することで、景気は良くなっていく。

————————————

今、防衛費の増額を契機に、増税議論が激しくなっているが、財政拡大派の議員たちは、日本にしかやっていない「国債60年償還ルール」を止めろと財務省に要求している。

日本には、国債発行して60年経ったらそれを予算を使って消去するという、実際にはやっていなのに、今年度の予算であれば16兆円を償還のための予算を計上している。このために、当然、予算編成が苦しくなり、その結果として増税議論が出てくるのだが、実際に諸外国と同様にやっていない償還費を毎年計上しているのが、そもそもおかしい。有名無実で害しかないこの措置を止めろと財務省に要求するのだが、財務省は「国債の信任が下がらないよう・・・」ともごもご言い、譲らない。

このあたりは、また後日書きます。

財務省のHPから

おしまい

 デフレの30年間に「萎縮」した日本人 その2 《不自然な医療・介護》

日本人の誰もが分かっていながら、当事者たちの困難を放置し、遠巻きに眺めているだけの問題に、老人医療と介護の問題がある。

介護施設や療養型の病院ではかなりの頻度で、老人の患者の殺人が起こる。看護師が、寝たきりの老人に筋弛緩剤を注射して殺したりする。

介護施設では、介護士が老人を深夜、入居者を上階から投げ落とす。こちらは、ちょっと性質が違うかもしれないが、保育園でも、幼児の虐待事件が起こった。 ニュースになるのは一部だろうから、実際はもっと頻繁に起こっていると考えるのが自然だろう。

2018.07. 大口病院の点滴殺人事件の深い闇:アゴラから
相模原施設19人殺害事件、植松被告に死刑判決
2020年3月 BBCニュースから

これらの原因の大半は、報酬が低すぎるからだと親爺は思っている。つまり、幼児保育を含め、老人介護、回復の見込めない療養老人の医療などは、肉体的に非常な重労働であるだけでなく、精神的にも非常な重労働だ。

もし、需要と供給という市場原理で給与が決定されるとすると、倍以上の報酬を受け取っても良い重労働だと思う。

ところが、介護士、看護師の給与は、公定で決められている。介護士の報酬は、介護保険制度の枠の中で決まっているし、看護師報酬も、健康保険制度のなかで、診療報酬が大枠で決まっている。医療・介護のコスト負担が財政分野に重くのしかかっている事情があるので、おのずと、安く設定されていることもある。加えて、世間の物価が上がっても、遅れてしか改訂されない。つまり、賃金の面で、一番報われない職業だ。

2022年8月9日(逮捕・殺人容疑)日テレニュースから

というのは、保育にしろ、介護にしろ、延命のための病気療養にしろ、これらは非常に不自然な仕事という側面がある。

世の中には、「共同幻想」というものが存在する。

「共同幻想」とは、日本では「生命は地球より重い。」とか、「誰しも、孤独死は可哀そうだ。家族に看取られて死ぬべきだ。」とか「個人の意思は尊重されなければならない。」・・・とかいう、社会通念上の縛りだ。 

だが、我々は、資本主義の社会に生きており、自分で勝手に他人の労力に頼らずに何かをするのであれば、それはそれで結構なのだが、他人の手を煩わせるサービスの提供を求めるのであれば、それなりの対価を支払わなければならないというのが、資本主義社会の掟である。

つまり、お金(通貨)が、限りある資源配分を調整する役割をしている。

これは、医療や介護の世界でも同じだ。技術のレベルの制限もあるし、国民の所得レベルにも制限がある。そうした中で、どれだけのサービスを受けれるのが望ましいかと考えるとき、国民全員の希望をすべて、無料で(タダで)満たすのは難しいという言うのはすぐに分かることだろう。

