薬剤師という職業 & 医療費の膨張

ブログの主は、処方薬を買う薬局でたいてい憤慨してしまう。

医者に行ったあと、処方箋にしたがって薬局の薬剤師が処方薬を販売するのだが、薬を渡す際に「調子はいかがですか?」「前回と違う薬ですが大丈夫ですか?」的なことを聞いてくる。ここで彼らを専門家だと思って、薬について質問したりしてはダメだ。知識があっても、無難なことしか言わない。

医師の診察でじっくりと話を聞けることは少ないので、薬剤師から病状などを質問されると、ついこちらも質問してしまうのだが、結局のところ素人とたいして変わらない無難なことを言うだけだ。当然だが、医師の診察分野は、細分化されている。その細分化された分野で医師が処方した薬について、薬剤師がそれ以上の詳しい知識を持っているはずがないし、慢性病の場合は患者もそれなりに詳しくなっている。それでもし薬剤師に聞けば、最終的に「相談は医師にしてください。」となる。

主はアレルギー体質で、長年アトピー性皮膚炎を患っている。大学病院の皮膚科の教授から「アイピーディーという薬を体質改善のために2,3年飲みましょう。」と言われたことがあった。その後、大学病院へ行きつづけるのは大変で、町医者に通っている。このように長く飲む薬というのは、どのように評価したらよいのか(効果の判断がわからない、どうなったらやめるのか?)疑問に思ったので薬剤師に質問すると、大学病院の医師に聞いてくれと言われる。このような時、せめて次回までに調べてくれてもよさそうに思う。それぐらいの勉強はしているはずだ。

医療費は、診察より薬剤費のほうが何倍も高い。薬剤以外に、薬局にかかる費用もあるはずだ。薬を受け取る際には、薬の説明書などや、「お薬手帳」に貼るシールなどを受け取るが、これらは調剤基本料や薬学管理料として上乗せされている。医薬分業になって久しいが、医薬分業の狙いは、薬価差(昔、医院は薬を処方する際に、薬代の仕入値と患者が支払う差額で儲けを出していると言われていた。)をなくすことだった。これが院外処方により医療費の削減につながったかというと、薬剤師は医師の処方通り調剤するのみで、そのような効果は上がっていない。むしろ、医薬分業により調剤コストは増えており、節減には薬価基準の引き下げが大きい。

この調剤薬局の多くは、MR(Medical Representative=製薬会社の営業社員)が起業したものなのだそうだ。MRは、自社の製薬会社のために営業活動で医院を回っている。この営業で生まれる医師とのコネクションを生かし、医院の門前薬局という形で調剤薬局を開店する。 

薬剤師の働きぶりを見ていると、6年間勉強する割には、せっせと薬を棚から取り出し、詰めているだけだ。混ぜ薬も少なくなっているし、処方箋の内容どおり正しく薬を詰めるだけなら、機械でも可能だ。テレビの報道では、実際にコンピューター制御された機械が、薬を多くの棚からピックアップするところがあるらしい。なんで、薬局にはあんなに多勢薬剤師が働いているのか。薬局は、コンビニより数が多いという。

また、最近薬学部は、4年制から6年制へと変更されたが、薬剤師の供給過剰が背景にあるのだろう。多くの薬剤師は、専門家であるという幻想をすでに抱いていなさそうに見えるが、専門的なことを言わないのであれば、矛盾が多い、おかしな職業だと思う。

また、こうして見ると、医療費が高い原因が透けて見えてくる。

日本の薬の値段は、世界水準では異常に安いという。つまり、医療費が老人医療のせいで膨張し、その膨張を抑えるため、政府は診療報酬と薬価を上げないばかりか、むしろ、下げて、医療費を抑制しようとする。しかし、国民皆保険制度は、75歳以上の老人は基本的に1割負担である。こうした助成は、確実にマーケットの需給を歪ませる。 つまり、必要がないのに医者へ行く患者が多数現れ、医療費を膨張させる

こうした老人を優遇する医療制度と、生きてさえいれば成功とする医師の条件反射のような救命マインド。安楽死を否定する司法の判断。延命を常に唱えるマスコミの報道。一般大衆は、いつまでも生き続けたいという無理な願望を持つように洗脳されているのではないか。

