グレン・グールド考7 普通の男だった「天才ピアニストの愛と孤独」

グールドは、私生活を明らかにしてこなかったことが原因で、これまでずっと禁欲的なイメージを世間に与えてきた。一部には「グールド=ゲイ」説もあったくらいだ。自身でも「20世紀最後の清教徒」を標榜していた。ところが、そうしたイメージは実際はレコード会社の販売戦略によるものだった。映画「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」(2009年。日本公開は2011年。)で、グールド研究者のケヴィン・バザーナが、これまでの禁欲的なイメージに対し、揶揄するように実際の彼は、女性に関して全く普通の男だった」と語っている。

この映画で、生涯独身だった彼と関係が深かった女性が3人登場する。グールドが亡くなったのは1982年、50才だったから、映画の公開時の2009年は、彼が生きていれば77才という計算になる。このため登場する3人はいずれも、今ではお婆さんになっているのだが、映画に出てくる当時の姿は、それはそれは非常に魅力的だ。今でも笑った表情などに当時の面影が現れ魅力を保っている。

一番最初に出てくるのが、フランシス・バロー(写真)。グーグルで検索すると、ティーンエージャー時代の8才年上のガールフレンドで、グールドがピアノを教えたと出てくる。グールドはチッカリングというハープシコードのような音を出すピアノで、デビュー作のゴールドベルグ変奏曲(バッハ)を練習したのだが、このピアノは彼女から譲ってもらったものだ。 映画で、グールドを愛していたかときかれ「もちろん」と即答し、グールドはロマンティックだったかときかれ、4,5秒ほどの非常に長い間のあと「ある種の(sort of)」と答える。また「一緒に暮らすのは困難(too difficult to live with)」と答えている。グールドは20代のはじめの時期、自身の唯一の大曲「弦楽四重奏曲作品1」を2年間かかって作曲していた。このことをに夢中になりながら電話で毎晩彼女に語っていた。下の写真ではタバコをくゆらせているが、若い時の写真でもタバコを魅力的にくゆらせ、グレタ・ガルボを彷彿とさせる。

バロー

二番目に出てくるのは、コーネリア・フォス(写真)。コーネリアは、グールドの友人である作曲家、指揮者、ピアニストのルーカス・フォスの奥さんで画家だ。グールドはルーカスを尊敬していた。そのため、ルーカスに電話をよくしていたのだが、ルーカスがいないときにはコーネリアと話をし、やがて、ルーカスではなくコーネリアに電話するようになり、二人は恋に落ちる。二人は1962年に知り合い、1972年に別れたというから、ちょうどグールドが30才から40才の10年間にあたり、最後の4年間半はトロントに家を借り、グールドの近くで暮らしている。コーネリアにはルーカスとの間に2人の子供(9才のクリストファーと5才のエリザ)がいた。グールドは1964年以降(32才以降)、コンサートに出ることはなくなり、もっぱらスタジオで録音をするのだが、音楽評論やラジオ番組の制作などもしていた。グールドは演奏以外の場でもさまざまに発言するのだが、これがピアニストとしてではなく批評家として、厳しい批判に晒される。こうしたことで彼の聡明でユーモアあふれる性格は影を潜め、メディアに対しては防御的になり、世間から徐々に遠ざかるようになる。グールドは緊張を緩和するために安定剤などを飲んでいたのだが、複数の医者で同じ薬を処方してもらい大量に飲むようになる。この薬物依存症はエスカレートし、恐怖症に苛まれ続ける。心気症が激しくなったグールドは、コーネリアをトロントで1枚も絵が描けないほど束縛し、やがて二人の家庭は維持できなくなる。

コーネリア

コーネリアに復縁を迫るグールドだが、もとに戻ることはできない。失意に暮れるグールド。

その後、グールドはたまたまロクソラーナ・ロスラックがルーカス・フォス(コーネリア夫!)の曲を歌うラジオで聞く。グールドはロクソラーナを探し出し、ともにシェーンベルクやヒンデミットの現代歌曲を録音するようになる。ロクソラーナはオペラ歌手としては有名ではなかったようで、大きなチャンスを得たと感じたようだ。グールドの生活はこのころには昼夜逆転し、映像には不健康さが漂っている。

ロクソラーナ

このあたり、次のリンクにはよく書かれている。(興味のある人は見てね。)

http://www.capedaisee.com/2011/12/gould/ 

http://plaza.rakuten.co.jp/mamakuncafe/diary/200710030000/

グールドは死亡する50歳の直前、グールドののデビュー作で、一夜にして巨匠たちのピアニストの仲間入りさせたゴールドベルグ変奏曲の再録音にとりかかっていた。彼は一度録音した曲の再録音はほとんどしないのだが、デビュー作の演奏の解釈には、改善の余地があることを感じていた。そして再録音が完成し、50歳になった9日後、脳梗塞で亡くなる。身近にいるものは容態の悪化に気付かなかったものの、久しぶりに会うものには容態の悪化は明らかだったという。そして、死の直後、再録音盤が発売され大きな反響を呼び、この録音はグラミー賞を受賞する。

主は、この映画のもとになった書籍「グレングールド シークレット・ライフ」(マイケル・クラークスン、道出版)を手に入れた。書籍では他にも女性関係が描かれているようだ。そのあたり、読後にまたアップすることにしよう。

 

 

投稿者: brasileiro365 《老人天国》

 ジジイ(時事)ネタも取り上げています。ここ数年、YOUTUBEをよく見るようになって、世の中の見方がすっかり変わってしまいました。   好きな音楽:完全にカナダ人クラシック・ピアニスト、グレン・グールドのおたくです。他はあまり聴かないのですが、クラシック全般とジャズ、ブラジル音楽を聴きます。  2002年から4年間ブラジルに住み、2013年から2年間パプア・ニューギニアに住んでいました。これがブログ名の由来です。  アイコンの写真は、パプア・ニューギニアにいた時、ゴロカという県都で行われた部族の踊りを意味する≪シンシン(Sing Sing)≫のショーで、マッドマン(Mad Man)のお面を被っているところです。  

“グレン・グールド考7 普通の男だった「天才ピアニストの愛と孤独」” への 2 件のフィードバック

  1. 約40年前にFMラジオでグレン・グールドのパルティータを聞いて以来、のファンです。
    楽しませてもらいました。ありがとうございました。

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