しかし、日本の医療・介護制度はメチャクチャである。保育も、公定で報酬が決められるということであれば、同じである。

こうした労働に対する報酬が、需要と供給だけで決まるのであれば、今より倍や3倍の賃金になっていてもおかしくない。つまり、こうした労働は大変で、肉体的にも精神的にもきつい重労働で、誰しも、高賃金でないと耐えられない。そうした、供給の少ない労働に対する賃金は、価格が自由に動くマーケット(市場、社会)であれば、高い方へ動く。改善が見込めない年寄りの面倒を家族が見てもらいたければ、高い賃金を看護師や介護士に払うしかない。

ところが、予算が崩壊しそうなほど圧迫している医療・介護の世界は、国が大々的に予算を投じ、関与していながら、実施部隊は民間企業(=病院や施設)がやっている。公営の病院や施設もあるが、こちらも独立採算で黒字を求められるので、同じ行動原理で動いている。

この分野は、国の予算を圧迫しているので、診療報酬などサービスの単価は安く抑えられている。そうした中で、永遠の存続が使命の病院や施設の経営者たちは、当然ながら、薄利多売で患者や入居者を集めるという行動を選択する。 つまり、老人たちの囲い込みである。 医者たちは、日本で最も政治力のある団体である。 テレビや雑誌、新聞などで、健康情報を流し、国民の不安を煽る。そうすることで、老人たちが医療にアクセスし続ける。

ヨーロッパでは、医師の身分は基本的に公務員なので、日本のように無駄な治療をしない。アメリカは、貧困者にメディケアがあるが、一般的には民間の高い医療保険に加盟し、治療が無料なのだが、保険会社が診療内容を厳しく査定する。

日本のコロナで、重症患者にはECMOという血液に酸素を送り込む装置をつけて、何歳の老人でも救命措置が取られるようだが、これは1000万円ほど治療費がかかるそうだ。こんなことを1割の本人負担(高額医療制度があるので、もっと安い金額しか本人は負担しないだろう。コロナは無料なのかな?)でやっているのは、日本だけで、儲けているのは病院経営者だけだ。

病院で療養している老人も、日本の場合は、生きているのか死んでいるのか分からない状態で、生かされている。人工呼吸器につながれると麻酔が使われるし、胃ろうや透析も一旦開始すると、回復する確率は極めて低い。これらを老人にするのは、欧米では虐待である

そもそも昔、子供はもっとほっといて自然に成長していた。介護もそうだ。むかし、食事をとれなくなったら、亡くなっていた。療養もそうだ。昔は、人工呼吸器も、胃ろうも透析もなかった。このような延命をさせるということは考えられてなかった。 こうした自然の摂理に反することを人為的に、美名のもとに言い換えても、それは無理というものだ。 そうした行為を日常的に介助者がすることは、大変つらいことだ。

結局のところ、公的資金で健康保険や介護権を維持する制度の実施を、民間事業者に任せてはダメだ。民間の使命は、ずっとその事業を継続することであり、そのためには、無駄であっても儲けを出すことを考える。そうしないためには、医者を、診療した患者数で収益が変わらない公務員にすることだ。

今、死期の近い老人、その家族、看護師、介護士すべてが不幸だ。死期の近い老人は、平穏死、尊厳死、自然死させてもらえない。老人を抱える家族は、「老人を虐待してはならない」という社会の空気に縛られている。看護師、介護士は、医者と同じで「患者、入居者の死は敗北だ。」という考えを教育され、老人を穏やかに死なせる方が自然だということを忘れている。

ただ一つ、こうした背景にありながら、病院経営者、施設経営者たちだけが、国の予算を大量に受け取って儲けているのだが、そのことは黙っている。

おしまい

消費税のせいで、非正規労働者が増えるわけ 「経営者が労働者に314万円の給与を支払うとき、別に社保料50万円、消費税36万円を支払う必要がある!!」

消費税の仕組みをざっくり説明すると、売り上げた収入に含まれる消費税相当額と、課税支払いに含まれる消費税相当額の差額を納税しなければならないというものである。

動画に登場する美しい公認会計士の森井じゅんさん、かなりの苦労人らしい。税は財源ではない、消費税は廃止すべしと訴える。

現在のように消費税が10%の場合、上記を数式で表すと結局のところ、次の式へと変形することができる。

この取引が消費税の課税対象になるかどうかは、その形態により消費税法で決まっている。

事業者が従業員を正社員として雇用するなら、従業員へ支払う給与は、上記の非課税仕入(課税対象ではない)になる。この場合、正社員の給与は課税仕入にならないために、消費税の納税計算する際に控除できない。ところが、派遣職員や、雇用関係のない委託契約の場合、コストとみなされ、課税仕入が可能になる。つまり、消費税の納税額の計算で、支払い消費税相当額を控除することが出来る。