そして、必要がないのに医者へ行って治療を始め老人たちは、やがて死期が近づいても、体中にチューブをつけられて生かされる。天井を向いて、生きているのか死んでいるのかわからない老人がチューブにつながれて碌に意識もない、というのは本人も望まない、尊厳を踏みにじる虐待でしかない。

おしまい

 

消費される音楽 グレングールド考 その5

音楽は、本来消費されるものではないはずだ。良い音楽は、いつまでも良いし、時代とともに進化し続けるというものでもない。 ところが、音楽雑誌、新聞の音楽欄、各種音楽紹介本などでは、音楽評論家の諸先生がもっともらしく次々と新しく素晴らしい演奏、演奏者を紹介して下さる。何処で、誰々が至高の演奏、今世紀最大の精神性を発現した演奏をしているので買いなさい!といった具合だ。新しい演奏に特別の価値があろうとなかろうと、音楽ファンは評論家の皆さんのご意見に従って、これを有難がって手に入れようと思う。音楽評論家は値打ちのないものを、いかに値打ちがあるように音楽ファンに思わせる。音楽ファンの方は、評論家の言葉に踊らされ一種の洗脳状態、自己暗示にかかり、蒐集欲を満たさないとならないという強迫観念に陥る。もちろん、音楽も一つの産業だし、音楽評論家も立派な職業であり、この分野もほかの分野と同様、次々と新しく生産し、古いものは廃棄しなければ、経済が回っていかない。消費のためには、人々に幻想を植え付けることが必要なのだ。

だが、音楽の価値は、この経済サイクルとはもちろん違うところにあり、こうした評論家の意見に踊らされるのは、愚かだ。

ブログの主は、カナダ人ピアニスト、グレン・グールド(1932-1982)の熱心なファンだ。彼の奇抜ともいえる演奏スタイルや彼の生き様がよく知られているが、他のピアニストと本質的に違っているところは、対位法的に弾く点だろう。普通のピアニストは右手の旋律に左手で伴奏を付ける。ところが彼は、右手、左手だけではなく、3つ、4つの旋律を同時に明晰に弾き分ける。多くのピアニストは、和声(和音)を楽譜通りに弾いて、そのうちの主旋律のみにフォーカスする。ところが、グールドの関心は、対位法的な表現をすることにあり、和音は複数の旋律の重なり合いだ。普通のピアニストは、このように複数の声部を同時並行しながら明晰に弾けない。このために『一人で、まるで連弾しているようだ』、『曲の構造が明晰にわかる』、『再作曲している』などと評される。 グールドは結婚をしなかったが、友人の指揮者ルーカス・フォスの妻で画家のコーネリアと不倫関係になり、彼女の子供たちと一緒に数年間、家族生活を過ごしている。このコーネリアが映画「天才ピアニストの愛と孤独」の中で「(グールドは作曲家が作った曲を)時計の様にいったん分解して、もう一度組み立てるのだけど、元の時計とは違ったものになっている。」と言っている。

こういう手法は、対位法の大家ともいえるバッハに特に向いている。このため、バッハ演奏に関するグールドの評価は非常に高い。主は、時々、グールドの演奏と他のピアニストのバッハ演奏を比較するのだが、他のピアニストの演奏は、つまらないと思ってしまう。(ただ、モーツァルトなど対位法的要素が少ない作曲家の作品は、一つのメロディーをさまざまに装飾したり変形させたりするもののため、グールドのアプローチは、他の演奏者がやっていない独創的な演奏方法を目指すことになり、これが成功しているかどうか、好悪が分かれるところだ。)

