グレン・グールド伝ー天才の悲劇とエクスタシー P・F・オストウォルド

「グレン・グールド伝ー天才の悲劇とエクスタシー」(ピーター・F・オストウォルド 宮澤淳一訳 筑摩書房)

オストウォルド(1928-1996)は、グールドの4歳年上のカリフォルニア大学サンフランシスコ校の精神科医であり、公演芸術家(パフォーミングアーティスト)の精神治療を研究、特に芸術家の天才と狂気を探求した。同時に、セミプロ級のヴァイオリニストでもあった。二人が知り合ったきっかけは、グールドの治療をしたわけではなく、グールドが24歳の時(1957年)にカリフォルニアでの演奏会のあと、オストウォルドが演奏の素晴らしさに魅せられ楽屋を訪ねる。オストウォルドの賛辞にグールドも打ち解け、その夜、他の音楽家たちとともに明け方までバッハ、ベートーヴェンを合奏をする。それが二人の出会いである。

グールドは電話魔で有名で、オストウォルドも親友としてそのリストに入るのだが、1959年グールドは演奏会をキャンセルし、その賠償を逃れるためにオストウォルドに診断書を書くように依頼する。診察をせずに診断書を書けないとオストウォルドが断ると、グールドからの連絡は途絶える。

この本では、グールドの生い立ちから始まり、天才ぶりを発揮する一方で、まったく社会性のない子供が大きくなり、アスペルガー症候群(自閉症の一種)が疑われ、強度の不安症、ヒコポンデリー(病気でないのに病気だと思い込む)、スーパーナルシストとグールドを分析している。オストウォルドは精神科医、特に芸術家の天才と狂気を研究した人で説得力がある。

ただ、グールドは精神科医を受診することは自分のイメージを傷つけると考えたのだろう。あれだけの鎮静剤などを常用しながら、女性関係同様、このことは生涯ひた隠しにしている。 グールドを描いた映画「エクスタシス」で音楽評論家のクロード・ジャングラが「人心操作の天才だ」と言うのだが、主はずっと意味が分からなかった。 しかし、グールドの伝記などを多く読むようになって、今は分かる。グールドはどんな情報が受け手(世間)に喜ばれ、また、自分のイメージを損ねるか生涯にわたって気づいていたし、またこのマイナスイメージに十分に注意をはらっていた。それが天才の「人心操作の天才」と言われる所以だろう。 

夏でもコートにマフラー、手袋をし、マスクをすることは受ける。だが、この時代、精神科にかかることは狂人を意味しイメージを傷つける。女性関係は(家庭的な禁忌もあるのだが)「清教徒」を標榜する身にとって望ましくない。

グールドは、株でも才覚があった。周囲が株でみなが損失を被っている時、彼一人が石油の株でもうけを出したという。映画「グレングールドをめぐる32章」の「秘密の情報」というチャプターでこう描かれている。

彼はソーテックスという名の小企業の株で儲ける。周囲にこう言っていた。「空港でヤマニ(石油相の名前)のボディガードから聞いた。」「何の話です?」「これはここだけの話だよ」「ソーテックス?聞いたことない」「ここに採掘権を与えるそうだ」他の人にも電話をかけ言う。「ここだけの話だよ。他言は無用だ」「ソーテックス?(名鑑を調べ)あった」次に皆が言い始める。「ソーテックスのことは?」「ソーテックス 2万株だ」と皆が注文を出し始める「北に油田が見つかったんだよ。ロマーニが興味を持ってるらしい」と話に尾ひれがついて行く。当時、株価暴落が起こる中で、ソーテックスの株だけが上がり、グールドは高値で売り一人儲ける。株屋は言う「グレン、うちのクライアントで儲けたのは君だけだ。音楽活動を止めて株式に専念しろよ。『ヴィルトゥオーゾ』め!それじゃあな」電話を切って独りごちる。「ピアニストか。(なんてこった)」

 

 

 

投稿者: brasileiro365 《老人天国》

 ジジイ(時事)ネタも取り上げています。ここ数年、YOUTUBEをよく見るようになって、世の中の見方がすっかり変わってしまいました。   好きな音楽:完全にカナダ人クラシック・ピアニスト、グレン・グールドのおたくです。他はあまり聴かないのですが、クラシック全般とジャズ、ブラジル音楽を聴きます。  2002年から4年間ブラジルに住み、2013年から2年間パプア・ニューギニアに住んでいました。これがブログ名の由来です。  アイコンの写真は、パプア・ニューギニアにいた時、ゴロカという県都で行われた部族の踊りを意味する≪シンシン(Sing Sing)≫のショーで、マッドマン(Mad Man)のお面を被っているところです。  

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