手が小さいからピアノが上手に弾けないって、本当? 《5歳の天才ピアニスト》、《ムカデが100本の足を動かす》と《30分でピアノを教える》

親爺のブログを見てくださった方が、ロシアの5歳の天才少年ピアニスト、エリゼイ・ミシン(Elisey Mysin)を教えてくださった。現在は、12歳になっているようなのだが、この子が、本当に5歳でこんな素晴らしい演奏をするのかと驚いたのだが、一つ疑問に思ったことがある。

というのは、ピアノの鍵盤を弾くときに、手が小さくて鍵盤の遠く(オクターブ)を押さえられないと、小さい手の女性は不利だという意味のことをよく聞く。指を開けるためにマッサージや手を柔らかくするトレーニングとかさまざまなことを、嘘か真か親爺には判断がつかないことをするらしい。

ところが、この少年の手は上の写真のとおりで、司会者の手の大きさと比べると5歳の少年らしく相当小さい。

だがこの少年は大人顔負けの演奏をする。むしろ、この子ほどのレベルで演奏できるピアニストは大人でも少ないのではないかと思えるほどだ。そうすると、この少年はどのように弾いているのだろうかのだろうか。

そこで、グールド推しの親爺としては、グールドはピアノを弾くということをどのように考えていたのかを見てみたい。

グールドは、ピアノ演奏の技術的困難さに直面するときの対処方法として、この困難さに正面から立ち向かってはならないという意味の答えを《足を動かせなくなるムカデ》の比喩で何度も発言している。

また、グールド自身、自分は弾けるのだが、なぜ弾けるのかは説明できない、だから、誰かに教えることができないということがよく言われる。 では、具体的なグールドの発言を見ていきたい。

1.1968年:CDコンサートドロップアウト ー ジョン・マックルーアとの対話から

このCDは、1968年にリスト編曲のベートーヴェン交響曲第5番のピアノ用編曲が発売された際に、インタビューがボーナス・トラックとして同梱されていた。なお、ジョン・マックルーアは、アメリカ人でコロンビア・レコードの有名な音楽プロデューサーである。

宮澤淳一さんが、この翻訳を2022年末に発売された『バッハ全集(SACDハイブリッド)』の冊子で翻訳されている。

ジョン・マックルーア:「・・・演奏中の歌声はいったいどんな機能があるのですか?説明してくれませんか。」

グレン・グールド:「難問です。これはムカデ問題ですよ。あるときシェーンベルクがこう言いました。私はなぜこれこれの手順をとるのかと作曲専攻の学生に尋ねられるのが苦手だ。100本の足をどいう順番で動かすのかと尋ねられたために、足を1本も動かせなくなってしまったムカデの気持ちになるからだ、と。この問いには人の能力を奪うところがあります。ちょっと怖いですね。

ジョン・マックルーア:「それなら避けていただいた方がよいでしょう。そんな危険にさらしたくありません。」

グレン・グールド:「いや、1パラグラフ以内で答えますよ。歌わないと弾けないのです。やめられるものならそうしています。・・・・・」

2.「ムカデの気持ち」「グレン・グールド伝 天才の悲劇とエクスタシー (ピーター・オストウォルド 宮澤淳一訳 筑摩書房)」から 355ページ

以下、著者オストウォルドの記述の引用である。

「グレンはこの『ピアノ・クォータリー1』誌が気に入り、いくつかの号に、特に、後に知り合ったが、ある女性のピアノ教師の日記を掲載した号に関心を示した。この教師にグレンが注目したのは、自分の母親もピアノ教師だったからかもしれない。教えることに関して、グレンには二つの想いがあった。自分がピアノを決して教えられないのは、どう演奏するのかと生徒に尋ねられると、どの順番に足を動かすのか説明を求められた『むかで』の気持ちになってしまうからで、足をまったく動かせなくなったこの哀れな生物を襲ったのと同様に即時に体が麻痺してしまうのだ。彼は繰り返しそう主張していた。ジョン・ロバーツ2によれば、ああした奇蹟のような結果をピアノからどうやって生み出せるのか『グレンは本当に知らなかった』という事実自体が『本人にとって脅威だった』という。『彼はピアノ演奏について分析的に考えたくなかったのです。・・・・・・ピアノ談義を嫌悪していました。つまり、指や手をどう動かすか、といった話題のことです。自分にはそうできる、ということしか知らなかったのです』」

「かたやグレンには教えることにうぬぼれがあった。教育者たちの集団に向けて、彼は次のような怪しからぬ発言をしている。『時間と心と静かな部屋を30分貸してもらえれば、誰にでもピアノの弾き方を教えてさしあげます。ピアノ演奏について知るべきことはすべて30分で伝授可能なのです。自信がありますよ。』私の知る限り、この挑戦に応じた生徒は一人もいない。」