グールドの録音の姿勢は、スタジオに何日間もこもりながら、何通りもの演奏方法のアプローチの中から最終的に選択した演奏のうちから、なおかつ、もっとも上手く弾けた演奏をつなぎ合わし、彼の考える曲の構成に合致する納得のいく演奏に仕上げるというものだ。グールドは、バッハの「ゴールドベルグ変奏曲」でデビュー(1956年)し、2回目の録音が遺作(1981年)となったが、デビュー盤のアリアはテイク21、遺作の変奏曲は、テイク26になったものがあるそうだ。(ピアニストに神がかり的な演奏ができる瞬間があると信じる人々にとって、こうした作為的な行為が一番反感を買う点だろう。) 他のピアニストが、スタジオでこれほどの集中力を見せているのか正確なところを知らないが、ここまでの集中力は発揮出来ていないだろう。また、グールドの「ゴールドベルグ変奏曲」デビュー以前は、バッハの鍵盤曲は、チェンバロで演奏するのが正しいとする音楽界の通念があった。だが、彼の演奏が、難解で楽しくないとされていたこの曲の評価を全く一変させ、バッハの鍵盤音楽を表現力豊かなピアノで演奏することがふさわしいことを証明した。彼の録音の後にこの曲を弾いた演奏者は、全員グールドの演奏から影響を受けていると言っても過言でない。(出だしのテーマから多くのピアニストがグールドの弾き方に倣っている。)

誰の演奏に限らず音楽は、イージーリスニング的に聞き流していては、正しい評価はできない。(これが、結構困難なのだが。)

特にグールドの音楽に対する集中力は、異常なレベルまで高い。彼は、すべて暗譜で演奏する。シェーンベルグなどの抽象的な曲は、ピアニストにとっても暗譜すること自体が困難だと言われている。また、すべての歌曲や交響曲のスコアを頭脳にインプットしており、音楽DVDでは、バッハの平均律のフーガを例に挙げながら、4声あるなかからバスを選び、曲の途中から歌いながら弾いてしまう。

また、多くのピアニストは、リズムを揺らすのだが、意図したものではなく演奏の技術的制約から来ていることが多い。どんな曲にも、演奏が困難な個所があり、演奏者はその部分を弾きこなせるように曲全体の構成を変更し、逆算しがちだ。

グールドは、インタビュアーから「演奏に困難を感じることはないか?」という質問に「技術的な困難さに意識を向けると、ますます演奏は困難なものになっていくでしょう。表現するために、エクスタシーの中でも常に明晰な意識を保ち続けることです。」と言っている。グールドの弾く曲は、全体の構成が一種の構築物のように明確だ。その構成の中で、リズム、音量、ペダルの使用などを効果的に決定している。彼の演奏を聴いていると、テクニック上の問題は微塵も感じられない。

 

 

PCオーディオ その2(日本オーディオメーカーの衰退)

2014年10月現在、大手メーカーのソニーやテクニクスなどのハイレゾ参入など、事情がかなり変わってきました。以下の記事は、2013/12/20に書かれたものですので、ご承知ください。

プアニューギニアから日本へ休暇一時帰国している。相変らずカナダ人ピアニストのグレン・グールド(1932-1982)ばかりを繰り返し聴いている。向こうでは仕方なく手軽な機器で聴いているので、自宅のPCオーZODIAC.jpgディオの音の良さを改めて再発見することになった。 自宅にはオーディオセットが3組!(女房が使っている物を入れると4組!)あり、どの部屋もネットワーク経由でハードディスクに入った音楽データを再生することが出来る。そのうちメインに使っている機器は、100万円以上費用ががかかっている! 左が50万円以上するDAC(デジタルアナログコンバーター。アメリカ製)写真の右側が電源部、左側が本体である。右側は単なる電源アダプターなのだが、低ノイズを謳っておりこれだけで10万円!する。オーディオの世界は、値段の高いものがいくらでも売られているので、これより高いDACもあるが、この値段は高額な部類に入ると言っていいだろう。さすがに我が家にある他のDACとは全く違うレベルで、原音を忠実に再現する。グレン・グールドはマイクをいろんな距離において、ピアノの音を録音をしている。今回我が家に帰って気づいたのだが、近くに置いたマイクと遠くに置いたマイクを違うチャンネルに録音している!この両方の音が聞こえるのだ。かなり静かな曲のインベンションとシンフォニアを聴いてその二つの音を聴き分けれることに気付いた。この現象はヘッドホンの場合に気付くことができた。