この説明をもう一度繰り返すと、正規社員の雇用契約は非課税取引に分類されている。他方、パート社員や個人委託などの場合は、課税取引に分類されている。この違いにより、この差が生じる。 おまけに、パート社員、委託契約のように直接の雇用関係がなければ、事業主は労使折半である社会保険料(健康保険と厚生年金)の事業主負担も免れることが出来る。

消費税の支払を節約するために、正社員を雇うより、非正規労働者を使おうという動機が事業者に強く働く。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

事業者が日本人の平均賃金(男女の賃金の中央値)である314万円を支払うために、事業者と被用者がどれほど税金や社会保険料、消費税を負担しているのかを書いてみたい。(314万円というのはかなり低いと思うかもしれないが、それだけ女性の労働者はパートなどが多く、平均賃金にするとかなり低い。)

結論から言うと、事業者(経営者)は、男女の被用者(労働者)のこの平均賃金である額面の給与314万円を支払うためには、別に社会保険料の事業主負担50万円と、消費税(314万円+50万円)×10%=36万円を支払わなければならない。つまり合計400万円支払わなければならない。そして、その314万円の給与を支払われた被用者は、所得税5万円、地方税10万円、社会保険料50万円を支払う必要があるので、手取りはわずか248万円になる。152万円が社会保険と税金で控除される!!!

支払額400万円と手取り額248万円の差152万円(38%)が、社会保険料と税金として控除されるのは、あまりに多すぎないでしょうか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

ところが、上記の消費税の納税額を求める計算式をじっくりと見て、勘のいい人は気が付くかもしれないが、輸出業者は売り上げに消費税が含まれないために(課税仕入しかないので納税額がマイナスになる。)、課税仕入に要した消費税額の還付を受けることが出来る。

消費税は、もとはと言えば、どこの政府も国際的に禁じられている輸出奨励金を輸出業者に与えるための方策(抜け道)として、最初にフランスで考えられた税金(付加価値税)らしく、EUで広がったということだ。

この付加価値税を真似して導入された日本の消費税だが、アメリカは導入しておらず、導入したEUと日本のみが不況にあえいでいるという指摘もある。この消費税は、つまり売上税であり、第2法人税(=赤字企業でも納税義務が生じる法人税の上乗せ的税金)というべきであり、売価が上がり、とうぜん消費に対する罰金的性質を持ち、景気を冷やすからだ。

このような内容が、下の動画で語られる。お二人は、踏み込みが足りない主流派(リフレ派)経済学者である明治大学教授の飯田泰之さんであり、税金は財源ではない、消費税は廃止すべきと主張する森井じゅんさんである。 信用創造(貨幣発行)の事実を正しく理解していないことが原因で、こういう中途半端に知恵のある経済学者が幅を利かしているのが、なかなか世論が変わらない原因だと親爺は思っている。

おなじく、こちらは森井じゅんさんと、もと通産官僚の室伏謙一さんである。こちらは、消費税廃止をすべきという点で考え方が一致している。

おしまい

グールドが愛した バッハ《フーガの技法》第1曲・テーマの話

グールドは、フーガの技法をオルガンとピアノで演奏したものの2種類を残している。オルガンの方は1962年5月に、この曲の前半半分(1番~9番)をコロンビアレコードから出した。ピアノの方は、グールドの死後である1997年に抜粋(1番、2、4、9、11、,13、14番=未完の終曲)が出されてているが、この2種類の演奏は、趣がまったく違っている。