3.「ピアノは30分で教えられる」「グレン・グールドは語る ジョナサン・コット 宮澤淳一訳 筑摩書房」

以下、著者ジョナサン・コット3が書いたものを引用する。

「最近、教育者の集まりで話をする機会があり、施設化された技能的な「工場(ファクトリー)」でピアニストを教えるときの諸問題を取り上げました。音楽教師という職業は、ある誤信を生み出したと思います。すなわち、それを知るためには一連のものごとをこなさなくてはならない、というものです。だから私は言いました ー 時間を30分、それから皆さんの熱意と静かな部屋さえ提供していただければ、誰にでもピアノの弾き方を教えてさしあげます。ピアノ演奏について知るべき内容のすべては30分で伝達可能なのです。自信があります。ただし、実行したためしもなければ、実行しようと思ったためしもないのです。なぜならこれはシェーンベルクの言ったムカデの話だからです。ムカデの気持ちになるから、と言って、シェーンベルクは音列の使い方を質問されるのを恐れていた。ムカデは100本の足の動かし方を考えるのが嫌いです。能力を損なわれるからです。動かし方を考えるとまったく歩けなくなるのです。私はこう続けました ー ですから、私は30分のレッスンをするつもりはありませんが、もしすると決めたなら、身体的な側面はごく最小限にとどめますので、集中して私の説明に静かに耳を傾けてくだされば、伝授可能です。カセット・テープに録ってもかまいません。あとで聴きなおせば、授業を受けなおす必要がなくなりますからね。皆さんは、あとで、一連の訓練を実行しなくてはならなくなるでしょう。それによって、私のお伝えしたわずかな情報と、その他の身体的な動きとの相互関係を確かめられます。すると今の自分には何ができなくて、どこに座れないか、また、どんな自動車には乗れないかに気づくはずです。」

「これを話し終えないうちに、先生方は大笑いを始めました。練習を反復作業だと思い込んでいたからです。しかしそれはまったく違う。私が真剣に訴えたかったことはこういうことです。つまり、これさえきちんとできれば、触感的・運動的な問題から自由になれるのだ、と。いや、訂正します。自由にはなれないし、そうした問題は永久についてまわります。ただ、問題が身近であればこそ、かえって三次的な関心事として片づけられるのです。攪乱要因が折り重ならない限り、『混乱した』(disarrenged)状態は起こりません。」

  1. 「ピアノ・クォータリー」誌 作曲家、ピアニストのロバート・シルヴァーマンが発行人兼編集長の季刊のピアノ誌。グールドが、「ハイ・フィデリティ」誌ともめているときにグールドは寄稿していた。グールドは14本の原稿を寄稿していた。 ↩︎
  2. ジョン・ロバーツ ジョン・P・L・ロバーツは、1930年シドニー生まれ。1955年にカナダへ渡り、CBC(カナダ公共放送局)ウィニペグの音楽プロデューサーになる。グールドと親交が深かった。「グレングールド発言集」、「グレングールド書簡」を発行した。 ↩︎
  3. ジョナサン・コット 1942年ニューヨーク生まれのノンフィクション作家・詩人。『ローリング・ストーン』誌創刊以来の中心的な書き手で、ジョン・レノン、ボブ・ディランなどのロングインタビューを行う。 ↩︎

親爺の結論

きっとピアノを上手に弾けるという才能と、ピアノを上手に教えるという才能は違う。しかし、ピアノを弾く際に、テクニックに気を取られてしまうと、その瞬間に演奏が難しくなる。演奏が全体として支離滅裂になりがちなのは、誰もが経験することだろう。

グールドは、ピアノを弾きながらなぜ鼻歌が止められないのかと聞かれたときに、「僕にとって鼻歌を止めるのは自殺行為だ。」と答え、自分が出来ているピアノの演奏をどうのようにしているかと質問されると、「これに答えようとするのは、能力を削ぐ行為であり、自殺行為だ。」と答えていた。

ところがその一方で、グールドがピアノを教えられるという自惚れは捨てきれず、30分あればピアノの演奏を教えられると大袈裟なことを言っている。しかしその具体的な中身は言わない。「繰り返し練習することなく、触感的・運動的な問題から自由になれる。」と一旦言うものの、すぐに前言を翻し、「いや、そうした問題は永久について回るが、かなりの程度問題は解決されるはずだ。」という。ここは、分かったような分からないような発言だと親爺は思う。

やはりこの《ムカデ論争》と《30分でピアノを教えられる》という議論は、天才はなぜ天才かという側面があり、天才の技術をいくら分析しても、凡人は天才になれない。また、凡人が少なくとも、いくら練習を反復する方法をとっても天才にならない、というのは明らかだろう。指使いが可能な範囲で演奏しているようでは、平凡な演奏にしかならないだろう。技術の制約が原因でブレーキをかけるのではなく、頭の中で描く理想像へとジャンプしないとダメだろう。

グールドの言っていることは、確かにどこか変でおかしいし説得力もないかもしれない。しかし、彼は天才的で自分の世界を解釈し表現することができた。その演奏のプロセスを人様にうまく説明できなかったとしても、それがなんだ。彼は学者ではない。彼は良い演奏を残した演奏家だ。

しかし、彼の発言に説得力がないのに、妙なプライドがあり強弁をするのは、それも天才だからだろう。もちろん、グールドの発言全てを肯定することも可能だし、否定することも可能だ。ただ、そうしたグールドの態度や性格が、天才を生み出したのは間違いない。

おしまい

不明 のアバター

投稿者: brasileiro365

 ジジイ(時事)ネタも取り上げています。ここ数年、YOUTUBEをよく見るようになって、世の中の見方がすっかり変わってしまいました。   好きな音楽:完全にカナダ人クラシック・ピアニスト、グレン・グールドのおたくです。他はあまり聴かないのですが、クラシック全般とジャズ、ブラジル音楽を聴きます。  2002年から4年間ブラジルに住み、2013年から2年間パプア・ニューギニアに住んでいました。これがブログ名の由来です。  アイコンの写真は、パプア・ニューギニアにいた時、ゴロカという県都で行われた部族の踊りを意味する≪シンシン(Sing Sing)≫のショーで、マッドマン(Mad Man)のお面を被っているところです。  

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