下はスピーカーとアンプ。こちらは、両方で50万円ほど。この値段くらいだとマニアックとまでいかないだろう。スピーカーはイギリスのB&Wという会社の製品。

B&W遙か昔のブログの主の青春時代、40年前は広くオーディオブームだった。若い男は決まってオーディオマニアだった。どこのスピーカーが良いとか、レコードのターンテーブルがいかに正確に回転するとか性能に皆うるさかった。当然ながら、オーディオ分野に多くの日本のメーカーが存在した。スピーカーに限ると、タンノイやJBLの海外スピーカーがジャズ喫茶(おー、何と懐かしい響き!!)で名声を馳せていた。しかし、部屋で聴くスピーカーは日本製品だった。 ところが時間がたつにつれオーディオはじり貧になり、死語になったかというくらいに売り上げが落ちていく。ウオークマンがヒットし、その後iPodなどに取って代わられるが、高級アンプやスピーカーを部屋に置いて音楽をじっくり聴くというスタイルは、限りなくマイナーな存在となる。

40年前、履歴書に無難な趣味として「音楽鑑賞」と書いたものだが、今は音楽を「鑑賞」すると表現しないのではないか。「鑑賞」という言葉には、対象を幾分有難く思う雰囲気がある。突然だが、ピアノもそうだろう。高度成長期、猫も杓子もピアノの存在が教養の証のように思われ、有難がってピアノが売れた時期があった。時代は変わったのだ。生活が貧しくなった、余裕がなくなったと解釈することもできるだろう。そうではなく、「音楽鑑賞」やピアノの向こうに有難いものなどないのだと化けの皮がはがれたのかもしれない。

オーディオは特殊な存在となり、いつの間にやらミニコンポに取って代わられた。ミニコンポは、中学生、高校生あたりをターゲットにした値段の安い値段のものが中心で、大人向けに少し高級志向の製品が僅かに並んでいるばかりだ。 

こうした凋落の歴史があり、高級オーディオの分野は、今では欧米の製品がほとんどを占めている。スピーカーは、欧米メーカーの名前で売られているが、実際の組立は中国でやっており、コストパフォーマンスが非常に高い。海外には特長のあるメーカーがたくさんあり、昔と比べるとコストパーフォーマンスが上がっている。小さなスピーカーでさえ、びっくりするほど良い音がする。スピーカの形もずいぶん変わったものが出ている。

日本メーカーはテクニクス、ダイヤトーンがなくなり、残っているのはONKYO、パイオニア、ビクター、ヤマハといったところで、幅広くオーディオ製品を作っているのはONKYOだろう。だが、このONKYOも買いやすい値段の商品を主流にしている。国内市場の縮小が原因で、日本メーカーは技術開発で海外勢に後れを取っていると感じる。また、コスト競争もまずいが、何より魅力のある品が日本製品には少ないことが、一番大きな問題点だろう。

アンプも同様だ。日本製はONKYOなどが頑張っているが、多く売れるところを狙っているのLUXMAN_thumb.jpgで、高級品の定番製品はない。高級品では、ラックスマンやアキュフェーズといったマニアックなメーカーが従来の路線で支持されている。日本製は重さで勝負(これまでの常識では、高級品には電源に余裕を持たせるために大きなコンデンサーを使ったりヒートシンクも巨大になるので、必然的に高級品は重かった)、真空管方式もありますぜといったスタンス。

ところが、近年海外勢はユニークなデジタルアンプを次々発表している。時代の先端を行くユニークな高級デジタル製品が出ているのだ。日本製は少ない。

主は結局のところ、日本製で評価の高いアンプ、ラックスマン。ラックスマンは昔ながらの重量(30KG)があり、この重さで音質を稼いでいるアンプだ。

このデジタルの技術革新に伴い、PCオーディオのブームがやってきた。パソコンとネットワークを使うとCDプレイヤーのような回転装置が不要になる。というより、何十万円もする超高級CDプレイヤーと同等のレベルの音質で聴くことが出来る。また、CDの規格は30年以上前に作られたもので、今は高品質で録音をしたものを、わざわざダウンサンプリング(品質を落と)してCDが作られている。この矛盾をインターネット経由でPCへとデータを取り込むことで解消し、品質の高い音楽データが手に入る。また、DAC(デジタルアナログコンバーター)とヘッドホンさえあれば、最高の音質をコストをかけずに楽しめる。昔は、アナログ接続が基本で、高級パーツを揃えてもたった1本のケーブルがボトルネックになったのだが、今や接続方法に無線や光などという手段もあり、事情が変わってきた。