ソニーの正規録音(発売時はコロンビアレコードだった。)で発売されているのは、オルガンの方で、ピアノの方は、死後に発売された《バッハ・コレクション》のCD34にフーガの技法(抜粋)とユーディ・メニューインとバッハのヴァイオリンソナタ第4番を入れたものや、オルガン版のフーガの技法とピアノ版のフーガの技法を入れたものがある。また、《坂本龍一セレクション》は、さすがに良い曲は網羅されており、オルガン版の演奏はなく、ピアノの第1曲と、未完の終曲の2曲がが収められている。

このオルガンとピアノの違いをさっくり書くと、オルガンは速い速度であっさり弾いている。グールドの友人のジョン・ベックウィズは、この演奏を「車のクラクションで『ゴッド・セイブ・ザ・クイーン』を鳴らす訓練されたアザラシのようなイメージだ」だと評したという。実際に車のクラクションで演奏したYOUTUBEを見つけたので、リンクしてみる。残念ながら、アザラシではなく、人間がホーンを鳴らしていますが。

他方、ピアノの演奏の方は、抑制的で、神秘的、深遠で、静謐、鎮魂的な雰囲気がたっぷりある。

このあたりのことは、親父のブログでも前に書いていたのでよかったら見てください。

前のブログで、いろいろなピアニストによるフーガの技法の演奏が、上の楽譜のとおり、アルトで始まりソプラノが入ってくる第4小節までどのように弾いているのか比べてみた。そうしたところ、グールドだけが、アルトとソプラノを右手1本で弾き、左手で指揮をしながら、バスが入ってくる第9小節まで左手を使っていない。

ブログで書いた福間洸太朗さんをはじめ、他のピアニストは、左手でアルトを弾き、4小節目のソプラノから右手で弾く人が多いようだ。前のブログには書かなかったが、アルトを右手で弾き、ソプラノがは入ってくると、手を持ち替えてソプラノをやはり右手で弾き、アルトを左手で弾く演奏者もおられるようだ。

こうしてみると、グールド以外の演奏者は、二つの声部を片手で弾かず、できるだけ両方の手を使い、とくに浮き立たせたいメロディーは右手で弾きたいように見受けられる。

ところで、逆にフーガの技法を、4手(二人の連弾)で弾かれている演奏を見つけました。この曲は、J.Cegledyという人によってアレンジされているようですが、エンディングのところなど、なかなか迫力があってデモーニッシュで、とても良い演奏だと思います。途中も、オクターブ上のメロディを足したり、かなり音数を増やしたように編曲されているように感じました。

さらにグールドおたくの親爺に言わせれば、グールドの演奏だけが、全体として、異常に思えるほど遅い。みなさん、基本的にさっさか、すたすた演奏するように思われる。遅い演奏をすることで、一音一音の意味が際立ってくるし、また、声部ごとの音量を強調したり、抑えたり、スタッカートで弾いたり、レガートで弾いたりすることで、独特の世界が見えてくる気がします。

また、このフーガの技法のテーマである第1曲で、グールドは他の演奏家が決してやらないことをやっています。最後の部分で、2度、全休止があるのですが、グールドは異常に長い休止をしています。ステレオが壊れたかと思うほどの長さです。こんな演奏をする人は他にいません。

あくまで親爺の意見に過ぎないのですが、音楽家という人種は、一般に『楽天家過ぎる!』と思っています。この弦楽四重奏やある程度の人数による弦楽合奏などの「フーガの技法」の演奏は、どの演奏家も、頑張って大きな音を出そうとしすぎ、存在を控えたり、消さなすぎだと思っています。ずっと、どの楽器も自分の務めを精一杯果たそうと、楽譜に書かれた音を出そうとするので音量を抑えられない。つまるところ、元気で明るい似たような曲ばかりができる。・・・と思います。

グールドと比べてみてください。(こちらのフーガの技法、あいにくちょっと録音の質がどうなんでしょう。)

このバッハの曲、とてもいい曲です、どの方の演奏を聴いても良い。飽きるということが決してありません。

おしまい

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。