これがきっかけで、主の「音楽鑑賞」の趣味が復活した。安い値段の装置でも、アナログと比べると非常にいい音で再生できるのだ。主は、古い録音(1950年~1960年代に録音されたCDなど)は、音質が悪く、いくら演奏が優れていても感動を呼び起こさないものと諦めていた。しかし、PCオーディでは昔の録音が、その当時の最高級アナログ再生装置を使ったかの如くリアルに再生できるのだ。

手軽に昔のCDを高音質で聴けることが、皮肉な現象を引き起こしている。主と同じようなオールドファンは、昔の巨匠の演奏ばかり聴き、タワーレコードなどのショップでも現代の演奏家より昔の演奏家のCDが多く並んでいる。理由の一つは、現代の演奏家の新譜は値段が高いことだ。また、現代の演奏家の新譜にどの程度価値があるのかわからず、冒険しづらいというのも理由だろう。片や若者は、レンタルやYOUTUBE、iTUNESなどで曲を手に入れており、CDはまったく売れなくなっている。

演奏のレベルは時代の経過に必ずしも比例しないのだ。今や録音技術が進歩していても、コンテンツのレベルが上がっている訳ではない。昔の方がハイレベルな場合も十分にあるのだ。こうして埋もれていた音源(ソース)が生き返えったのだ。

 

もてない男 1 (親友/昔話)

(2022/8/18)一部修正しました。

じじいが中学の時、同級生に目茶苦茶女子生徒にもてる男がいた。 彼が高校に入学したとき、彼の性格とルックスに惹かれた全校の高1、高2、高3の女子数十人が交際を申し込んだ。彼は、放課後、交際したい女子高生を教室の廊下に順に並ばせ、彼は教室の真ん中で一人、全員の交際希望者を順番に面接をした。そして、最終的に同じ学年で、面接で一番気に入った目鼻立ちのはっきりした、ちょっとグラマラスな彼女と交際していた。

じじいとは、中学は同じだったが高校は別だった。当時(昭和40年代)子供の数は多く、中学校は1学年に17クラス、約700人いた。生徒が多かったので、3年間同じクラスにならなかった。 唯一、中学で彼の記憶があるのは、グラウンドで野球部が試合をしていた時だ。大勢の女子生徒のキャーキャー言う歓声がしているので、そっちを見ると、彼がバッターボックスに入っていた。彼はその女子生徒の大歓声の中、バットを力一杯振るとボールは外野の間を抜け、スリーベースヒットを放つ。さらに大きくなる女子生徒の歓声。満塁の塁上からホームへ帰ってくる選手たち、土煙、三塁ベース上で大きく腕を突き上げて笑う彼。(「何やねんこれ!」とニヒリストだったじじいは思った。)

じじいたちが卒業した中学校

高校は、違う高校に通うことになったじじいと彼だが、当時流行っていたフォークソングが縁で二つの高校の間で同じ学年同志の交流が始まり、一緒にコンサートを開いたりするようになった。「おんなじ中学やん!」と友人づきあいが始まった。フォークソングと言いながら、吉田拓郎や井上陽水は商業主義でダメだった。加川良や高田渡という世間では知られていないアンダーグラウンドな歌手評価していた。

彼が入学した高校には野球部がなかったので、彼はラグビー部に入り、3年間は、その彼女と付き合っていた。高校卒業時、彼は大学受験に失敗し浪人になる。この浪人が延々と続く。一浪から二浪になるとき、その彼女とは別れるが、浪人生活は実に、五浪まで続いた!!!

その彼の予備校生時代の話である。やはりというか、予備校に入っても彼は、大勢の女子から次々交際を申し込まれる。彼が女子に声をかける訳ではない。つねに、女子から交際を申し込まれる。じじいは、大学にストレートで進学したが、中学、高校、大学とずっともてたことがなく、勉強なんかより、彼の様にもてたいと切実に思っていた。勉強なんかより、女にもてたい!!!!

そんな彼だが、ある日、同じ予備校に通う女子と、彼女の家で昼間ベッドに入っていた。その時、旅行に行っているはずの彼女の両親が、突然帰ってきた。玄関で鍵を外す音がガチャガチャと聞こえる。彼女も予定外の出来事に必死になりながら「こんなとこ、うちのお父ちゃんに見られたら、あんた!殺されるで!!と彼女。彼はベッドからはじけるように飛び降り、ベッドの周りに放り出された衣服をかき集め、裸のままパンツ1枚、窓から外へ脱出した。(なんか青春ドラマで見たことあるような。デジャヴか?)

やはり、彼の浪人生活中、もう一人の男の友人と民宿に泊まり山陰へ海水浴に出かける。現地で同じく旅行でやってきた大阪の女子大生3人と意気投合し、夜は花火と酒で盛り上がる。相当酔っぱらい、最後は乱交状態になったという。あげくに酔いつぶれて寝てしまった。翌朝、「昨日は酒も飲んだし、女とやったし、ええ夜やったあ!!」と布団で伸びをしながら目を覚ますと、枕元に服を着た昨日の女子学生が3人並んでおり、「大阪に帰ったらわたしと付き合ってください。」と全員からお願いをされる。

つづく

もてない男 2 (親友/昔話)

つづき

その彼が、高校のラグビー部の合宿でやはり海に行った。厳しい練習を終えて部員たちが銭湯へ行く。行った銭湯は、どうやら工事中らしく、男湯と女湯の境が薄い板1枚になっていた。その時、壁のところにいた部員の一人が「おっ! 穴から女湯がみえるで」と声を上げた。すぐに彼を含む周りのラグビー部員が反応し、「何や、何や!俺にも見せろ!」とその第1発見者の後ろに覆いかぶさっていった。「おーすごい!」「早よ代われ」「俺にも見せろ」と喚きながらその穴に向かって部員たちが重なり合った。するとやがて、その壁は、ラグビー部員たちの重量に耐えきれず女湯の方にばったりと完全に倒れてしまう。男湯と女湯の境がなくなり、女性たちの悲鳴。ラグビー部員たちはやはり、裸のまま服だけ持って、だーっと旅館へと一目散に走った。

彼の母親は、百貨店でマネキンさんと呼ばれる店頭販売員を派遣する会社を経営していた。いわゆる派遣会社の草分け的存在である。当時は日本の高度成長期だった。百貨店でマネキンさんが食品を販売すると飛ぶように売れた。また、百貨店の売り場は、今のように中高年社員やパートの主婦がまばらに売り場に居るという感じではなく、若い女性がてんこ盛りで、花園のような職場だった。その彼の母親がマネキンさんの派遣を仕切っているのだが、やりくりがつかず、息子の彼が、マネキンさんの代わりに売り場に立つこともあった。じじいも何度か狩り出されたことがある。そして、彼が百貨店で販売員のバイトをすると、100%!売り場の何人もの!!の女性社員から「今晩、晩御飯一緒に行ってえ」と誘われるのだ。もちろん、食事の後はホテル。彼より女性社員の方が社会人で給料も貰っている立場なので、すべて女性持ち。 じじいもそのバイトに行き、近くの売り場に居たアルバイトの美人女子高校生に思い切って声をかけたこともある。だが、やっぱり話に乗った子はいない。(とほほ)女性も人数がいると、美人がいるものだと思ったのだが、もてる男、もてない男、何事にも偏りがあるのだ。

彼の人となりの一端を紹介すると、女性と話をする時は、かならずファーストネームで呼ぶ。「xxちゃん」か「xx」と呼び捨て。苗字で呼んでいるのは聞いたことがない。若いころ、主を含めた男の多くは、それぞれに何か過激なこと、毒のあることを口にしていたが、彼はあまりそのようなことを言わなかった。主は、「微温的」とか、「ちょっとじれったい」と感じていた。もちろん仲間内の友人をけなしたり非難したりはするのだが、聞き手に同意を求めるようなところがあり、強く断定することがなかった。一方、常に気配りができる。そつがない。ユーモアがある。運動センス抜群である。女性にとって、頭が凝り固まっていと男は敬遠される。

だが、今還暦を迎える年になってようやく分かる。その「じれったい」こともある「微温的」な、人を否定しないところがもてる秘訣なのだ。人間だれしも否定されたくない。女性は男よりずっと、否定されることが許せない。鈍感な男はそのことに気が付かない。何か言われて、もちろん彼が断ることもある。だが、相手を傷つけるような言い方はしない。それがきっと女性にもてる絶対条件だ。

武蔵野ゴルフクラブ | 東京都八王子 | 【アルバ公式】ゴルフ場予約ALBA.Net(アルバ)

じじいは社会人になり郷里を離れ、彼の方は浪人生活5年でとうとう大学進学を諦め、母親の人材派遣会社の経営を手伝っていた。たまに主が郷里に帰った時に、他の友人と何度かゴルフに出かけた。ちょうどバブルの最中で、「自腹でゴルフするのは、こんな具合に友達同士でするときだけや。」と言う。懐かしい時代だ。じじいも彼も30を過ぎて結婚していた。派手な女性関係が相変わらず続いているのか聞きたいところだったが、普通の結婚生活をしているようだった。ゴルフ場の芝生に腰かけて男同士で昔話に盛り上がったが、女房とのセックスについて「ずっとセックスしてたら、何遍でもイキよる。」という。『さすがや』『俺はあかん』と納得した。

つづく

もてない男 3 (親友/昔話)

つづき

そのもてる男に最近また再会した。1泊する高校時代の同窓会が関西であり、じじいがはるばる関東から出席した時に、近くに住む彼が旅館まで訪ねて来てくれたのだ。高校の同窓会と言うが、来年1年のうちには全員還暦という年齢である。

彼は、マネキンさんを派遣する会社をずいぶん前に母親から引継ぎ、社長になっていた。最近、知的障害のある児童向けの施設を始めたと言った。「こうした施設は一人資格のある人を置いておけば、他の人は資格がいらんから、うちの派遣社員をそのまま使えるメリットがあるわけよ。それに運営費の大部分が自治体の補助金から出て、残りは児童の親が負担するから、金が確実に入ってくる。赤字になる心配がないんや。これは大きいで。府会議員さんは、みんなこうした福祉事業をやってはるわ。」

彼の話は、北新地(高級クラブで有名な梅田の一画)の話になる。「最近、高校時代の同級生と北新地へ行ったんやんか。そいつらは、公務員とかサラリーマンとかで、普段そんな高級な店に行ってないわけや。いつも、居酒屋とか赤ちょうちんで飲んどる。そのへんわしら自営業とはちょっと金銭感覚がちゃうやろ。そやけど、そういうクラブのホステスと話してたら、話も上手やし、どんな話にもついてきよる。それで、結構盛り上がったんや。当然、最後に会計になるわけや。一人あたりにしたら結構な金額になるけど、そんな額をそいつらから取れへんやろ。そやから、一人一万円ずつ集めて、残りは俺が払ろうたんや。そしたら、『安かった、おもろかった。』言うてみんな感激しとった。それでそいつらだけで、別の日にその店にまた行きよったんやな。そんで、会計したら、高い金をとられるやん。そんで、俺のところに『ぼられた』言うて文句の電話がかかってきたんやわ。正直なことばらすのもなんやから、露骨な説明は言わんかったけど、それくらいわからなあかんわなあ。」

その後、ホステスの話になる。「昔は、若い女が良かったけど、この年になると若い女はあかん。もうちょっと、年いったほうがええわ。30代後半やな。そこら辺が、味が出て来て一番ええわ。」

「ほいでや。新地のホステスが、店がはねた後、夜中の3時とか、4時や。毎晩俺に会いたいちゅうてメールして来よるわけや。こっちも女房の隣で寝ながら、メール来てるんは、気ついとった。そやけど、起きるのん面倒やん。それに女房は、亭主の携帯見るような女やないし、その辺はしっかりした女や。ところがや、あんまり毎日深夜にメールが来るもんやから、最後に女房が俺の携帯を見よったんやな。ほんなら、ホステスからぶわーっと一杯メールが来てるわけや。それ見た女房、どないしたと思う? その携帯に『xxの女房です。あんた、うちの旦那に何ぼメール送っても無駄や。あきらめなさい。』ちゅうて、返信しよったんや。その後女房に起こされて、布団の上でこんこんと説教されたがな。」「それで、大人しいに謝ったんかいな?」「謝ったがな。女房に金の管理すっかり任してて、俺は小遣い貰てる身や。全部事情説明させられて、もうしません言うて、謝ったがな。」

つづく

もてない男 4 (親友/昔話)

つづき

我々の友人の間に、そのもてる男を表す伝説があった。もてる男、小学校高学年、放送室での話。もてる男は、放送室に同級生の女の子と二人きりだった。女の子がなにやら真剣な表情になり「うち、あんたのこと好きやねん。そやからうちと付き合うて欲しいねん。」もてる男。「わかった。付き合うて欲しかったら、パンツ脱げ!」

!!。この伝説をもてないじじいが、同類の友人から聞いた時、もてる男はさすがに早熟やなあと思った。じじいが小学校の5,6年生の頃はずいぶん幼稚で(今も幼稚だが)、告白された女子に「パンツ脱げ!」という発想はほぼなかった。(主が大人になるにつれ、この妄想に大いに悩まされる。)

(松本人志, 高須光聖 松本人志の放送室 1)から

実際の話だったのかどうか真偽がわからないまま、とうとう約40年が過ぎた。本人にこの話の真偽を確かめたいと昔から思っていたので、この機会に本当かどうか聞いてみた。もてる男「俺もそういう噂があるのは、知っとった。」しかし、もてる男に説明しながら、じじいはどうしても笑ってしまう。どうも力が入らない。こういう肝心なところで、照れて脱力してしまう。肝心なところでダメなじじいだ。

結局のところ、真剣に質問する事が出来ず真相は藪の中のまま、他の話題になってしまった。申し訳ない。

もてない男ともてる男の一番大きな差は、もてない男は人格まで否定してしまうところだろう。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と簡単になるようでは人間が出来ていない。じじいはぜんぜん人間がなっとらん。もてる男も結構いろんなことに憤慨していたが、相手の人格を全否定することはなかった。

 おしまい

部活

日本の学生は、クラブ活動に参加していることが多い。勿論、小学校、中学校、高校、大学と年齢的な差があるが、高校、大学あたりのクラブ活動への参加の仕方がその後の人生への取り組み方に大いに関係してくるように思う。

ブログの主は、残念ながらちゃんとしたクラブ活動をやってこなかった。

これまで海外生活は、ブラジルとパプアニューギニアだが、どちらの国もクラブ活動などが広く行われているようには思われない。ブラジルはサッカーが人気だが、サッカー選手は学校のクラブ活動でサッカーがうまい選手ではなくて、プロの二軍チームから選抜されている。パプアニューギニアでは、就学率が低いという事もあるが、小学校に20歳を超えた人物が通っていたり、クラブ活動をしている余裕は全般にないと思う。

日本の場合は全国津々浦々、学校のクラブ活動は盛んで、体育系、文科系いずれも熱が入っていてレベルも高い。そうしたところでは、おのずと部長になったり、副部長になったり、マネージャーになったりして、人間関係に苦労しながら一つの目標に向かって進む困難を克服する術を自然に身に付けることになる。

文部科学省を賛美するつもりはないが、日本の学校のクラブ活動が、日本人の協調性や、団結力、問題を解決する力を大きく育てていることは間違いない。個人を見ても、実際にクラブ活動に熱心に取り組んだ者は、その後の人生においても問題解決力が大きいだろう。こうした日本のクラブ活動の広がりが、これまでの日本を築いた一因だと主は思っている。

有名大学卒でクラブ活動をやっていた者が、就職戦線で企業に一番人気があるというのは、将来的にこうした人材が会社で頑張ってくれると思われているからだろう。

もちろん、こうした見方は一面的で、大事なことは協調性や地道な努力の積み上げというよりむしろ、他に大事なことがある場合もある。それは、独創性であったり、大局観であったり、ある種の独裁が必要な場合があるのかもしれない。ただ、言えるのは、クラブ活動など全くせずに予備校にせっせと通い、有名大学を出て役人になったという人物は、ダメだろう。バブルがはじけてよく聞くサクセスストーリーは、元パートの主婦が店長に抜擢され、業績を目覚ましく回復するというものだ。この主婦は、昔クラブ活動を熱心にやっていたに違いない。(^^)